お母さん、私のなまえ覚えてる?

LIN

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本編

過去には戻らない

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あれから時間が巻き戻ることもなく、私はカナや他にもできた友達と楽しい高校生活を送っていた。

お母さん達のことは、何も考えないようにした。


カナはお弁当作りに嵌って、料理の専門学校に進むことにした。

私は小学校の先生になりたいと思って、大学に進むことにした。私みたいに虐められる子を、守って応援してあげたいと思ったからだ。


大学進学の話をしても、お母さん達は何も言わなかった。

お金は出してくれるみたいだったから、そこだけは甘えようと思った。自分の物は自分で買おうと思って、私はアルバイトを始めた。

家には寝に帰るくらいで、できるだけ外にいるようにした。


「あ、杉下さん!」

小山君は私と同じ大学に進学していたらしい。

偶然大学で会って驚いた。あんまり会いたくなかったけど、最初の頃は他に知り合いもあまり居なくて、気が付いたらよく一緒に居るようになっていた。

「小山君、おはよう」

「おはよう。ね、今度の土曜日にさ、みんなで奥多摩にBBQに行かない?今のところ10人くらい集まってるんだけど…」

「楽しそうだね!その日ならバイトも休みだし、大丈夫だよ!」

「良かった。また詳細送るわ」

そう言って小山君は構内に入って行った。


私達は駅で待ち合わせをして、みんなで買い出しに行ってから奥多摩に向かった。3人の男の子が家から車を借りれたみたいで、私達はそれぞれ別れて車に乗った。

初めてのBBQは凄く楽しくて、焼き立てのお肉も美味しかった。


帰りの車は家が近い人で別れて乗った。私の方面に住む人は居なくて、私一人で小山君の車に乗って家まで送って貰うことになった。

「遠いのにごめんね…?」

「いや、俺も家はこっちの方だから大丈夫だよ。車だとすぐだし」

私達は気不味くて、ずっと無言だった。流行りの音楽だけが静かな車内で流れていた。

「あのさ…杉下さんって付き合ってる奴いるの?」

「え…?いないけど…」

私は思わず小山君を見たけど、小山君はずっと道路を見ていて、どんな表情なのかは分からなかった。

それから小山君は、また無言に戻った。私はずっと窓の外を眺めていた。小山君がなんでそんなことを聞いたのか気になったけど、怖くて聞けなかったんだ。


「俺さ…やっぱり杉下さんのことが好きなんだよね…もう一回考えてくれないかな…?」

家の前に着いて、私が車を降りてから小山君はそう言った。私の返事も聞かないで、そのまま車は行ってしまった。


私は部屋に戻って、カナにメッセージを送った。すぐにカナから電話がかかってきた。

― 麗華!なになに?どういう事?

「なんか、小山君にもう一回告白されたっぽい…?」

― やっぱり?絶対に諦めてないと思ってたんだよね!それでそれで?なんて言ったの?

「何か言う前に行っちゃった…」

―ヘタレじゃん!麗華はどうすんの?

「どうなんだろう…?よくわかんないや…」

小山君は良い人だし一緒にいて楽しいけど、前回の事を思うといまいち信用できなかったんだ。

― とりあえず付き合ってみれば良いじゃん!悪い人じゃないし、案外気が合うかもよ?

「もっと簡単に考えたら?進展あったら教えてね」

カナがそう言って、私達は電話を切った。


私は一晩考えた。

翌日、私はクッキーを焼いた。前回小山君に渡せなかったクッキー。あの時と同じレシピで作った。

「小山君。これ、もし良かったらクッキー焼いたんだけど…」

「え、俺にくれるの?ありがとう」

「うん…あとね、この間のことなんだけど…私で良ければ…」

「え、マジで?」

「うん…」

こうして私は小山君と付き合うことになった。


カナにそのことを報告したら、喜んでくれた。

「そうなると思ってた」そう言っていた。


私達の付き合いは順調で、偶に喧嘩もしたけど、仲良くやっていた。小山君は私を迷惑がる素振りも見せなくて、ブスだとも一言も言わなかった。


私は無事に大学の卒業が決まって、春から小学校の教師になる。こんなに時間が経ったのに、お母さん達との会話は一切なかった。

「お母さん。私、家を出て一人暮らしをしようと思ってるんだけど…」

「好きにすればいいじゃない。今年から社会人なんだから、生活費も自分で出せるでしょう?あんたが決めなさい。一々そんな事で話し掛けて来ないでよ」

「お母さん…私の事…」

「何?ハッキリ言いなさいよ!」

「なんでもない…ごめんね」

お母さんの反応は予想できていた事だったけど、泣きたくなった。

(お母さんは私の事を好き?どうして名前を呼んでくれないの…?)

ずっと聞きたくて、でも、怖くて聞けなかったんだ。


それから私は一人で不動産を見て回った。

偶に小山君も一緒に来てくれて、引っ越しも手伝ってくれた。お金はアルバイトで貯めていたから、なんとかなった。

家を出る時、お母さんは何も言わなかったけど、お父さんは「おい」そう言って私を呼び止めて、黙って封筒を差し出した。中にはお金が入っていた。

私に話しかけるほど関心は無いけど、生活費を渡す分には義務感を持っていたんだろう。今まで食費も学費も出してくれていたし。

「お父さん、ありがとう」

私は封筒を受け取ったけど、お父さんは何も言わずに部屋に戻っていった。

私はきっと、もうここには戻って来ないんだろうな。そう思って小山君が待つ車に乗って、新しい部屋に行った。


小山君は掃除も片付けも手伝ってくれて、大きな家電が家に届いたときも一緒に設置してくれた。

「4月から社会人か…あっという間だったな…」

「そうだね。まだ実感が湧かないよね」

「ねぇ、そろそろ麗華って呼んでも良い?俺のこともトモキって呼んで欲しいんだけど…」

変えるタイミングが分からなくて、ずっと今までの呼び方で呼んでいた私達の、お互いの呼び方が変わった。


お母さん達には呼んで貰えなかったけど、私の名前を呼んでくれる人達がいる。それで充分だ。そう思った。

もう呼ばれることは無いだろうし、会うことも無いかも知れない。でも、本当はお母さんに私の名前を呼んで貰いたかった。私はそんな気持ちを隠した。


来月から念願の教師になる。

私みたいに辛い思いを子供にはさせない。私の時のおばあちゃんやお姉さん、カナにカナのお母さん。それに…トモキの様に、辛い思いをする子供の支えになれる教師になるんだ。

私はもう過去には戻らない。未来を歩いて行くんだ。


(おばあちゃん、私は幸せだよ。お母さん達とは上手くいかなかったけど、大切な人達ができたの。これからも頑張るね)

私はおばあちゃんの写真に向かって心の中で話しかけた。

『麗華、大丈夫だよ』

おばあちゃんの声が聞こえた気がした。
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