#秒恋7 それぞれの翌日――壊れた日常を取り戻すために

ReN

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piece4 それぞれの翌々日

剛士――監督との面談

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***


寝不足は否めない。
それにも関わらず、剛士は早朝5時に目を覚ました。

浅い眠りと覚醒を繰り返した夜。
もう一度、ベッドに横になる気にはなれず、剛士は起き上がる。
念のためスマートフォンを確認してはみたが、やはり彼女からの通知は無かった。


待つべきか。
もう一度、自分から連絡を試みるべきか。

どちらとも決めかねて、剛士は深い溜め息をつく。


本当は今すぐに、会いたい。
せめて、電話したい。声だけでも聴きたい。
謝りたい。自分に出来る全てで、彼女に尽くしたい――

けれど連絡がないということは、彼女の方はまだ、自分と話す気持ちにはなれないのだろう。


彼女は本来、まめに連絡をくれる人だ。
一緒に登下校した日や、遊んだ日。
必ず、ありがとうのメッセージをくれた。
そのまま、暫くメッセージのやり取りをしたり、電話をすることもあった。
2人で夜の僅かな時間を惜しむように、言葉と声を交わし合った。
穏やかで暖かい幸せを、2人で大切に積み上げてきた。

メッセージの返事が来なかったことなど、これまで一度もない。

ズキリと胸が痛む。
いつも丁寧で、律儀な彼女。
優しくて、可愛らしい彼女。

大切な、大切な女の子――


深く傷つけてしまった彼女の心に、これ以上の負担を強いたくはない。
いま、自分の気持ちだけを押し付けることは、したくなかった。

それに、もし電話に出て貰えなかったらと思うと、剛士の心は竦む。
彼女から、明確な拒絶を受けてしまうことが、怖かった。


メッセージの返信がない今、自分は既に、拒絶を受けている状態なのかも知れない。
拒絶が重なれば重なるほど、彼女との距離と時間はきっと、離れてしまう。
剛士は、殆ど恐怖に近い不安に囚われていた。


スマートフォンの近くにいると、不安や衝動に飲み込まれてしまいそうだった。

ランニングでもして来よう。
昨日の部活は、中断させてしまった。
今日の練習も、自分は出られない。
いや、今日だけでなく、今後どうなるかも、わからないのだ。
せめて、個人でできるトレーニングを積まなくては。

剛士は手早く着替えを済ませると、早朝の空気の中、飛び出した。


***


「おはよう、剛士」
1時間以上のランニングを終え、剛士が帰宅すると、母がキッチンに立っていた。
出汁の香りが、優しく彼を迎えてくれる。
「走ってきたの?」
「……うん。近くの公園」
「そう」
母は、にっこりと笑みを深めた。
「朝ご飯、もうすぐできるからね?」

今日は日曜日。父はまだ寝ているようだ。恐らく兄もだろう。
「……シャワー、浴びてくるね」
味噌汁を作ってくれている母の背に声を掛け、剛士はバスルームに向かった。


10分程で戻ると、母が既に剛士の朝食をテーブルに用意してくれていた。
剛士の顔を見ると微笑んで、座るよう促す。
「今日は、学校行くんでしょ?」
ご飯をよそった茶碗を彼の前に置きながら、母は柔らかな声で問うた。

「うん。10時から監督と面談。……その後、先輩や友だちと会うから、帰りは夕方になると思う」
「わかった」
「……ごめん、聡子さん」
「ふふ、何言ってるの」
目を伏せた息子に、母は穏やかに笑った。


何を言うでもない。けれど、家族は味方だと。
そう伝えてくれるような、優しい微笑だった。

母のくれる暖かさは、剛士の弱った心に深く沁みる。
剛士も小さな笑みを母に向けると、いただきます、と手を合わせた。


*** 


春休み、ひと気のない校舎を剛士は歩く。
監督に指定された部屋は、生活指導室隣りの応接室。
昨日、ユタカと最後に話をした場所だった。

「失礼します」
ゆっくりとノックをし、剛士は入室する。
監督はいつも通りの顔で、片手を上げた。
おう、と軽い挨拶をすると、彼は剛士に、向かいのソファを指し示す。
剛士は一礼して、監督の前の席に腰を下ろした。


昨日の事情を、聞かれると思っていた。
昨晩のうちに、当たり障りのない説明を考えていた剛士だったが、その予想は外れた。

監督が3枚の紙を、剛士の方に向けてテーブルに置く。
反射的に覗き込んだ剛士の目に、微かな驚きが映る。

退部届だった。学校に提出する、正式な書面の。
ユタカと、あの部屋に一緒にいた、1年生2人のものだった。
既に本人たちのサイン、及び監督と副部長である山口健斗の印も、押されている。
空欄になっているのは、部長印――つまり、剛士が押すべき枠だけだ。


「昨日、この3人から強い申し入れがあり、至急で作ったもんだ」
じっと書類に目を落としたままの剛士に向かい、監督は言う。
「あとはお前がハンコつけば終了だ」
監督が、3枚の退部届に手を伸ばし、剛士の前に押し出した。

印鑑を押せ、ということだ。
剛士は、唇を引き結ぶ。


監督が退部の申し出を受理しているのだから、剛士が何を言うことではない。
ユタカ本人から聞いていたことでもあり、いまさら驚いてもいない。


それでも、頭がついていかなかった。


昨日の健斗のメッセージには、このことは何も触れられていなかった。
いつも、細かなことまで報告してくれる彼が、何故この件だけを伏せたのかはわからない。

恐らく、何かを察してのことなのだろう。
いずれにせよ、自分のいないところで、話はどんどん進んでいる。

部長としての責任感。対して、疎外感。
被害者意識。やるせ無い悲しみ。
剛士の心は、複雑な思いに絡み取られてしまう。


黙ったままの剛士に向かい、監督は平坦な声音で言った。
「部活動は、強制じゃない。本人の意思を尊重するものだ」

「……はい」
剛士は辛うじて返事をすると、鞄から印鑑を取り出した。
部長という立場上、書類に捺印することは多々あるので、いつも携帯している。

ユタカの、そして後輩2人の、退部届。
剛士は静かに、印鑑を押していく。


部員を、辞めさせてしまった。
彼らを、救えなかった。

――そう思うのは、偽善的だろうか。


そもそもこの3人は、彼女を傷つけ、辱めた人間だ。
剛士が、彼らに対して感傷的になる必要はない――なってはいけない。
しかし、そう思えば思うほど、剛士の脳裏には、楽しかった部活の日々が去来した。


『この、偽善者が!!』

ユタカに投げつけられた言葉はまだ、剛士の胸に深く突き刺さったまま。
思い出すたびに、鈍く痛む。


剛士が捺印を終えると、監督は書類を回収し、クリアファイルに入れた。
これを学校側に提出すれば、あの3人の退部が正式に認められる。
剛士は硬い表情のまま、目を伏せた。

監督は、僅かな沈黙を置いた。
それから目の前にいる剛士に向かい、ゆっくりと話し始める。
「岸部たちは、お前に迷惑をかけた、と言っていたよ」
何とも答えようがなく、剛士はただ首を横に振る。

「何があったのか。お前が言いたくないのなら、無理には聞かん。……しかしな」
監督は、真っ直ぐに剛士を見つめた。
「どんな事情があったにせよ、お前はキャプテンとして、自分を律するべきだった。そう思わないか?」


厳かな声音だった。
常日頃より、正しく、厳格な監督だ。
自分の立場を蔑ろにする暴挙に出た剛士を、許す筈がない。
そもそもバスケ部の規則として、暴力沙汰を起こした部員は、一発退部というルールもある。


覚悟はしていた。
剛士は目を上げ、しっかりと監督を見つめた。
「キャプテンとして、あるまじきことをしたと思ってます。この3人を辞めさせてしまった責任もあります。……俺は、どんな処分でも受けます」

監督の目が、剛士の心を覗き込むように、厳しく注がれる。
「……それが、キャプテン解任でもか? 退部勧告でもか?」

剛士は眉を顰め、僅かな沈黙を置いた。
そうして小さく息をつき、剛士はしっかりと頷いた。
「……はい」


ドク、ドク、と、重く心臓が脈打っていた。

この瞬間、自分はいままで部活で積み上げてきたものを、全て失うかも知れない。
仲間の顔。卒業していった先輩の顔。
裏切ることになってしまう大切な人たちの笑顔が、頭の中を駆け巡る。


全てが、崩れ去っていくかも知れない。
何もかも、消え失せてしまうかも知れない。
大切な人を守れなかった、自分のせいで。

剛士は、膝に乗せた両手を、しっかりと握る。
覚悟は、していた。
けれど、監督がどんな結論を出すのか、本当は怖くて仕方なかった。


監督が渋い表情で口を開きかけた、そのときだった。
コンコンコン! と性急に扉がノックされた。

監督は、大きな溜め息とともに、ふっと身体の力を抜いた。
彼が緊張を解いた意図がわからず、剛士はきょとんと目を瞬かせる。
監督は剛士を見つめると、ドアに向かい、顎をしゃくってみせた。

ドアを開けろ、ということだろうか。
監督は、ノックの主が誰かを知っているのか。
さまざまな疑問が頭をよぎりつつも、剛士は立ち上がり、ドアを開けた。


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