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第三次六角征伐(4) 大和攻防戦
しおりを挟む・天文十一年(1542年) 三月 大和国添上郡 眉間寺山 海北綱親
眼下に見える興福寺では僧兵たちが抱える薙刀が陽光を反射してキラキラと煌めいている。その美しさとは裏腹に、境内には物々しい雰囲気が満ちている。
興福寺は十年前の一向一揆によって伽藍を悉く破壊されたと聞くが、壁にも破れた箇所があるし境内には今でも破壊されたままになっている建物がいくつか目に付く。急造の備えを施してはいるが、ここに籠城したとしてもそれほど長く持ちこたえることは出来まいな。
興福寺の奥に見える大和平野にはいくつもの旗がせわしなく動いている。
どうやら筒井や十市らが興福寺に援軍を寄越しているようだな。敵も我ら北軍の進軍に慌てている様子だ。
「善右衛門(海北綱親)! 柳生殿が参られたぞ!」
崖の上から大和平野を眺めていると、孫三郎(赤尾清綱)の声が響いた。
振り返ると壮年の武士が具足姿で一礼を寄越して来た。
「おお、美作守殿(柳生家厳)。此度はご苦労なことでありましたな」
「いえ。こんなにも早くに御屋形様より援軍を賜れたこと、心より有難く思っております」
柳生殿は大和国人の中でも筒井らに同調せずに六角家に従うとの立場を当初から表明されていた。その為に大和国内では苦しい立場に立たされていたと聞く。
もっとも、倅の新左衛門(柳生宗厳)は御屋形様の近習として取り立てられ、今は織田吉法師殿の護衛役として京に在勤している。仮に柳生庄が筒井に攻め落とされたとしても、必ずや六角の手で再興してもらえるという期待もあったのだろうがな。
「早速ではあるが、我らは御屋形様よりいち早く筒井らの軍勢を撃退せよとの厳命を受けて参った。大和国内の動向について、改めて詳細に教えてもらえまいか」
「承知いたした」
十日の内には御屋形様も大和国に入られる。その前に一戦して筒井らをへこませておかなければならん。
速戦を得意とする我ら北軍の真価を今こそ見せる時だ。
・天文十一年(1542年) 三月 大和国添上郡 赤尾清綱
……よし。
「今だ! 掛かれ!」
儂の合図と共に一番組長柄隊五百の兵が筒井勢に突撃する。既に側面から突入した騎馬百騎によって筒井方の備えは動揺している。
長柄同士は未だ矢戦の間合いだが、我が北軍一番組の長柄隊は五町の距離を一息で詰められる突進力がある。これほどの速さで兵を走らせながらも槍先を正確に揃えるなどという芸当が出来るのは、六角軍広しと言えども我ら北軍一番組のみだ。
善右衛門がひたすら『走り』にこだわって兵を鍛え続けた成果だな。槍衾の壁がそのまま突撃して来る圧迫感は、敵方にすれば相当なものだろう。
大きく旗を振ると、先に突入していた騎馬隊が素早く引き上げにかかる。通常の軍勢ならば、矢戦の後に槍合わせに移り、乱戦となったところで騎馬が敵勢を刈り取ってゆくものだ。だが、我ら北軍は騎馬で態勢を崩した後に長柄隊で敵を蹂躙する。今まで筒井が経験して来なかった戦い方のはず。
果たして我らの進退について来れるか?
長柄隊の先頭が敵の長柄とぶつかった。
瞬間、前線から血しぶきが上がり、振り上げられた槍先が赤く染まっているのが見える。
筒井の兵が堪らず後退した。
こちらの兵は……よし!ほとんど隊列を乱していない。我らの進撃の速さに面食らったようだな。
「追撃の太鼓を鳴らせ! 敵は崩れた! 一気に攻め切るぞ!」
「オオ!」
周囲の士気が一気に上がり、次々に騎馬隊が前線へと突撃を開始した。
こうなれば逃げる敵の背を討つだけだ。
「儂も出るぞ! 騎馬百騎ついてこい!」
馬腹を蹴った儂の後ろから騎馬隊が突撃を開始する。
馬術に優れた者が十名ほど儂の前に出て来る。よい形勢だ。
敵陣が見る見る近づく。
陣の中央で何やら喚いている兜首が見えるな。どうやらあれが大将か。
「露払いをせよ!」
「ハッ!」
儂の動きに気付いた敵の馬廻が突撃を遮ろうと立ちはだかるが、先行した十騎と槍を合わせて動きが止まる。もはや儂の前を遮る者はおらぬな。
槍を握り直し、一息に敵将の胸を目がけて突き出した。直前で気付いた敵将が慌てて槍を構えるがもう遅い。槍を振り上げようとした腕の隙間を縫って儂の槍が胸に深く突き刺さる。
勝負あった。
「敵将! 赤尾孫三郎が討ち取ったぞ!」
勝ち名乗りを上げると、今度こそ敵勢が総崩れとなる。
呆気ないものだったな。これで興福寺に向かう筒井の援軍は壊滅した。援軍の無くなった興福寺は程なく降伏して来るだろう。
それに我らが北に在ることで筒井城も北への備えを厚くせざるを得ない。これで多少は大和軍も動きやすくなるだろう。
どうやら最低限の役目は果たせたか。
・天文十一年(1542年) 閏三月 大和国添上郡 眉間寺山 六角定頼
「お待ち申し上げておりました!」
「うむ。ご苦労だった」
海北綱親を筆頭に北軍の組頭たちが膝を着く。脇には柳生家厳の姿もある。
興福寺は門を閉ざして抵抗を続けていたが、北軍が筒井の援軍を撃破したことで援軍のアテが無くなり、早々に門を開いた。
だが……。
「大和軍一番組頭の磯野平八郎(磯野員昌)が到着致しました!」
「よし!ここへ参らせよ。状況を聞き取る」
程なくして磯野員昌が本陣へと案内されてくる。
体中に手傷を負い、腕に包帯を巻いた姿は見るのも痛々しい。
「平八郎。大事ないか」
「はい。申し訳もございません。御屋形様からお預かりした信貴山城を守り抜くことができませなんだ」
「良い。勝敗は武家の常だ。それよりも、お主らが生きて戻ったことの方が俺にとっては大切だ」
員昌の顔に涙が浮かぶ。
父を喪い、大和軍も過半が討ち取られたと聞く。余程に苦しい戦いだったのだろう。
「大和軍はどの程度生き残っている?」
「父を含め、組頭の主だった者も多くは討死致しました。大和軍五千の内、敵の包囲を抜けて無事にこちらにたどり着けたのは二千に満たぬ数でございます」
「そうか……。突然城内から火の手が上がったと聞いたが」
「ハッ。恐らく兵糧を運び込ませた人足に敵方の間者が混じっていた物と思われます。遊佐軍が信貴山城を包囲するのと時を同じくして搦手門から火の手が上がり、同時に遊佐勢が夜陰に紛れて攻め寄せて参りました。
これ以上城を守ることは敵わぬと断じた父……いえ、軍奉行によって撤退の命令が下されましたが、富雄川で待ち構えていた筒井勢と背後の遊佐勢に包囲されて我らの軍勢も散り散りとなり、某は周囲の僅かな手勢と共にこちらへ逃げ延びた次第にございます」
苦しい戦いだったのだろう。
創設間もない大和軍は事実上磯野員昌と数名の部隊長を残して全滅した。大和北郡の鎮圧には成功したが、大和南郡は完全に遊佐に奪われたか。
「ご苦労だったな。下がって休むが良い」
「ありがとうございます」
退出する磯野員昌を見送る視線はいずれも気遣わしげなものだ。
六角軍では敗戦の責を問うことはしない。明らかに軍令違反を犯して負けたのならばともかく、武運拙く負けた者にいちいち責任を問うていては思い切った戦術が取れなくなる。
俺が大和入りして早々、信貴山城が落ちたと早馬が来た。
高屋城に集結した遊佐軍が攻め寄せてすぐのことだ。まさか磯野員宗が鎧袖一触で遊佐に敗れるとは思いも寄らなかった。
城内に手引きした者が居たと言ったな。
いかに籠城用の兵糧を確保するためとはいえ、臨時雇いの人足を動員したのがマズかったか。考えてみればここらの人足には遊佐や筒井の息のかかっている者も多いはずだ。郡山城の代官衆を保護させようとしたことが裏目に出たか……。
それにしても、大和軍が壊滅したのは痛いな。
大和南郡を奪われたことで、筒井らを早々に降すことは出来なくなった。いずれは折りを見て遊佐・筒井連合軍と俺の本陣・北軍で決戦をせねばならないだろう。下手をすればせっかく降った興福寺が再び反旗を翻す事態にもなりかねん。
なにより、これで北軍は引き続き大和戦線に掛かり切りになる。河内平野へと進軍する南軍の後詰は出来なくなったな。
蒲生定秀にはあまり突出しすぎるなと伝令を送っておこう。
・天文十一年(1542年) 閏三月 美濃国厚見郡 稲葉山城 斎藤利政
「……どうやら、遊佐も中々に軍略を練っておったようですな」
「うむ」
面前で遠江守(竹中重元)が書状から目を上げる。
大和の六角と遊佐の攻防戦の様子を報せて来たものだ。
「だが、見方を変えれば大和北郡と南郡で敵味方が分かれたとも取れる。それに北畠はいつまでも大和で遊んでいるわけにもいくまい。遊佐・筒井・十市と六角の本軍であれば、まともにやれば六角の勝利は揺るがぬだろう」
「左様ですな。いざとなれば宰相様はまだまだ兵を大和に回すことも出来ます故」
その通りだ。
何よりも、御子息の尾張守殿(六角義賢)が未だ三河から動いておらぬ。
尾張軍は先の徳川との戦いで傷を負ったが、それでも援軍として赴けぬ程では無いはず。諸々考え合わせればいまだ軍配は六角に上がるか。
だが……。
「仮に……仮に今我らが兵を起こし、観音寺城を急襲すれば、どうなるかの?」
「それは……」
遠江守が絶句する。
そう。その場合は六角家は窮地に陥る。大和どころではない。六角家の屋台骨である近江が根底から崩壊しかねない。
ふふふ。この儂が天下の動向を握るか。忘れたと思っていた野心が思わず疼いてくるわ。
「確かに、今殿が近江に向けて兵を挙げられれば戦の行方はより混沌と致しましょう。ですが、それでも……」
「そうよな……」
そう。
それでも尾張守殿が三河に居る限り、六角軍は再び兵をまとめることが出来る。伊勢の後藤はすぐにでも陣を払って近江に駆け付けることが出来るだろうし、儂が近江に出兵している隙を突いて尾張から逆襲を食らえば、斎藤も同じく窮地に立たされることになる。六角家が摂津・大和を放棄して南山城まで前線を下げれば、畿内から近江に兵を回すことも不可能ではあるまいしな。
結果として笑うのは遊佐河内守ただ一人ということだ。
「ま、戯言よ。儂にとって公方様への忠義など大した意味は無い。美濃の安泰を図ることこそ第一。何の恩も無い遊佐の為にこの身を削る必要も無かろう」
「左様ですな」
遠江守が明らかに安堵したような顔になる。
やはり儂だけでなく、遠江守も六角の勝ちは揺るがぬと見ておるようだな。
「このことを知らせたのは、大和の状況次第では我らも六角へ援軍を送る必要が出て来ることを理解しておいてもらおうと思ってのことだ。郡上の東左近(東常慶)も間もなく降るだろう。その後は遠山との戦を予定していたが、郡上を落とした後は当面の動きは控える。そのように思っておいてくれ」
「承知いたしました」
ふふふ。
公方様からの御内書には六角を討てとあった。だが儂が動くのならば、それは六角定頼公が討たれてからで良い。それからでも北近江を占領するには充分な時があるだろう。果たしてそれを為すだけの器量が遊佐河内守にあるか。
美濃で待機させる兵が六角の援軍となるか、それとも六角攻めの先兵となるか……。
儂を口説きたいというのならば、まずはその器量の程をとくと見せてもらおうか。
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