蝉の虚言(そらごと)

椹木 游

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番蝉

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 暑い夏空。ベンチに座る老年の夫婦の会話。日傘に入った二人の影が和やかな昼下がり。
 「生まれ変わったら何になります?」
 「そうだな、もう一度人になって、おまえに会って今日まで長生きしたいな」
 「あらあら年甲斐もない。うふふ……」
 「ん? そこに蝉が居るな」
 「あら、本当ね。つがいかしら、仲良しさんね」
 「本当だな。どれ、もっと安全な場所に……うわっ! なんだ生きていたのか」
 「『余計なお世話』ですって」
 「蝉の言葉がわかるのか?」
 「なんとなく、勘よ」
 「なんだそれは」
 会話もほどほどに、蝉の鳴く声が響き渡る池のほとりを後にする老夫婦。
 二人で一つの影が遠ざかり、人のいなくなった地面には動かないふたつの番の蝉つがいのせみが太陽に晒されて、近くもなく遠くもない距離で、むつまじく寄り添いあっていた。


 吾輩は蝉である。従って名前も「蝉」であると考える。眼下を駆ける小さき人間が「蝉」と頻りに言うのだからそうなのだろう。
 真っ暗でじめじめとした土の中で生まれ、木のてっぺんの方まで登ってから脱皮したところは鮮明に覚えている。
 なんせ一生は短い。それは本能という運命の輪の中で決まっているし、誰かにというわけではないが教えられることであった。

 脱皮して翌朝、私はひとまず産声というものを上げた。すると、小さき人間が「蝉だ、蝉だ」と喚いて駆け寄ってきたものだから、思わず泣くのをやめてしまった。
 じろじろと、それでいてじっとすることなく見上げた人間という者共は毛がてっぺんに生えており、他はつるっとしている。縦長でありながら所々くびれており、皮膚や羽とは違ったものをひらひらとさせながら、またその平な面に付いた目をぎょろぎょろとさせながら、狩りをしている様だった。
 つい先刻、もう少し下の方にいた同族の蝉は円筒状の仕掛けが付いた棒を振るわれ、からめとられていったのだ。そうしてそいつは緑の蓋の入れ物の中にひょいと入れられた。その後の生死はとんと想像もつかない。

 ところで私は、この本能という運命の輪からどうにか足掻きたいと思っている。
 数億万の同族の中に、そういった思想を持つ者が現れるのは至極当然だ。私からすれば他が雌を探し永遠と泣き続け、泣き疲れ死ぬか幸運にも発見して、本能を全うした末に誤差数日の余生を過ごす。
 そんな生を、私はハッキリ否定しよう。それではなんにもならない。馬鹿な蝉(漢字で書くと可笑しいが)は子孫繁栄などという自分にとってはなんにもならない者のために死に続けるという輪に囚われている。
 
 人間にはずいぶんと種類があるようだ。毛深さや体の大きさ、くびれのあるなしなど……なんなら声色まで違う。私が見た統計上、小さい者より大きい者の方が多い。となれば導き出される答えは、随分と長生きする生き物だということだ。
 小さい人間も泣くことがあるようだが、私たちと違って大きい人間をおびき出す効果があるようだ。その大きい者どもに介抱されるのだ。
 未だ謎多き種であることは明らかだが、その人間らは大抵詰まらないことで生き詰まるようだ。
 知識というものを多く持つが故であると私は思う。知識量は人間ほどではないにしても私はもっと利口に生きる術を知っている。それは足掻くということだ。そんな足掻くことを知らない人間らに、私という存在を知らしめることで教えてやろうという算段である。
 しかしどうやって運命の輪から足掻けるのか。それを思考することが大事であると思い、まずは人間との比較から始めることにしたのだが、今のところ上手くいかなかったため今もこうして木にいるのである。
 
 まずは食事。私たちの食事は樹液だが人間らは多種多様だ。道具を用いて食べられないものを食べるようにする料理という行為を時間をかけてする。そんな時間は私にはないが、いろいろなものを食べてみる試みはしてみて損はないだろうと思ったのだ。それが間違いだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
 手始めに花の蜜を食べてみようと思ったのだ。蜂という種が狂ったように好んで集めるくらいだからである。
 飛んで近くの花弁に乗ってみた。しかし乗れども乗れども蜜を吸う前に茎がぽきりと折れてしまうのである。だからと言って蜂の巣に行くのは死に急ぎ過ぎている。
 今度は実に盲点であった木の実だ。樹液の出る木からでるのだから美味しいに違いない。しかし、硬すぎたために地面に落ち崩れた木の実を食べてみることにした。
 しかし、これがとてつもなく酸っぱい。思わず吐き出したがそれでもずっと残る酸っぱさ。そして非常に気持ちが悪い。堪らず樹液を吸ったが樹液すら酸っぱく感じるほどだった。結果一日以上続いた。心底不快である。

 次に住処。私たちは木に葉に隠れ雨風を凌ぐが人間は家という四角い木に住まう。
 どうやら熱に弱い人間らは暑さを調節しやすくするためする。私にはそんなことは必要ではないが、ものは試しだと思い、木のうろを探した。思えば鳥も巣を作りそこで生活をするのだ。一定の文明力を有するのならばそういったことが必要なのだろうと思った。そしてすぐにそれを見つけることができた。
 葉で雨風が凌げるだけでなく、熱や水分が籠り少しやわらかくなった木は樹液が吸いやすい。気に捕まるための力も要らないため楽だ。これが人間が住処を必要とする理由なのかと、なるほどわかった気がする。
 天敵に見つかることもなくなりぐっと生存率や文明力が上がった私はしばらくそこにいたのだが、不思議なことに浸水し始めたのだ。吸えども吸えども減らない供給量の上回った水は一日が経つまでに体の半分くらいまでになり、やがて我慢できなくなり羽を広げて他の木に移った。

 そうして今に至る。もうすでに半生だ。徒労にはしたくない。さてどうしたものかと思考を巡らせていた所、ふいに雌の蝉が飛んできた。
 「あら、泣かない蝉さん、泣かない蝉さん。あなたは今独り? よかったらお話しない? みんな泣いてばかりでツまらないの」
 目のまんまるとした可憐な同族だ。その娘は私が何も言わなくても喋り続けるようだ。
 「なんでみんな泣いているのから。悲しいことがあったから?」
 「それはみな寿命が短いからだよ」
 「……もしかして私もそう遠くないのかしら」
 「それはそうだろう」
 「まあ大変!」 
 しかしよく喋るこの小娘は何も知らないようだ。矢継ぎ早に感情を切り替え、質問をしてくる。
 「じゃああなたはどうして泣いていないの?」
 「それは私はどうにかその寿命を延ばす方法を考えているからだよ」
 「まあ大変! お堅い蝉さん、お堅い蝉さん、私もその方法について一緒に考えてもいいかしら?」
 「しょうがない。知恵は多く絞ったほうが良い。手伝い給え」
 「ああ、ありがとうございます。まずどうするんです?」
 「そうだな」
 手ごたえのあった住処探しを小娘と共にしようか。たまたま木の洞に水たまりができただけで、他の場所でもそうとは限らないだろう。なにより暇になることがなさそうだ。
 「ついてこい」
 「あら、どこにいくんです? お堅い蝉さん、待ってくださいな!」
 
 住処探しで最初にたどり着いたのはだだっ広い敷地に径の巨大な木が生えているといった場所であった。
 同族が居ないのも好都合だったし、比較的下の方に洞もあるのも好条件だ。
 「この中です? なんだかじめじめしてて気持ち悪いですね」
 「ふん、なんにも知らないんだな君は。こういう場所が文化的なんだよ。考えてもみなさい、雨に晒されることなく、食事は摂り放題。外敵の心配もないときた。それはもう良いだろう?」
 「なるほど……?」
 前足でつんつんと辺りを探り、良い所を探す。意外とつるつるしており掴みづらい。小娘も同じく掴みどころを探しているようだがなかなか難航しているようだ。
 「広いのは結構ですが、声も響きますし、掴みづらいですし」
 「文句はね、君い、誰でも言えるんだよ。少しは前向きなことも言ってみたらどうだい?」
 「そう言われても……あ! 木が柔らかくって吸いやすいです! 蜜の味は濃いめですけれど、故郷より吸い口がイイ感じです」
 「そうだとも」
 それはそうとして、外からサッサッという音が絶え間なく先ほどから鳴り響いている。ただでさえ広い敷地の中にはほとんど建物らしい建物もないため響き渡っているのだ。
 「それにしてもこの騒音はなんです? 雨?」
 「いや、人間の出している音だろう」
 「なにか近づいてきていません?」
 雨のような、しかし断続的に響くその音は土煙を出しながら近づいていくるようだ。やがてその土煙は私たちのいる洞にも大量に入って来た。視界は悪くなり、大きく咳き込む。
 たまらずにすぐ外に避難した。
 「もう! なんです? 騒音に公害まで!」
 「ここは、やめておこう。かえって寿命を縮めそうだ」
 私たちは高く飛び、また別の場所へと移った。

 次に移った先は小高い丘の人間の住宅街。壁に囲まれた緑の中にある一本の木だった。
 「洞は無いものの、枝分かれしているこの三股の真ん中だったら落ち着けるだろう」
 「土埃がなーい! 蜜はいまいちですが、掴みやすいし、葉っぱで雨風が防げていますね」
 「そうだろう、そうだろう」
 蜜は確かに薄いが、他が良いのだからここに腰を落ち着けたいところであった。
 しかし、妙な胸騒ぎがする。ガラガラと何かを擦る音がしてから、複数の人間の会話が聞こえてくる。
 やがて木の足元あたりで声が止まると、大きく木が揺れ始めた。
 「なんですか!? 木が動いています!」
 「これは人間の仕業だ。きっと私たちが来たのを見ていたのだろう。小癪こしゃくな……」
 「こしゃ? こしゃくですね! どうします?」
 「ここは撤退しよう。他にも住処はある流石に全部こんなではないだろう」
 全てだった。住処にしようと思った木は尽くことごと木を揺らされてしまう。なんなのだ、人間という種は暇なのか、いや暇だろう。なんせ寿命が長いのだから。
 
 早二日。すでに寿命がなんだと言っていられないほどに疲弊。大丈夫かと高を括った時に限って、隙有と木を揺らされ、落ち着くことができない。時間ばかりが過ぎていった。
 「もう、へとへとです……」
 「しょうがない」
 私たちは池のほとりのなんでもない木に落ち着いていた。洞ではなく側面。原点回帰といったところである。そしてやはりここが一番落ち着くのである。
 「そうは言っても君はまだ生きれるだろう?」
 「寂しいこと言わないで。お堅い蝉さん」
 「結局、寿命を延ばすことはできなかった。そのへんの蝉より試行錯誤したくらいだろう。どう頑張っても蝉の域を出ないのか」
 「あら、お堅い蝉さんは蝉の域? とやらを超えていたと思いますよ?」
 「ほう、どの部分が超えていたというんだい。聞かせてもらおうか」
 「行動派だったところかしら。私の知っている蝉はもっとその場でじーっとして、泣いているばかりの方々だったわ。それに比べると明らかに違っているもの。私は超えていると思うけれど」
 「そうか」
 もっと本質的に違う所があってほしかったが、この際こういう理由でもいいだろう。私は自然と微笑んでいた。
 「結局、子を成すこともなく蝉として中途半端になってしまった。たかが半歩抜きん出ただけで私はこの生を終える。付き合った君もその一度きりの生を無駄にしたわけだ」
 「無駄になんかならないわ」
 「なぜ?」
 「わからない」
 「じゃあなんで無駄にならないってわかる?」
 「なんとなく、勘よ」
 「なんだそれは」
 乾いた笑いと湿った笑いの二つが木の真ん中から空に投げかける。
 「生まれ変わったら何になりたい?」
 「そうだな、もう一度蝉になって今度はこの運命からの脱出を成功させたいな」
 「物好きね。次も失敗するかもしれないのに」
 「失敗しても後悔はないさ。君のような存在がいればね」
 「あら、それはどういう?」
 「さあね。さて、私はもうお終いみたいだ。好きなところに行き給え」
 「嫌よ。今更ツまらない所になんて行きたくないわ」
 「かといって惨めに落ち死んで虫の餌食になるところを見られたくもないんだ」
 「じゃあ私が隣に居ましょうか?」
 「虫がたかるかもしれないし、人間が踏みつぶすかもしれないのに?」
 「ささっと避けます! 虫が来ても払いますし、踏みつぶされそうになったら退かします」
 「君こそ、余程の物好きだよ。死ぬかもしれないのに」
 「なにを言ってるんです? 死ぬかもしれないのに試行錯誤してたお堅い蝉さんには言われたくありません」
 言うや否や私の前足は木を離れていた。
 「ああ、もう死ぬ。君に会えてよかった。いや、周りにツまらない蝉しかいなくてよかったというべきか」
 「ゆっくりお休みくださいな、また来世で」
 「ああ。また来世で」
 そうして私は足が離れて小娘が遠くなっていくのを見て感じていた。
 視界がかすむ中で、小娘がこちらに飛んでくるのが見えてどこかが温かくなるのを感じて目を閉じた。
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