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第二章
開戦
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それぞれの思惑が錯綜する中で、事態は刻一刻と動いていった。
織田家内で復権を目指す織田信雄は、同じく敗戦で名声を地に落とした滝川一益・森長可・毛利秀頼と組んで、信濃甲斐を奪還する軍を準備していた。
愚かな信雄は、徳川が裏切ることは考慮しなかったが、織田信孝が美濃から攻め込んでくることは警戒していて、動員できる半数の兵力、一万兵を集結させた。
滝川一益は大敗直後でもあり、三千兵を集めるので精一杯だった。
先陣を任された森長可も、信雄から貸し与えられた与力を併せて千兵が精一杯だった。
遊撃部隊の毛利秀頼も、信雄から貸し与えられた与力を併せて千兵が精一杯だった。
天正十年九月十五日、信雄軍は信濃に侵攻した。
秀吉も着々と体勢を固めていた。
領国となった河内・山城・丹波の検地と刀狩りを行い、明智残党を虱潰しに探した。
織田信孝・柴田勝家との決戦を考慮し、摂津と山城の境界線にあり、重大な戦略拠点である山崎に宝寺城を築城した。
宝寺城に居城を移した秀吉は、各地に使者を送り、織田家諸大名との私的な派閥を強化していった。
そして遂に三法師後見人である羽柴秀勝の名の下に、上様を弑逆した明智光秀の同盟軍、怨敵・長曾我部元親を討伐すると宣言した。
自身の家臣とした者達は勿論、表向きは織田家家臣の大名達も、指揮下に置いて討伐準備を始めた。
木下与一郎:五千兵(宝寺城に残る・毛利への備えに七千兵出雲に残す)
羽柴長秀 :五千兵(織田信孝と柴田勝家に備えて京に残る)
羽柴秀勝 :一万兵
羽柴秀吉 :三万二千兵
丹羽長秀 :一万兵(柴田勝家への備えで若狭に残る)
池田恒興 :八千兵
細川藤孝 :四千兵
筒井順慶 :一万八千兵
宇喜多秀家:二万五千兵(毛利への備えとして備前に残る)
仙石秀久 :三千兵
高山右近 :千兵(与力衆を付与)
中川清秀 :千兵(与力衆を付与)
だがこの頃、織田信雄軍は苦戦していた。
総勢一万五千の兵力ではあるが、裏で徳川家康と上杉景勝が動いているのだ。
それぞれが独立して策謀しているとは言え、信雄に対応することは難しかった。
滝川一益・森長可・毛利秀頼も中核となる重臣を失い、兵卒を指揮する下級指揮官も数多く失った状況では、臨機応変の対応が出来なかった。
毎日毎夜五月雨式に奇襲をされ、日に日に将兵を失い、遂には夜陰に乗じて味方が逃げ出してしまう状況になっていた。
十二月一日、秀吉は淡路の仙石秀久を先方に、阿波に上陸した。
水軍衆を使い、順次兵力を上陸させていった。
十二月十五日、秀吉軍が全て阿波に上陸したのを確認した織田信孝は、柴田勝家と連名で秀吉に対する弾劾状を諸大名にばらまいた。
そして軍勢を美濃から近江に進め、安土城を囲む暴挙に出た。
織田家内で復権を目指す織田信雄は、同じく敗戦で名声を地に落とした滝川一益・森長可・毛利秀頼と組んで、信濃甲斐を奪還する軍を準備していた。
愚かな信雄は、徳川が裏切ることは考慮しなかったが、織田信孝が美濃から攻め込んでくることは警戒していて、動員できる半数の兵力、一万兵を集結させた。
滝川一益は大敗直後でもあり、三千兵を集めるので精一杯だった。
先陣を任された森長可も、信雄から貸し与えられた与力を併せて千兵が精一杯だった。
遊撃部隊の毛利秀頼も、信雄から貸し与えられた与力を併せて千兵が精一杯だった。
天正十年九月十五日、信雄軍は信濃に侵攻した。
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宝寺城に居城を移した秀吉は、各地に使者を送り、織田家諸大名との私的な派閥を強化していった。
そして遂に三法師後見人である羽柴秀勝の名の下に、上様を弑逆した明智光秀の同盟軍、怨敵・長曾我部元親を討伐すると宣言した。
自身の家臣とした者達は勿論、表向きは織田家家臣の大名達も、指揮下に置いて討伐準備を始めた。
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羽柴長秀 :五千兵(織田信孝と柴田勝家に備えて京に残る)
羽柴秀勝 :一万兵
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