コメディあるいはトラジティ

ネツ三

文字の大きさ
18 / 19

父の手紙

しおりを挟む
 後期の授業が始まったある日、常二の下宿に分厚い封書が届いていた。
差出人は田舎の母の親戚の名前だった。
母のことで何かあるのかといぶかりながら読んでみると、常二の父と思われる人物から連絡があったという内容であった。
同封されていたその男からの手紙には、母との関係や別れた事情など、当人でないとわからない事情が書かれていた。
内容から判断して、母と交際のあった人物であることは間違いなかった。
何らかの伝手で母の死を知って、連絡してきたのだろうと親戚の手紙にはあった。。

 男の言うには、母との間に子供ができていたのは知っているが、生まれる前に別れたため、一度も会ったことがない。
自分は別の家庭を持ち、子供もみんな独り立ちをしている。かつて交際した人が亡くなり、その人との間に自分の子供が残されていると思うと、ぜひ一度会ってわびたいというものだった。

 常二は手紙を読んで、なんともいえない不愉快な気分になった。
母を捨てた男が、いい歳になって、過去の自分の過ちをわびたいという。
それをするには遅すぎるし、常二に謝られてもどうしようもない話だ。
わびるなら母に、母が生きているうちにわびてほしかった、と常二は思う。

 母にはどれだけの苦労があったことか。母は再婚もせずに、一人息子の常二を育て上げ、大学まで入れて、病気になり、急死した。その人生が果たして幸せなものだったのか、今の自分にはわからない。
手紙には男の名前と東京の住所が記されていた。

 時間が二十年ほど前に巻き戻されたような奇妙な気持ちになった。
顔もわからないその男と若くて美しい母と。二人は出会って、愛し合って、そして別れた。
その事実があり、常二が生まれたという事実があり、今、それを知らされて困惑する常二がいる。
 常二は自分のためよりも、母のために会いに行くべきなのかと悩んだ。
自分にはもともと、父親という存在がなかった。今さら父だと言って目の前に現れても、単なる一人の男であり、血のつながりがあろうがなかろうが、それは関係なく、父とは思えないだろう。
一方、死んだ母のためには、この男と会って、母の話をすることが母の供養になるのだろうか、という思いが少しあった。
この男に会うのか、連絡だけ取るのか、無視を決め込むのか、決断できなかった。

 手紙を読んだ数日後、美彌は学生会館のカフェで、
「あなた、何か考え事してるでしょ?」
「何か隠してるでしょ、この二三日」と言って、常二の目を見つめた。
美彌の指摘に常二は内心驚いた。
「隠さずに話して」美彌は詰めてくる。

「父がわかったんだ」常二が言うと、美彌は大きな二重の目を見開いて、
「ええっ」と短く声を上げた。
「あなたのお父さん?」
「そう」
「手紙が来て、会いたいと言ってきた」
「で、どうするの?」
「わからない」
「今、ずっと考えている」
そう答えると、美彌は、遠慮がちに
「会いたいの?」と尋ねた。
「わからない。ただ母のために会った方がいいのかなと迷っている」
「ここでは何だから、今夜美彌の家で話そう」常二はそう言って、話を切り上げた。

 夜、美彌の家で、男からの手紙を美彌に読ませた。
美彌は一通り読み終えて、手紙を返した。
「あなたも会いたいでしょう?」
「いや、今さら会いたくもない」
「小さいころは父親がいないことを理解できずに、母を困らせたこともあったけど」
「会わなくていいの?」
「母のことが気にはなるが、それを聞き出しても、もう過去のことだから」
「やっぱり、このまま会わないでおこう」
「いいの?」
「いいよ」と答えて、常二はもうこの話はやめようと告げた。

 その夜、美彌の家に泊まった常二は、夜中に息苦しくなって、眠りが浅くなった。
そして、黒い影が見えたと思った瞬間、目を覚ました。いやな夢を見たようだ。
妙に胸騒ぎがして、横を見ると美彌が壁の方を向いて寝ている。
 さっきの黒い影は人ではないのか、と思うと心配になり、美彌を起こさないようにそっとベッドから出ると、灯りをつけてベッドの周りに誰もいないことを確かめた。
隣の部屋に行き、灯りを灯して、あたりを見渡した。ドアには内から鍵がかかっているのを確認した。すべての窓も施錠されているのを確かめてからベッドに戻ると、美彌が苦しそうに息をしていた。

「大丈夫?美彌」と声をかけると、美彌は激しい息づかいで過呼吸を起こしていた。
顔を見ると苦しそうに目を閉じて、呼びかけても反応できないでいる。
 以前に、発作を起こして以来、すっかりよくなっていて発作を起こすこともなかったので、この発作に常二はあわててしまった。
「救急車を呼ぼうか?」常二の問いかけにも反応しない美彌の苦しそうな表情を見て、常二は時計を見ながら電話をした。時計は1時半を指していた。
15分ぐらいで到着すると聞かされた常二は、すぐに着替えて、救急車のサイレンが近づくのを待った。

 救急車が到着したときには、騒がしい音で美彌の母も起きてきて、心配そうに運ばれる美彌に声をかける。
「ぼくがついて行きます」と美彌の母に言って救急車に乗り込んだ。

 西宮の救急病院では、以前からの発作が起こったのだろう、特別に検査や入院をする必要はない、念のため、かかりつけの病院で明日、見てもらうとよい、と言われた。
 常二はホッとして、診察室のベッドでようやく呼吸も元に戻った美彌の顔を見た。
「ごめんね、心配かけて」
美彌は常二の顔を見ると、涙を流した。
「心配しなくてもいいよ。大丈夫、家に帰ろう」
美彌はふっと気を抜いた表情を見せた。
タクシーを呼んで、美彌を家に連れて帰った。

 美彌の発作の再発は、常二の父のことが原因であるのは明らかだ。常二が父に会いに東京に行ってしまうと、二度と帰ってこないのではないか、美彌はそんな心配をしたのではないか。
もうすっかり直ってしまったと思っていたが、美彌の発作は大きな心労があると、起こるようだ。
常二はそう考えると、今回の発作は自分がなんとかしたいと考えた。

 翌日は、二人とも大学の講義を休み、美彌の家で過ごした。
昼前までベッドで寝ていた美彌は起きてきたが、顔色がすぐれず、口数も少なかった。

 常二は美彌を連れて庭に出て、白の玉砂利を敷き詰めた平らなところに連れて行った。
常二は父からの手紙を取り出すと、美彌の見ている前でそれを細かく破り、砂利の上に集めて、取り出したライターで火をつけた。
「あっ」美彌が短く声をあげた。
手紙の紙くずから青白い煙が立ち上り、空に消えていった。

「これでおしまい」
「もう父には会いに行かない。父なんて初めからいない。僕には美彌がいる」
茫然とする美彌を引き寄せ、抱きしめた。
「美彌に心配をかけない、約束するよ」
「うふっ」と美彌は声を上げた。

 美彌の母は、美彌が発作を再発したことを心配して、常二にしばらくは美彌の傍にいてやってほしい、大学やアルバイトはここから行ってほしいと言った。
美彌もその方がうれしいというので、常二はしばらくの間、美彌の家にいることになった。

 朝になるとあわてて食事と身支度を済ませ、少し離れたバス通りまで二人で走って行く。
バスで苦楽園の駅まで行き、夙川、北口で乗り換え、大学に通う。常二は帰りには、そのままアルバイト先に向かう。元町のライブハウス、家庭教師、そして塾。
最終のバスに間に合えば、バスで、間に合わないときはタクシーで美彌の家に帰る。遅く帰っても、美彌が必ず起きて待っている。
食事を済ませて、おしゃべりをして、一緒に寝る。
その繰り返しだが、美彌もあれから日が経つと落ち着いてきて、顔色もよくなり、元どおり元気になった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

春の雨に濡れて―オッサンが訳あり家出JKを嫁にするお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。なお、本作品はヒロイン目線の裏ストーリー「春の雨はあたたかい」のオリジナルストーリーです。 春の雨の日の夜、主人公(圭)は、駅前にいた家出JK(美香)に頼まれて家に連れて帰る。家出の訳を聞いた圭は、自分と同じに境遇に同情して同居することを認める。同居を始めるに当たり、美香は家事を引き受けることを承諾する一方、同居の代償に身体を差し出すが、圭はかたくなに受け入れず、18歳になったら考えると答える。3か月間の同居生活で気心が通い合って、圭は18歳になった美香にプロポーズする。

処理中です...