江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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子猫のように

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 ・天文元年(1532年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  三好千熊丸


「心配は要らん。千熊丸殿の身はこの俺が責任を持って預からせてもらう」
「ありがとうございます。この大和守、主の筑前守に成り代わりまして心より御礼申し上げます」

 じいが床板に額が着くくらいに平伏したのに合わせて儂も頭を下げる。
 上座に座る男はゆったりと優し気な目をして頷いている。思っていたよりも随分優しい顔立ちをしているのだな。

 しかし、何故じいはこの男を頼ろうなどと思ったのか。六角と言えば父上がいずれは倒さねばならぬ相手だと言っていた。いわば儂にとってもいずれは倒さねばならぬ敵であろうに……。

「千熊丸殿、此度は気の毒なことであったな」
「いえ、敵方である私を受け入れて下さった弾正様のお心遣いに感謝いたします」

 突然話しかけられて驚いたが、弾正は変わらずゆったりと笑顔を向けている。
 まだ元服もしていない儂など敵にもならぬということか。悔しいがその通りだ。今の儂には拠って立つ土地も無く手勢と言えば父上の近習十名に大和守と源八だけだ。近江一国を抑える六角弾正からすれば吹けば飛ぶような存在だろうな。
 だが、せっかく力を貸してくれるというのだ。六角の力を借りてまずは一向宗を殲滅する。勝ち戦にあった父上を一転して敗走させた一向宗は許せぬ。

「恐れながら、弾正様にお願いがございます」
「何かな?遠慮なく申してみよ」
「どうか私に一向宗と戦う軍勢をお貸し下さい。父の仇を討ちとうございます」

 上座の弾正が微妙な顔をする。儂は変な事を言ったか?父の汚名を雪ぎたいというのは当然だろうに。

「若、それはまだ早すぎまする」
「何故だ?じい。儂は父上の仇を討つために六角殿を頼ったのだ。力を借りたいと願うのは当然のことだろう」
「それはそうですが……」

 じいと話していると再び上座から太い声が響いた。

「せっかくだが、一向宗を討つ軍勢をお貸しすることは出来ん」
「何故でございます?お力添えを頂けるのではないのですか?」
「軍勢を貸すのではなく、俺が一向宗を討つ。千熊丸殿はしばし観音寺城に留まり、体を養うことに専念されよ」

 六角が一向宗を討つ?しかし、それでは儂が父の仇も討てぬ不肖の息子になってしまう。

「大和守。今回は初陣に相応しい戦にはならぬ。と言って千熊丸殿の心情も分からぬではない。そこで、千熊丸殿の名代としてお主が軍勢の端に加わるが良い」
「ハッ!ご配慮に感謝いたします」
「千熊丸殿も今は俺の言葉に従うがよい。決して悪いようにはせぬ」
「……」
「若」
「承知致しました。よろしくお願い申し上げます」

 再び弾正がニコリと笑って下がって行った。結局儂が元服もしていない童子だから軍勢を貸せないということか。
 こうなれば一刻も早く元服して一人前の男になろう。与えられた部屋に戻ったら早速じいに烏帽子親になってもらおう。



 ・天文元年(1532年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


 気の強そうな子だったな。いきなり『軍勢を貸せ』とは驚いたよ。
 俺が不愉快になるとかは思わなかったんだろうな。まっすぐに自分の望みを言っただけだ。そういう所だけは子供らしくていいな。
 だが、今回の戦は凄惨なものになる。はっきり言って戦というよりも虐殺だ。子供に見せられるモンじゃない。今は大人しく心と体が育つのを待つべきだ。

「御屋形様。お呼びですか?」
「おう、志野。済まんが三好千熊丸殿に何かと気を配ってやってくれんか?
 見た目は大人びているが、先ごろ父親を亡くしたばかりだから気落ちしているだろう。今は父の仇を討つことで頭が一杯だが、心が落ち着けばやがて寂しさや無力感が出てくるはずだ。
 ……心が歪んでしまわぬように目を掛けてやってくれ」
「ふふふ。敵方の遺児だというのに随分とお優しいことですわね」
「……まあな。千熊丸の境遇には俺にも責任がある」
「あら、御屋形様は三好殿と敵味方でありましたのに責任とは?」
「いや、単純に敵味方だけだったわけでもない。それに筑前殿は敵とは言え惜しい男だった。一向一揆などで死なせたくは無かったのだがな……」

 志野が不思議そうな顔をしている。まさか一向一揆が起こることを知っていましたなんて言えないよなぁ。

「まあ、俺にとっても三好家との友誼は損にはならん。そういう訳で、よろしく頼む」
「承知いたしました。では、御屋形様はまた戦に行かれるのですね」
「そうなる。一向一揆は近江にとっても他人事ではない。近江の国を食い尽くされる前にこちらから討って出なければならん」
「そう……ですね」

 そんな寂しそうな顔をしないでくれ。なんだか心が痛むじゃないか。

「まあ、心配するなと言ってもするだろうが、心配するな。今度の戦は俺に命の危険があるようなものにはならない」

 そっと手を握りながら言い訳じみたことを口にする。顔を上げた志野の目が少し潤んでいるように見えるが……。
 そんな目で見つめられたら違う情念が湧いてしまうじゃないか。

「御屋形様……」
「心配ない」

 そのまま抱き寄せると志野も体を預けて来る。こうして体を寄せ合うのも久しぶりだ……。



 ・天文元年(1532年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  三好千熊丸


 じいは元服を許さなかった。儂は一日も早く一人前の男にならねばならんというのに……。
 仕方がないから宛がわれた居室の庭先で木剣を振って体を鍛える。父の太刀をきちんと扱えるようにならなければいけないし、正直他にやることが無い。それに汗を掻いていると余計なことを考えなくて済む。

「フッ!フッ!フッ!」

 ふぅ。さっきから腕が重くなってきている。少し休むか。

「おわ!?」

 突然縁側に童女が座っていた。この童女は誰だ?

「貴方が千熊丸?私は初音。かかさまから仲良くしなさいと言われたの」

 初音?……と言うと、弾正の娘か。しかし後ろに座っているのに少しも気付かなかった。

「初音!挨拶も無しにいきなり声を掛ける無礼があるか!」

 今度は甲高い男の声が聞こえる。と、すぐに奥から儂と同じくらいの年の少年が足音を立てて近付いてきた。手に抱えているのは何だ?何やら木の大きな盤のようなものに小さな木の箱が乗っているが。

「兄様!だってかかさまが……」
「だからと言っていきなり後ろに座る奴があるか。もういいからお前は下がっていろ」

 何やら初音姫と言い合っているが、姫が頬を膨らませて下がって行ったな。兄様ということはコイツが弾正の嫡男か。

「千熊丸だな?儂は亀寿丸だ」

 む。いきなり呼び捨てだと?無礼なのはどちらだ。

「いかにも儂が千熊丸だ。いきなり呼び捨てとは無礼であろう。儂が落ち延びて来たと思って馬鹿にするのか?」
「お主は何年の生まれだ?」

 ……何を言っているのだ?

「何年の生まれだと聞いている」
「……大永二年だ」
「儂は大永元年だ。儂の方が一歳年長だから儂はお主を呼び捨てにする」
「たったの一歳違いでそのような偉そうな口を聞くのか?」
「たった一歳、されど一歳だ。年長者を敬え」

 腹の立つ男だな。
 睨んでいると亀寿丸が突然縁側に手に持った木の盤と箱を置いてドカッと座った。

「……これは何だ?」
「将棋だ」
「……で、何故儂の前に将棋を置く?」
「父上が仰っていた。将棋は相手との駆け引きだと。それだけに相手の人となりを知るには将棋盤を囲むのも一つの手だと」
「……何が言いたい?」
「お主の人となりを知るために将棋を打つことにしようと考えた。一局付き合え」

 この野郎、上等だ。コテンパンにしてやる。

「いいだろう。じゃあまずは駒の動き方を教えろ」
「そこからか……」



 ・天文元年(1532年) 七月  近江国蒲生郡 観音寺城  六角定頼


 この前の志野は積極的だったなぁ。こっちも思わずチカラが入っちゃったよ。

「六角様。お呼びでしょうか?」
「おう、庄衛門。まあ上がれ」

 亀の間で鼻の下を伸ばしていると伴庄衛門がやって来た。まったく油断も隙も無い。だらしない顔してなかっただろうな……。

「一向宗を攻めるのは聞いているな?」
「はい。兵糧などの用意も始めております」
「その前に堅田に行ってもらいたい」
「堅田ですか?構いませんが、船の手配ならば殿原衆が常楽寺の湊にも拠点を作っておりますが」
「用があるのは殿原衆じゃなく本福寺だ」

 庄衛門が不審な顔をする。まあ、これから山科本願寺を攻めるのに同じ一向宗の寺に友好的な話があるとは思わんよな。
 だが、本福寺は二度に渡る破門を受けて財産や門徒も全て大津顕証寺に奪われている。はっきり言って一家一門制を楯に迫害を加える蓮淳には頭に来ているはずだ。
 それに、本願寺をこのまま放置しておくわけにはいかないが一向宗自体を否定すると近江国内の一向門徒が黙っちゃいない。それを回避するために一向宗を受け入れる姿勢は見せておく。

 つまり、六角の庇護の元で堅田本福寺は近江の一向宗の本山として存続させる。もちろん、寺領や兵力は持たせずに六角家から賄い料を寄進する形だ。六角家が寄進を打ち切れば本福寺は逆らえないような仕組みにする。その上で、各村の末寺の名簿を提出させる。この時代の戸籍は事実上寺が握っているから、その戸籍を六角の領国支配の為に役立てさせてもらう。

 要するに政教分離の第一歩だな。寺は人々の心に寄り添う存在であれということだ。

 武力と領国を持つ勢力としての一向宗はここで潰すが、一向宗という信仰は六角の名の元に存続させる。それであれば、各地の一向門徒も単純に俺が一向宗の敵だとは思わないだろう。
 三好元長の死は蓮淳や証如が勢力を拡大しようという下心を出したこともあるが、法華宗を保護し過ぎたことで一向門徒の恨みを買ったことも原因の一つだ。為政者は誰よりも宗門に対して公平中立でなければならない。権力を持つ者がいずれかの宗門に属すると、他宗派の者はそれだけで不安を抱くことになる。

 もっとも、俺は臨済宗で得度した僧でもあるから自然と臨済宗寄りの守護だと認識されるのは避けられない。だからこそ殊更に他宗派の寺は保護の対象にしていく必要があるだろう。この点では信長よりも不利だな。

 摂津で起きた一向一揆と言う名の略奪行為は近江の門徒達にも眉を顰める者が多かったそうだ。
 近江は飢饉対策をしっかりやっていたから、食うに困って略奪に走るということに共感できる者が少なかったんだろう。これに関しちゃ伴庄衛門のお手柄だな。

 ともあれ、近江の一向一揆は何としても小規模なもので終わらせないといけない。敵はあくまで武士の戦に武力で介入しようと企む本願寺一派だということを世間に喧伝する。

「……ということだ。わかったか?」
「承知いたしました。では、早速明日にでも堅田へ参りましょう」
「よろしく頼む。庄衛門の説得の手腕に期待している」
「はい。朗報をお待ちください」

 よし、あとは大原高保の北近江軍も呼び寄せて一気に一向宗を叩こう。まずは蓮淳の大津顕証寺からだ。
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