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法華宗
しおりを挟む・享禄三年(1530年)二月 山城国 京 伊勢屋敷 伊勢貞孝
義父の伊勢貞忠が難しい顔をして文机に向かっている。
近頃弾正少弼様(六角定頼)に呼ばれて度々相国寺に出向いておられるが、そのことで思案に暮れておられるのだろう。
一度お話の内容を聞かせていただいたが、私にはとても理解ができないことだった。
「義父上。蒲生様から日野菜漬という青菜の漬物を頂戴いたしました。白湯もご用意しましたので一息つかれてはいかがですか?」
「おお、済まんな」
声をかけると表情を緩めて向きなおられた。振り返った顔はいつもの義父上だ。
「何やら難題を抱えておられるようですね」
「うむ。少弼様から京の地子銭の制を変えたいと相談を受けた例の件でな。内蔵頭様も加わってあれこれと思案を巡らせておる」
言いながら義父上が刻んだ日野菜漬を箸で口に運ぶ。私も同じように日野菜漬を食すと、口中に塩辛い漬物の味が広がって思わず飯が欲しくなる。
最初は塩気だけが舌に触るが、やがてコリコリと小気味良い歯ごたえと共に青菜の爽やかな風味が鼻に抜ける。この歯ごたえは根の部分だろうか。
一口白湯をすすると、また次が食べたくなるから不思議なものだ。
「これは白湯よりも飯が欲しくなるな。湯漬けに乗せて食えばさぞ美味かろう」
「左様ですな。なんとも塩気が効いておりますが、白湯に塩気が溶け出すと程よい青菜の風味が広がります」
二口、三口と日野菜漬を口に運びながら、義父上がゆったりと外へ目を運ぶ。
冬晴れというのだろうか。戸を閉めていても時折冷たい隙間風が入って来るが、障子から見える陽光は明るく、良い天気だということが室内からでも分かる。
「又三郎はどう思うな?徳政を廃し、商売の成果によって年貢を集めるというのは」
「……私には途方もないことに思います。
銭は米とは違って土に埋めて季節ごとに収穫できるというものではありません。いつ、どのように稼いでいるかを全てさらけ出せる商人などそうそう居りますまい。もしかすると商人自身ですら把握できていないかもしれません」
「そうよな。だが、問題はもっと根深い」
義父がため息を一つ吐くと、白湯を一口すする。
「今京の土倉銭や酒屋銭を集めておるのは法華寺院だ。法華寺院は法華門徒以外の上納を受けぬし、法華門徒以外には施しをせぬ。
幕府の徴収する銭も、門徒である商人からの要請で法華寺院が納めているのが実態だ」
「左様ですな」
「しかし、少弼様のお考えは幕府や朝廷が直接商人から徴収しようとするものだ。そうなればまずもって法華寺院が黙ってはおるまい。法華の坊主は排他的で他の門徒を寄せ付けぬ閉鎖的な集団だ。
排他的な集団と言うのは非常に結揆しやすい。少弼様が強行すれば、京洛中で法華一揆が起こりかねん」
……確かに、商人たちは法華寺院にお布施をすることで徳政逃れをしている。
徳政を廃するといったところで法華門徒には何一つ響かぬだろう。
「そのこと、少弼様は?」
「もちろん承知されている。保内の商人頭も交えて様々に制度を考えてみたが、結局行きつくところは法華宗だ。法華寺院を何とか説得する手立てがなければ京の地子銭を変えることは出来ん」
難しいものだな。
確かに商人の銭を直接握ることができれば幕府の財政の大きな助けになるだろうが……
「あるいは、法華寺院以上に商人にとって利のある制度を提示できれば、商人は従ってくれるのではないかと保内の者は言っておったがな」
「法華寺院以上に利の有る制度……ですか」
「うむ。まあ、夢のような話よ」
法華寺院以上に利のある話か……
徳政令がある以上はどうしようもないだろうな。
・享禄三年(1530年) 四月 山城国 京 相国寺 六角定頼
所得税の導入は早速暗礁に乗り上げている。
会計ルールの統一や会計監査の方法など問題はかなり多岐に渡るが、根本的に商業界に宗教が色濃く残っているのが一番の問題だ。
山科言継や伊勢貞忠、それに伴庄衛門など様々な財政家を交えて話し合ってみたが、結局は法華宗の壁を打ち破れないという結論に行きつく。
やっぱり法華宗をどうにかせんといかんな。
楽市を通じて商人と直接繋がっているとつい忘れそうになるが、世間では座銭や役銭は寺社を通じて納められるのが基本だ。
六角のように直接商人を支配するのは全国的に見ればかなりのレアケースと言っていい。
何故わざわざ寺社を通じたりするのか。それこそが『中世的観念』というものの正体だからだ。
中世的観念は惣村の成り立ちと深く関係している。
もともと律令制下では土地は全て国家のものだったが、墾田永年私財法によって土地の私有が認められた。しかし、その土地を何らかの形で受け取った時には一つの問題が起こった。
『土地の所有権が誰にあるか』という問題だ。
もちろん、正式な合意が為されている場合は所有権は円満に移るが、この時代じゃ円満に取引が成立することの方が珍しい。
ほとんどの場合は武力で、あるいは借金のカタに奪うことになるが、その場合は当然ながら土地の所有権は元の所有者に残る。たとえ実効支配しているとしても元の所有権が消滅するわけじゃない。
しかし、奪った側はそれでは困る。なんとか前所有者の所有権を消滅させて、奪い返されることのないようにしたい。そこで取られた方法が『市庭神』の概念だった。
市に並ぶ品物は市庭神に捧げられたものという建前を使うことで元の所有権を消滅させた。それが中世に寺社が力を持った理由だ。つまり、所有権を消滅させるという権能は神や仏のものだった。
いわゆる『縁切り』だ。
この考え方はやがて広く民衆にも広まる。
民衆、特に農村では、惣村という組織に一郷がまとまる過程で村の土地は村の物という観念を持つようになった。
例えば、ある個人が耕していた土地があったとして、その持ち主が亡くなったとする。すると、村の者は残された土地を引き継いで共同で耕し続けなければならない。一つの田に一つの用水路を流せるならいいが、ほとんどの場合は川に近い方の田から水を流してもらう形で川から遠い場所にも田を作っている。
つまり、持ち主が死んだからと言って耕作を放棄すれば、その田の下流にある田が全滅してしまうからだ。
しかしある日、その死んだ男の息子だと名乗る男が現れて土地の所有権を主張したとしよう。
村の者にとっても迷惑な話だ。その息子が本当の息子かどうかを判断する方法もない。そして、水利の関係もあって村の土地を分割してしまうわけにもいかない。
結局争いが起きる。
その争いを回避するために、村人は村の中心に小さな堂宇を建てた。名もなき宗教の誕生だ。御本尊は何でもいい。人の形に見える石や人型に削った木、あるいは遠くに見える山を御本尊としたかもしれない。
何にせよ、村の土地は全てその御本尊に寄進したことにする。そうすれば、後から所有権を主張して来られても対処できる。この土地は個人の所有物ではなく神様の持ち物だからだ。
村人は神様の代わりに田を耕しているだけという理屈だ。
やがて鎌倉仏教が成立し、浄土系や法華の僧が比叡山に都を追われて流浪する。
流浪した僧たちは村に入って小さな堂宇を見つけた。そして村人たちにこう言った。
『このような頼りない仏様ではなく、阿弥陀様を祀る寺にしてはどうだろう?』と。
村人たちは喜んだ。自分たちの小さな堂宇が、都でも知られる立派な仏様になる。縁切りの箔も強くなるというものだ。
村人総出で堂宇を整備し、流浪の僧をそこに住まわせて村人全員で寺を支える体制になる。民衆に仏教が広がるきっかけだ。
南北朝の頃になって広域的なつながりが出来上がると、この宗教が大きな意味を持ってくる。
元来人は地縁や血縁で繋がっている。利害の一致しない遠隔地の集団と同じ目的を共有することは本来的には難しい。
しかし、ここで『同じ宗門の仲間』という共通項が生まれれば話は別だ。
同じ宗門に属する仲間として、地縁や血縁を越えて団結することが可能になった。
『一揆』あるいは『結揆』と言われる集団が出来上がる。
法華宗は商人集団をまとめ、浄土宗や浄土真宗は農民集団をまとめた。
これが中世的な惣村結合の仕組みだ。
元々は土地の所有権を消す『縁切り』の必要性から惣村結合が生まれた。
そして、この『縁切り』の権能が『徳政令』によってもう一つの意味を持つようになる。
徳政令とは借金帳消しの政策と思われがちだが、正確には『奪われた物を本来の持ち主に返す』政策だ。
本来の持ち主に返して所有権の乱れを為政者の『徳』によって整理するから『徳政』という名が付いた。
天子や将軍の代替わりに合わせて徳政が行われたのも新たな為政者の『徳』を天下に知らしめることが本来の目的だからだ。
この『徳政令』によってダメージを受けるのは主に土倉業、つまり質屋を営む貸金業だ。
借金のカタに本来所有権のない物を占有しているのが土倉業だから、徳政令が出ると真っ先に土倉の質草が返還されることになる。
そこで、彼らは質草と稼いだ銭を法華寺院に預けた。
法華寺院に預けられたものは『仏様への捧げもの』となり、元の所有権が『縁切り』されているから徳政令が出されても返還する義務はない。
そうやって商人たちは『徳政逃れ』を行った。
その意味では法華寺院である必要はなかったが、法華宗は『不受不施』という教義を持つ宗教だから、商人にとって都合が良かった。
不受不施とは、法華門徒以外のお布施は受けないし、法華門徒以外には供養や施しもしないという教義だ。つまり法華宗は法華門徒以外とは一切関わらないという排他的な教団だった。
法華門徒以外とは銭のやり取りをしないのならば、商人から見れば同じ宗門の仲間内で財産を共有するということになる。要するに法華寺院は商人にとっての金融機関の役目を持った。
法華寺院に預けておけば、門徒以外には引き出せないし徳政令が出ても返却する必要がない。
同じ座の商人だけで本山を作っておけば、そこは同じ座の仲間以外には銭を引き出せない聖域となる。
京の商人に法華宗が爆発的に広まった理由はそこにある。
信心がどうこうという話じゃない。自分の資産を預ける銀行として宗教という隠れ蓑を使っていたにすぎない。
やがて徳政逃れの仕組みを理解した幕府は、法華寺院に代わる徳政逃れの方法を提示する。
『分一銭』というのがそれだ。債権の一割の銭を納めればそもそも徳政令の例外として適用するという制度を作った。それが土倉銭や酒屋銭といわれる幕府の財源だ。
酒屋はその広い蔵を利用して土倉業を合わせて営む者が多かったから、結局は酒屋銭も土倉銭と同じ物だ。
これによって今まではただ法華寺院を潤すだけだった徳政逃れが、幕府の財源として一部還流するようになった。とはいえ、受け取る税は債権額の一割なんだから、当然ながら法華寺院のほうがより儲かる仕組みになっている。
商人の銭を幕府の、言い換えれば武士の財源にするためには、この法華寺院による徳政逃れをなんとかしなければならん。
そもそも徳政令を出さなければいいという話だが、徳政令を出さなければそれはそれで一揆が起きる。
民衆は既に代替わりなどがあれば徳政令が出るものという認識の下で生活を営んでいる。正長の土一揆以来、土一揆の本来の目的は徳政を勝ち取ることにある。土倉に取られた物を取り返すために一揆を起こした。
突然徳政無しと宣言すれば、今度は山城国中が反発して一揆を起こしかねない。国一揆の再現だ。
どうにも行き詰ってしまうなぁ……
そもそも土倉が高い金利を取るのは徳政令による貸倒れに備えるためだ。近江では守護権限と商人の直接支配で高金利を撤廃させたが、京ではその手は効かない。俺にそれを担保する権限がない。
俺はあくまでも近江守護だからな。
……まあ、とりあえずは商業政策に関しては様子を見るしかないか。
近江の商人の勢威が強まれば京の商業界に対しても主導権を取れるようになるかもしれない。今回は大人しく帰ろう。
山科言継や伊勢貞忠にそういう思想を共有できただけでも良しとしておこう。朝廷や幕府の財政を司る者達と理念を共有できれば、俺が周辺国を制圧して京の実権を握った暁には協力していけるだろう。
今回の上洛に合わせて保内衆の京進出が増やせたことを唯一の成果としようか。
――――――――
ちょっと解説
ここで描いた惣村結合の仕組みは、鎌倉仏教の広がりと市庭神の市の理論を考え併せて当時の社会で起こっていたのではないかと私が(勝手に)考えている仮説です。
通説ではないですし、素人が必死に頭で考えただけのものと思って頂ければ幸いです。
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