鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第五章 蒲生定秀編 観音寺騒動

第64話 代理戦争

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主要登場人物別名

三河守… 小倉実隆 小倉宗家当主 蒲生定秀の三男
右近… 小倉賢治 小倉西家当主 実隆を抑えて小倉家の実権を握ろうと画策する

――――――――

 
 愛知川を渡った市原の平野部に小倉賢治が布陣している。小倉実隆は背後の長寸山ながすやまを一瞬だけ振り返ると、再び正面の賢治勢に視線を戻した。
 実隆の背後の山には一見すると山頂の長寸城が建っているだけだが、山中には旗指物を隠した速水勘解由左衛門が百の手勢を率いて和南川の対岸に回り込もうとしているはずだった。

 正面から実隆の本軍四百が賢治の軍勢三百を受け止め、その間に和南川を渡った速水勘解由左衛門が賢治の本城である山上城に強襲を掛ける手筈になっている。

 実隆が右手を大きく振り上げると、鳴り鏑が轟音を立てて飛んで行く。同時に、小倉宗家と小倉西家の軍勢がお互いに弓隊を前に出して矢戦の構えに入った。

「放てー!」

 けたたましい弦の音が響いたかと思うと、お互いに百近くの矢が刈取りを終えた田を挟んで両陣を行き交う。
 最初の矢戦はお約束のようなものだが、数で負けている小倉賢治は今一つ積極的に仕掛けてこない。

「これでは勘解由が側面を突く隙を作れんな」
「右近めは思ったよりも慎重ですな」

 実隆を補佐するもう一人の家老、寺倉吉六も実隆の側で戦況を見守っている。だが、寺倉の目から見ても亀のように防御を厚くした小倉賢治は容易に引き出されそうにない。

「これで右近と戦をするのは何度目だ?」
「確か、昨年の十月からですからかれこれ三度目ですな」
「攻めたり攻められたりだが、何度やっても決着がつかん。今度は固く守っておるが、何か勝ち目があるのかな?」
「おそらく浅井の援軍を待っておるのでしょう」

 実隆も同意見だった。そもそもいかに衰えたりとはいえ、小倉西家単独で六角と戦えるわけはない。小倉宗家にすらジリジリと押し詰められている状態なのだ。観音寺騒動が起きた当時ならばともかく、今はあれから半年近くの時間が経ってようやく六角家中も落ち着きを取り戻しつつある。もはや小倉西家の運命は風前の灯と言っていい。

 だが、小倉賢治には切り札があった。それは尾張の織田信長との交友だ。
 五年前の永禄二年に信長が上洛して足利義輝に拝謁した際、美濃の斎藤義龍は小勢の信長を襲撃するべく刺客団を差し向けた。その時に八風峠を越えて伊勢から尾張に戻る信長の水先案内を務めたのが小倉西家の小倉賢治だった。
 その時の縁により、織田の口利きで小倉賢治は浅井と浅からぬ交流がある。小倉西家が六角に対して反旗を翻した背景には織田と浅井の後援があったことが大きい。

「だが、相手に援軍が現れるのを大人しく待ってやるほどこちらもお人好しではない」

 兜の下で実隆がニヤリと笑う。実隆も今回は賢治と決着をつけるつもりでいた。
 観音寺騒動後の六角家は、父の蒲生定秀の尽力もあって徐々に以前の姿を取り戻しつつある。進藤や永田などから要請を受けて出陣していた浅井長政も、蒲生との交渉により今は犬上川まで軍勢を退いている。
 それまでは浅井の援軍を得た小倉賢治が優位であることが多かったが、定秀のおかげで小倉家の内紛においても小倉実隆が徐々に押し返し始めている。今回で小倉西家を完全に従わせることが出来れば、実隆にとっても父定秀と同じか、それ以上の勢力を持つことが出来るかもしれない。

 ―――これに勝てば父上に褒めてもらえるかもしれない

 実隆は功名心に逸ることを自らに戒めていたが、日に日に好転していく戦況を見て知らず知らずのうちに勝った後の自分の姿を意識し始めていた。

「父上に……」
「何でしょう?」
「……いや。このままでは今回も取り逃がすことになる。今少し本陣を前に押し出すぞ。右近の陣を崩して今度こそ決着をつけるのだ」
「ハッ!」

 小倉実隆が馬を前に進めると、寺倉吉六も周囲に命じて馬を進めてゆく。日はようやく中天に近くなりつつあり、肌寒い風も暖かい日の光で気にならなくなっていた。



 ※   ※   ※



 実隆の本陣が二町(約二百メートル)にまで近づいてきたことを見て取った小倉賢治は、弓隊の前に長柄隊を押し出した。

「三河守めが近寄ってきたか。狙い通りだな」

 本陣で独り言ちた賢治は、従弟の小倉次兵衛を呼んだ。

「お呼びでしょうか」
「うむ。これより三河守の本陣に鉄砲を射かけ、その勢いのまま突撃する。お主は和南川を迂回して三河守の側面を突け」」
「ハッ!」

 小倉次兵衛が本陣から去ると、待つほどもなく五十ほどの騎馬が東側に向かって移動を始める。
 正面の小倉実隆からは一旦下がるために退路を確保しに行っていると見えただろう。小倉賢治の居城・山上城は和南川と愛知川の合流点近くにある。
 同じく和南川の向こうには小倉実隆の派遣した一隊が進軍していたが、小倉賢治はそのことに気付いていなかった。

 ―――蒲生の子倅が小倉宗家の当主などと片腹痛いわ

 本来であれば小倉実光亡き後の小倉宗家は小倉賢治の子の実治が継ぐはずだった。血筋の上からも勢力の上からもそれが順当だ。それが六角義賢の鶴の一声で蒲生定秀の三男が養子として入って来た。
 その後の小倉宗家は今まで以上に六角に接近し、織田や浅井と縁の深い賢治は様々に行動を牽制され、勢力をもぎ取られている。

 ―――本来ならば永源寺領一帯は小倉家のものだったのだ

 これが小倉賢治の信念だった。六角定頼の威風によって強引に永源寺に寄進させられたが、元々この一帯は小倉家が治めていた土地だ。定頼の父の六角高頼が観音寺城一帯を制圧するまではむしろ小倉家の方が威を張っていた。
 六角の武威によって領地を奪われたのであれば、六角の武威が衰えれば領地を取り返すのは賢治にとっては当然のことだ。それを邪魔する蒲生定秀と小倉実隆はすでに賢治にとって憎悪の対象にすらなっている。


「鉄砲!構え!」

 織田信長から借り受けた鉄砲兵五十が膝を着いていつでも火蓋を切れる態勢になる。今も長柄隊が鉄砲隊の姿を隠しているから、賢治がこれほどの数の鉄砲を揃えていることを実隆は気づいていないはずだ。鉄砲の一斉射撃で虚を突き、同時に長柄隊が押し出して小倉実隆の本陣を一気に押し込むつもりだった。

 賢治が腰に差した太刀を抜き払い、天に掲げて周囲に示す。同時に長柄隊が一旦下がって鉄砲隊が最前線へと姿を現す。

 一呼吸置いて賢治が太刀を振り下ろすと、五十の銃口は一斉に小倉実隆本陣に向けて轟音を放った。

「かかれ!三河守の首級をあげよ!」

 銃声に続いてひと際大きな鬨の声が賢治陣から湧き起り、同時に長柄隊が一斉に走り始めた。



 ※   ※   ※



「うん?右近は何をやっている?」
「長柄隊のようですが、それにしては防御陣でもなくどちらかと言えば押し出す態勢に見えますな」

 寺倉の言う通り、正面の賢治勢は楯の前に長柄隊を配置している。防御陣形ならば楯の後ろに長柄を置くはずだ。このまま防御に入ったとしても兵たちが無益に矢に射すくめられるだけになる。

 ―――攻めてくるか?

「長柄隊!前進だ!正面から押してくるかもしれん!」

 実隆が長柄を前進させ始めたと同時に賢治勢の長柄隊は少し後退したように見えた。

「何だ?何をやっている?」
「殿!鉄砲です!長柄の後ろに鉄砲が!」

 寺倉吉六が叫ぶのと同時に実隆の目にも無数の鉄砲兵が目に入った。ざっと見て三十は優に越えている。実隆も定秀から借り受けた鉄砲はあったが、それよりもはるかに数が多い。

 ―――いかん!

 実隆がそう思うのと同時に賢治陣から轟音が鳴り響く。前進を続けていた実隆の長柄隊は銃撃を受けて次々に倒れ、一時騒然となって隊列が乱れた。
 慌てる実隆を尻目に、賢治陣からはひと際大きな鬨の声が聞こえた。

「後詰を出せ!敵の長柄が押してくるぞ!このままでは支えきれん!」
「ハッ!」

 実隆の予想通り、不意を突かれて隊列を乱された長柄隊は敵の槍衾に押し詰められ、前線を維持できずに後退している。このままでは本陣に敵が到着するのも時間の問題だった。

「吉六!ここは任せる!」
「あ!殿!どちらへ!」
「側面を突く!」

 吉六の返答も待たずに実隆は五十の兵を連れて側面に回りだした。今の苦境を切り抜けるには槍衾を突き崩すしかない。だが、正面から突撃しても長柄を打ち破る突撃力は本陣に残されていない。突破力のある部隊は全て別動隊として動く速水勘解由左衛門に預けてしまっていた。
 実隆は足軽隊を連れて長柄隊の側面に回り、端から動揺させることで本陣の建て直しを図るつもりだった。長柄隊はその名の通り長柄槍を主武装にしており、正面に対する攻撃力は足軽以上に高いが、その分側面や背後からの攻撃には極端に弱い。
 敵の長柄隊の後ろを駆けながら時折背を突いていけばかなりの長柄兵を動揺させられるはずだ。

「ゆくぞ!」

 五十の足軽が太刀を抜いて実隆に続く。実隆一人は騎馬に乗っていたため、実隆の姿は敵味方の目を引いた。


 ―――よし、これならば建て直せる

 敵前線の長柄隊を数名突き倒しながら、実隆は味方本陣の状況を見て安堵のため息を漏らした。
 本陣に残った寺倉吉六は敵の動揺の中で長柄隊を入れ替え、新手の長柄隊によって槍衾を組み始めている。鉄砲の奇襲で不意を突かれて崩れるかに見えたが、これならば十分に押し返せると実隆の目には映った。

 ―――もう一度敵の長柄を動揺させて逆に押し返す!

 小倉賢治の陣からは新手の長柄隊が増援の用意をしているのが見て取れる。敵の新手が前線に到着する前に打ち崩せば、そのままの勢いで賢治の本陣にまで押し込めるかもしれない。
 戦場に飛び交う矢も少なくなり、今や戦況は白兵戦に移っている。ここでもう一手押し込めれば勝利は確実かと思えた。

「もう一度前線をかく乱して本陣に戻る!ついて来れるか!」

 十名ほどの兵を失いながらも、足軽隊は意気盛んに声を上げる。手には太刀や持槍を携え、身軽な戦いを身上とする彼らは、ただの雇われの足軽ではなく甲賀から雇った身体能力に優れた足軽隊だった。

「ゆくぞ!」

 一声上げて駆け出した実隆に続くように足軽達が先ほどと同じように駆けてゆく。正面から実隆本陣の長柄隊と対峙する敵兵は後ろに実隆の足軽隊を認めるとやがて恐慌状態に陥った。

「かかれー!」

 実隆が大声を張り上げた瞬間、再び小倉賢治陣から轟音が鳴り響き、実隆は腹と足に強い衝撃を受けて馬から振り落とされた。
 賢治陣からは再び濛々たる黒煙が空に吹き上がっていた。

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