壱人複名 船宿鯛仙捕物帳

克全

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第1章

第9話:旗本屋敷の賭場

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 横須賀藩の後始末がまだ続いている頃、江戸では火付け強盗が続いていた。
 町火消と大名火消の奮闘で大火になるのだけは防いでいた。
 南北の町奉行所と火付け盗賊改めが必死で探索するが、手掛かりは掴めなかった。

「若旦那、今日はどこに行かれるので?」

 雨垂の亥之助が佐久間勝三郎に尋ねる。
 勝三郎は亥之助を連れて江戸の暗所を探り続けていた。
 横須賀藩の御家騒動を片付けた勝三郎は、火付け盗賊の探索に専念していた。

「夜は賭場に行く、それまでは亥之助に任せる」

「へい、任せてください」

 凶盗がおつとめの後に行く所など決まっている。
 真っ当に働いた金ではないので、全くありがたみの無いあぶく銭だ。
 酒と女と博打に使って面白可笑しく過ごす凶盗が多い。

 吉原や岡場所には密偵が入り込んで聞き込みをしている。
 江戸で美味いと評判の料理屋や居酒屋にも密偵が聞き込みをしている。
 天秤棒を担いで物を売る振売となって、裏から出入りして噂を聞き込む。

 勝三郎が槍を振るって手に入れる魚は、元手がいらないのでかなり儲かる。
 魚河岸で仕入れるよりも安い金で分けてやるので、聞き込みに力を入れても十分な利が密偵達の手元に残る。

 鯉、鮒、鰡、鱸などを槍の石突で気絶させて生け捕りすからとても新鮮で、会席料理を出すような高級な店にも出入りできている。

「申し訳ないのですが、若旦那を吉原や岡場所に御案内する訳にはいきませんので、昼も賭場でよろしいでしょうか?」

「構わない、案内してもらおう」

 亥之助が案内したのは、小普請支配下にある無役旗本の中間部屋だった。
 場所が深川にある旗本屋敷だけあって、昼日中に集まる客層が良かった。
 だから賽子を使った丁半博打ではなく、木版骨牌を使った追丁株だった。

 勝三郎は、牢人らしい古着に禿げた鞘の刀を腰に差していた。
 ただ、小奇麗に着こなしているので貧相には見えない。

 ましてひと癖もふた癖もありそうな亥之助を小者のように連れているのだ。
 旗者の若様が何かあった時の為に変装していると見られていた。

 亥之助が槍持ち中間のように奉じていた大身槍を中間部屋の前で預ける。
 あまりにも見事な重い剛槍を受け取った博打場の下足番が落としそうになる。
 槍だけがあまりにも立派なので、世間知らずの下手な変装だと思われた。

「若旦那、ここは駒に変えずに銀だけで張ってください」

 金銀を駒に変える時に手数料を取らないやり方だった。

「そうか、分かった」

 勝三郎は博打場の様子をざっと確認する。
 直ぐに勝負に加わらず、どのようなやり方をするのか確かめる。

 親と子が入れ替わるのではなく、胴元がずっと親を続けている。
 胴元と客が真剣勝負する博打なので、胴元が大負けする可能性がある。
 胴元が損をする訳がないので、当然何か如何様をしている。

 探す間もなく、御粗末過ぎる如何様が目に入った。
 胴元の手元に寿司を食べるための醤油の小皿があった。
 札を配る時に醤油に映る骨牌木札を見ているのだから、当然勝てる。

「亥之助、分かっているのか?」

「へい、分かっておりやす」

 こんな下手な如何様に気が付かない盗賊はいない。
 亥之助は客ではなく胴元に凶盗が加わっている可能性を考えたのだ。

「帰るぞ」

 だが勝三郎から見れば、こんな下手糞な如何様をする凶盗はいない。

「おい、馬鹿にしているのか?!」

 鉄火場から少し離れた場所にいた、旗本屋敷の若殿らしい男が文句を言った。
 さっと見ただけで、賭ける事も無く帰ろうとする勝三郎に腹を立てたのだ。
 道場剣術とはいえそれなりに励んだのか、柄にかけた手に剣だこができている。

「馬鹿にはしていないが、賭場慣れした者はここで打たんぞ」

「なんだと?!」

 入り口で槍や大刀を預けるので、胴元だけが大刀を持って博打場に入れる。
 その大刀の柄に手をかけて偉そうに文句を言う。
 勝三郎が脇差しかないのを見ているからの居丈高な態度だ。

「その醤油の入っている小皿、何に使っているの知らないとでも思っているのか」

「黙れ!」

 如何様を指摘された胴元の若旗本は、他の客の手前もあって大声をあげた。
 大声をあげただけでなく、大刀を抜いて勝三郎に斬りかかった。

「痴れ者が!」

 若旗本など、小太刀の奥義も極めて免許皆伝を得ている勝三郎の敵ではない。
 素早く若旗本の懐に踏み込み、脇差の柄頭で鳩尾を打つ。

「げっ!」

 激烈な一撃を受けた若旗本がその場に突っ伏する。
 勝三郎はそのまま賭場となっている中間部屋で暴れ回る。

 胴元側にいたのは質の悪い渡り中間だけで、簡単に叩き伏せられる。
 自分自身が用心棒気分だったのか、胴元には他に侍がいなかった。

 更に、客の半数が深川に屋敷を持つ旗本御家人の若者達。
 残る半数が商家の若旦那なので、勝三郎に勝てる者などいない。
 あっという間に叩き伏せられて気絶してしまった。

「亥之助、柘植の屋敷に行って義父殿を連れて来てくれ」

「へい!」

 亥之助が喜び勇んで中間部屋から飛び出していった。
 勝三郎が老中田沼意次に要求していた、徒目付への養子入りが予想外に早く決まっていた。

 先代がしくじって大番与力から小普請組入りしていた柘植家を、老中の田沼意次が徒目付に、それも隠密をつとめる常御用に大抜擢していた。

 勝三郎は形だけ柘植家の養子になっていた。
 田沼老中から自由に振舞って良いという言質を取っていたので、旗本御家人の取り締まりではなく凶盗を追っていたが、思いがけない事になった。

「勝三郎殿、本当に良いのか?」

 同じ深川に屋敷の有る柘植甚左衛門正英が、半刻で中間部屋に駆けこんで来た。
 柘植甚左衛門が駆けこんで来た時には、勝三郎は預けていた大身槍を取り返し、志古貴を使って気絶させた者達を後ろ手に縛っていた。

「義理とはいえ某は息子。
 義父の役目を手伝うために、旗本屋敷に忍びこんで調べていたのです。
 どうか義父殿の手柄にされてください」

「有難い」

 柘植甚左衛門、勝三郎、亥之助だけで二十人近い人間を連行するのは難しいので、柘植家の小者二人だけでなく佐久間家の密偵五人も加わっていた。

「何事だ、ここを旗本屋敷と知っての狼藉か?!」

 屋敷の主が、ようやく中間屋敷の騒動に気が付いて慌ててやって来た。

「徒目付の柘植甚左衛門正英である。
 御上の御定法を破って屋敷内で賭場を開いていたこと許し難し!
 評定所での御裁きを行うので同道願していただく!」

「うっ……武士は相見互い、ここは穏便に済ませて頂けまいか?」

 屋敷の主が賄賂を払うから見逃してくれと遠回しに言う。

「ならぬ、この屋敷に出入りしていた客の中に、先日から御府内に出没している火付け盗賊がいるとの訴えがあった。
 千代田の御城を焼くかもしれない火付け盗賊の一件を見逃せるわけがない!
 貴殿にも同道してもらう、付いて参られよ」

 事があまりに大きく、とても内々で済ませられないと当主も諦め同行した。
 これが知行五百石以上の旗本なら親戚に預けられるのだが、今回取り締まられた旗本は二百石でしかなく、伝馬町牢屋敷の七畳敷き揚座敷に捕らえられる。

 今回の件で捕らえられたのは小身旗本や御家人の子弟ばかりだったので、親戚に預けられるような者はおらず、全員が揚座敷に入れられた。
 商人の若旦那たちは伝馬町牢屋敷の大牢に入れられた。

 佐久間勝三郎が老中田沼意次に報告したい事があると、田沼家の藩士に申し出た。
 二百俵御家人の部屋住みに過ぎない勝三郎の願いがその日の内に叶えられた。

「勝三郎、この度の賭博で捕えた者達を急ぎ厳罰にしたら、火付け盗賊が捕らえられるというのは本当なのか?」

「必ず捕らえられるとは言えませんが、あぶり出せる可能性がございます」

「何故だ?」

「火付け盗賊は真っ当な暮らしをしておりません。
 身元が確かな者が住む町方の表店や裏長屋には住めません。
 連座を恐れる地主、家主、大家が胡乱な者に家を貸しません。
 悪党が持っている家か、幕府に隠れて行われる賭場や岡場所にしかいられません。
 賭場と岡場所を厳しく取り締まれば、仕切っている者達が本気になって火付け盗賊を探し出します」

「なるほど、とばっちりを嫌った小悪党に火付け盗賊を見つけさせるのだな」

「はい」

「よかろう、町奉行と寺社奉行に賭場と岡場所を厳しく取り締まるように命じる」
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