江雲記―六角定頼に転生した舐めプ男の生涯―

藤瀬 慶久

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見性寺の変

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 ・貞吉二年(1544年) 四月  阿波国板野郡勝瑞城内 見性寺  三好虎長


 ええい、遅い!

 右京大夫(細川晴元)め。儂だけならばまだしも、中納言様(足利義維)をお待たせするとは無礼にも程があろう。
 そもそも、この会見は右京大夫が中納言様と儂に詫びを申したいということであったはず。
 今更詫びなど入れられても許せる物ではないが、讃岐守様(細川持隆)の仲立ちであればこそ、こうして会見の場に出向いたのだ。
 右京大夫はそのことを分かっておらぬのか。

「彦次郎。いや、豊前守(三好虎長)よ。そう苛立つでない」
「ハッ! しかし、某だけならばまだしも中納言様をお待たせするとは……」

 中納言様に侍るお供の方々も大きく頷く。
 逆に何故中納言様はこれほど泰然としておられるのだ。本来ならば今すぐ席を蹴立てて帰っても良いだろうに。

「なに、右京大夫とてこの場には出辛い気持ちがあるのであろう。それでも自らの意志で詫びを入れたいと申しているのだ。讃岐守の顔に免じて、今しばらく待とうではないか」
「ハッ……中納言様がそう仰せであれば……」

 中納言様が杯を口に運ぶ。儂も酒を口に含んだ。
 膳には鯛の刺身と味噌焼にしたタコ、青菜の炊き合わせが並んでいる。青菜の上には炒って砕いたクルミがかけてあり、口に含むと香ばしい香りが広がる。
 本来ならば舌鼓を打つ所だが、今日は一つも美味いと感じぬ。まったく、忌々しい限りだ。
 せめてものこと、餅などあれば良かったのだがな……。

 もう一口酒を飲んだちょうどその時、取次ぎの小僧が慌てた様子で声を掛けて来た。小僧が襖を開けると、それに続いて右京大夫が廊下に姿を現した。

「お待たして申し訳ござらん」

 一見殊勝に頭を下げている。下げている、が……一体この男は何を考えているのだ。
 散々待たせた挙句、太刀を佩いたまま会見の場に現れるとは……。

「右京大夫殿、此度はそこもとが詫びを入れんがために中納言様をお招きしたと聞く。でありながら、中納言様をお待たせするとは一体どういう了見か。しかも、太刀を持っての見参とは……」

 お供の方からまず最初に指摘される。
 当然だ。とてもこれから詫びを入れようという男の態度には見えない。

「はて、某は詫びを入れるなどと申してはおりませぬ。此度中納言様にお目見えを願ったのは、今後の阿波のことをご相談申したいと思ったからにござる」
「何!」

 思わず立ち上がった。儂だけでなく、お供の方々も同様だ。
 この男は今もって己が細川讃州家をまとめているつもりなのか。既に讃州家は讃岐守様を当主に頂き、それで何不自由なくまとまっている。
 今更ノコノコと戻って来て当主面をするなど、言語道断だ。

「詫びを入れるつもりが無いとはどういうことだ!」
「豊前守。お主に話しておるのではない」

 儂をチラリと見た後、右京大夫の視線が再び上座に向かう。手元に脇差の一つもあれば即刻斬りかかっておるところだ。
 だが、この場で刃傷沙汰などに及ぶわけにもいかん。

「よい。皆座れ」
「し、しかし……」
「座れと申しておる」

 中納言様に促されて渋々座に着く。
 勝ち誇ったような右京大夫の顔が益々カンに触るな。

「では、その方の存念を聞こう。今後の阿波をどうしようというのだ?」
「恐れながら、畿内では六角が鎮守府大将軍に任じられたのはご存知かと思います」
「聞いている。儂にも六角から使者が参った」
「ならば話は早い。かような六角の増長を見過ごすことは出来申さぬ。かくなる上は再び阿波から上洛軍を興して六角を退け、中納言様を征夷大将軍として奉じたく存じます。
 その為ならば、我ら細川一統。粉骨砕身にて兵馬の労を取る覚悟がございます」

 な……正気か?
 その六角に手も足も出ず、畿内から逃げ延びて来たのは当の右京大夫ではないか。それに、右京大夫が波多野を動かすと言っていたあの時ですら勝つ見込みは薄かったのだ。
 今更足利のご血統や管領細川京兆家の威名になびく者がいるはずもない。この男、血迷ったか。

 先ほどまでゆったりと構えておられた中納言様も今は険しい顔をしておられる。

「その儀ならば、罷りならん。これ以上六角に抗しようとするは無益というもの。儂は六角に臣下の礼を取るつもりでおる。その方は弟を説得し、阿波に無用の戦を招かぬよう心を砕くが良い」
「京へ上られるおつもりは無い……と?」
「儂が上洛する時は、鎮守府大将軍殿に拝謁する時だ。その方らの神輿として戦に駆り出されるつもりは無い」

 一転して場の空気が張り詰めた。まさか、六角に臣下の礼を取るおつもりとは。
 中納言様がご自身の去就を明言されたのは初めてだ。お供の方々にも多少の動揺が広がった。

 皆、本心では足利将軍家の再興を望む気持ちがある。若輩の越後公方にそれが為せるとは思えぬ。足利の再興を為せるのは、この世に中納言様を置いて他に居らぬと思っている。
 その中納言様が、自ら天下を望まぬと明言された。
 本当に、足利の世は終わるのだな……。

「何があってもお気持ちは変わらぬ、と?」
「無論だ」

 中納言様の言葉に右京大夫がため息を吐く。この男に讃岐守様が説き伏せられるとは思わぬが、ともあれ中納言様のお志は遠からず阿波中に広まろう。
 上洛に反対する者が多くなれば、讃岐守様も考え直して下さるやもしれん。

「では、やむを得ませんな。……者共!出会え!」

 ……!
 右京大夫の言葉に続いて広間を囲む戸が蹴破られ、奥から腹巻を着けた足軽共が姿を現した。
 この男、よもや中納言様をここで討ち果たす気か!

 くそっ! 手元にある短刀一つではこの数を相手には出来ん。太刀と脇差は玄関で預けて来ている。まさかこの痴れ者が中納言様にまで刃を向けるとは思いも寄らなんだ。
 広間は一気に騒然となった。お供の方が次々に討たれてゆく。

「いやぁー!」
「ぬん!」

 儂に斬りかかって来た足軽の手首を受け止め、足を払って転がす。
 そのまま体ごと肘を足軽の首に叩き込む。鈍い感触と共に足軽が目を剥いて息を止めた。
 足軽から太刀を奪うと、中納言様のお側へ走る。

「中納言様! お逃げ下さい!」
「彦次郎!」

 ぐっ! しまった。柱の陰に一人隠れていた。
 背に刃を受けたか。体に力が入らぬ。

「彦次郎! しっかりせよ! 彦次郎!」

 中納言様がこちらに走り寄る。
 いかん……このままでは、中納言様までもが……。

 またしても、またしても三好は、細川右京大夫の策に踊らされるのか。
 兄上、お助け下され。どうか、どうか、お助け下されぇ。

「どうやら頼りとする者を間違えたようですな。中納言様」
「右京大夫! 貴様ぁ、身も心も外道に成り下がったか!」
「我ら細川は足利将軍の臣でございます。足利の誇りを捨てたあなた様はもはや我が主君に非ず」

 右京大夫の刃が中納言様に迫る。もはやこれまでかっ。

「あ……あに…うえ……」



 ・貞吉二年(1544年) 四月  丹波国多紀郡 三好本陣  三好頼長


 ……ん?
 今、誰か儂を呼んだか?

「殿、いかが為されましたか?」

 弾正忠(松永久秀)の声に我に返ると、床几に座る面々が少し戸惑ったような顔でこちらを見ていた。
 慌てて意識を軍議に戻す。

「いや、何でもない。山城守殿(進藤貞治)、失礼致しました」
「どうやら随分お疲れのご様子ですな。ですが、今一息のご辛抱ですぞ」
「承知しております。気を散らしてしまい、申し訳ありませなんだ」

 対面で山城守殿がゆったりと笑った。
 どうもいかんな。まだまだ疲れている場合ではないのだが……。

「改めて、此度のお使者のお役目ご苦労に存ずる」
「痛み入ります。大本所様(六角定頼)の文に加えて天子様の綸旨もございましたので、波多野備前守(波多野秀忠)もかくなる上は城を開いてお下知に従うと申しておりました。
 一両日中には開城の運びと相成りましょう」

 義父上が鎮守府大将軍へ任官され、波多野に対しても抵抗を止めて城を開くようにと使者を遣わされた。
 使者の役目を務めたのは進藤山城守殿だ。その一事を見ても、義父上がどれほど丹波の情勢を重視していたかが分かる。
 まあ、波多野が降ればもはや赤井・荻野は孤立無援。
 神出鬼没の赤井勢に朽木殿も随分と手を焼いておられたが、遠からず北丹波の制圧も終わるだろう。

「心得ました」
「後のことは松永殿にお任せ致します。松永弾正忠殿(松永久秀)ならば、万事遺漏なく勤められましょう。良きご家臣を持たれましたな」

 弾正忠が嬉しそうにはにかむ。
 今回弾正忠には山城守殿の副使として波多野との交渉に当たらせた。甚介(松永長頼)を始め、家中には腕っぷしの強い者は何人かいる。だが、大和守(篠原長政)亡き今、こういった交渉事を任せられるのは弾正忠を置いて他に居らぬ。
 その意味でも今回の副使の任は弾正忠にとって良い経験になっただろう。

「時に、亀寿丸……いえ、御本所殿(六角賢頼)は順調に播磨を切り取っておりましょうか?」
「播磨や備前にもこなたより使者が参っております。足場が固まって敵味方がはっきりすれば、いよいよ軍勢を動かして制圧にかかることに相成りましょう」

 どうやら順調のようだな。
 やはり義父上が武家の棟梁と朝廷に認められたことは大きいな。今後の戦でも有利に働くだろう。

「筑前守殿(三好頼長)も、他人事ではありませんぞ」
「と、申されますと?」
「大本所様は西国遠征を考えておられますが、西国に遠征するに四国が不安定のままでは心もとない。遠からず四国に対してもなんらかの行動を起こされましょう。
 となると……」

 山城守殿が意味ありげに言葉を切る。
 四国に兵を出すとなれば、彦次郎(三好虎長)と再び戦をすることも考えられる、か。
 だが、今のままで行けば儂は朽木殿と共に山陰に軍を進めることとなろう。阿波三好家が大人しく降ってくれれば良いのだが……。

 しかし、先ほど聞こえた声。今思い返せば、あれは彦次郎の声では無かったか……?

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