壱人複名 船宿鯛仙捕物帳

克全

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第1章

第28話:火除地の決闘

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「はじめ!」

 双方の名乗りが終わり、検分役首座の言葉と共に果し合いが始まった。
 果し合いで戦う人間の数だけ検分役がいる異例の決闘だった。

 百七十年の太平で、武功を正確に把握して記せる者がいなくなったのだ。
 犬追いが行われている間は検分の技が残っていたのだが、生類憐みの令で犬追いが行われなくなり、検分の技が失われていた。

「「「御命頂戴」」」
「「「「「南無三」」」」」
「「「「「覚悟!」」」」」
「「「「「おりゃあああああ」」」」」

 双方が想いの籠った言葉を叫ぶと同時に、命懸けの突撃を行った。
 誰よりも早く駆けたのが佐久間三兄弟だった。
 得意の大身槍を振るって、正面にいる役方の助太刀を一気に貫いた。

「「「ぐっ!」」」

 敵も剣に人生を捧げた剣客で、名を挙げるために命を賭けるほどの覚悟者だ。
 命懸けの戦いを何度も経験しており、人を殺した事もあり、腕に自信もある。
 そんな剣客達が、槍を払う事もできずに一撃で刺し貫かれたのだ。

「「「ひゅううううう」」」」

 実際の戦場では、敵味方入り乱れての乱戦となる。
 呼吸を止めて一度の勝負にかけていたら、思わぬ伏兵に命を奪われてしまう。

 だから三兄弟は息を止める事無く鋭く短い呼吸で戦い続ける。
 まるで笛を吹いているような三兄弟の呼吸が果し合いの場に広がる。
 三兄弟が敵の剣客を二人三人四人と槍の錆びに変えていく。

「「「「「ひぃいいいいい」」」」」

 役方の百名以上は卑怯にも、剣客の助太刀に戦わせて最初の場所、一番奥から全く動かないどころか、幕府がしつらえた高く丈夫な竹矢来の前にまで下がっている。

 果し合いの場から逃げ出す者がいないように、竹矢来の外には御先手組と徒士組が槍を手に見張っているので、流石に役方達も逃げられない。

 勝三郎達三兄弟の助太刀をする、徳川家基付の小姓や小納戸達、西之丸付きの小姓組と書院番の番士達も剣客と斬り結んでいる。

 柳生主膳正と長谷川平蔵は鮮やかな剣技で剣客を斬り捨てていた。
 だが大抵の小姓や番方は、剣客よりは腕が落ちる。
 一刀のもとに斬り捨てられる番方もいて、見ていた徳川家基は切歯扼腕する。

 だがそんな気持ちも、贔屓の勝三郎の槍捌きを見ると直ぐに晴れる。
 勝三郎の兄二人も、鮮やかな槍捌きで剣客の戦列を押し通る。

「見事である、勝三郎こそ余の小姓に相応しい」

 徳川家基はその強さに感嘆の声を上げる。

「死にたくない、許してくれ、助けてくれ」
「見逃してくれ、この通りだ、見逃してくれ」

 武士としての覚悟がない役方達が逃げ回る。
 土下座して命乞いする者もいれば、竹矢来を乗り越えて逃げようとする者もいた。
 だが竹矢来を乗り越えようとする者は、見張っていた御先手同心の槍に突かれた。

「「「「「ぎゃあああああ」」」」」

 三兄弟は役方達が背中を見せても気にせずに大身槍で突き殺す。
 背中を見せて逃げる罪人を見逃す町奉行所の与力はない。
 火付け盗賊改め方与力家の養子に入った次兄も、背中を見せた盗賊を見逃さない。

 背中から斬るのは卑怯だとか武士の情けだとか言って見逃したら、盗賊や火付けが再び何の罪もない民を害するので、情け容赦なく殺すように生きて来た。

 見る間に役方の人間が突き殺されていくので、三兄弟の武功を検分する役目の中奥小姓が、死者を確認して書き記すのが間に合わないくらいだった。
 三兄弟が役方全員を刺し殺すのにかかった時間は、四半時もかからなかった

「止めよ、役方全員を討ち取った、もう果し合いは終わりだ。
 義理と人情で助太刀していた者達も、もう命を賭ける必要はない」

 勝三郎の長兄、源太郎信達が自分の助太刀だけでなく敵の助太刀も止める。
 源太郎は見習与力として町奉行所で役目を果たしているだけに、浪人剣客の仕官を望む命懸けの気持ちを良く分かっていた。

 だからこそ、斬りかかって来る浪人剣客は情け容赦なく殺すが、勝敗が決まった後に嬲り殺すような事はできなかった。

「何故止める、果し合いなら最後まで戦うべきであろう」

 助太刀に加わった小姓組番士の若い大身旗本が、残敵掃討を止められて吼える。
 浪人剣客の助太刀から逃げ回った上に手傷負い、普段の大言壮語が偽りだったと番頭や仲間に知られ、大いに面目を失っていた。

「追首が武功に数えられない事を御存じありませんか?
 これ以上騒ぎ立てると、大納言様の不興を買いますぞ」

 長兄の立場を考えて勝三郎が言う。
 勝三郎の義父は徒目付組頭なので、その気になれば大身旗本でも罰せられる。
 町奉行所与力の長兄とは、旗本に対する発言力が全く違っていた。

「な、くっ、恩知らずが!」

 大身旗本は設えられた上座で検分している徳川家基の方をちらりと確認してから、吐き捨てるように文句を言った。

 剣客浪人助太刀に斬り殺された番方の助太刀ほど恥をかいたわけではないが、誰一人倒せなかった事で恥をかかされたと思っていた。

「佐久間源太郎殿、佐久間啓次郎殿、佐久間勝三郎殿、検分役一同で話し合ったが、御三方の武勇に優劣はつけられない、それぞれに一番槍と一番首を与える」

 勝三郎がまだ争おうとする双方の助太刀に声をかけていると、武功を評価していた検分役達に呼ばれた。

 三兄弟は三人並んで誰よりも早く敵に突っ込んだので一番槍とされた。
 同じく誰よりも早く同時に敵を討ち取ったので一番首とされた。

 ただ、大将首は勝三郎が取ったので、果し合いで一番の武功と評価された。
 源太郎と啓次郎はどれほど手柄を立てても出世できない与力なので、出世ができる御家人の勝三郎に大将首を譲ったのだ。

「この度の果し合い、誠に見事であった。
 幕府の威信を守るために良く働いた、褒めてつかわす」

「有難き幸せでございます」

 勝三郎は徳川家基の誉め言葉に対して、殊勝に答える。

「普段は大言壮語しているにもかかわらず、いざ戦いとなったら臆病風に吹かれ、病気届を出して御役から辞するような卑怯者とは雲泥の差がある。
 勝三郎こそ余の小姓に相応しい、明日から登城せよ」

「恐れながら申しあげます。
 過分な登用、御礼の言葉もございません。
 しかしながら、御老中より果し合い後に御料巡見使を命じられております。
 己一人の出世よりも、幕府将軍家への奉公を大切にしとうございます。
 小姓への取り立ては、御料巡見使の役を果たしてからにしていただけませんか」

 誰もが望む栄達を辞退する勝三郎に、聞いていた者達は唖然とした。
 次期将軍である徳川家基の寵愛を得ると言う事は、前例を考えれば側用人に取立てられて老中に、大名に成り上がれる可能性があるのだ。

 早くに寵愛を失ったとしても、小姓に取立てられただけで役高五百石、部屋住みの勝三郎なら役料三百俵が与えられる。

 しかも小姓の御役を一年つとめたら従五位下に叙任され諸大夫となれる。
 幕府では布衣に相当する役目につくと家禄が百俵加増してもらえる。
 家禄が二百俵の柘植家は三百俵となり、御目見え以上の旗本に成れるのだ。

 そんな実利が伴う栄誉を辞退するなど普通は有り得ない。
 逆に小姓を辞退されて面目を潰された徳川家基が根に持ったら、改易にされても可笑しくないのだ、周囲の人間が驚愕して息を飲むのも当然だった。

「その言葉天晴れである、口だけの者達とは大違いである。
 余の小姓に取立てるが、登城は御料巡見使の役目を果たしてからで良い」

 徳川家基は気を悪くするどころか、更に勝三郎を気に入った。

「しばし、しばしお待ちください。
 西之丸小姓が御料巡見使をつとめた前例がございません」

「前例がなければ、余が手始めとなれば良かろう。
 大目付と勘定奉行が道中奉行を兼帯しているのだ、兼帯すれば好かろう。
 老中の田沼侍従は、側用人と老中を兼帯していたと聞いている。
 そうじゃ、寺社奉行も奏者番が兼帯しておる」

「それはそうでございますが、大納言様が陰で誹られるかもしれない前例を作られなくても、御料巡見使を終えてから小姓に取立てられれば宜しいのではありませんか」

「ならぬ、それではこの果し合いの褒美にならん。
 これほどの武勇を示した幕臣を取立てずに誰を取立てるのだ?
 それとも武勇には褒美を与えず、病気届を出した卑怯者共を改易にするか?」

「それはお待ちください、分かりました、本丸老中の方々とも相談して、大納言様の御意向に沿えるように致しますので、しばしお待ちください」

「待てぬ、勝三郎を余の小姓とする事は絶対に待てぬ。
 小姓に取立てた上で御料巡見使の役目も与える、これは絶対じゃ」

 徳川家基が多くの幕臣の前で公言したのだ。
 実行できなければ面目が潰され将軍家の威信にかかわる。

 とはいえ、支配勘定という御目見え以下の役目と、小姓という御目見え以上の役目を兼帯するのは無理なので、何か方法を考えなければいけなくなった。
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