あはれの継続

宮島永劫

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平成二十一年 首長会議

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 〇△市の酒井市長は怒っていた。市長室に側近を集めては、
「来年の三月で、合併による国の手厚い財政優遇措置は終わってしまう!」
と喚いていた。
「山田村を何とか落とせないのか?」
この質問を度々するがみんな下を向くばかりだ。山田村が合併するなんてありえない、合併しても何もいいことがないのだから。山田村の財政は健全だから国の優遇措置なんて受ける必要はない。山田村の豊かな自然を観光資源化しようと酒井市長は誘うが、経営すればするほど赤字が膨らむ『はっぴーうれぴーらんど』のような趣味の悪い箱物を見たら、山田村が首を縦に振るわけがない。〇△市の財政状況は他の近隣の市町村もそっぽを向く。〇△市に勤務する役人でさえうんざりしている。
 酒井市長は誰も動こうとしないことに苛立ちを隠さなかった。特に、〇△県の柳沢知事、秘書の柳生が全く動かない。三年前の夏に事故が起こったのは極秘情報として聞いているが、ニュースにならなかった。その当時は柳沢知事の命令で大人しくしていたが、特別措置の期限が迫ってくると落ち着いていられない、焦ってきた。酒井市長は声には出さないが常に思っていた、『もう過ぎたことだ。そんなことより私は合併したいのだ。優遇措置を受けたいのだ』と。

 毎年恒例の首長会議、その会場の大会議室は静かで落ち着いていた。光里市や児玉村は合併が終了して『ひかりこだま市』となっていた。庁舎、図書館は優遇措置により建て替えられた。同じように合併したところは既に新しい一歩を踏み出していた。合併をしなかった市町村長からは合併の話題は出てこなかった。探り合いをする時期は終わっていた。諦めが悪いのは酒井市長だけだった。
 ぎりぎりに宮本村長は指定の席に着いた。相変わらずかっこいい。太い眉、切れ長の目、引き締まった口元、黒っぽいスーツに身を固めた宮本村長は近寄り難かった。ただし、首長たちはみな感心していた、『宮本さん、さすが、柳沢知事と酒井市長から逃げ切った』と。
 長い会議が終わる、宮本村長はすっと立ち上がる。
「宮本村長、ちょっと」
〇△市の酒井市長が声をかける。
「えっ?」
という驚きの声が各席から聞こえた。『まだ諦めていないの?』という驚きだった。しかし、聞こえないふり、鞄を手にして歩き始めた。扉の先には柳沢知事の秘書・柳生がいた。宮本村長はその横を通り抜けた。首長たちはその様子を笑っている、『宮本さん、面白―い、逃げ切ったー、酒井市長、ざまあみろ』と。
 宮本村長は一目散に逃げていく。例年の如く、非常階段を足早に下りていった。

 酒井市長は怒っていた。
「柳生君、なぜ宮本村長を止めないんだ?」
柳生は何も答えなかった。というより答えられなかった。宮本村長は私を見たのだろうか? 絶対知っている、三年前のこと、絶対知っている。〇△県が関わっていることぐらい宮本村長ならお見通しだ。あんな『欲深きものを罪人にする』というとんでもない仕掛けを用意しているのだから。
 一緒に雷山の調査に向かった映像ディレクターの水野はおしゃべりだから日本だとうっかり口を滑らせてしまう恐れがある。そのため、英語しか話さないようにハワイに移動させた。水野は保身主義だし、物分かりがいいからすぐに拠点を移した。水野の相棒で性格、服装など何を比較しても正反対のカメラマン・跡部はたんまり金を渡して田舎に帰るように促したが、
「バレたらどうしよう」
「警察が俺を捕まえに来る」
「俺は人殺しだ」
と頭を抱え、柳生の足元にうずくまった。精神的に参っていたからアパートを引き払うと同時に一思いに楽にしてやった。噂には聞いていたが天涯孤独、行方不明者届さえ出ないようだ。警察の捜査が入るかと恐れていたが拍子抜けだった。でも、大塩に関しては、年老いた両親がまだ地元で呼びかけをしている。駅でビラ配りをして行方の分からない息子を探している。宮本村長が一声上げれば、きっとここに警察がやってくるだろう。そうすれば俺の地位は全て失われてしまう。まだ、終わってない、動けない・・・。

 首長会議後、知事室に呼び寄せられたのは酒井市長だけだった。
「山田村は落ちなかったな・・・」
柳沢知事は柳生から聞いた鳥居の事故で完全に意気消沈した。もしバレれば自分の地位が危ない。山田村は喉から手が出るほど欲しいが、バレたら大変だ。宮本村長が隠しカメラの映像を警察に提出したら終わってしまう。だって行きにはいた鳥居と大塩が帰りにはいないんだから。宮本村長に弱みを握られてしまった。しばらくは駄目だ・・・。
「宮本村長、実は知らないんじゃないですか?」
酒井市長は暢気に言う。
「そんなわけはない。宮本村長は事を荒立てたくない人だ。今回の件をマスコミが知ったら大騒ぎするだろう。宮本村長は山田村を騒動に巻き込みたくないだけだ。とはいえ静かに怒っている。黙っているだけありがたいと思おう」
柳沢知事は静かに酒井市長に釘を刺す。
「お前が一緒にいながらどうしたことだ?」
酒井市長の柳生に対する怒りは収まらない。合併に伴う特別措置が受けられるのはあと一年弱しか残っていない。焦りが怒りと変わる。柳生は何も言えない。順風満帆、失敗したことのない人生で初めての失敗、それも大失敗だ。あんな完敗、屈辱は初めてだった。今でも心のしこりが消えない。宮本村長が映像を警察に渡せば終わりだ、恐怖が続く。
「すみません。鳥居さんが転落するとは予想外でした」
酒井市長もそれは分かっていた。
「気持ちは分かる。でも、宮本村長を怒らせるわけにいかない。宮本村長が警察に届ければ疑いは私たちに向けられる。君は失脚したくないだろう」
柳沢知事も合併失敗の無念さを隠さない。
「次の手を考えよう。生死が七年間明らかでない場合に出される失踪宣告のように七年間は大人しくすべきだ。あの事故からもう三年経った。静かにしていれば宮本村長も動かないだろう」
酒井市長は頭を抱えた。先行調査で人が死ぬなんて・・・、予想もしなかった。難攻不落の山田村、自分が落としたかった。
「まだ君は市長を続けたいだろう。今は我慢の時だ。いつか時はやってくる。こんな屈辱を味合わせた山田村をなんとかこじ開けてやる!」
柳沢知事の怒りは部屋中に響いた。しばらく三人は黙り込んだ。
「知事、これから記者会見があります。少し目を通して欲しい資料がありますので今日はこれで散会にしましょう」
柳生の言葉はこれ以上話し合っても何も解決しないことを意味していた。柳沢知事が酒井市長に目配せをする。酒井市長は何か言いたげだったが柳沢知事が柳生の資料を見始めたので諦めて席を立った。

 〇△県は他の都道府県に比べて合併が少なかった。

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