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武田義信
苦戦5
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『出羽・檜山城』
俺が檜山城包囲軍に戻るとある程度の戦果は得ていた。多くの損害を出しながらも、北郭を含む幾つかの郭を確保していた。そこで俺は津軽4郡で使った下劣な策を弄した。今回は安東一族は許す訳にはいかないので、城内の安東一族全員の切腹を条件に家臣領民の助命、城門を開けた者1人当たり100貫文を与える、城壁・柵を乗り越え逃げて来た安東一族以外の助命、以上の3種矢文を大量に射込んだ。まあこの矢に射られて死ぬ奴は運が無かったと諦めて貰おう。
初日の夜に城内から領民が逃げ出した。まあ当然だろう、鷹司大将が助命を約束した矢文が数千も射込まれたのだ、命が惜しくなる者も出てくる。2日目は城内で争いが起こりだした、郭によっては徹底抗戦派と開城派による斬り合いにまで発展、幾つかの郭の城門が開かれたので、出羽勢を突入させて確保した。
「皆今日まで好く尽くしてくれた、鷹司卿ならば約束を違える事は無いだろう、城門を開き降伏してくれ、ただ我らと供の武士の意地を示す者だけ残ってくれ。」
「殿!」
安東愛季は流石にしぶとかった、このままでは家臣に殺されると判断したのだろう。家臣領民の命を思う仁将の振りをして見せて、家臣領民の忠誠心と士気を向上させた上で、疑わしい家臣領民を城内から追い出した。同時に激減した城兵で守り切れる本丸・二之丸・三之丸と脇郭だけを残して開城した。これは俺から開城褒美の銭を大量に放出させようとする嫌がらせでもあった。
見方によれば、降伏開城した全員が城門を開けたともいえる。しかし5000を超える人々全員に100貫文支払う銭など持ち合わせがないし、支払ったとしても人々は俺に感謝などせず、安東愛季に感謝するだろう、仕方なく、今回の開門は正式な降伏で我らに味方した開門では無いので褒美は支払わないと言うしかなかった、本当に嫌な奴だ!
さてどうすべきか? 半分以上の郭を一気に手に入れたのは好いが、残った郭に精鋭将兵・武器・兵糧を集まってしまった。我攻めでは損害が多くなりすぎる、包囲を続けて徐々に無力化すればいいだろう。
「八柳平次郎、そなたの父・兵三郎は命を懸けて奮戦してくれた、よってそれを評して本領安堵の上でそなたを従七位下・将曹に任じ、100貫文の扶持を加増し近衛武士団に取り立てる。相応しき一門を出仕させるべし!」
「有り難き幸せにございます、一族一門を代表して感謝申し上げます、これからも忠義の心で粉骨砕身御仕えさせて頂きます。近衛府出仕は我が弟・源五郎に家臣を付けて務めさせていただきとうございます。」
「うむ、これからも励んでくれ。」
俺は当主討ち死にさえ厭わず家名存続に奮戦した出羽勢を評した。これからも檜山城を囲んでくれる出羽勢に銭をばら撒きたかったが、手持ちの軍資金には限りが有る、そこで感状と証書を書き与えてジャンク船が湊に入った時に受け取れるようにした。同時に損害を出さないように手抜きした国衆、特に寝返り組の所領を削り当主交代を強行した。交代させた当主は諏訪に強制連行し後顧の憂いを無くすようにした。その上で後を出羽勢に任せて角館城に向かった。
『備後 国高 野陣』
「殿、いかがなされますか?」
「義父上、本願寺とは長年の友諠が有る故、依頼を無下にも出来ますまい。まして一向宗に領内で蜂起されては他国との合戦にも影響しましょう。」
「されど殿、甲斐武田との交易の利は馬鹿になりませんぞ。今後の戦費の為にも倭寇どもには配慮したほうが好いのではありませんか。」
「それは理解しておる、若狭武田・因幡武田にも命じて交易船には配慮するようにしておる。」
出雲吉田家に養子に入りして領している出雲国東部地域と、後に反乱を起こし討伐された興久が所有していた出雲西部塩冶地帯も領している尼子国久にとって、日本海沿岸交易の利益は手放せないのだ。尼子晴久にとって出雲を完全直轄化する上で目障りな存在の国久では有るが、大叔父で有り義父でも有る、何より強力な軍事集団新宮党の党主なのだ。新宮党の傲慢な振舞いには、他の一門譜代衆から不満が噴出しているものの、迂闊に手出しできない存在なのだ。
尼子晴久は自ら2万8000兵を率いて美作東部に進出、備前の浦上政宗・松田元堅と同盟し味方に加え、迎撃に出て来た美作の後藤勝基と備前の浦上宗景・連合軍1万5000兵を撃破し備前・天神山城を越え播磨加古川まで進撃していた。
備前・赤松家の筆頭宿老となった浦上政宗は尼子晴久と同盟したが、それを不満に思う国衆を統合した実弟・浦上宗景は毛利元就の支援を受け、兄と備前の覇権を懸けて争っていた。このような一族一門内の争いが家を傾け他国に付け入る隙を与えてしまう、愚かなことだ。
大内家は尼子が備前・播磨に向かった隙を突いた。備後の尼子方国衆・江田家の居城・旗返山城を大内方備後国衆が攻撃して来たのだ。尼子晴久は備後国衆の支持を維持するため、軍を返して備後国高へ陣を張っていた。
『近江堅田・称徳寺』
「実誓、今日は世話になるぞ。」
「公方様、何もございませんが出来る限りのおもてなしをさせて頂きます。」
「藤孝、今日は愉快で有ったな。」
「は! 武田めは公房様を差し置き一族を入内させたり、内親王降嫁を謀るなど不遜極まりませんでしたが、春からの懲罰は流石に堪えましたでしょうし、今日の頂いた和睦の勅命で反撃も思うに任せぬでしょう。」
細川藤孝が足利義藤の言葉に御追従をした、今日は中尾城に籠る六角勢1万の武力を背景に、朝廷に武田と本願寺・今川・伊達・最上などの和睦の使者を強要して来たのだ。
「左様左様、公方様が与えた守護職を返上し、朝廷に国司を要求するなど不遜過ぎましょう。」
和田惟政が細川藤孝の尻馬に乗って義信を罵る。
「それで惟政、武田の忍びは本当に動いておらんのだな?」
「は! 京・堺ともに商い以外の動きは有りません。ただ鷹司・三条として近衛府の兵を集めております。」
「惟政殿! それは大問題では無いか!」
「稙綱殿、しかし我らとしても三好勢との戦で京を騒がせている以上、御所を守るための兵を集めると言われては留め立ても出来ぬ、まあ集めてる兵の中に手の者を紛れ込ませているから大丈夫じゃ。」
「う~む、しかし武田めは帝や朝廷に兵など集めれば、帝や朝廷が戦に巻き込まれると判らんのか!」
「稙綱殿、それは我らが言える事では無い、情けなき事ながら我らの雑兵共の中には、御所内で乱暴狼藉を働いた者がいるのだ。」
「藤孝! それは違うぞ!! 乱暴狼藉を行ったのは三好めの雑兵じゃ、我が兵はそれを取り押さえる為に仕方なく御所内に入っただけじゃ。間違えるで無いわ!」
「は! 申し訳ございません公方様。」
「藤英、武田からの軍資金は届かぬか?」
「は、細川晴元様の御話では今川・斎藤・一向宗との合戦で送れないと、京の鷹司家・家司が使いに来たとの事でございます。」
「帝や公家共には続けて支援しておるではないか! 晴信の守護職を剥奪してくれようか!」
「公方様、そこまでなされては、今川や本願寺が負けた時に武田の軍勢が攻め上がってまいります。」
朽木稙綱が苦言を呈した。
「ふん! 甲斐の田舎侍など如何程の事が有ろうか。晴元には武田に軍資金の催促をするよう伝えよ。送らねば小笠原と上杉を守護に任じると申し伝えよ。」
「は!」
藤英は仕方なく返事をしたが、このような仕儀となれば、今後一切武田からの支援は望めぬと諦めた。
「しかしながら公方様、それでも武田が支援を送らぬ場合の策を、講じておかねばなりません。」
「実誓! 本願寺の越中侵攻を認めてやったのだ、本願寺の支援は約束通りだな!」
「は! 出来得る限りの支援をさせて頂くと宗主も申しております。」
「藤英、義元にもそなたの申す通りに御内書を与えてやったのだ、責任を持って支援を送らせよ。いや全国の大名国衆に支援を送らせよ、よいな!」
『は! 承りました。』
実誓 浄土真宗・称徳寺・住持
細川藤孝 従五位下・兵部大輔・御供衆
朽木稙綱 御供衆
和田惟政 御供衆 甲賀山南七家
三淵藤英 奉行衆
『京・覚院宮』
「虎繁、公方が事も有ろうに帝を脅しおった! 何とかならぬか?」
「御恐れながら、兵を挙げるは容易き事成れど必勝の策無ければ、今上帝と宮様に御迷惑をおかけすることになります。我が主人鷹司義信をその事を心から恐れております。それ故此度の公方の愚挙は御寛恕を乞いたく存じます。」
「う~む、其方や鷹司卿に帝に対する忠心を疑ってはおらぬ、さりながら公方の愚挙と、公方三好双方の御所に置ける乱暴狼藉は許し難い。公方の軍を養う銭は鷹司卿が出していると聞く、なれば何とかならぬのか?」
「申し訳もございません、主人義信の伯母が細川晴元管領に嫁いでいた故、長年に渡り支援しておりましたが、此度の御所での愚行を聞くに及び支援を取り止め、その全てを近衛府の兵を養う資金に充てる様に指示を受けております。早急に御所を守るべき武士団を整えます故、今暫く御待ち下さいませ。」
「そうであったな、三条公頼卿、いや今は鷹司公頼卿であったの、卿の娘御が細川家と武田家に嫁いでいたのであったな、されど先年亡くなられ晴元は六角の娘を継室に迎えたのではなかったか?」
「はい仰られる通りでございます。それ故今後2度と細川にも公方にも援助は行わぬと、我が主人義信も申しております。」
「義信卿がそう申されるなら確かな事で有ろう、だが今直ぐ近衛の兵が集まる訳でも有るまい? 明日よりどう対処いたす心算か?」
「今日の公方の愚挙と御所内の乱暴狼藉の懲罰の使者を三好に送りましょう。さすれば三好で雑兵共の処罰を致した上で、詫状を今上帝と朝廷に出してまいりましょう。そうなれば今上帝と朝廷の権威を高めることができしょう。」
「されど虎繁、御所内での乱暴狼藉は三好にも責任は有ろうが、公方の愚挙まで三好に責任はなかろう?」
「されどそれは全て三好が京に兵を進めたことが原因でございます、その事を強く責め、公方の兵が中尾城から退去する様に、三好が軍勢を動かさねばならぬ様に追い込みます。」
「しかしそれが元で京で合戦が起こっては元も子もないではないか?」
「京での戦はきつく戒めます。三好は歴戦の大名でございます、京を避けて公方を追いやる位の事は訳も無く遣り遂げましょう、御案じ召されますな。」
「うむ、あい判った。なれば虎繁に我が名代を申し付ける故、万事うまく執りは計らうがよかろう。」
「承りました。」
『出羽・横手城』
俺は角館で戸沢道盛の軍勢と周辺の国衆地侍の兵を集めさらに南下、近衛府直轄領を預けた漆戸虎光に今後の策を授け更に南下、横手城の小野寺景道と周辺の国衆地侍の兵を集めて軍に組み入れ、黒鍬輜重以外の歩兵を鹿角郡に残してきたため、歩兵不足の歪な編成となった軍勢を再編成した。
俺が檜山城包囲軍に戻るとある程度の戦果は得ていた。多くの損害を出しながらも、北郭を含む幾つかの郭を確保していた。そこで俺は津軽4郡で使った下劣な策を弄した。今回は安東一族は許す訳にはいかないので、城内の安東一族全員の切腹を条件に家臣領民の助命、城門を開けた者1人当たり100貫文を与える、城壁・柵を乗り越え逃げて来た安東一族以外の助命、以上の3種矢文を大量に射込んだ。まあこの矢に射られて死ぬ奴は運が無かったと諦めて貰おう。
初日の夜に城内から領民が逃げ出した。まあ当然だろう、鷹司大将が助命を約束した矢文が数千も射込まれたのだ、命が惜しくなる者も出てくる。2日目は城内で争いが起こりだした、郭によっては徹底抗戦派と開城派による斬り合いにまで発展、幾つかの郭の城門が開かれたので、出羽勢を突入させて確保した。
「皆今日まで好く尽くしてくれた、鷹司卿ならば約束を違える事は無いだろう、城門を開き降伏してくれ、ただ我らと供の武士の意地を示す者だけ残ってくれ。」
「殿!」
安東愛季は流石にしぶとかった、このままでは家臣に殺されると判断したのだろう。家臣領民の命を思う仁将の振りをして見せて、家臣領民の忠誠心と士気を向上させた上で、疑わしい家臣領民を城内から追い出した。同時に激減した城兵で守り切れる本丸・二之丸・三之丸と脇郭だけを残して開城した。これは俺から開城褒美の銭を大量に放出させようとする嫌がらせでもあった。
見方によれば、降伏開城した全員が城門を開けたともいえる。しかし5000を超える人々全員に100貫文支払う銭など持ち合わせがないし、支払ったとしても人々は俺に感謝などせず、安東愛季に感謝するだろう、仕方なく、今回の開門は正式な降伏で我らに味方した開門では無いので褒美は支払わないと言うしかなかった、本当に嫌な奴だ!
さてどうすべきか? 半分以上の郭を一気に手に入れたのは好いが、残った郭に精鋭将兵・武器・兵糧を集まってしまった。我攻めでは損害が多くなりすぎる、包囲を続けて徐々に無力化すればいいだろう。
「八柳平次郎、そなたの父・兵三郎は命を懸けて奮戦してくれた、よってそれを評して本領安堵の上でそなたを従七位下・将曹に任じ、100貫文の扶持を加増し近衛武士団に取り立てる。相応しき一門を出仕させるべし!」
「有り難き幸せにございます、一族一門を代表して感謝申し上げます、これからも忠義の心で粉骨砕身御仕えさせて頂きます。近衛府出仕は我が弟・源五郎に家臣を付けて務めさせていただきとうございます。」
「うむ、これからも励んでくれ。」
俺は当主討ち死にさえ厭わず家名存続に奮戦した出羽勢を評した。これからも檜山城を囲んでくれる出羽勢に銭をばら撒きたかったが、手持ちの軍資金には限りが有る、そこで感状と証書を書き与えてジャンク船が湊に入った時に受け取れるようにした。同時に損害を出さないように手抜きした国衆、特に寝返り組の所領を削り当主交代を強行した。交代させた当主は諏訪に強制連行し後顧の憂いを無くすようにした。その上で後を出羽勢に任せて角館城に向かった。
『備後 国高 野陣』
「殿、いかがなされますか?」
「義父上、本願寺とは長年の友諠が有る故、依頼を無下にも出来ますまい。まして一向宗に領内で蜂起されては他国との合戦にも影響しましょう。」
「されど殿、甲斐武田との交易の利は馬鹿になりませんぞ。今後の戦費の為にも倭寇どもには配慮したほうが好いのではありませんか。」
「それは理解しておる、若狭武田・因幡武田にも命じて交易船には配慮するようにしておる。」
出雲吉田家に養子に入りして領している出雲国東部地域と、後に反乱を起こし討伐された興久が所有していた出雲西部塩冶地帯も領している尼子国久にとって、日本海沿岸交易の利益は手放せないのだ。尼子晴久にとって出雲を完全直轄化する上で目障りな存在の国久では有るが、大叔父で有り義父でも有る、何より強力な軍事集団新宮党の党主なのだ。新宮党の傲慢な振舞いには、他の一門譜代衆から不満が噴出しているものの、迂闊に手出しできない存在なのだ。
尼子晴久は自ら2万8000兵を率いて美作東部に進出、備前の浦上政宗・松田元堅と同盟し味方に加え、迎撃に出て来た美作の後藤勝基と備前の浦上宗景・連合軍1万5000兵を撃破し備前・天神山城を越え播磨加古川まで進撃していた。
備前・赤松家の筆頭宿老となった浦上政宗は尼子晴久と同盟したが、それを不満に思う国衆を統合した実弟・浦上宗景は毛利元就の支援を受け、兄と備前の覇権を懸けて争っていた。このような一族一門内の争いが家を傾け他国に付け入る隙を与えてしまう、愚かなことだ。
大内家は尼子が備前・播磨に向かった隙を突いた。備後の尼子方国衆・江田家の居城・旗返山城を大内方備後国衆が攻撃して来たのだ。尼子晴久は備後国衆の支持を維持するため、軍を返して備後国高へ陣を張っていた。
『近江堅田・称徳寺』
「実誓、今日は世話になるぞ。」
「公方様、何もございませんが出来る限りのおもてなしをさせて頂きます。」
「藤孝、今日は愉快で有ったな。」
「は! 武田めは公房様を差し置き一族を入内させたり、内親王降嫁を謀るなど不遜極まりませんでしたが、春からの懲罰は流石に堪えましたでしょうし、今日の頂いた和睦の勅命で反撃も思うに任せぬでしょう。」
細川藤孝が足利義藤の言葉に御追従をした、今日は中尾城に籠る六角勢1万の武力を背景に、朝廷に武田と本願寺・今川・伊達・最上などの和睦の使者を強要して来たのだ。
「左様左様、公方様が与えた守護職を返上し、朝廷に国司を要求するなど不遜過ぎましょう。」
和田惟政が細川藤孝の尻馬に乗って義信を罵る。
「それで惟政、武田の忍びは本当に動いておらんのだな?」
「は! 京・堺ともに商い以外の動きは有りません。ただ鷹司・三条として近衛府の兵を集めております。」
「惟政殿! それは大問題では無いか!」
「稙綱殿、しかし我らとしても三好勢との戦で京を騒がせている以上、御所を守るための兵を集めると言われては留め立ても出来ぬ、まあ集めてる兵の中に手の者を紛れ込ませているから大丈夫じゃ。」
「う~む、しかし武田めは帝や朝廷に兵など集めれば、帝や朝廷が戦に巻き込まれると判らんのか!」
「稙綱殿、それは我らが言える事では無い、情けなき事ながら我らの雑兵共の中には、御所内で乱暴狼藉を働いた者がいるのだ。」
「藤孝! それは違うぞ!! 乱暴狼藉を行ったのは三好めの雑兵じゃ、我が兵はそれを取り押さえる為に仕方なく御所内に入っただけじゃ。間違えるで無いわ!」
「は! 申し訳ございません公方様。」
「藤英、武田からの軍資金は届かぬか?」
「は、細川晴元様の御話では今川・斎藤・一向宗との合戦で送れないと、京の鷹司家・家司が使いに来たとの事でございます。」
「帝や公家共には続けて支援しておるではないか! 晴信の守護職を剥奪してくれようか!」
「公方様、そこまでなされては、今川や本願寺が負けた時に武田の軍勢が攻め上がってまいります。」
朽木稙綱が苦言を呈した。
「ふん! 甲斐の田舎侍など如何程の事が有ろうか。晴元には武田に軍資金の催促をするよう伝えよ。送らねば小笠原と上杉を守護に任じると申し伝えよ。」
「は!」
藤英は仕方なく返事をしたが、このような仕儀となれば、今後一切武田からの支援は望めぬと諦めた。
「しかしながら公方様、それでも武田が支援を送らぬ場合の策を、講じておかねばなりません。」
「実誓! 本願寺の越中侵攻を認めてやったのだ、本願寺の支援は約束通りだな!」
「は! 出来得る限りの支援をさせて頂くと宗主も申しております。」
「藤英、義元にもそなたの申す通りに御内書を与えてやったのだ、責任を持って支援を送らせよ。いや全国の大名国衆に支援を送らせよ、よいな!」
『は! 承りました。』
実誓 浄土真宗・称徳寺・住持
細川藤孝 従五位下・兵部大輔・御供衆
朽木稙綱 御供衆
和田惟政 御供衆 甲賀山南七家
三淵藤英 奉行衆
『京・覚院宮』
「虎繁、公方が事も有ろうに帝を脅しおった! 何とかならぬか?」
「御恐れながら、兵を挙げるは容易き事成れど必勝の策無ければ、今上帝と宮様に御迷惑をおかけすることになります。我が主人鷹司義信をその事を心から恐れております。それ故此度の公方の愚挙は御寛恕を乞いたく存じます。」
「う~む、其方や鷹司卿に帝に対する忠心を疑ってはおらぬ、さりながら公方の愚挙と、公方三好双方の御所に置ける乱暴狼藉は許し難い。公方の軍を養う銭は鷹司卿が出していると聞く、なれば何とかならぬのか?」
「申し訳もございません、主人義信の伯母が細川晴元管領に嫁いでいた故、長年に渡り支援しておりましたが、此度の御所での愚行を聞くに及び支援を取り止め、その全てを近衛府の兵を養う資金に充てる様に指示を受けております。早急に御所を守るべき武士団を整えます故、今暫く御待ち下さいませ。」
「そうであったな、三条公頼卿、いや今は鷹司公頼卿であったの、卿の娘御が細川家と武田家に嫁いでいたのであったな、されど先年亡くなられ晴元は六角の娘を継室に迎えたのではなかったか?」
「はい仰られる通りでございます。それ故今後2度と細川にも公方にも援助は行わぬと、我が主人義信も申しております。」
「義信卿がそう申されるなら確かな事で有ろう、だが今直ぐ近衛の兵が集まる訳でも有るまい? 明日よりどう対処いたす心算か?」
「今日の公方の愚挙と御所内の乱暴狼藉の懲罰の使者を三好に送りましょう。さすれば三好で雑兵共の処罰を致した上で、詫状を今上帝と朝廷に出してまいりましょう。そうなれば今上帝と朝廷の権威を高めることができしょう。」
「されど虎繁、御所内での乱暴狼藉は三好にも責任は有ろうが、公方の愚挙まで三好に責任はなかろう?」
「されどそれは全て三好が京に兵を進めたことが原因でございます、その事を強く責め、公方の兵が中尾城から退去する様に、三好が軍勢を動かさねばならぬ様に追い込みます。」
「しかしそれが元で京で合戦が起こっては元も子もないではないか?」
「京での戦はきつく戒めます。三好は歴戦の大名でございます、京を避けて公方を追いやる位の事は訳も無く遣り遂げましょう、御案じ召されますな。」
「うむ、あい判った。なれば虎繁に我が名代を申し付ける故、万事うまく執りは計らうがよかろう。」
「承りました。」
『出羽・横手城』
俺は角館で戸沢道盛の軍勢と周辺の国衆地侍の兵を集めさらに南下、近衛府直轄領を預けた漆戸虎光に今後の策を授け更に南下、横手城の小野寺景道と周辺の国衆地侍の兵を集めて軍に組み入れ、黒鍬輜重以外の歩兵を鹿角郡に残してきたため、歩兵不足の歪な編成となった軍勢を再編成した。
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