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天文の近江大乱(2)朝倉始動
しおりを挟む・天文三年(1534年) 七月二十三日 山城国宇治郡 日ノ岡六角本陣 六角定頼
「南近江軍が下京の総堀を突破致しました!」
「よし!蒲生に下京に押し出せと伝えよ!今日中に門徒衆の抵抗を無力化させよ!」
「ハッ!」
日ノ岡砦に本陣を置き、京攻めの絵図面を前に碁石を並べていく。予想通り、法華一揆は所詮烏合の衆だ。訓練し尽くされた近江の精鋭軍相手じゃその練度に雲泥の差がある。
法華一揆の中心は法華に銭で雇われた足軽だ。そこに柳本甚次郎の残党と京の西の国人衆である西岡衆を加えた寄り合い所帯だ。西岡衆は借金の棒引きを条件に法華宗に協力しているに過ぎないし、命を懸けてまで戦う理由はない。
「北近江軍が妙顕寺を制圧して上京の攻略を完了!後続に寺の破却を任せ、これから山科へ引き上げるとの由!」
「よし!戻りを急げと伝えよ!」
「ハッ!」
蒲生軍は本圀寺を攻略目標に据え、北河軍は本能寺を攻略する。法華寺院の中でも特に勢威の強いその三カ寺を制圧すれば法華一揆は壊滅する。
法華寺院は寺そのものが防備施設を備えた要塞だ。総堀が城の外堀と解釈すれば、各寺院は曲輪と同じ。本丸こそないが、下京そのものが法華宗の城と言っていい。つまりこれは城攻めだ。
上京は下京に比べると防備施設も弱く総堀も無い。大原軍が本気を出せば半日で制圧可能だと睨んだが、予想通りだったな。
下京を囲む総堀も攻略したし、火の手が上がれば一揆衆の士気も挫ける。もはや法華一揆に勝ち目は無い。いや、元から勝ち目など無かった。法華一揆の総勢は必死にかき集めて二万。こちらはみっちり訓練を施した精鋭二万に普請役の郷方衆五万だ。軍勢の質も数もこちらが圧倒している。武力衝突になれば最初から法華宗に勝ち目なんざ無かったんだ。
武士の怖さを知らない馬鹿共が。
開戦から既に半日か。外を見れば夏の日差しが強く照り付けている。もうすぐ正午だな。
「北河軍より伝令!蒲生軍と共に下京の総堀を越え、これより本能寺攻めに掛かるとの由!」
「うむ。今日中に制圧せよと伝えよ!」
「ハッ!」
よし。順調だ。史実じゃ三日でカタが付いた天文法華の乱だが、俺は二日でカタを付ける。実質は今日一日だ。それだけの兵を揃えたつもりだ。
さて、大原軍が引き上げてきたらいよいよ進軍開始だな。大津には米や秣を大量に用意させたし、各地の中継点にも同様の備えをしてある。
まったく、とんだ出費だ。こんなカネのかかる戦は今回が最後にしたいものだな。
「御屋形様!伴庄衛門が至急の目通りを願っております!」
絵図面から視線を上げると、伴庄衛門が満足げな顔で駆けよって来る。
「庄衛門。用意は整ったか?」
「はい。それと、朝倉が動きました」
「そうか。全て予定通りだな」
「はい。しかし、先に朝倉を叩いておくわけにはいかなかったので?」
「仮にも公方様の仲介で結んだ和議だ。こちらから仕掛けるには名分が足りん。公方様の顔も立てておかねばならんからな」
「左様で」
実際には足を引っ張ってるだけなんだから和議に従う義理は無いんだが、今のところは足利義晴とも良好な関係を維持しておかねばならん。
少なくとも『今のところ』はな。
「御屋形様!北近江軍の先頭が山科に到着いたしました!」
「よし!三雲三郎左衛門(三雲定持)に伝令だ!上京の市街地を制圧して火を放てと伝えよ」
「ハッ!」
・天文三年(1534年) 七月二十三日 美濃国厚見郡加納 美濃守護代館 斎藤道三
枝広館から戻った儂を宮河新五郎が出迎えた。
「殿、御屋形様はどのように仰せでありましたか?」
「御屋形様は戦には出られぬ。儂に戦の指揮を取れと仰せだ」
「予想通りでございますな」
新五郎が嘆息する。まったく、御屋形様にも困ったものだ。
今回の戦は六角と協力して朝倉を釣り出す戦でもある。美濃の大事を決する戦に守護が出陣せぬとなれば国人衆から益々侮られよう。国の大事であればこそ御自ら陣頭に立って采配を振るい、国人衆に己こそが美濃の国主であると示さねばならぬだろうに。
弾正殿の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたいものだ。
「朝倉の動きはどうだ?」
「敦賀から浅井備前守が北近江に軍を向けたそうにございます。朝倉右兵衛大夫(朝倉景高)は白山方面に動いたようで物見の報告が途絶えています。ですが郡上は遠藤氏の八幡城がございますので、おそらくは美濃の大野郡へ出て参る腹積もりかと」
「我らが北近江に援軍を向けた後、後ろを突く……か」
少しは考えているな。北近江が朝倉に抑えられればいつでも美濃へ進軍できるようになる。我らが慌てて援軍に駆けつけた後に大野郡に攻めかかるべく進軍しているのだろう。空き家になった大野郡を奪取するつもりか。そして小谷城を落とした後は浅井と息を合わせて西美濃を侵食するつもりだな。
山越えを選択したとなると、右兵衛大夫の軍勢が美濃に入るにはあと最低でも三日は掛かるはず。
「兵数は?」
「浅井備前守は五千、朝倉右兵衛大夫は三千を動員したと聞きます」
「よし。陣触れを出せ。北近江に援軍に向かう」
「よろしいのですか?」
「朝倉右兵衛大夫はともかく、浅井備前守は我らが援軍に向かわねば不審に思おう。北近江は美濃にとっても取られたくない場所だ。少しは騙されてやらねばならん」
「実際には軍勢は美濃に留めるのですな」
「うむ。北近江へ向かうのは旗だけだ。主力は鷺山館で時を待つ」
「承知いたしました」
「念の為、大御堂城の竹中遠江守(竹中重元)には備えを厚くさせよ。大御堂城が無事ならば奪回も容易だ」
「ハッ!」
全て予定通りか。
しかし、六角殿から報せを受けた時は驚いたな。まさか商人が使者として訪ねて来るとは思わなんだ。おかげで誰に悟られることもなく繋ぎを付けることが出来た。
この戦が落ち着いたら儂も領内の商人の掌握を進めるか。御屋形様の動きを警戒する意味でもな。
・天文三年(1534年) 七月二十四日 近江国高島郡清水山城 朽木稙綱
「殿!朝倉軍三千が田屋城を抜いたと報せがありました!間もなくこちらに攻めて参りましょう」
「よし、こちらも討って出る。朝倉軍を迎え討つのだ」
「よろしいのですか?霜台様からは朽木谷に退いて後詰を待つようにとお下知が参っておりましたが……」
野尻六郎が心配そうな顔で見つめて来る。
六郎め。もちっと俺を信用せぬか。お主の主君は六角ではないぞ。
「……ひと当てしたら退く。負けて逃げ出したと思わせた方がより深くこちらに食いついて来るだろう」
「なるほど!さすがは殿でございます!」
まあ、まともにやり合えばこちらも損害が大きくなる。霜台が後詰をしたいというのならば後詰をさせてやっても良いか。
六郎が慌ただしく出て行くと、待つほども無く城内に法螺貝の音が鳴り渡る。
こちらは二千、朝倉は三千。朽木を討ちに来たわけではないな。小谷を攻める布石か。
……朽木は後でどうとでもなるというわけか。
馬鹿にしおって!朽木の武威は朝倉に劣るものではない!朝倉勢三千如き、武田や六角の援軍など無くとも撃退できぬ朽木ではないわ!
やはりここは霜台めに朽木の武威をしっかりと見せつけておくのも良いかもしれん。何から何まで霜台の世話になるというのも業腹だ。
よし、気が変わった。朝倉九郎左衛門(朝倉景紀)はこの俺が討ち取ってやろう。
「殿!出陣の用意が整いました!」
「六郎!やはりここは本気で討って出るぞ!」
「……は?」
何を呆けた顔をしておる。貴様の主君は俺だぞ!
天文三年(1534年) 七月二十四日 近江国浅井郡小谷城 浅見貞則
遠くで法螺貝と太鼓の音が聞こえる。どうやら浅井備前守が動き出したか。
「始まったか」
本陣でポツリと京極様の声が響く。常ならば万に届こうかという軍勢がたむろする小谷城も今は静かに鎮まり返っている。
無理もない。小谷城を守る兵はたったの五百。対して浅井は五千の兵を率いて来ているという。まともにやり合えばもって五日というところだ。
儂も具足を着こむのは久しぶりだ。具足とはこれほど動きにくい物であったかな。
「ご心配召されるな。我らは今日一日耐えれば勝ちまする」
儂と共に本陣に侍る平井加賀守殿(平井高好)が穏やかにほほ笑む。
「それに、我ら平井弓隊もこの八年間遊んでいたわけではござらん」
「頼もしいな。加賀守」
「この小谷城が一番手薄になり申す。それゆえ御屋形様は我が平井隊を配されました。往時には及びませぬが、凡百の弓取とは放つ矢が違いましょう」
そうだ。御屋形様は朝倉が動くことを見越しておられた。その上で平井殿に小谷城の守備を任されたのだ。平井隊は二百とは言え、弓の上手を揃えた精鋭部隊。今日一日耐えきることは難しくあるまい。
思えば平井殿も辛い日々を過ごされた。
箕浦河原の合戦では御父上を亡くされ、自身も半身に深手を負って自ら矢を放つことは出来なくなった。しかし、同じく深手を負った弓の上手達を御屋形様は弓の教練役として残して下された。
今の平井隊は平井殿直々に弓の訓練を施した門人達だ。平井殿の言う通り、凡百の弓取とは放つ矢の威力が違う。
「しかし、虎口を守る兵は本当に百で良かったのか?」
「大原様は小谷城の虎口に工夫を施され、大人数が一気に攻め込むことを難しくされました。虎口の上には弓隊二百が待ち構え、小勢となった敵兵を上から射ぬきます。ここに三千も籠れば例え万の兵であっても容易には落とせぬ堅城にござる」
そうだ。大原殿はこのことあるを期して小谷城の普請を行って来られた。今の小谷城は浅井備前守が築いた城とは全くの別物と言っていい。
「そして、敵は今日一日で攻め落とさねば勝てぬということを知り申さぬ。そのことを知らぬ敵は虎口の堅牢さを見て一旦様子を見るでしょう。虎口を避けて攻める方法を探そうとするはず。
その一日の手間取りが浅井の命取りとなります。御心配は無用にござる」
儂と京極様が頷くと、おもむろに平井殿が立ち上がった。
「では、某も戦の指揮を取りに参ります。後程またお会いしましょう」
そういえば城内からも太鼓が鳴り始めたな。いよいよ敵が虎口に近寄って来たか。
平井殿が右足を引きずりながら本陣を後にする。見ていて痛々しいが、気づかうのは失礼というものだろう。
野戦の折りには陣頭で指揮を取るべく輿の用意もしておる。この戦で負けるなど露ほども思っておらぬのだな。頼もしいことだ。
しかし、やはり儂は戦はもうこりごりじゃ。願わくばこれが最後にしたいものだな。
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