江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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日野御陣

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 ・大永二年(1522年) 四月  山城国 京  本能寺  六角定頼


「公方様の御成りである」
 室内に将軍側衆筆頭の大館おおだて尚氏ひさうじの声が響く。俺は平伏したまま床を見つめている。

 やがて衣擦れの音がし、上座の辺りに人が座る気配があった。

「面をあげよ」

 再び大舘尚氏の声が響く。ゆっくりと顔を上げると、上座の少年とまともに目が合った。
 うん。なかなか悪くない面構えじゃないか。まだ十二歳の子供だから、そわそわと落ち着かない所はどうしようもない。だが、それでもしっかりと俺の目を見返してくる。
 オジちゃんそういう健気な子は嫌いじゃないよ。

 三月に上洛した俺は、新将軍にお目見えするために自分の宿所に義晴を招いていた。新将軍はまだ十二歳。現代ならまだ小学生だ。
 小学生くらいの男の子が盛装してちょこんと座っているのを見ると、その健気さに思わず頬が緩んでしまう。
 もちろん、俺にそのケはないけどね。

 ちなみに京での俺の宿所は本能寺に指定された。まったく縁起でもない。思わず周りの塀や防御施設を見回ったよ。
 ま、本能寺が炎に包まれるのはまだ当分先の話だ。

「弾正か。余への忠勤嬉しく思う」
「ハッ!有難き幸せにございます」

 そう。俺は上洛して官位を貰った。新たな名乗りは六角弾正少弼だんじょうしょうひつ定頼だ。
 戦国時代って弾正多いよな、本当。
 ……まさか織田も松永も定頼オレのフォロワーなんてことは……ないか。さすがにないな。

「この弾正めは真に公方様への忠勤の士にて、今後一層お引き立て賜りますれば幸いにございます」
「うん。管領共々、今後ともよろしく頼む」
「ハハッ!」

 挨拶が終わると別室に移って膳を囲んでの饗応になる。
 縁側から左右に分かれて相対して座り、上座にはもちろん将軍義晴公が座る。義晴の隣には大舘尚氏が座り、義晴の正面には細川高国が座る。
 俺の席は高国の隣、つまり大舘尚氏と相対する形になる。

 お偉いさんを迎えての飲み会はいつの時代も肩が凝るな。

 細川高国から満面の笑みで開会の挨拶が述べられ、皆で杯を掲げる。
 しばしご歓談下さいってところだ。

「弾正殿。此度の上洛は大儀だったな」
「恐れ入りまする。何度もお招きいただいたのに領内の都合がつかずにご挨拶が遅れました。
 公方様にもご挨拶が遅くなりました事、改めてお詫び申し上げます」

 声をかけた義晴はキョトンとした顔をして箸を持ったまま顔を上げた。どうやら饗応に用意した鯛のデンブと蒲鉾がお気に召したようだ。
 スッと箸を置くと、ニコリと笑ってこちらに言葉をかけてくる。

「いや、弾正には一度会いたいと思っていたところだ。此度は招いてくれたことを嬉しく思う」

 受け答えもハキハキしてるし、中々頭の良さそうな子だ。足利将軍家っつってもこういう人も居るんだな。
 正直意外だった。なんせ、足利将軍と言えば剣豪将軍とか文豪将軍とかのイメージしかないから……
 定頼が終生義晴を保護し続けた気持ちも分からなくもないな。この少年なら、なんとか身を立てさせてやりたいと思うのも無理はない。
 なんというか、父性愛がめちゃめちゃ刺激される少年だ。


「時に弾正殿。来月早々には近江に戻るというのは真か?」

 義晴の隣に座る大舘尚氏が横から割り込んでくる。

「はい。日野の蒲生家が千草街道を通行する者に狼藉を働き、領内の治安に問題が生じておると遣いが参りました。
 某が上洛した隙を突かれたのでしょう」

 もちろん大ウソだ。蒲生は確かに千草街道の通行を制限しているが、それは保内商人を遠ざけてライバルの横関商人を優遇しているだけだ。
 要するに伊勢への街道を巡る商業権の争いってことだ。

 一見武士が介入するような性質のものに見えないかもしれないが、俺にとってはこれほど深刻なことはない。

 現在の伊勢との通商は八風街道を主に使っているが、横関商人は千草街道を使って商売をしている。
 もちろん、横関商人は保内商人のような保護政策を受けていないから、道中の護衛費も自己負担だし関銭も通常通り支払っている。
 その意味では六角家と梅戸家の保護を受ける保内商人よりも競争力は弱い。

 だが、最近横関商人が蒲生家や千草家の保護を受けようと画策しているとの諜報が入った。
 干鰯の売れ行きに目を付けた横関商人が、保内商人と同じように蒲生と千草の保護を受けて千草街道から干鰯を持ち込もうとしているらしい。
 仮に横関の縄張りの村落が増えれば、それは南近江に俺の諜報網が行き渡らない村落ができてしまうことになる。

 新たな需要を作り出せば、それに対して新たな競争相手が現れる。ビジネスの世界はいつの時代も熾烈だ。

 事が商業だけのことならば俺も文句をつけるくらいで済ませるが、横関は元々伊庭氏の知行地で今も伊庭と関係が深い。
 そして、伊庭貞説は観念して俺に降ったが、九里宗忍は未だ地下に潜って反撃の機会を伺っている。伊庭・九里の乱の残党共も一緒だ。

 つまり、このまま放置すれば南近江に俺の諜報が入らない場所が出来上がり、しかもその場所は俺に対して今後反乱を起こそうという意志のある者達の根城になりやすい場所になるということだ。
 こうなってくると、軍事介入する理由には十分すぎる。

 全ては横関商人の新規参入から始まっているから、その起点になる日野をこちら側に引き込めば問題は解消するはずだ。
 幸い、蒲生本家は俺に敵意を持っているが、分家の蒲生高郷は俺に心服している。
 本家の蒲生秀紀の実権を分家の蒲生高郷が奪い取れば、それで日野は俺のシンパになるという訳だ。

 それに元々日野市は昔から保内商人と横関商人が権益を巡って激しく争っている。その争論に決着をつける意味でもちょうどいい。


「そうか……残念だが、領内が不安定ではやむを得ないな。今後とも弾正の忠節を頼みにしている」
「ハッ!」

 新将軍へのお目見えも終わり、何人かの公家とも挨拶……というよりは”荘園返して”の嘆願を華麗に受け流しつつ、俺は慌ただしく観音寺城に戻った。



 ・大永二年(1522年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  蒲生藤十郎


 御屋形様がついに我が蒲生の日野を攻めることになった。
 六角家の主力軍を集めた重厚な陣立てだが、それでもなお日野の音羽城は容易に落ちぬだろう。俺のじい様が築城した音羽城は正に堅城と言うべき城だからな。

 しかし、御屋形様がどのように音羽城を攻略なさるのか興味はある。
 何度か将棋の相手をさせられたが、悉くこちらの打つ手の先を行かれた。結局俺は一度も勝てなかった。
 それほど軍略に優れた御屋形様が、あの音羽城を相手にどのような盤面を描かれるのか……
 不謹慎だが、興味をそそられるというものだ。

「藤十郎。用意は出来たか?」
「ハッ!出立の用意は出来ております」

 御屋形様が保内衆の伴庄衛門と共に亀の間から出て来る。
 出陣の直前にまで商人と打ち合わせとは、御屋形様は真に商人をよく重用なさる。守護という方は皆そのようにされるのだろうか。

 御屋形様に続いてお城の玄関口まで出ると、奥から御裏方様がお見送りに出て来られた。
 相変わらずお綺麗な方だ。美しいだけでなく、常に朗らかに笑っておられる。御屋形様が夢中になるのもわかる気がするな。

「志野。しばし留守を頼む」
「ご武運をお祈りしております」


 別れの挨拶が済み、御屋形様と共に城下で待機する軍勢と合流する。
 百姓兵がほとんど居ないな。それに今回は方々から馳走ちそう(援軍のこと)を受けておられる。ほとんど武士だけで軍勢を組織しているのか。
 しかし二万の軍勢と聞いていたが、これではせいぜい五千にも満たないが……

「どうした?藤十郎」
「いえ、二万の軍勢と聞いておったのですが、既に先発隊をお出しになられたので?」
「はっはっは。大きな声では言えぬが、アレは嘘だ。実際は三千程だな」
「なんと!しかし、たった三千では……音羽城には五百の兵が籠もっております。御屋形様の軍略を疑うわけではありませんが、一体どうやってたった三千で音羽城を攻略するのですか?」
「ふっふっふ。まあ見ておれ」

 自信満々に笑っておられる。
 一体どのような軍略を考えておられるのだ……



 ・大永二年(1522年) 七月  近江国蒲生郡 日野音羽城  六角定頼


 視線を上げると陣幕の向こうに音羽城の建つ小高い丘が見える。
 ここも相変わらず堅い城だ。戦国の城ってのは当然だが攻めにくく作ってあるよな。

 岡山城は琵琶湖を背にした半島の上に建っていた。攻めにくいが、補給も難しい城だ。岡山城が堅城だったのは、ひとえに九里宗忍が水軍を抑えて補給線を確保していたからだった。
 しかし、この音羽城は一味違う。

 音羽城は目の前に日野川が流れているが、これが川幅も水量も充分で天然の濠の役目を果たしている。
 おまけに流れも速いから、強行突破しようもんなら足を取られてまともに前に進めない。
 左右は谷になっていて、その谷と谷の間の小高い丘の上に本丸がある。横から攻めようとしても丘を登っている間に城から矢や投石が雨あられと降ってくるな。
 城の裏手は平地だが、そこには鎌掛城かいがけじょうという出城がある。裏手から攻めるには鎌掛城を落とすしかないが、当然ながら鎌掛城に攻めかかれば音羽城から後詰が来る。
 鎌掛城を落とさない限り兵糧攻めにもできないか。

 いやぁ……蒲生定秀の祖父の蒲生貞秀ってつくづく名将だな。築城が上手すぎるわ。
 日野川も丘陵地も全てが連動してて隙が見当たらない。

 親父の六角高頼が美濃の斎藤利国と争った時には、音羽城の鉄壁の守りに命を救われている。
 親父を守った音羽城を息子の俺が攻めるのも、考えてみれば皮肉な話だよ。

 音羽城の絵図面を眺めていると、進藤貞治が陣幕を上げて入って来た。

「御屋形様。各自持ち場につきました」
「うむ。高島勢も到着したか?」
「ハッ!朽木弥五郎殿も配置についておられます」
「よし、では召集を掛けろ。軍議を始める」
「ハッ!」

 指示を受けて進藤が陣幕の外へと飛び出していく。
 朽木稙綱も来てくれたか。さぞかし腹立ててるだろうな。

 今頃”俺は六角の家臣ではない!”とか喚いているんだろうか。
 辛抱してくれよ。そのかわり、馳走の礼という形で知行を増やしていくからさ。

「御屋形様。皆さま揃われました」
「よし。では行くか」

 陣幕を上げて進藤と共に軍議の場へと歩いて行く。
 いつもながら、戦の前のこの緊張感はシビれる。恐怖と高揚感とが織り交ざったような不思議な気分だ。
 そう言えば今回は足は震えてないな。
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