Perfume

緒方宗谷

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圧力

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 尾行が激しい。初めは、浮浪者に見える中年の男が中心であったが、ここ最近はスーツ姿の中高年の男が中心となっている。私服であったとしても、ウォーキングか簡素なハイキングスタイルであるため、町の情景に浮いた違和感を感じ取ることが出来ない。
 以前は、路上生活者特有の風呂に入っていない独特の匂いが追いかけてきていたから、見なくともすぐに気付く事が出来たが、今はもう分からなくなってしまった。
 何処をどう歩いても、ぴったりと数m後ろをついてくる男がいる。常に唾を吐く音を立てて、早苗が立ち止まると立ち止まり、歩き出すとついてくる。
 周りに気が付かれるようなあからさまな嫌がらせはしてこないし、自ら姿を晒してくることも無い。だがしかし、気配を隠してばれない様にしようとする意志も無いようだ。そればかりか、音を使って死角から存在をアピールしているように思える。
 センターの誰かからの嫌がらせかもしれない。親からの報復なのであれば、これほどまでに執拗にストレスをかけてくる事は無いだろう。ばれない様に尾行して自分の弱みを握って、家庭に踏み込むなと脅せば良い。
 この方法では、親落第者から自分を遠ざける事が出来ても、他の担当者がついて元の木阿弥だ。それに、弱みを握って直接脅そうとしても、身元がばれてしまうからリスクが高い。
 同僚からの嫌がらせであるにしても、腑に落ちない。基本的に、センター内の出世コースは年功序列が残っているし、早苗はまだ若い。そもそも、出世コースの上にいないのだ。同じ部署のスタッフとも良好な関係を築いていたから、心当たりがない。
 真一に相談したいと思ったが、何をどう説明してよいか分からなかった。言葉の始まりをどこに定めてよいのか、何をされていると言ってよいのか、見当もつかない。
 朝起きると全身に力が入らず、とても重い疲労感を感じるほどであったが、形に無い子のストレスをどのようにして伝えれば、伝わるのだろう。唾を吐きつつける男が付いてくると言っても、笑い話にしかならないかもしれない。
 早苗は、常に早歩きで歩いた。まだ視界に入れば、ストレスは軽いかもしれない。目に見えないからこそ、必要以上にストレスを感じていた。少しでも存在を暴きたい。周りの人より早く歩けば、尾行者か否かを察知できるのではないかと考えたのだ。
 運が良ければ、まくことも出来ると思った矢先、進行方向にある花壇の縁座って缶コーヒーを飲む男が、こっちを見ている。早苗はその視線に気が付かないふりをして通り過ぎようとすると、缶を持っている右手の人差し指が立ち、自分を指した。
 移動する早苗の姿を追うように、その指も動く。尾行者は1人ではないのだ。早苗は愕然とした。たった1人の、なんの力も地位もお金もない女性なのに、組織的に追跡されている事に気が付いてしまった。 
 自分の後ろだけでなく、前にもいた事にショックを覚えた早苗は、特定のルートを歩くのではなく、突然道を変えたりするようになった。
 休日であっても気が抜けない。恐々としながら歩いていると、遠くから叫ぶ声が聞こえた。
 「違う!ジーンズの方!!」
 見ると、道路の反対側のコンビニのゴミ箱の所から、こちらへそう指図する声が響く。地上を歩かず、地下道に下りようとした瞬間の事だ。地上を歩いて行こうとした道路の向こうにいる男女が、慌てて地下道への階段へと方向を変える。
 地下道は下で合流していたから早苗は身構えたが、あの2人は下りてこない。だいぶしてから振り返ると、下りてこなかったさっきの2人が後ろを歩いている。広範囲に何人も配置しているようだ。これでは、どうやっても逃げようがない。
 ちょうど同じ頃、聖子は真一の耳元で、子供にとって実の母親の愛情がどれだけ大事かを語るようになっていた。暖かくて柔らかい唇と、冷たくて硬い指先とで艶やかな魅力を存分に堪能させてから、ひと時の語らう時間を全て費やす。
 真一は、聖子がみのるを陽子の所に行かせたいのだろうと感づいていたが、気のない相づちを打つばかりだ。
 「私、もっと真一さんと一緒に居たいです。
  私、何だってしますよ、真一さんが望む事だったら、何だって」
 随分と従順な物言いだ。自分の綺麗さや可愛さに自信を持っていて、それを武器として存分に利用していると、影で同僚OLから言われていたが、真一を含めて、そのように思う男性社員はいない。
 「もう少し、休んでいきませんか?」
 時計を見ると、まだ十分に時間がある。それでもなお、聖子は時間を延長した。
 (今日は、家にお母さんと泉さんが来ているはずだな。
  多少遅くなっても、みのるは大丈夫か)
 真一の上に腰を下ろした聖子は、ゆっくりと口説き始めた。
 「私、本当に真一さんの事を尊敬しているんですよ。
  今まで出会った男性の中で、こんなに安らげる人って誰もいません。
  仕事もそうですし、父親としても父子家庭で大変なのに両立させているし。
  それに、男性としてもとても魅力的です」
 ここ最近になって、語らいをリードするのは真一から聖子に移っていた。主導権そのものが聖子に移っているのか、自分が聖子に奉仕させているのか真一は考えもしなかったが、思考は聖子の言う通りに考えるようになっていった。
 もし、みのるが東京に行けば、この媚態を思う存分抱きしめる事が出来る。聖子の魔性に飲みこまれてしまったようだ。それ自体には気が付いていたが、堕落とでも言うのだろうか、身体を引き寄せる重力が何とも心地が良い。
 そんな彼とは裏腹に、早苗は真一と会えない日々に寂しさを覚えていた。心休まらない日々の中で、唯一安心して過ごせるのは真一の家だけだったし、いつも手料理を褒めてくれるのが嬉しい。
 今まで誰ともお付き合いをした事が無い早苗は、得意な料理を誰かに食べてもらう機会などなかった。初めて人のために作った時の楽しさは、想像を絶するほどであった。もともと料理は好きだし、楽しいと思っていたが、喜びの次元が違う。
 みのるや恒子には美味しいと言ってもらえているが、早苗は真一に言ってほしかった。
 「お姉ちゃんは運が悪いね。
  昨日は、お父さん、早く帰ってきたんだよ」
 「ほんとよねぇ、泉さんが遊びに来たときに限って、残業なんだから」
 初めて泊まった夜以来、急速に2人の心の距離は縮まっていると、早苗は感じていた。真一から見れば、そのような対象ではなかったのだが、男女の経験が無い彼女がのぼせ上ってしまっているのも無理はない。
 みのるも早苗を家に引き留めようと、当回しに甘えている。さすがに、父親の許可が無ければ、早苗が泊まってくれる事は無いと分かっていたから、困らせるようなことは言わなかったが、訪問時には常に料理を作ってくれるまで仲良くなれた。
 近くのスーパーへ一緒に材料を買いに行く時には、手をつないで行くまでの親密さだ。みのるは、幼い時分に飢えた母性からなる愛情と、自分から離れていく真一からの愛情を、早苗に求めたのだ。




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