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第一部 異世界建築士と獣人の少女
第2話:柔らかな毛布……?
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落下独特の浮遊感。
たまに夢で見る、あの、足を踏み外す感覚。
あれが、延々と続くのだ。
全身がおぞけだつ感覚。
そして、自分が叫ぶ声で目を覚ますのだ。
目を──
「──っっ!!??」
ふとんを思い切りまくり上げ、目を覚ます。
「──あ?」
布団?
見たこともない布団をかぶっている。
じつは路上で倒れていたところを交番にお引き取りされて、それで一夜を明かしたとか?
目の前の石のような壁は、壁紙も張らない打ちっぱなしのコンクリート──ではない。
「交番の仮眠室、とかじゃないよな?」
お巡りさんに職務質問を受けたような記憶はない。もちろん、前後不覚になるまで酒を飲んだような記憶もない。
見回しても、鉄格子のようなものはない。簡素な、石壁の部屋。石というか、ブロックを積んだ部屋のようである。強いて言うなら倉庫と呼ぶべきか。もちろん、木村設計事務所に、こんな部屋も倉庫もない。
天井自体も低いが、窓がやたら天井付近に、横に細長く作られているということは、ここは半地下室なのだろう。なにやらじっとりとした空気も、そう考えれば納得である。
ただ、ガラスははめ込まれていないようだ。木の通風雨戸だけのようにみえる。換気を優先してあるらしいが、雨の日はどうするのだろう。
明かりは、その窓から差し込む光だけのようだ。まぶしい。ちょうど身を起こして背筋を伸ばしたその高さに、窓からの光がぶつかる。
見上げると、天井にはシーリングライトどころか、白熱電灯一つとしてぶら下がっていない。むき出しの木組みが、この天井の上にある部屋を想像させる。
奥の通路にはドアはなく、左奥に向かって階段が伸びているのが見える。半地下室と考えたのは、おそらく正解なのだろう。
伸びていた背筋を丸めて下を向くと、日光から逃れることができた。右側は壁になっており、そこに細長い光の筋が3本、通風雨戸のスリットの数だけ浮かび上がっている。
こんな部屋を、俺は知らない。俺は昨日、何をしたのだろうか。事務所から出て、なにか、足を踏み外した感覚はあった。だが、それ以上何があったかが分からない。
これは、アレだろうか。自覚してはいなかったがあまりにも疲労がたまりすぎ、事務所を出たときに意識を失ってしまったとか。
ひょっとして、倒れていたところを警備会社の人が見つけてなんとかしたとか。
……なんとかってなんだ。病院ならともかく、こんな健康に悪そうな半地下室。
さきほどは布団だと思ったが、掛けられていたものはただのタオル──というより、手ぬぐいのような布。こんな地下室では、防寒の役に立つかどうかも疑問のぺらっぺらの布切れ。
そう思ったら、左の傍らには、茶色っぽい毛布の塊。なんだ、単に自分が毛布をはね除けてしまっただけか。
薄暗い部屋の中、やたら硬いベッドから窓のある方に向かって這い出そうとして──
「……え?」
柔らかく温かいものに手をのせてしまう。
毛布──と思っていた塊だが、それにしては柔らかすぎるゴムボールのような感触。だが、ふわふわの感覚は間違いなく、毛の長い毛布そのものだ。
「なんだこ──」
言いかけて、固まった。
柔らかいゴムまりみたいな触感の先端の、
指先に当たる、
この、やや硬めの突起。
別に暑いわけでもないのに、だらだらと、額から汗が吹き出し始める。
薄暗いから気づかなかった、そう言いたい。
ふわふわのそれを、ただの毛布の塊だと思ったのだ。
視線を下に落とす勇気がない。
否、見えている。
その、ふわふわの毛におおわれた、それ。
ぴくりと動いた、三角形の、何か。
「ふぁう──?」
それが、目を覚ます。
全身金色の、柔らかな毛でおおわれた、彼女──
必死で体を起こす。
思わず一瞬掴んでしまったその塊の、その先端の突起の感覚が、妙に生々しく中指に残る。
「──や、やあ、お、おは……」
言葉が続かない。
むっくりと体を起こした彼女は、
「……おは?」
まさに犬そのものの顔で、小首をかしげてみせた。
やばい!
やばいやばいやばい!
なにがやばいって、犬の頭だぞ犬の頭!
しかも被り物じゃない! 目を覚ましてこっちを見た! マジで目が動いてた!
たしかあれだ、島津が教えてくれた神話の中だと、ええと、エジプトに犬頭の神様いたよな!? アヌビスとか言ったっけ? なんの神様だった!?
さっきのアレ、絶対あの突起、アレだよな!
って、あれ? アヌビスって女神だっけ?
どっちにしてもやばい! 神様に触ったんだぞ、俺、不敬罪か何かで殺される?
てか、マジでエジプトの神様だったらどうすんだ、日本語通じねえだろうから、言い訳効かねえぞきっと!
どうする俺!
――まずはもう、謝罪! 謝罪しかねえ! 全身全霊を込めた土下座!!
「あ、あの──」
「申し訳ございません! 暗く、さらには不覚状態だったとはいえ、その玉体に触れてしまった無礼、どうか、どうか平にご容赦を!」
日本語が通じるかどうかなんてこの際どうでもいい、とにかく謝意が伝わらなければ何が起こるか分からない。神様ならば、たとえ日本語分からなくても、哀れな被造物が必死にとりなしを求めていることを理解してくれれば、寛大な慈悲を垂れてくれるかもしれない。
とにかくベッドに額をこすりつけ、必死で許しを求める。
「なにをなさっているのかわからないのですが、お顔を上げていただけませんか?」
「いえいえ、人間のわたくしごときがアヌビス様のご尊顔をうかがうなど、とてもとても──!」
「あの……」
──ん?
恐る恐る、顔を上げてみる。
目に飛び込んできたのは、正座のような──いわゆる女の子座りをしている金の体毛におおわれた太もも。
そこから徐々に視線を上に挙げていくと、申し訳程度の布切れ──俺が被っていた布と同じもの──をまとった腰、腹のあたりからは毛が薄くなり、豊かな胸は産毛程度が覆っているだけ。
桜色の先端から上はほぼ地肌、胸元辺りからふたたび白い毛が覆うようになり、喉元から胸元あたりはひときわ柔らかそうな、ふわふわで真っ白な毛に覆われている。
それ以外はふわふわの金の体毛におおわれた、「体毛におおわれた人間の体に、犬のような頭が乗っかっている」生き物が、そこにいた。
頭頂部は人間のように、頭の上だけ妙に長い毛になっており、その金の体毛──いわゆる髪の毛は、腰のあたりまで長く、彼女の背中を覆うように伸びている。ただ、なかなかのくせ毛というか、妙にふわふわと跳ねているところが、また軽やかで柔らかそうな印象を与えている。
その頭の上には三角の、自分の手のひらくらいの大きさの耳がにょっきりと伸びており、せわしなくぱたぱたと動いている。耳の奥はこれまた、光に透けるふわふわの白く長い毛で覆われているようだ。
顔そのものもそれなりに長い毛で覆われている。ただ、顔立ちはほとんど犬そのものだが、しかし俺が「動物」として知っている犬ほどには、顔が突き出していないようだった。人間同様に眉らしきものもあり、目も、どことなく人間らしさを感じる。
よくファンタジーに登場する、耳だけ動物のなんちゃって獣人というより、体格だけ人間であとケモノ、といった獣人像である。昔見たことがある、青い肌の異星人とのコンタクトを描いた映画を思い出す。
「お目覚め心地はいかがですか? 体はどこか、痛いところなどありませんか?」
口の構造のせいだろう、すこし息が吹き抜けるような、妙な感覚のある発音だが、それでもはっきりと彼女の言葉が聞き取れた。
──聞き慣れない不思議な言葉にかぶせるように、日本語で。
たまに夢で見る、あの、足を踏み外す感覚。
あれが、延々と続くのだ。
全身がおぞけだつ感覚。
そして、自分が叫ぶ声で目を覚ますのだ。
目を──
「──っっ!!??」
ふとんを思い切りまくり上げ、目を覚ます。
「──あ?」
布団?
見たこともない布団をかぶっている。
じつは路上で倒れていたところを交番にお引き取りされて、それで一夜を明かしたとか?
目の前の石のような壁は、壁紙も張らない打ちっぱなしのコンクリート──ではない。
「交番の仮眠室、とかじゃないよな?」
お巡りさんに職務質問を受けたような記憶はない。もちろん、前後不覚になるまで酒を飲んだような記憶もない。
見回しても、鉄格子のようなものはない。簡素な、石壁の部屋。石というか、ブロックを積んだ部屋のようである。強いて言うなら倉庫と呼ぶべきか。もちろん、木村設計事務所に、こんな部屋も倉庫もない。
天井自体も低いが、窓がやたら天井付近に、横に細長く作られているということは、ここは半地下室なのだろう。なにやらじっとりとした空気も、そう考えれば納得である。
ただ、ガラスははめ込まれていないようだ。木の通風雨戸だけのようにみえる。換気を優先してあるらしいが、雨の日はどうするのだろう。
明かりは、その窓から差し込む光だけのようだ。まぶしい。ちょうど身を起こして背筋を伸ばしたその高さに、窓からの光がぶつかる。
見上げると、天井にはシーリングライトどころか、白熱電灯一つとしてぶら下がっていない。むき出しの木組みが、この天井の上にある部屋を想像させる。
奥の通路にはドアはなく、左奥に向かって階段が伸びているのが見える。半地下室と考えたのは、おそらく正解なのだろう。
伸びていた背筋を丸めて下を向くと、日光から逃れることができた。右側は壁になっており、そこに細長い光の筋が3本、通風雨戸のスリットの数だけ浮かび上がっている。
こんな部屋を、俺は知らない。俺は昨日、何をしたのだろうか。事務所から出て、なにか、足を踏み外した感覚はあった。だが、それ以上何があったかが分からない。
これは、アレだろうか。自覚してはいなかったがあまりにも疲労がたまりすぎ、事務所を出たときに意識を失ってしまったとか。
ひょっとして、倒れていたところを警備会社の人が見つけてなんとかしたとか。
……なんとかってなんだ。病院ならともかく、こんな健康に悪そうな半地下室。
さきほどは布団だと思ったが、掛けられていたものはただのタオル──というより、手ぬぐいのような布。こんな地下室では、防寒の役に立つかどうかも疑問のぺらっぺらの布切れ。
そう思ったら、左の傍らには、茶色っぽい毛布の塊。なんだ、単に自分が毛布をはね除けてしまっただけか。
薄暗い部屋の中、やたら硬いベッドから窓のある方に向かって這い出そうとして──
「……え?」
柔らかく温かいものに手をのせてしまう。
毛布──と思っていた塊だが、それにしては柔らかすぎるゴムボールのような感触。だが、ふわふわの感覚は間違いなく、毛の長い毛布そのものだ。
「なんだこ──」
言いかけて、固まった。
柔らかいゴムまりみたいな触感の先端の、
指先に当たる、
この、やや硬めの突起。
別に暑いわけでもないのに、だらだらと、額から汗が吹き出し始める。
薄暗いから気づかなかった、そう言いたい。
ふわふわのそれを、ただの毛布の塊だと思ったのだ。
視線を下に落とす勇気がない。
否、見えている。
その、ふわふわの毛におおわれた、それ。
ぴくりと動いた、三角形の、何か。
「ふぁう──?」
それが、目を覚ます。
全身金色の、柔らかな毛でおおわれた、彼女──
必死で体を起こす。
思わず一瞬掴んでしまったその塊の、その先端の突起の感覚が、妙に生々しく中指に残る。
「──や、やあ、お、おは……」
言葉が続かない。
むっくりと体を起こした彼女は、
「……おは?」
まさに犬そのものの顔で、小首をかしげてみせた。
やばい!
やばいやばいやばい!
なにがやばいって、犬の頭だぞ犬の頭!
しかも被り物じゃない! 目を覚ましてこっちを見た! マジで目が動いてた!
たしかあれだ、島津が教えてくれた神話の中だと、ええと、エジプトに犬頭の神様いたよな!? アヌビスとか言ったっけ? なんの神様だった!?
さっきのアレ、絶対あの突起、アレだよな!
って、あれ? アヌビスって女神だっけ?
どっちにしてもやばい! 神様に触ったんだぞ、俺、不敬罪か何かで殺される?
てか、マジでエジプトの神様だったらどうすんだ、日本語通じねえだろうから、言い訳効かねえぞきっと!
どうする俺!
――まずはもう、謝罪! 謝罪しかねえ! 全身全霊を込めた土下座!!
「あ、あの──」
「申し訳ございません! 暗く、さらには不覚状態だったとはいえ、その玉体に触れてしまった無礼、どうか、どうか平にご容赦を!」
日本語が通じるかどうかなんてこの際どうでもいい、とにかく謝意が伝わらなければ何が起こるか分からない。神様ならば、たとえ日本語分からなくても、哀れな被造物が必死にとりなしを求めていることを理解してくれれば、寛大な慈悲を垂れてくれるかもしれない。
とにかくベッドに額をこすりつけ、必死で許しを求める。
「なにをなさっているのかわからないのですが、お顔を上げていただけませんか?」
「いえいえ、人間のわたくしごときがアヌビス様のご尊顔をうかがうなど、とてもとても──!」
「あの……」
──ん?
恐る恐る、顔を上げてみる。
目に飛び込んできたのは、正座のような──いわゆる女の子座りをしている金の体毛におおわれた太もも。
そこから徐々に視線を上に挙げていくと、申し訳程度の布切れ──俺が被っていた布と同じもの──をまとった腰、腹のあたりからは毛が薄くなり、豊かな胸は産毛程度が覆っているだけ。
桜色の先端から上はほぼ地肌、胸元辺りからふたたび白い毛が覆うようになり、喉元から胸元あたりはひときわ柔らかそうな、ふわふわで真っ白な毛に覆われている。
それ以外はふわふわの金の体毛におおわれた、「体毛におおわれた人間の体に、犬のような頭が乗っかっている」生き物が、そこにいた。
頭頂部は人間のように、頭の上だけ妙に長い毛になっており、その金の体毛──いわゆる髪の毛は、腰のあたりまで長く、彼女の背中を覆うように伸びている。ただ、なかなかのくせ毛というか、妙にふわふわと跳ねているところが、また軽やかで柔らかそうな印象を与えている。
その頭の上には三角の、自分の手のひらくらいの大きさの耳がにょっきりと伸びており、せわしなくぱたぱたと動いている。耳の奥はこれまた、光に透けるふわふわの白く長い毛で覆われているようだ。
顔そのものもそれなりに長い毛で覆われている。ただ、顔立ちはほとんど犬そのものだが、しかし俺が「動物」として知っている犬ほどには、顔が突き出していないようだった。人間同様に眉らしきものもあり、目も、どことなく人間らしさを感じる。
よくファンタジーに登場する、耳だけ動物のなんちゃって獣人というより、体格だけ人間であとケモノ、といった獣人像である。昔見たことがある、青い肌の異星人とのコンタクトを描いた映画を思い出す。
「お目覚め心地はいかがですか? 体はどこか、痛いところなどありませんか?」
口の構造のせいだろう、すこし息が吹き抜けるような、妙な感覚のある発音だが、それでもはっきりと彼女の言葉が聞き取れた。
──聞き慣れない不思議な言葉にかぶせるように、日本語で。
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