江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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第二次桶狭間の戦い(4) 本陣決戦

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 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 桶狭間  大久保忠俊


「せい!」
「ぐほっ」

 槍先が首筋を捉えた。手ごたえ有りだ。
 敵将が目を剥いて血を吐きながら馬から落ちる。尾張軍の一番組組頭というからどれほどの猛者かと思えば、他愛もない。

「敵将、神戸具氏。大久保新八郎(大久保忠俊)が討ち取ったぞ!」

 ”おおー!”

 味方から歓声が上がる。

 ……ほう。普通は部隊の将が討たれれば雑兵などは算を乱して敗走するものだが、六角の兵は将が討たれても大将を守らんと陣形を維持している。簡単なように見えてなかなか出来ることではない。
 さすがは天下最強と謳われる六角軍というところか。
 だが、無駄だ。儂を止められる者が居ない限り六角兵がいかに陣を維持しようともズルズルと後退することしかできぬ。

 左衛門次郎(大久保忠次)は……どうやら右翼で敵に捕まっているようだな。左衛門次郎を足止めするとは、良き敵に出会えたと見える。
 だが、不味いな。あの位置では殿の進路の邪魔をしてしまう。儂も右翼に加わって敵を北に追いやるか。

 ……いや、平右衛門(大久保忠員)が援護に向かったな。二人がかりならば問題あるまい。
 よし、ならば儂は事のついでに御曹司(六角義賢)の首を武功としてやろう。御曹司の本陣はこの先だ。儂が御曹司に噛みつけば、殿の進む道も幾分か駆けやすくなるだろう。

「騎馬集まれ! 御曹司の本陣に突撃を……」

 む!
 南から鬨の声! あれは……対い鶴の旗印!
 面白い!

「全軍向きを変えろ!南からの敵勢に当たるぞ!」

 蒲生左兵衛大夫定秀。かの朝倉宗滴を討ち取り、今藤太と称される六角最強の武人。だが、箕浦河原にはこの大久保新八郎は居なかったぞ。

 ふむ。進軍が早い。御曹司の危急を見て騎馬のみで駆け付けたか。乱戦を収めて陣形を組みなおしている暇はなさそうだ。

 ならば!

「騎馬集まれ! こちらからも蒲生勢に突撃をかける! 徒歩の者はそのまま前進して御曹司の本陣に攻めかかれ!」

 号令と共に馬腹を蹴って駆けだす。敵は充分に駆けて勢いが乗っている。防御陣形を取れぬならば、こちらからも駆けて勢いを倍加させてくれる。ぶち当たった時にどちらが吹き飛ぶか、力比べと参ろう。

 儂の後方には騎馬がおよそ百騎ほどか。対して蒲生は二千騎程を従えている。さすが六角家の兵は数が多いな。はな。

 岡崎城番として、尾張国境の抑えとして、我ら大久保一統には遠江への参陣は許されなかった。殿のお叱りを覚悟で何度馳せ参じようかと思案したか分からん。家中の者が次々と武功を挙げていく様を三河の片隅から指を咥えて見ているのは辛かったぞ。
 だが、待ち続けた甲斐があった。このような武功の機会に巡り合えた幸運に感謝しよう。


 敵の騎馬軍団が見る見る近づく。およそ二町(200メートル)。

「ぶつかるぞ! 押し負けるな!」

 ”おおー!”

 士気は充分。敵方も声を張り上げて勢いをつけて来る。

 ドゴッという鈍い音と共に先頭の数騎がぶつかる。敵味方が馬から跳ね飛ばされ、数人が宙に舞う。人がまるで塵芥のようだ。弾け飛ぶという言葉がぴったりだな。

「がぁぁぁぁぁ!」

 力任せに槍を振り回せば、二・三人の敵が槍を受けて吹き飛ばされる。これだけの数が密集していれば振り回すだけで敵を打ち落とせるわ。

「出てこい!今藤太ぁ! この大久保新八郎が相手になってやる!」

 さらに三人振り落とす。
 こちらも落とされた者が徒歩となって乱戦に入った。南からの進撃は止めた。後は蒲生さえ討ち取れば……。

 む!
 儂の首を目がけて槍の柄が飛んで来た。何とか受け止めたが……。重い。そして鋭い。先ほどの神戸なにがしの槍とは比較にならぬ。

「お主が先陣の将だな」
「いかにも! お主が蒲生か!」
「六角家臣、蒲生左兵衛大夫定秀! 望み通り相手になってやろう!」

 ふふふふ。ははははは。
 六角最強という触れ込みは伊達ではないようだな。一合槍を交わしただけで実力の程が窺い知れる。

「徳川家臣、大久保新八郎忠俊。参る!」



 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 二村山  徳川清康


 新八郎は南から出て来た軍勢と噛み合ったか。これで南から中央に救援に向かうことは難しくなるはず。
 敵の右翼は……平右衛門が後詰に入ったことで北に押し上げられている。
 よし、中央がポッカリと空いたな。本来正面を埋めるべき御曹司の軍は既に新八郎が追い散らした。六角本陣への道を邪魔する者はいない。

 二村山の麓では儂の馬廻三千が突撃の態勢を整えて今か今かと合図を待っている。
 ……だが、まだ遠い。今少し六角本陣が前に出て来なければ――

 ん?

「孫十郎(榊原長政)。六角の本陣が前に出て来たか?」
「いえ……確かに動きがあるようには見えますが、こちらに近づいたようには……」

 儂の思い過ごしか?

「……いや、確かに前に出てきている。先ほどは遠く感じたが、今はまるで手を伸ばせば届きそうなほどに感じるぞ」

 クックック。近江宰相め。とうとう儂の間合いに入って来たか。小倅(六角義賢)の危機に辛抱たまらなくなったと見える。
 だが、その甘さが命取りよ!

「孫十郎、大太鼓を鳴らせ」
「ハッ!」

 戦場全体に響くような大音響がこだまする。独特の調子で鳴る太鼓は、儂の本陣が突撃する合図だ。馬廻衆が太鼓の音に合わせてゆっくりと進み始め、やがて騎馬が動き出すと徒歩兵も含めて疾走に入る。
 突撃開始だ。

「続け孫十郎! 近江宰相の首を獲りに行くぞ!」
「ハハッ!」

 馬腹を蹴って二村山を駆け下りると、走り始めた馬廻の中を追い越して先頭付近に到達した。

 騎馬が先行し始め、徒歩の者との差が徐々に開き始める。

「殿! 徒歩の者が遅れ始めています!」
「分かっている! 騎馬だけで先行する! 今は速さこそが勝負の分かれ目だ!」

 そこかしこで乱戦を展開する雑兵どもを尻目に真っすぐに鳴海城を目指す。あと十町……。
 新八郎の軍を追い抜き、そのまま扇川へと馬を乗りいれた。

 御曹司の陣から慌てふためいて兵が出て来る。だが遅い。もはや六角本陣は目の前だ。
 視界一杯に隅立て四ツ目の紋をあしらった陣幕が広がる。この薄布を切り裂けばそこに目指す首がある。

 儂の勝ちだ!

「行け―!」

 先頭の騎馬が陣幕に触れる――。

 なに! 突然轟音が辺りに響いた。

 何だこの音は!何かが破裂したような音だ!それに焦げ臭い匂いがする。
 くそっ!今まで疾走していた馬が突然の音に驚いて棹立ちになった。六角の本陣まであと薄布一枚だというのに!

「鎮まれ! 鎮まれ!」

 あちこちでさらに破裂音が連続して響く。一体この音は何の音だ?
 周囲を見回すと同じように棹立ちになった馬のいななききがあちこちで響く。だが誰も攻撃を受けた気配はないな。
 ただ音で威嚇するだけか。六角め、小癪な真似を!

「所詮音だけだ!攻撃ではない!構わず進め!」

 何とか自分の馬を鎮め、再び馬首を前に向ける。だが怯えてしまっているな。こちらの足を脅かそうという魂胆か。

「馬が言うことを聞かねば馬を降りて進め! 六角本陣はすぐそこだ!」

 先頭に立って駆け出した者が陣幕を切り裂いて本陣の中へ突入した。
 相変わらず妙な破裂音が続いている。だが無駄なあがきだ。所詮音だけのこけおどしだということは分かっているぞ!

「六角定頼! グズグズしておるから儂自ら会いに来てやったぞ!」

 ……む!
 六角本陣の兵が逃げ散っている? 総大将を守ろうともせずに?
 いや、逃げ散っているのではない。定頼も共に善照寺砦に逃げ込もうとしているのか!
 逃がすか!

 遠くで”放てー!”という声と共に再び破裂音が響く。その手はもう飽きたわ!

 …………

 なに! 突然目の前の兵が吹き飛んだ!?
 一体何が起こっている。近くに敵など居なかったはずだ!

 再び”放てー!”という声が響く。何かが飛んできているのか!?

「殿!上です!」

 孫十郎の声に反応して上を見ると夥しい矢が降り注いでいた。六角お得意の弓隊か!

 ぐっ! 左肩に一本、右足に一本。
 正体不明の破裂音に気を取られて対応が遅れた。おのれ、おのれぇぇぇぇ。


 ”放てー!”



 ・天文九年(1540年) 十月  尾張国愛知郡 善照寺砦  六角定頼


 ”放てー!”

 滝川一益の号令が響き、再び十挺の鉄砲が火を噴く。と同時に、別の者が爆竹に火を付けて辺りにまき散らす。ウチの保有する鉄砲は十挺でも火薬は既に量産が始まっている。矢竹に火薬を詰めて導火線に結んだだけの簡単な爆竹だが、どちらも初めて聞く音のはずだ。爆竹の破裂音と鉄砲の発射音を聞き分けることが徳川に出来るかな?
 次の破裂音は音だけか、それとも実弾が飛んでくるのか、あるいは上から矢が降って来るのか……。

 清康。お前にとっては鉄砲も初見ならば火薬も想定外だろう。だがお前に対して卑怯だなどという気持ちは一切起きないな。

 お前は俺を怒らせた。そのツケは払ってもらおう。

「御屋形様。大事有りませぬか」
「大丈夫だ。新助(進藤貞治)もご苦労だった」
「いえ、それよりも予想通り三河守(徳川清康)は本陣へ来ましたな」
「……ああ」

 清康。お前には天才的な戦の勘がある。お前がどのように戦を運ぶかは正直未知数だった。おかげでこっちも随分と将兵を喪ってしまった。
 だが、本陣ココへは必ずおまえ自身が来ると確信していた。俺の張った罠の本命は囮の本陣だ。

 今まで本陣を動かしていたのは進藤貞治だ。俺はこの善照寺砦を一歩たりとも動いちゃいない。そして砦の内外では滝川一益の指揮する鉄砲兵と平井定武の指揮する弓隊一千が手ぐすね引いて待ち構えていたのさ。

「しかし、新助の指揮ぶりは見事だったな。本陣を百歩前に出した時は正直焦ったぞ」
「ははは。万一の時は某が討ち死にするだけにござる。遠目に見る徳川本陣がどうも動く気配が少なかったので前に出ました。わずか百歩ですが、三河守ならばその動きを見定めてこちらに突進して来るだろうと思いましてな」
「よくぞやってくれた。だが討ち死になど勘弁してくれ。俺にはまだ新助が必要だ」
「ハッ! 肝に銘じまする」

 五度目の矢の雨を受けた時、突撃してきた徳川本陣の足が止まった。
 爆竹の破裂音で馬は冷静さを失い、徒歩になった兵は矢の雨と鉄砲の銃撃で身動きが取れずに固まって身を守るのみだ。
 人は目指す物が目の前にある時は夢中でそれを追いかけることが出来るが、どこから攻撃が来るか分からない恐怖に直面すれば足が止まる。今や徳川本陣の士気は下がり切ったはずだ。

「合図の旗を振れ! 鳴海城の但馬守(後藤定兼)の軍勢を押し出して徳川の首を獲れ!」
「ハッ!」

 善照寺砦の物見櫓から大きな白旗が振られる。それを受けて鳴海城の方向から鬨の声が響き、後藤定兼の軍勢一千が動き出したのが見えた。
 たったの一千だが、士気の挫けた今の徳川本陣に後藤隊を支えることなど出来まい。

 ”退け! 退けぇぇぇ!”

 おっと、さすが決断も早いな。支えきれないと見て撤退の指示を出したか。
 だが、逃がさん。

「追撃だ! 徳川が逃げるぞ! 追撃して徳川清康の首を討ち取れ!」

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