拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ

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第一部:私だけの物語

44.求婚

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「うちの庭はどうかな、キャロル」

 目の前には、男爵家の庭が広がっている。真ん中に立てば、左右対称なのがよく分かる。よく整えられた美しい庭だ。

「とてもきれいですね」
「気に入ってもらえてよかった」

 庭がよく見える四阿ガゼボに案内された。控えていた侍女が紅茶を淹れてくれる。エステル様がくれる茶葉もいいものだけれど、この紅茶はそれよりも香りがいい。

 お茶を飲みながら話したのは、他愛のない世間話ばかりだった。緑の目が、少しだけ、探るように私を見つめてくる。
 いきなり不躾に問うようなことを、この方はしない。

「お茶のおかわりはいかがかな?」
 代わりにアラン様はそう訊ねてきた。私は首を横に振る。

 満たされていたカップが空っぽになると、途端に手持ち無沙汰になった。
 アラン様が、すっと立ち上がる。そして、手近な花壇の花に大きな手を伸ばした。

「この薔薇は私が気に入って育てているものでね」

 ピンクとオレンジが混ざったような、複雑でやわらかい色の薔薇だ。薄い花びらが幾重にも重なり合うようにして咲いている。

「珍しい色ですね」

「そうだね。比較的新しい品種だから」
 アラン様ははさみで薔薇の花を一本切った。そのまま、慣れた手つきで棘を取っていく。

「キャロル」
 上質な天鵞絨ベルベットのような声が私の名をなぞる。

 アラン様が私の前に跪く。そうして差し出されたのは切り取られたばかりの薔薇の花。
 ああ、なんて優雅な仕草だろう。まるで観劇の中の世界にいるみたいだ。

「ここをあなたの屋敷にするというのは、どうだろう」

 投げかけられた言葉の意味が分からないほど、子供ではない。
 私は、この今、アラン様から求婚されている。

「返事を急ぐ気はないよ。あなたの心が決まるまで私はいくらでも待つつもりだ」

 見上げてくる緑の瞳は澄んでいて、その言葉が嘘のようには思えなかった。

「一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「一つと言わず何個でも」

 にこりと音がしそうな笑みで微笑んで、アラン様はそう返す。

「私、ずっと文通をしていたんです」

 私は今から、水面に石を投げこむ。
 映った月を壊してしまう。
 これを知ったらもう、知らなかった私には戻れない。

「ああ、知っているよ」

 静かな返答からは動揺は読み取れない。アラン様ぐらいになれば、私が何を問うかぐらい予測できたのかもしれない。

「あなたが、キット様ですか」

 形のいい眉がぴくりと動く。僅かにアラン様の顔色が曇る。
 けれどそれはほんの一瞬のことだ。すぐに元の顔に戻った。

「そう、私がキットだ」

 私が想像した通りの人は、今も眼前で微笑みかけてくれる。

「あなたはとても可愛らしい字を書くね」

 伸ばされた手が、一房髪を巻き付けていく。気障な仕草だと思うのに、アラン様がするととても様になっている。

「そうでしょうか」
「あなたの手紙を読むのが、私の毎日の楽しみだった」

「私もです」
 手紙という文字だけの世界で、キット様は寄り添ってくれていた。実際に会ったことのある誰よりも、彼が私の一番近くにいたとはっきりと言える。

「それでは」

 もう一度、私の目の前に薔薇の花が差し出される。

 ふわりと漂う、神秘的な香り。いつも香っていたアラン様の香水の匂いと同じだ。この薔薇の香りだったのか。

「はい」

 私はその花を手に取った。

 丁寧に棘が取られた薔薇は、手を傷つけることはない。ただ私の手の中で美しく、凛と咲いているだけだった。
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