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1巻
1-2
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「いや、もう俺が悪かったよ。とりあえず、これ着てくれ」
俺は脱いだローブを少女の肩にかける。
「……私が悪いの」
「そんなことない。事故だよ。あんな状況じゃ、敵意だって出るさ」
「違うの。私が弱いから、裸を見たあなたを殺せなかった」
「そっち!?」
ため息が白く零れて、空へ昇っていく。
「とりあえず、落ち着いて話さないか?」
俺の問いかけに、少女はうつむきながら静かにうなずいた。剣を手から離したところを見るに、もう戦意はないらしい。そこでようやく、俺は構え続けた二本指を下ろす。
「俺の名前はロア。家名はない。あんたは?」
「……ユズリア・フォーストン」
名前を聞いた途端、俺の背中に冷や汗がどばっと出た。
家名持ち。つまり、貴族だ。それもフォーストン家といえば、十年暮らしていたパンプフォール国で知らぬ者はいない名家だ。
「き、貴族様であられましたか」
俺は引きつる口角を必死に抑える。貴族に手を出したとなれば、重罪どころの話ではない。即刻、打ち首ものだ。
スローライフ、終わっちゃったな……あ、まだ始まってすらいなかった……
ユズリアが不貞腐れたように顔を上げる。
「今さら、そんな扱い意味ないから」
「デ、デスヨネー」
土下座か!? それとも、俺も脱げばいいのか!?
「せめて、妹だけは……」
そうだ、妹だけはなんとしても守らなければ。兄が貴族様の裸を見たせいで妹も共に殺されたとなれば、あまりに不憫すぎる。ただでさえ、妹は最近ずっと俺に冷たいというのに。死んで地獄に行ってもなお変態と蔑まれたら、きっと俺はどうかしてしまう。
「別にどうもしようと思ってないわよ。それより、私がロアに命乞いする方が正しいでしょ」
確かにこの場所には俺とユズリアの二人だけ。目撃者がいないのだから、ここでユズリアを始末してしまえば、事件は闇に葬り去られるというわけだ。
赤くした鼻をすんっと鳴らし、ユズリアは潤いの残る瞳で俺を見つめる。
「そんなこと、できるわけがないですよ。こんな精霊のように美しく、可愛らしい貴族様に」
「なっ……! とりあえず、敬語やめて! あと、その貴族様ってのも!」
温情か、照れ隠しか、ユズリアは顔を真っ赤に染めて目をそらす。
とりあえず、お咎めなしということでいいのだろうか。
「それでは失礼して。この森にいるってことは、ユズリアもS級冒険者なのか?」
俺は自分のギルドカードをユズリアに見せながら問う。
「……そうよ。といっても、S級になったのはつい最近。今回だって、依頼を受けてここに来たわけじゃないの。ちゃんと自分にその資格があるのかどうか、試しに来たのよ」
「なるほど。自分の力を過信しないのはいいことだ。S級の依頼はどれもS級冒険者しか生き延びられないような理不尽な環境と、強大な魔物の討伐を強いられるからな」
ユズリアがローブで全身を隠したことを確認すると、俺もその場に座り込んだ。常に張り巡らせていた神経と強張らせた筋肉を緩めると、どっと疲れが湧いてくる。
「でも、結局魔素がキツくて、たまたま見つけた魔素が全然ないこの空間で休んでたわけ。おまけにのこのこやってきた変態にコテンパンにされるし。本当、最悪な一日ね」
「頼むから変態はやめてくれ……魔素がキツいなら、人気のあるところまで送っていこうか? この辺りは魔物も特に強いから」
確かにユズリアはS級と言われても納得のできる強さだった。そこら辺のA級なんか話にならないだろう。ただ、彼女の言った通り、S級の中で高い位置にいるとは言えない。
A級とS級の間の壁は厚く、S級同士にも序列は存在する。なぜなら、S級以上の等級が存在しないので、そこから上は青天井だからだ。
「この森を抜けるくらい、ロアの力を借りなくてもなんとでもなるわよ。それより、ロアはどうしてこんな辺鄙な場所にいるの? 依頼?」
「なぜって、それはここに住むためだよ」
「……何、言ってるの?」
「だから、移住してきたんだよ。俺は冒険者を引退したんだ」
ユズリアが心底怪訝そうに顔をしかめる。こいつ馬鹿なんじゃないのか、とでも言いたげだ。
「冒険者になって十年、働き詰めで疲れちゃってね。肩の荷も下りたし、人の来ない場所でしばらくゆっくりしようと思ってさ」
「なんだかエルフみたいなこと言うのね。エルフは長い寿命の大半を自然の中で緩慢に生きるらしいし。まあ、ただのエルフはこんな魔素に塗れた森は選ばないと思うけれど」
「だからこそ、ここを探していたんだ。聖域なんて噂されていたけれど、どうやら濃度が高い魔力溜まりがある土地のようだね」
立ち上がり、魔力溜まりを覗き込む。透き通った濃い蒼の水。温かく、触れた先から魔力が浸透してきて心地がいい。
色々と合点がいった。魔物以外の生物にとって有害とされる魔素で塗れた森に、なぜこんな瑞々しい若草とたくさんの花々が咲き誇っているのか。そして、なぜここに近づくにつれて魔物の気配がどんどん減っていったのか。
良質な魔力溜まりが、周囲の魔素を浄化して、新たな生命をもたらしているのだ。また、魔素の森の魔物は魔素を好むがゆえに棲みついている。つまり、魔素を浄化するような強い魔力をめっぽう嫌う傾向があるのだろう。
それにしても、光を放つほどの魔力溜まりなど見たことがない。軽く触れただけで、先ほどユズリアとの小競り合いで使った魔力がほとんど補充されてしまった。聖域という表現もあながち間違いじゃないのかもしれない。
「確かにここなら普通の人はまず辿り着けない。それに、とんでもなく辺境だからS級冒険者も依頼ではあまり訪れないんじゃないかしら。ここまで来るだけでも一苦労だし、誰もそんな場所の依頼は受けたくないでしょ」
そう言いながら、ユズリアも俺の隣で泉を覗き込む。
「どんなもんか、見てから判断しようと思ってたんだけどね」
人が寄り付かず、魔物も嫌う辺鄙な場所。まさに俺が想像していた理想の地だ。
「よし、決めた。俺はここに住むとしよう!」
俺の一人スローライフはこの土地から始まるんだ!
「……そう。じゃあ、私も一緒に住む」
「そうか! 独り占めは良くないもんな! うん……うん?」
今、彼女なんて言いましたかね。すむ? 澄む? 済む?
「そうなると、住居に衣類、食料とか色々必要になるかな。やっぱり、一度帰るべき……? いや、でも……」
いや、ユズリアが何か不穏なこと呟いてるんだけど……
「え? 本当にここに住むのか……?」
「そうだけど? 何か問題でも?」
「いや、問題は……ない」
ないけど! あるわけもないんだけど! いや、あるかも!?
誰の土地でもない場所に、たまたま一人で暮らすことを決めた人間が二人いるだけだ。幸い、魔力溜まりを中心に広がる聖域は十分な広さがある。過度な干渉をしないようにユズリアから十分に距離を取って生活をすればいいだけだ。
まだ、俺の一人スローライフは潰えていない!
「じゃ、取り急ぎ同居用の家をつくらないとね」
ユズリアがさも当たり前のように言った。
「同居?」
「えっ? 違うの?」
「一人で住むんじゃないのか? なんて言うか、ご近所さん的な感じで」
「そんなわけないじゃない。ロア、私の裸見たんでしょ?」
「どうして今、その話が――」
そこまで口にして、ユーニャが以前話していたことを思い出した。えっと、なんだったか。貴族には掟みたいなのがあって、その中の一つに――
「貴族は婚前に異性に全てをさらけ出すことを禁ずる」
ユズリアがぼそっと呟いた。
「それって、つまり……」
駄目だ。悪寒が止まらない。
「ロア、あなたは私の……は、はん、伴侶になりなさい……っ!」
顔を真っ赤にしながら、とんでもないことを口走るお貴族様。まっすぐに指をさされる二十二歳無職。
こうして、俺の一人スローライフは始まることすらなく、終わりを迎えたのであった。
結論から言おう。
一人スローライフは諦めた。しかし、ユズリアとの婚姻には絶対に首を縦に振らないと、自分自身に誓った。
そもそも、平民と貴族が結婚ってなんの御伽噺だよ。そう思ったが、S級冒険者ともなれば、貴族とまではいかなくとも、それなりの地位は保証される。実際、貴族と結婚したS級冒険者も過去にはいたらしい。
とはいえ、俺もそれに倣って、「じゃあ結婚します」だなんて、そんなこと口が裂けても言えない。
だから、俺はユズリアに抵抗するべく、自分の口に『固定』をかけ続けた。小一時間、無言を貫くとユズリアも流石に一旦は諦めてくれたようだ。
「別に急ぐわけでもないし、ロアがその気になったらでいいわよ。ただし、逃げたり、他の女にほいほいつられたりしたら、全部お父様に話すから」
代わりにそんな脅迫まがいの台詞を突きつけられた。どうやら、退路は完全に断たれたらしい。しかし、有耶無耶にし続ければ、ユズリアもそのうち忘れるか、飽きてくれるだろう。それまでの辛抱だ。
急に結婚だなんて、考えられもしない。なんたって、俺は異性経験ゼロだからな!
野営を組み、携帯食料で腹を満たす。とりあえず、今晩は魔物の夜襲に備えて交代で見張りをすることにした。いかに魔物が寄ってこない場所とはいえ、俺たちのいるこの聖域の周辺は魔素の森だ。小さな村なら軽々壊滅させるような魔物がうじゃうじゃいる。
最初の見張りは俺がすることにした。俺はまだユズリアを完全に信用したわけではない。今横になったところで、安心して眠れるはずがなかった。
しかし、それはユズリアとて同じ話……だと思っていたんだけどなあ。
寝ころんだユズリアは、ものの数分で小さな寝息を立て始めた。
彼女の顔に疲労が浮かんでいることは、聖域で出会った時から分かっていた。S級冒険者になりたてなのに、魔素の森を一人でうろついていたのだ。きっと、夜だって眠れずに何日も過ごしていたのだろう。
魔物の気配を肌で感じながら眠る恐怖は計り知れない。だからこそ、冒険者は他の冒険者たちとパーティーを組むのだ。ただ、パーティーを組めるのは同じ等級の冒険者とだけだ。なぜなら、依頼は等級ごとに分けられているため、異なる等級の冒険者とは一緒に依頼を受けることができないからである。S級冒険者ともなると、その絶対数が限りなく少ないため、パーティーを組むことが非常に難しい。そのくせ、S級しか受けられない依頼は多いため、必然的に一人で危険な地へ行くことが多くなる。一人の時、いかにして身体を休めるか、その術は経験で培っていくしかない。
しかし、聞けばユズリアはまだ十七歳らしい。この歳でS級まで上り詰める冒険者など指折りだ。きっと、まだまだ成長を続けるのだろう。だからこそ、貴族の掟だとかはさっさと忘れてほしい。大体、俺とユズリアしかいなかったのだから、互いになかったことにすれば済む話だ。でも、彼女の貴族としてのポリシーはそれを許さないらしい。
それとも、俺との結婚には何か別の理由があるのか。大貴族のお嬢様がわざわざ冒険者をやるなんて類を見ないことだ。おそらく、触れづらい事情も少なからず抱えているのだろう。
そっと、ユズリアの額に手をかざす。
――『固定』。
あまり気が乗らない使い方だけど、これでユズリアは『固定』が解除されない限り、起きることはない。
「若いうちは、たくさん寝るに限るよな」
俺もまだ若い方に分類されると思うけど、ユズリアと同い年の妹からはおっさん臭いと言われたからなあ。
魔力溜まりは夜だというのに、ぼんやりと光を放ち続けている。なんなら、若干眩しいくらいだ。
触れるだけで魔力が急速に身体へ流れ込んでくるほどの高濃度。光を放っているのは浄化の力が働いているためだろう。まるで魔力ポーションと聖水を掛け合わせたような泉だ。
魔力ポーションは体内の魔力を回復させるために人工的につくられた液体で、聖水はあらゆる状態異常を治すことができるものだ。市場では、どちらも高値で取り引きされている。だから、この泉の水を瓶に詰めて売るだけで、屋敷が建つくらい稼げそうだ。
「いかん、いかん。また金のことばっかり考えている」
この十年。ひたすら金銭のことを第一に考えて行動してきたせいだ。こういうのを銭ゲバっていうんだったか。我ながら、悲しい青春を過ごしたものだ。
きっと、人のいない場所で生活したいという欲が無性に強いのも、間違いなく銭ゲバ生活のせいだろう。
でも、今は何も気にせず、思うままに過ごしていいのだ。
満天の星空と温かな空間。そして、多分、きっと、おそらく、maybe、probably、perhaps、もう誰も来ない土地! ……あと一応、可愛い同居人。
あれ? 結構、完璧なスローライフ環境ではないだろうか。一応、危険度S級の場所ではあるけれど。
俺は大きく息を吸い込んで、吐く。胸につっかえていた重りがようやく外れたようだ。
やっぱり、今日は眠気なんて来そうにない。
俺は足を泉に浸し、相変わらず下手くそな鼻歌を奏でるのであった。
◇ ◇ ◇
まるで寝覚めをせき止めていた何かがふいに消えたように、意識が濁流の如く脳を揺らした。覚醒に至らない微睡の中、私――ユズリア・フォーストンは鼻腔をくすぐる香りに空腹を刺激される。
そろそろ、ロアと見張りを変わらなきゃな……
瞼をすり抜けて感じる朝焼けの気配。頬をなぞる若草もどこか湿り気を感じた。
そう思い、ようやく矛盾に気が付く。
あれ? 今って……
ぱっと目を開けると、周囲の明るさに少しだけ眼球の裏がきしきしと痛みを感じる。未だはっきりしない脳が、状況を必死に読み解こうとしていた。
陽が出てる? あれ? なんで……
冒険者が寝過ごすなんて絶対にありえない。確かに私は四時間で起きて、丑三つ時から朝まで見張りをするつもりだった。どんなに疲労が蓄積していようが、魔物の蔓延る地で熟睡なんてするはずがない。
じゃあ、どうして今が朝なのだ。
勢いよく身体を起こすと、すぐそばに腰かけていた男がその気配に気が付き、振り向く。
「おはよう」
何気ない一言だった。実に白々しい。
「……ロア、私に何かしたでしょ」
「さあね」
ロアは口元に小さく笑みを浮かべ、湯気の立つ鍋を玉杓子でかき混ぜる。ロアが私に魔法か何かを仕掛けたことは明白だ。でなければ、私が起きられないなんてことは考えられない。
ロアは一言で言えば奇妙な人だ。こんな何もない土地に住むとか言い出すし、何より、珍妙な強さだった。ひょろひょろな身体なのに、武器も持たないで、私を圧倒した。それもまぐれの一度や二度じゃない。この人には勝てない。そう心から思わされるほどだった。
人間の四肢など簡単に吹き飛ばす蹴りも、鋼のように固い魔物の鱗も貫く剣撃も、私の攻撃全てが、ロアに触れた瞬間すっと吸い付くように衝撃すらなく、彼とくっ付いた。さらには、ロアに触れていない足まで棒のように固まって動かなくなる始末。相対したことのない魔法だった。もしロアに殺意があったなら、本当に手も足も出ずに首をはねられていただろう。
ぞっとした。同じS級冒険者だとは思えなかった。
私が弱すぎる……? いや、そんなはずはない。滅多に人を褒めない師匠にだって、胸を張っていいと太鼓判を押されたくらいだ。
初めての人類圏外、S級冒険者かそれに相当する実力の者にしか生存が難しいS級指定地帯で、さらに不眠でパフォーマンスが落ちていたとしても、私があんなボロボロに負けるはずがなかった。しかし、きっと、万全の状態で戦っても結果は変わらないだろう。
ロアならば、あの人に勝つことも可能かもしれない。
改めて、ロアを見る。背は私より頭一つ分高く、人族には珍しい黒髪、そして黒目。お世辞にも褒められない筋肉量の身体。身体を纏う魔力のオーラはそこら辺の商人と同じくらいだ。とても冒険者には見えない。落ち着いた顔立ちで、元の素材は悪くない。十分整っていると思う。むしろ社交界の煌びやかさにうんざりしていた私には、特別で魅力的に思える。
「ロアの魔法って、一体なんなの?」
私の純粋な問いに、ロアはスープを器によそいながら、「うーん……」と軽く首を傾げる。
「魔法は極力人に教えない方がいいって習っただろ?」
「いいじゃない。これから生涯一緒なんだし」
見合い話にうんざりしていた私にとっては、ロアと結婚し、この土地で暮らすことはむしろ好都合だ。ロアは引退したと言っているが、ギルドカードは返却していないし、S級冒険者で地位も確立されている。さらに、私を圧倒する強さ。そして、自分を殺そうとする相手を女だとしても絶対に傷付けない人柄。まあ、これに関しては、私と同じようにその優しさに付け込む人が現れそうで少々難ありではあるのだけれど。
あの時は勢いで伴侶になれなんて言ったものの、冷静に見ても超優良物件だ。
「結婚の話、まだ続いてたんだ……」
「当たり前でしょ。ロアは私の裸見たんだから。あー、お嫁に行けなくなっちゃったなぁ~」
「うぐっ……」
ロアは観念したのか、黙りこくって私にスープをよそった器を差し出す。じんわりと器から温かさが冷えた手に伝わる。
「だからほら、教えてよ。もちろん私の魔法も教えるから!」
私がそう言うとロアはちょっと嫌そうに顔をしかめた。そして、軽くため息を吐いて口を開く。
「昨日、ユズリアに使ったのは『固定』って魔法。指定した物体と物体を文字通り固定するんだ」
ロアが右の人差し指と中指を立て、シュッと振り下ろす。そして、器を載せた左手のひらを鍋の上で逆さにした。器は彼の手から離れず、中身のスープだけが鍋に落下する。私は手を伸ばして器を引っ張ってみるけれど、びくともしない。
「へえ~、面白い魔法ね」
「範囲は限られるけれど、目に見えているもの同士なら自由に発動できるよ。例えば、ユズリアの靴とそれに触れている草をくっ付けたりね」
ロアがもう一度、右手を振り下ろす。彼が私の右足を指さすから、足を上げてみると、靴の中で足を動かすことはできるけど、靴自体を地面から上げることはできず、まるでびくともしない。重いとか、そんなんじゃない。魔力の通っていない攻撃を防ぐ魔法である物理障壁を手で押すような、絶対に動かすことのできない、そういう感覚だ。
「他の使い方もあるけど、主な使い方はそんな感じ。もちろん、弱点もある。見えていない箇所、今だとユズリアの足自体は見えていないから、指定することはできない。だから、靴を指定するしかない。脱げば、簡単に抜けられてしまう」
濁した他の使い方とやらが気になるところではあるが、どうせ聞いても教えてくれないのだろう。
私は靴から足を引き抜く。確かに、足自体に魔法がかかっているわけじゃなかった。
「でも、そうしたら今度は私の足を指定できるじゃない」
「もちろん」
「やっぱり、弱点なんてないじゃない」
「も、もちろん?」
思わず息が零れる。なんて地味で、そしてなんて理不尽な魔法なのだろう。
「効果時間は?」
「俺が解除するまでずっと。もしくは、『魔法除去』をかけられるまでかな」
『魔法除去』は魔法による麻痺や毒といった状態異常を解くための、冒険者には必須の魔法だ。ただし、発動までに短くとも二十秒はかかる。二十秒もあれば、S級冒険者が相手の命を奪うことなど容易い話だ。
俺は脱いだローブを少女の肩にかける。
「……私が悪いの」
「そんなことない。事故だよ。あんな状況じゃ、敵意だって出るさ」
「違うの。私が弱いから、裸を見たあなたを殺せなかった」
「そっち!?」
ため息が白く零れて、空へ昇っていく。
「とりあえず、落ち着いて話さないか?」
俺の問いかけに、少女はうつむきながら静かにうなずいた。剣を手から離したところを見るに、もう戦意はないらしい。そこでようやく、俺は構え続けた二本指を下ろす。
「俺の名前はロア。家名はない。あんたは?」
「……ユズリア・フォーストン」
名前を聞いた途端、俺の背中に冷や汗がどばっと出た。
家名持ち。つまり、貴族だ。それもフォーストン家といえば、十年暮らしていたパンプフォール国で知らぬ者はいない名家だ。
「き、貴族様であられましたか」
俺は引きつる口角を必死に抑える。貴族に手を出したとなれば、重罪どころの話ではない。即刻、打ち首ものだ。
スローライフ、終わっちゃったな……あ、まだ始まってすらいなかった……
ユズリアが不貞腐れたように顔を上げる。
「今さら、そんな扱い意味ないから」
「デ、デスヨネー」
土下座か!? それとも、俺も脱げばいいのか!?
「せめて、妹だけは……」
そうだ、妹だけはなんとしても守らなければ。兄が貴族様の裸を見たせいで妹も共に殺されたとなれば、あまりに不憫すぎる。ただでさえ、妹は最近ずっと俺に冷たいというのに。死んで地獄に行ってもなお変態と蔑まれたら、きっと俺はどうかしてしまう。
「別にどうもしようと思ってないわよ。それより、私がロアに命乞いする方が正しいでしょ」
確かにこの場所には俺とユズリアの二人だけ。目撃者がいないのだから、ここでユズリアを始末してしまえば、事件は闇に葬り去られるというわけだ。
赤くした鼻をすんっと鳴らし、ユズリアは潤いの残る瞳で俺を見つめる。
「そんなこと、できるわけがないですよ。こんな精霊のように美しく、可愛らしい貴族様に」
「なっ……! とりあえず、敬語やめて! あと、その貴族様ってのも!」
温情か、照れ隠しか、ユズリアは顔を真っ赤に染めて目をそらす。
とりあえず、お咎めなしということでいいのだろうか。
「それでは失礼して。この森にいるってことは、ユズリアもS級冒険者なのか?」
俺は自分のギルドカードをユズリアに見せながら問う。
「……そうよ。といっても、S級になったのはつい最近。今回だって、依頼を受けてここに来たわけじゃないの。ちゃんと自分にその資格があるのかどうか、試しに来たのよ」
「なるほど。自分の力を過信しないのはいいことだ。S級の依頼はどれもS級冒険者しか生き延びられないような理不尽な環境と、強大な魔物の討伐を強いられるからな」
ユズリアがローブで全身を隠したことを確認すると、俺もその場に座り込んだ。常に張り巡らせていた神経と強張らせた筋肉を緩めると、どっと疲れが湧いてくる。
「でも、結局魔素がキツくて、たまたま見つけた魔素が全然ないこの空間で休んでたわけ。おまけにのこのこやってきた変態にコテンパンにされるし。本当、最悪な一日ね」
「頼むから変態はやめてくれ……魔素がキツいなら、人気のあるところまで送っていこうか? この辺りは魔物も特に強いから」
確かにユズリアはS級と言われても納得のできる強さだった。そこら辺のA級なんか話にならないだろう。ただ、彼女の言った通り、S級の中で高い位置にいるとは言えない。
A級とS級の間の壁は厚く、S級同士にも序列は存在する。なぜなら、S級以上の等級が存在しないので、そこから上は青天井だからだ。
「この森を抜けるくらい、ロアの力を借りなくてもなんとでもなるわよ。それより、ロアはどうしてこんな辺鄙な場所にいるの? 依頼?」
「なぜって、それはここに住むためだよ」
「……何、言ってるの?」
「だから、移住してきたんだよ。俺は冒険者を引退したんだ」
ユズリアが心底怪訝そうに顔をしかめる。こいつ馬鹿なんじゃないのか、とでも言いたげだ。
「冒険者になって十年、働き詰めで疲れちゃってね。肩の荷も下りたし、人の来ない場所でしばらくゆっくりしようと思ってさ」
「なんだかエルフみたいなこと言うのね。エルフは長い寿命の大半を自然の中で緩慢に生きるらしいし。まあ、ただのエルフはこんな魔素に塗れた森は選ばないと思うけれど」
「だからこそ、ここを探していたんだ。聖域なんて噂されていたけれど、どうやら濃度が高い魔力溜まりがある土地のようだね」
立ち上がり、魔力溜まりを覗き込む。透き通った濃い蒼の水。温かく、触れた先から魔力が浸透してきて心地がいい。
色々と合点がいった。魔物以外の生物にとって有害とされる魔素で塗れた森に、なぜこんな瑞々しい若草とたくさんの花々が咲き誇っているのか。そして、なぜここに近づくにつれて魔物の気配がどんどん減っていったのか。
良質な魔力溜まりが、周囲の魔素を浄化して、新たな生命をもたらしているのだ。また、魔素の森の魔物は魔素を好むがゆえに棲みついている。つまり、魔素を浄化するような強い魔力をめっぽう嫌う傾向があるのだろう。
それにしても、光を放つほどの魔力溜まりなど見たことがない。軽く触れただけで、先ほどユズリアとの小競り合いで使った魔力がほとんど補充されてしまった。聖域という表現もあながち間違いじゃないのかもしれない。
「確かにここなら普通の人はまず辿り着けない。それに、とんでもなく辺境だからS級冒険者も依頼ではあまり訪れないんじゃないかしら。ここまで来るだけでも一苦労だし、誰もそんな場所の依頼は受けたくないでしょ」
そう言いながら、ユズリアも俺の隣で泉を覗き込む。
「どんなもんか、見てから判断しようと思ってたんだけどね」
人が寄り付かず、魔物も嫌う辺鄙な場所。まさに俺が想像していた理想の地だ。
「よし、決めた。俺はここに住むとしよう!」
俺の一人スローライフはこの土地から始まるんだ!
「……そう。じゃあ、私も一緒に住む」
「そうか! 独り占めは良くないもんな! うん……うん?」
今、彼女なんて言いましたかね。すむ? 澄む? 済む?
「そうなると、住居に衣類、食料とか色々必要になるかな。やっぱり、一度帰るべき……? いや、でも……」
いや、ユズリアが何か不穏なこと呟いてるんだけど……
「え? 本当にここに住むのか……?」
「そうだけど? 何か問題でも?」
「いや、問題は……ない」
ないけど! あるわけもないんだけど! いや、あるかも!?
誰の土地でもない場所に、たまたま一人で暮らすことを決めた人間が二人いるだけだ。幸い、魔力溜まりを中心に広がる聖域は十分な広さがある。過度な干渉をしないようにユズリアから十分に距離を取って生活をすればいいだけだ。
まだ、俺の一人スローライフは潰えていない!
「じゃ、取り急ぎ同居用の家をつくらないとね」
ユズリアがさも当たり前のように言った。
「同居?」
「えっ? 違うの?」
「一人で住むんじゃないのか? なんて言うか、ご近所さん的な感じで」
「そんなわけないじゃない。ロア、私の裸見たんでしょ?」
「どうして今、その話が――」
そこまで口にして、ユーニャが以前話していたことを思い出した。えっと、なんだったか。貴族には掟みたいなのがあって、その中の一つに――
「貴族は婚前に異性に全てをさらけ出すことを禁ずる」
ユズリアがぼそっと呟いた。
「それって、つまり……」
駄目だ。悪寒が止まらない。
「ロア、あなたは私の……は、はん、伴侶になりなさい……っ!」
顔を真っ赤にしながら、とんでもないことを口走るお貴族様。まっすぐに指をさされる二十二歳無職。
こうして、俺の一人スローライフは始まることすらなく、終わりを迎えたのであった。
結論から言おう。
一人スローライフは諦めた。しかし、ユズリアとの婚姻には絶対に首を縦に振らないと、自分自身に誓った。
そもそも、平民と貴族が結婚ってなんの御伽噺だよ。そう思ったが、S級冒険者ともなれば、貴族とまではいかなくとも、それなりの地位は保証される。実際、貴族と結婚したS級冒険者も過去にはいたらしい。
とはいえ、俺もそれに倣って、「じゃあ結婚します」だなんて、そんなこと口が裂けても言えない。
だから、俺はユズリアに抵抗するべく、自分の口に『固定』をかけ続けた。小一時間、無言を貫くとユズリアも流石に一旦は諦めてくれたようだ。
「別に急ぐわけでもないし、ロアがその気になったらでいいわよ。ただし、逃げたり、他の女にほいほいつられたりしたら、全部お父様に話すから」
代わりにそんな脅迫まがいの台詞を突きつけられた。どうやら、退路は完全に断たれたらしい。しかし、有耶無耶にし続ければ、ユズリアもそのうち忘れるか、飽きてくれるだろう。それまでの辛抱だ。
急に結婚だなんて、考えられもしない。なんたって、俺は異性経験ゼロだからな!
野営を組み、携帯食料で腹を満たす。とりあえず、今晩は魔物の夜襲に備えて交代で見張りをすることにした。いかに魔物が寄ってこない場所とはいえ、俺たちのいるこの聖域の周辺は魔素の森だ。小さな村なら軽々壊滅させるような魔物がうじゃうじゃいる。
最初の見張りは俺がすることにした。俺はまだユズリアを完全に信用したわけではない。今横になったところで、安心して眠れるはずがなかった。
しかし、それはユズリアとて同じ話……だと思っていたんだけどなあ。
寝ころんだユズリアは、ものの数分で小さな寝息を立て始めた。
彼女の顔に疲労が浮かんでいることは、聖域で出会った時から分かっていた。S級冒険者になりたてなのに、魔素の森を一人でうろついていたのだ。きっと、夜だって眠れずに何日も過ごしていたのだろう。
魔物の気配を肌で感じながら眠る恐怖は計り知れない。だからこそ、冒険者は他の冒険者たちとパーティーを組むのだ。ただ、パーティーを組めるのは同じ等級の冒険者とだけだ。なぜなら、依頼は等級ごとに分けられているため、異なる等級の冒険者とは一緒に依頼を受けることができないからである。S級冒険者ともなると、その絶対数が限りなく少ないため、パーティーを組むことが非常に難しい。そのくせ、S級しか受けられない依頼は多いため、必然的に一人で危険な地へ行くことが多くなる。一人の時、いかにして身体を休めるか、その術は経験で培っていくしかない。
しかし、聞けばユズリアはまだ十七歳らしい。この歳でS級まで上り詰める冒険者など指折りだ。きっと、まだまだ成長を続けるのだろう。だからこそ、貴族の掟だとかはさっさと忘れてほしい。大体、俺とユズリアしかいなかったのだから、互いになかったことにすれば済む話だ。でも、彼女の貴族としてのポリシーはそれを許さないらしい。
それとも、俺との結婚には何か別の理由があるのか。大貴族のお嬢様がわざわざ冒険者をやるなんて類を見ないことだ。おそらく、触れづらい事情も少なからず抱えているのだろう。
そっと、ユズリアの額に手をかざす。
――『固定』。
あまり気が乗らない使い方だけど、これでユズリアは『固定』が解除されない限り、起きることはない。
「若いうちは、たくさん寝るに限るよな」
俺もまだ若い方に分類されると思うけど、ユズリアと同い年の妹からはおっさん臭いと言われたからなあ。
魔力溜まりは夜だというのに、ぼんやりと光を放ち続けている。なんなら、若干眩しいくらいだ。
触れるだけで魔力が急速に身体へ流れ込んでくるほどの高濃度。光を放っているのは浄化の力が働いているためだろう。まるで魔力ポーションと聖水を掛け合わせたような泉だ。
魔力ポーションは体内の魔力を回復させるために人工的につくられた液体で、聖水はあらゆる状態異常を治すことができるものだ。市場では、どちらも高値で取り引きされている。だから、この泉の水を瓶に詰めて売るだけで、屋敷が建つくらい稼げそうだ。
「いかん、いかん。また金のことばっかり考えている」
この十年。ひたすら金銭のことを第一に考えて行動してきたせいだ。こういうのを銭ゲバっていうんだったか。我ながら、悲しい青春を過ごしたものだ。
きっと、人のいない場所で生活したいという欲が無性に強いのも、間違いなく銭ゲバ生活のせいだろう。
でも、今は何も気にせず、思うままに過ごしていいのだ。
満天の星空と温かな空間。そして、多分、きっと、おそらく、maybe、probably、perhaps、もう誰も来ない土地! ……あと一応、可愛い同居人。
あれ? 結構、完璧なスローライフ環境ではないだろうか。一応、危険度S級の場所ではあるけれど。
俺は大きく息を吸い込んで、吐く。胸につっかえていた重りがようやく外れたようだ。
やっぱり、今日は眠気なんて来そうにない。
俺は足を泉に浸し、相変わらず下手くそな鼻歌を奏でるのであった。
◇ ◇ ◇
まるで寝覚めをせき止めていた何かがふいに消えたように、意識が濁流の如く脳を揺らした。覚醒に至らない微睡の中、私――ユズリア・フォーストンは鼻腔をくすぐる香りに空腹を刺激される。
そろそろ、ロアと見張りを変わらなきゃな……
瞼をすり抜けて感じる朝焼けの気配。頬をなぞる若草もどこか湿り気を感じた。
そう思い、ようやく矛盾に気が付く。
あれ? 今って……
ぱっと目を開けると、周囲の明るさに少しだけ眼球の裏がきしきしと痛みを感じる。未だはっきりしない脳が、状況を必死に読み解こうとしていた。
陽が出てる? あれ? なんで……
冒険者が寝過ごすなんて絶対にありえない。確かに私は四時間で起きて、丑三つ時から朝まで見張りをするつもりだった。どんなに疲労が蓄積していようが、魔物の蔓延る地で熟睡なんてするはずがない。
じゃあ、どうして今が朝なのだ。
勢いよく身体を起こすと、すぐそばに腰かけていた男がその気配に気が付き、振り向く。
「おはよう」
何気ない一言だった。実に白々しい。
「……ロア、私に何かしたでしょ」
「さあね」
ロアは口元に小さく笑みを浮かべ、湯気の立つ鍋を玉杓子でかき混ぜる。ロアが私に魔法か何かを仕掛けたことは明白だ。でなければ、私が起きられないなんてことは考えられない。
ロアは一言で言えば奇妙な人だ。こんな何もない土地に住むとか言い出すし、何より、珍妙な強さだった。ひょろひょろな身体なのに、武器も持たないで、私を圧倒した。それもまぐれの一度や二度じゃない。この人には勝てない。そう心から思わされるほどだった。
人間の四肢など簡単に吹き飛ばす蹴りも、鋼のように固い魔物の鱗も貫く剣撃も、私の攻撃全てが、ロアに触れた瞬間すっと吸い付くように衝撃すらなく、彼とくっ付いた。さらには、ロアに触れていない足まで棒のように固まって動かなくなる始末。相対したことのない魔法だった。もしロアに殺意があったなら、本当に手も足も出ずに首をはねられていただろう。
ぞっとした。同じS級冒険者だとは思えなかった。
私が弱すぎる……? いや、そんなはずはない。滅多に人を褒めない師匠にだって、胸を張っていいと太鼓判を押されたくらいだ。
初めての人類圏外、S級冒険者かそれに相当する実力の者にしか生存が難しいS級指定地帯で、さらに不眠でパフォーマンスが落ちていたとしても、私があんなボロボロに負けるはずがなかった。しかし、きっと、万全の状態で戦っても結果は変わらないだろう。
ロアならば、あの人に勝つことも可能かもしれない。
改めて、ロアを見る。背は私より頭一つ分高く、人族には珍しい黒髪、そして黒目。お世辞にも褒められない筋肉量の身体。身体を纏う魔力のオーラはそこら辺の商人と同じくらいだ。とても冒険者には見えない。落ち着いた顔立ちで、元の素材は悪くない。十分整っていると思う。むしろ社交界の煌びやかさにうんざりしていた私には、特別で魅力的に思える。
「ロアの魔法って、一体なんなの?」
私の純粋な問いに、ロアはスープを器によそいながら、「うーん……」と軽く首を傾げる。
「魔法は極力人に教えない方がいいって習っただろ?」
「いいじゃない。これから生涯一緒なんだし」
見合い話にうんざりしていた私にとっては、ロアと結婚し、この土地で暮らすことはむしろ好都合だ。ロアは引退したと言っているが、ギルドカードは返却していないし、S級冒険者で地位も確立されている。さらに、私を圧倒する強さ。そして、自分を殺そうとする相手を女だとしても絶対に傷付けない人柄。まあ、これに関しては、私と同じようにその優しさに付け込む人が現れそうで少々難ありではあるのだけれど。
あの時は勢いで伴侶になれなんて言ったものの、冷静に見ても超優良物件だ。
「結婚の話、まだ続いてたんだ……」
「当たり前でしょ。ロアは私の裸見たんだから。あー、お嫁に行けなくなっちゃったなぁ~」
「うぐっ……」
ロアは観念したのか、黙りこくって私にスープをよそった器を差し出す。じんわりと器から温かさが冷えた手に伝わる。
「だからほら、教えてよ。もちろん私の魔法も教えるから!」
私がそう言うとロアはちょっと嫌そうに顔をしかめた。そして、軽くため息を吐いて口を開く。
「昨日、ユズリアに使ったのは『固定』って魔法。指定した物体と物体を文字通り固定するんだ」
ロアが右の人差し指と中指を立て、シュッと振り下ろす。そして、器を載せた左手のひらを鍋の上で逆さにした。器は彼の手から離れず、中身のスープだけが鍋に落下する。私は手を伸ばして器を引っ張ってみるけれど、びくともしない。
「へえ~、面白い魔法ね」
「範囲は限られるけれど、目に見えているもの同士なら自由に発動できるよ。例えば、ユズリアの靴とそれに触れている草をくっ付けたりね」
ロアがもう一度、右手を振り下ろす。彼が私の右足を指さすから、足を上げてみると、靴の中で足を動かすことはできるけど、靴自体を地面から上げることはできず、まるでびくともしない。重いとか、そんなんじゃない。魔力の通っていない攻撃を防ぐ魔法である物理障壁を手で押すような、絶対に動かすことのできない、そういう感覚だ。
「他の使い方もあるけど、主な使い方はそんな感じ。もちろん、弱点もある。見えていない箇所、今だとユズリアの足自体は見えていないから、指定することはできない。だから、靴を指定するしかない。脱げば、簡単に抜けられてしまう」
濁した他の使い方とやらが気になるところではあるが、どうせ聞いても教えてくれないのだろう。
私は靴から足を引き抜く。確かに、足自体に魔法がかかっているわけじゃなかった。
「でも、そうしたら今度は私の足を指定できるじゃない」
「もちろん」
「やっぱり、弱点なんてないじゃない」
「も、もちろん?」
思わず息が零れる。なんて地味で、そしてなんて理不尽な魔法なのだろう。
「効果時間は?」
「俺が解除するまでずっと。もしくは、『魔法除去』をかけられるまでかな」
『魔法除去』は魔法による麻痺や毒といった状態異常を解くための、冒険者には必須の魔法だ。ただし、発動までに短くとも二十秒はかかる。二十秒もあれば、S級冒険者が相手の命を奪うことなど容易い話だ。
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