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乱世の興亡
しおりを挟む・天文九年(1540年) 十一月 三河国額田郡 岡崎城 六角定頼
「郷村は予想以上に厳しい状況ですな」
浅見貞則が眉間に皺を寄せて重々しく発言する。
戻って来た浅見貞則の視察結果を踏まえて今後の三河の生活改善策を話し合うため、岡崎城の広間で簡易的な評定を開いた。その席上でのことだ。
評定の参加者は俺と義賢、浅見貞則、池田高雄、進藤貞治、伴庄衛門、それと尾張から織田信康、織田信広、大橋重長も呼び寄せた。今後の三河の経営は尾張と切り離して考える訳にはいかない。尾張の内政で重要な役割を果たしている織田弾正忠家と尾張の流通政策を司る大橋重長も一枚噛ませた方がいいという判断だ。
「やはり三河の収穫は厳しいか」
「はい。村々を出来るだけ見て回りましたが、民の蓄えは少なく耕地も豊富とは言えません。
これは御屋形様に申し上げるのは憚られることですが、近江では隠し田や隠し畑を持っている郷村は少なくありません。これはいざと言う時を乗り切るための民の知恵というものですが、三河の郷村にはそういった隠し田も少のうございました」
「耕す土地が足りないということか?」
「いえ、連年の戦で働き手を取られた郷村が耕作を放棄せざるを得なくなったと言うのが実態でしょう。恐らくかつては隠し田であったと見られる荒れ地が散見されました」
そうか……。
本当に三河はギリギリだったんだな。耕作よりも戦に働き手を取られるということは、言い換えれば戦に出る方がまだ食える可能性が高かったということだろう。
当面は三河に対して食糧援助を行うことは織り込み済みだったが、働き手を農村に戻せばたちまち食糧事情が改善するというものでもなさそうか。
耕作放棄地を再び開発するには時間も掛かるしなぁ……。
何か早急に打てる手はない物か。
「米を作ることが難しければ、例えば馬借宿としての発展を期されてはいかがです?」
伴庄衛門が気楽な調子で発言する。
「馬借宿か……。だが、西から来た荷を運ぶにしても遠江には未だ徳川の勢力が残っている。それらを無視するわけにもいかんが」
「浜名湖周辺までならば六角様の威令も届くのではありませんか?」
「浜名湖まで行けば何かあるのか?」
「それは手前からお話致します」
庄衛門から話を引き取る形で大橋重長が言葉を繋ぐ。
どうやら庄衛門と重長の間で何らかの腹案をまとめて来ているようだな。
「実は、現在角屋殿の商船が東に向かう上で最も難儀しているのが遠州灘です。何といっても伊勢湾を出てから駿河湾に入るまでまともに停泊できる場所がありませなんだ。一方で浜名湖は五十年ほど前の地震によって海と繋がったと土地の古老から聞き及びました」
「ふむ。つまり、伊勢桑名から積み出した荷を三河湾から矢作川を経由して岡崎まで運び、そこから陸路で浜名湖まで運ぶ。浜名湖からは再び船に積み替えて東国へ行くというわけか」
「はい。その経路であれば、難所である遠州灘を越える日数は少なくできます。その分だけ荷の安全も増すでしょう」
なるほどな。
「しかし、そうなると東三河まで勢力圏に収めなければならんということになるな」
「左様です。今のように東三河が不安定では浜名湖まで道が繋がりません。六角様に従うお武家様で埋める必要がありましょう」
東三河は牧野成敏が空城となった吉田城を奪い取って徳川からの独立を宣言した。とはいえ、牧野は所詮東三河の一国人に過ぎないから、こちらが一軍を派遣すれば早々に降るか逃げ出すかするだろう。
あとは東西三河の結節点に当たる上ノ郷を安定させる必要がある。
上ノ郷城は鵜殿長持が領有していたが、清康の遠江侵攻の前哨戦において徹底抗戦して討ち死にしている。今は分家の鵜殿玄長が領有していたが、玄長は今回六角に臣従を誓った。そういう意味では、庄衛門の言う通り東三河を六角の勢力圏とするのはそう難しい話ではない。
上ノ郷城と吉田城を確保すれば浜名湖まで商圏を繋げることが可能になる。上ノ郷周辺は鵜殿氏の勢力が強い場所でもあるから、無理に召し上げると軋轢を生むか……。
出来れば直轄領としたいところだが、やむを得んな。西三河の大領地を解体したことで動揺は出ている。この上東三河にまで動揺を広げると三河が再び背く可能性もある。性急は禁物だ。
「ふむ。確かに浜名湖まで陸路を繋げれば、東国との交易は容易になるな」
「手前どもの抱えている織物工も何人か岡崎へ参らせます。三河を帆布の生産拠点とされれば、東国からの船も浜名湖を通る道を使いやすくなりましょう」
「そして岡崎、上ノ郷、吉田を物資の集積拠点とする……か。確かに、それならば食い詰めた三河の民も手っ取り早く働き口を得ることが出来るな」
「耕地の開発はもちろん必要でしょうが、それとは別にそういった発展の仕方もあるかと」
流石は庄衛門だな。俺を始め武士たちはどうやって三河の物産と穀物生産を増やすかしか考えていなかったが、物流拠点として発展させれば手っ取り早く銭を稼ぐことが出来る。
東国との交易路として三河が発展すれば、京・近江・尾張から自然とカネも人も流れていくだろうしな。三河の国人衆にも戦以外で豊かになる方法を見せることが出来る。
しばらく一座に沈黙が流れる。全員の目線が義賢に向くが、当の義賢は絵図面と睨み合いの真っ最中だ。恐らく庄衛門と重長の献策を噛んで含んで考えているんだろう。
「良いお考えに思いますが」
織田信広が不意に発言する。大人達が義賢に考えさせようとじっと黙っている空気に耐えられなくなったか。まあ、信広もまだ元服したてだから仕方ないな。
「父上、申し訳ありませんがしばし軍勢をお借りできませんか?」
「浜名湖まで制圧するか?」
「はい。両名の献策は良き案に思います。ですが、吉田城を確保して宇津山城まで攻略しなければこの案は絵に描いた餅のようなもの。尾張軍は今回の戦で損害多く、復旧には時間が掛かります」
場の全員がニヤリと笑う。必要な物は俺から借りてでも用意するという考えは悪くない。要は成果を上げられるかどうかだ。
「いいだろう。引き続き蒲生の南軍を一年間預ける。その間に三河の支配体制を整えろ」
「ありがとうございます」
「浅見は配下の代官を岡崎に派遣してくれ。三河は元々綿花を作っている場所だ。帆布の材料になる綿花の生産高を上げる工夫を郷村に伝えて行って欲しい」
「承知しました」
「あと、近江の隠し田の件は俺に報告しろ。年貢逃れは許さん」
「ハッ……」
民の知恵も良いが脱税を容認するわけにはいかん。その代わりいざと言う時の食糧備蓄制度は六角家の社会保障として整備しよう。
・天文九年(1540年) 十二月 尾張国春日井郡 品野城 六角定頼
当面の三河の統治方針も固まったことで、後のことを義賢らに任せて近江への帰路に就いた。その途中、品野城に寄って斎藤利政と会うことにした。
援軍を出してもらった礼も言わなければならんし、他にも色々と直接打ち合わせたいこともある。
品野城では利政の他に明智光綱、光安の兄弟も出迎えてくれた。
「此度の戦勝、おめでとうございまする」
「山城殿(斎藤利政)が援軍を出してくれたおかげだ。感謝するぞ」
対面で鎧下地姿の斎藤利政がニコリと笑う。
美濃は美濃で未だ国内が完全に平定されたわけじゃないからな。飛騨国境の東常慶や信濃国境付近の遠山七頭などはまだ独自の勢力を保って斎藤家の支配に抵抗している。
今も利政本人は東常慶との戦の最中だが、戦陣を抜け出して俺に会いに来てくれた。
「我らが駆け付けた時には既に大勢は決しておりました。何ほどの役に立てたとも思いませぬが」
「いや、兵庫殿(明智光綱)。美濃勢が北から迫っているというのも徳川が決戦を急いだ要因であろうし、そこもとらが居てくれたから徳川の動き方も制限された。大いに役立ってくれたと思うぞ」
「そう仰っていただければ……」
ゆったりとした所作で光綱が頭を下げる。
主君利政の前で面目を保てたことを喜んでくれれば良いけどな。
「時に山城殿。美濃の情勢はどうだ?」
「鷲見の要請に応じて東左近(東常慶)と戦っておりますが、何分山深い郡上郡のことで難儀しております。東一族は郡上各地に根を張っておりますから、すぐさま決着がつくものでもないと覚悟はしておりますが」
「そうか。そんな時にこちらに援軍を回してもらって申し訳なかったな」
「はっはっは。何分形ばかりにて逆にこちらが申し訳ないくらいですが、ともあれ何程かの役に立ったのならば幸いです」
二人で笑いながら白湯を口に運ぶ。
斎藤家とは今後も良好な関係を維持していかないといけない。その件もあって今回会談を申し入れたわけだが……。
「ところで、徳川の遺児が浜松を落ち延びたと聞きましたが」
「うむ。井伊に援軍を頼んでいたようだが、三河守(徳川清康)が死んだと聞いて信濃守(井伊直平)が逆に浜松城を奪い取ったそうだ。北へ落ち延びたらしいが、詳しくは分からん」
「なるほど……では、我らが信濃への道を開いた方がよさそうですな」
さすが斎藤道三。俺がわざわざ戦陣から呼び出してまで話したかった用件をすぐに察してくれたか。
石川清兼の要請に応じて井伊直平は息子の直宗を援軍として浜松城に向かわせていたが、岡崎崩れの報せを受け取ると直宗の援軍はそのまま浜松城を奪取した。
さすがは乱世だよ。隙を見せれば一瞬で手の平を返される。その後、直平は今川氏親の侵攻で領地を失っていた吉良義堯を神輿として担ぎあげ、浜松城主として迎え入れた。実態は傀儡に過ぎないが、これによって六角でも今川でもない新興勢力として井伊家が遠江の主役に躍り出た格好だ。
一方で浜松城を追われた徳川広忠は北へ落ちて行ったらしい。らしいというのは広忠の行方を誰も知らないからだ。討ち取っていれば井伊直平が大々的に喧伝するだろうし、海側に逃れれば商人や旅人の目に留まらないはずはない。
残る可能性は北へ向かって行ったことぐらいだから、北へ落ちて行ったと推測されるというだけだ。
仮に北へ行っていたとしたら、頼る先は武田か、あるいは高遠か……。
諏訪頼重は武田信虎の娘を娶って武田家と同盟を結んでいたが、信虎を追放した晴信とは関係が悪化している。一方で諏訪一族である高遠頼継は諏訪宗家とは対立して徳川清康・武田晴信と連携しようとしていたと聞く。
まあ、要するに南信濃は諏訪氏の内紛でドロドロの伏魔殿になっている状態だから、そこに広忠が逃げ込んだとすれば見つけるのは容易じゃない。
いずれにせよ、信濃侵攻は今の六角家には手に余る案件になる。畿内は安定しているとはいえ、遠江情勢がどうなるか分からん以上義賢を信濃に向かわせるわけにはいかん。下手をすれば遠江と事を構えることにもなるからな。
だから、斎藤家に信濃を抑えてもらえれば有難いというわけだ。
「すぐさま掛かってくれという訳にはいかんだろうが、そういう含みもあると考えてくれれば有難い」
「承知しました。東左近との戦いが決着すれば、信濃へと取り掛かりましょう」
「頼む」
頭のいい相手と話すのはラクだよな。多くを語らなくても通じる。
明確に徳川広忠が逃げ込んでいると発覚すれば別だが、今の俺の立場で信濃に口出しする訳にはいかない。乱世であっても大義名分は必要だ。
だが、斎藤家が東美濃を平定する延長線上で信濃を攻めるのならば問題は少ない。国境紛争からの侵攻ならば強引ではあるが大義名分も作れる。そこに六角家が支援をするという立場ならば何の問題も無い。斎藤家は六角家の大事な同盟相手だからな。
後は、その同盟をより強固な物にするのがもう一つの用件だ。
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