鶴が舞う ―蒲生三代記―

藤瀬 慶久

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第九章 蒲生氏郷編 小牧・長久手の戦い

第108話 猿飛佐助

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主要登場人物別名

飛騨守… 蒲生賦秀 後の氏郷 蒲生家当主

佐助… 三雲賢春 六角旧臣

――――――――

 
 信州上田盆地の一角には大きな槌音が響いていた。
 小県の国人領主である真田昌幸は、徳川家康の命により千曲川北岸に城を築いていた。後に上田城と呼ばれる要害の城は、今はまだ小ぶりな城郭設備を備えただけの小さな城だ。
 上田城は同時に城下町を開いて近隣の住民を誘致していたが、城普請と城下町の普請が同時に進められたために町中に活気が溢れ、新興の町の賑わいを見せている。

 真田家当主の真田昌幸は、城普請を見回った後近習を連れて城下町の普請も見回っていた。

「む……あれは?」

 近習達が昌幸の視線の先を一斉に追う。視線の先には小さな店があり、店先には塩漬けの鹿肉や猪肉、それに毛皮などが並べられていた。
 今店先ではマタギらしき男が大きな猪の毛皮を持って店主と話し込んでいる。恐らく山で狩って来た猪の肉や毛皮をこの店で買い取ってもらっているのだろう。

 特に何か変わった光景にも見えない。マタギたちの多くはそうやって日々の暮らしを送っているはずだ。
 だが、訝る近習を置いて昌幸は一目散にその店に駆けだした。

「ご、御免!」

 マタギと店主の視線が同時に昌幸に向く。と同時に、昌幸の身なりを見て二人ともが膝を着いた。
 どう見ても見回りの武士であり、高位の者であることが一目瞭然だったからだ。だが、そこから先の昌幸の行動は周囲の誰もが予想しなかった物だった。

 昌幸は二人の前に立つと、やおら膝を曲げてマタギの男の肩に両手を置き、親しく話し始めた。

「三雲殿……失礼ながら、三雲佐助殿ではござらんか?」
「貴方様は……?」
「お忘れですか? 真田……いや、武藤。武藤喜兵衛でござる。六角次郎殿のお使者として信玄公にお目通りされた折り、何度か取次ぎをさせて頂き申した」

 昌幸の言葉を受けてマタギの男の顔色が少し変わった。

 ――そう言われれば

 マタギの男―――三雲賢春にも在りし日の光景がありありと浮かんできた。
 六角義定の密使として、夜陰に武田信玄に面会を求めた折、何度か顔を合わせた覚えがある。今の今まですっかりと忘れていた。

「これは……お恥ずかしい姿をお見せ致しました」
「何を申される。織田に抗して最期まで戦ったお手前方の勇姿は今もはっきりと覚えておりまする。てっきり二年前の戦で討ち死にされたものと思っておりました」

 二年前の戦とは織田信長による甲州征伐のことだ。
 三雲賢春が近侍していた六角義定は武田家を頼って甲斐に留まっていたが、甲州征伐によって武田家の命運が尽きたと見るや、土岐頼芸や若狭武田五郎などと共に織田信長に降っていた。
 だが、三雲賢春は六角を滅ぼした織田信長に降るを潔しとせず、義定の元を去って高遠城に赴いた。

 高遠城の将兵は織田との戦いでほぼ玉砕したが、三雲賢春は持ち前の『猿飛の術』を用いて落城寸前の城を脱出し、武田勝頼との合流の機会を窺っていたが、結局はそのまま武田勝頼が天目山で自害したために引き続き信濃の山中に隠れ住むしかなかった。
 そうこうしている間に本能寺の変にて信長も自害したため、今ではマタギの真似事をしてその日その日を暮らす毎日を過ごしていた。

「こうして生き恥を晒しております」
「なんの、生きておられることこそ最大の武功。死んだ者はもはや何を為すことも出来ません。生き恥だなどとんでもない」

 ―――同じことを……

 賢春は以前も耳にした言葉に一抹の懐かしさを感じた。
 六角家が完全に再起不能となった野洲河原の合戦の折、手傷を負い三上神社の境内に隠れ潜んでいたあの時だ。

 蒲生賢秀は織田に敵対する三雲賢春を見逃してくれた。最期まで生きよと言ってくれた。
 雨の感触や周囲の音までも鮮明に思い出せる。

 その末路が結局はこれかと思うと、忘れていた侘しさが湧き上がって来る。

 ―――儂は、何のために生きているのか

 今や六角家は影も形も無く、仇敵と思い定めた織田信長も自分とは関わりのない所で死んでしまった。織田家自体もその屋台骨は揺らぎ、信長の家臣であった羽柴秀吉が畿内では台頭している。
 本能寺の変と明智光秀の近江制圧戦により、旧主である六角家の面々も今や行方知れずとなっている。六角義治は足利義昭に近侍していた為に難を逃れているはずだが、そもそも自ら望んで六角家を致仕した身では今更帰参することも憚られる。

 今の賢春は、ただただ息をしているだけの死人と同じだ。

「父祖伝来の地も失い、仕えるべき主も持たず、ただただその日を生きております。今更何ほどのことが出来るとも思えませぬ」
「……三雲殿さえよければ、上田城へ参られませぬか?」

 真田昌幸の申し出に、しかし賢春の顔色は益々暗くなった。

「お気持ちは有難いですが、今の某には郎党一人とておりません。それに若くも無い。今更槍働きにてお役に立てるとは……」

 三雲賢春も既に三十五歳になっている。当時としても決して老齢という訳ではないが、若者というには憚られる年齢だ。
 人によってはそろそろ隠居をして家督を譲ることすら考え始める年齢なのだ。

「いえいえ、佐助殿には槍働きをお願いするつもりなどございません。ここらの山中を住処としておられたのであれば、付近の山道や獣道には充分に通じておられるかと思います」
「それは……確かに」
「そのお知恵と技を拝借したい」

 そこまで言うと、昌幸は声を潜めて賢春に耳打ちするような態勢になった。

「実を申せば、我が真田は北条・上杉・徳川との間で難しいかじ取りを迫られております。差し当たってはここ上田と沼田との連絡をどうするかという難題を抱えている。佐助殿の『猿飛の術』と山道の見識は、今の真田に是非とも必要な物です」

『猿飛の術』という言葉に改めて昌幸の顔を見返した。
 決して極秘にしていたわけでは無いが、さりとて師の仁助から伝授された『猿飛の術』は余人に易々と見せたつもりは無い。むしろ簡単には人に見せぬようにしてきたつもりだ。
 その術の正体はおろか、名前すら今では知る者も少なくなっているはずだった。

「信玄公から伺いました。佐助殿は猿飛という技を使い、京と甲斐をわずかな日数で往復することが出来る、と。今の儂にはその技が何としても欲しい。お力を貸していただけまいか」

 ニヤリと笑う昌幸の顔にキナ臭い物を感じた。
 だが、その顔とは裏腹に賢春の心は大きく揺れ動いていた。

 この身と技を必要としてくれる。その言葉一つで、賢春は大げさに言えば生き返ったような心持になった。生きる目的を失い、ただただ死を待つのみだった体に再び熱い物がこみ上げて来る。

『まだ誰かに必要とされている』

 男にとって、これほどに心を鼓舞する物は無いと言っていい。

「お心が定まりましたら、いつでも城を訪ねて下され」

 それだけ告げると、昌幸は立ち上がって城下の視察へ戻って行った。後には膝を着いたままの賢春と、その賢春をポカンと見つめる商店主だけが残された。

 ―――猿飛の佐助を必要としてくれる、か

 口には出さねど、賢春の心は既に固まっていた。
 六角家臣三雲賢春は死んだ。ならば、今度は猿飛の佐助として新たな生を生きよう、と。



 ※   ※   ※



「兵糧五十石。何とか整えました」
「うむ。ご苦労だったな」

 蒲生賦秀は日野中野城の居室で商人司の五井宗兵衛と打ち合わせの真っ最中だった。

 五井宗兵衛は商人と言っても元は地侍だった男だが、六男で継ぐべき土地も無く、槍一本でのし上がる武力も無い。その為、保内衆の伴伝次郎の元で学び、今は日野に戻って商家を興していた。
 日野市を安土以上の繁華な市場として発展させたい賦秀の要請により宗兵衛は蒲生家の商人司として商業政策を実施していたが、その手腕は賦秀の期待以上の物で、僅か二年の間に日野は京や摂津・河内の商人も出入りする繁盛ぶりを見せていた。

 また、宗兵衛は日野市を通じて兵糧・武具・軍馬などの軍需品の調達をも請け負っている。今や賦秀にとっても必要欠くべからざる男になっていた。

「宗兵衛のおかげで日野市も大きくなった。今のように宗兵衛一人が何もかも切り盛りしていては身が持つまい。そろそろ配下を持ってはどうだ?」

 近江を巡る情勢は信長の頃よりも一段と広域化している。今までの蒲生はあくまでも近江衆の取りまとめ役であり、信長直下の馬廻衆という立場だった。
 だが、今後の秀吉と信雄との戦いではもっと大きな役目を割り振られることは必定だ。

 軍勢の規模が大きくなれば、それに応じて必要とする軍需品の量も増大する。
 賦秀は今のうちから宗兵衛の下に人を付けて蒲生家の兵站を担う者達を育成する肚積もりだった。

「恐れながら、そういうことであれば適任の者が居ります」
「ほう? 誰だ?」
「以前も申し上げました、津田村の西川仁右衛門と申す男です。手前と同じく保内衆の伴伝次郎の元で商売を学んだ男ですが、商売についての勘所は手前を凌ぐ物があります。
 今のうちに召し抱えられれば、必ずや飛騨守様の御役に立つ男と存じます」

 そう言えばその名を聞いた覚えがあるなと思い出した。
 以前は滝川攻めの準備に忙殺されていた時でまともに話を聞いていなかったが、宗兵衛の口から改めてその名が出たことで賦秀は興味を引かれた。

 賦秀は宗兵衛の商人としての腕を買っている。今は扱う商売の規模も小さいが、いずれは京の大店にも負けぬ男になると思っている。
 その宗兵衛が、商売については自分以上の手腕を持っている男として西川仁右衛門の名を挙げたのだ。興味を引かれないはずがなかった。

「面白いな。一度会ってみたい」
「お会いいただけますか?」
「無論だ。その方がそこまで申すのだ。どのような男か興味がある」

 宗兵衛の顔がぱっと明るくなる。

 ―――妙な男だ。

 賦秀は思わず心の中で苦笑した。
 宗兵衛が『商人としての器量は自分以上』と言うほどなのだから、その西川仁右衛門とやらを召し抱えれば宗兵衛の商人司としての立場も危うくなるかもしれない。
 だが、宗兵衛の顔からはそのような懸念は感じられない。自分が推す男を賦秀に引き合わせたいという一念しか無いように見える。

「だが、今は伊勢遠征の準備が先だ。間もなく出陣の触れが出されるだろう。此度の戦は大きな物になる。西川へは、その戦が終わったら日野へ参るよう伝えてくれ」
「ハッ!」

 宗兵衛に言った通り、この日から一月もしない間に京の秀吉が出陣の命令が届いた。


 天正十二年三月
 羽柴秀吉と対立して伊勢に戻った織田信雄は、東海の雄徳川家康と同盟し、その上で親秀吉派の家老を処刑した。
 これに激怒した秀吉は織田信雄と徳川家康を討つべく出兵を決意する。
 伊勢亀山城を領する蒲生賦秀に対しては、織田信雄の本領である南伊勢の各城を制圧せよとの指令が下った。

 蒲生の伊勢進軍と前後して各地で秀吉方と信雄方に分かれた局地戦が展開される。
 四国では十河存保と長曾我部元親が戦い、北陸では前田利家と佐々成政が、紀州では雑賀衆と中村一氏が、関東では北条氏直と佐竹義重がそれぞれ戦端を開く。蒲生賦秀の相手は木造具政となった。
 ここに至り、蒲生賦秀は秀吉方の有力武将の一人として伊勢方面軍司令を任されることになる。
 各地の武将が『羽柴秀吉』と『織田信雄』という首将を戴いて戦う、天下分け目の戦いの幕開けだった。

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