大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久

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第1章 南海の覇者

第9話 大明国

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 太郎右衛門が生産した正真正銘の広南産の紅茶の試飲会がホイアンの港町で行われた

「これは…馥郁ふくいくたる香りが口の中に広がり、程よい渋みが爽やかな後口を残す。
 煎茶と違い、その香りを楽しむ飲み物ですなぁ」

 高崎善太郎殿が恍惚の表情で紅茶を飲む
 けっこう能書き垂れるほうなんだな… この人…


 俺はと言うと、やっぱりお茶なら煎茶がいいかな…?
 まあ、不味くはないんだけどな


「無理して飲まなくていいぞ。お前は精々売捌いて俺の農園を儲けさせてくれればいいんだからな」
 悪戯っぽい笑顔で太郎右衛門がからかってくる

「心配せんでもちゃんと売って来るわ。それより、本当に高値で売れるようになるんだろうな?」
「そこは問題ない。明から陶磁器を仕入れて一緒に売るからな。陶磁器は南蛮人にうけていることは知っているよな?」
「まあ、それはさすがにな…」


「なら、箱詰めの緩衝材として使えばちょうどいいだろう」
「―――なるほど。やっぱりお前頭いいな」
「褒められている気がせんが、まあ褒め言葉と受け取っておこう」


「それと、頼んだ物は手に入れてくれたか?」
「ああ、日本から持ち帰ったカボスの木に、オランダに依頼して取り寄せたレモンの木だろ?
 お前の農園の支配人に渡してあるよ。
 しかし、何に使うんだ?」
「いずれわかるさ。これはお前の為でもあるんだ」
「???」

 やっぱりこいつの言ってることはさっぱりわからんことが多いな…




 紅茶の試飲会の後は農場で取れた果物も皆で食べた
 俺はこっちの方が美味かったかな

 ライチやランブータンは瑞々しくて日本ではお目に掛かれない味わいだった
 ランサットはやまぶどうよりも甘みが強い
 マンゴスチンはこれこそ馥郁たる香りというのに相応しい香りだ

 この果実を取り出した時の匂い立つような臭い匂い…

 ……くさい?


「ぐえっ!ドリアンを持ってきたのか!」
「ああ、みんな結構好きだぞ?お前も食ってみろよ」
「…いや、遠慮する…」

 なんでこれが果物の王様なのかわからん
 マンゴスチンが果物の女王はわかるんだが…
 利左衛門や宗助まで美味そうに食いやがって…裏切り者め…


「マンゴスチンは砂糖で煮て『ジャム』にする。ライチやランブータンは発酵させて酒にする。
 それもこれもお前が売捌けるようにしてやるから、キリキリ売捌いてこい」

 なんか釈然としない…
 いや、売捌くのは俺の本業なんだから、太郎右衛門のいう事はもっともなんだが…
 何故だろう… 体よくこき使われている感が…



 果物と一緒に酒や食い物も出てきて、結局は酒宴になった
 フォーも美味いが、伊勢うどんぐらい太く切ったものを作ってもらった
 意外に広南でも人気らしい
 フォーと違ってコシがあるから満足感があるのだとか

 エビや魚を米粉の皮で包んだものや、肉を包んで焼いたものなども出されて皆で食べた
 こんな楽しい日がいつまでも続けばいいな…








「ほぅ…紅茶テイというのですか…」

 オランダの東インド総督に紅茶を献上するために、太郎右衛門を伴ってバタヴィアに来ていた
 昨年スペックス総督は再び日本の商館長として赴任し、現在の東インド総督はヘンドリック・ブラウエルという白髪の老人だった
 黒髪で頭頂部がツルツルになっていたスペックス総督とは対照的な、好々爺といった印象だ


「これは良い香りですね。マンゴスチンのジャムを落とすと甘みもあって後を引きます。
 これを我らに売りたいと?」
「ええ、欧州ではまだ知られていませんが、我が広南国にはこの紅茶を栽培する農園があります。
 砂糖も共に農園の栽培品目ですので、この紅茶と砂糖を貴方の国で広めてもらえればきっとお互いに良い商売ビジネスになるかと…」

「ほう…栽培を… ということは、永続的に供給が可能ということですね?」
「その通りです」


「…確かに、これは国王への献上品には良いかもしれません。しかし、香辛料と違ってまだ一般に馴染みがない。
 売れるかどうかわからぬ物を持ち帰れるほど、欧州への航路は安定したものではないのが実情です」
「それは承知しております。ですので、陶磁器の緩衝材として一緒に詰めてもらえればどうかと」
「なるほど…」


 しばらく黙考していたブラウエル総督だが、目を開くとニッコリと笑った
「では、陶磁器を安定的に供給していただくこと。これを条件にしましょう」
「それは… 陶磁器は明からの輸入に頼らざるを得ない現状ですので、長期に渡って安定的にというのはいささか…」

「それは、あなた方で解決すべき問題でしょう。私自身はこの紅茶を気に入りました。
 しかし、本国でも気に入られるかはまだ賭けです。
 それよりは安定して売れる陶磁器を、というのはこちらとしても譲れぬところです」



 苦しい顔をしていた太郎右衛門だが、やがて覚悟を決めたように決然と顔を上げた
「わかりました。陶磁器の供給は請け負いましょう。その代り、必ずこの紅茶を貴国へ持ち帰って頂きたい」
「承知しました。商談成立ですね」
 そういうと、ブラウエル総督と太郎右衛門が握手を交わした






「おい!どうなってんだ!紅茶アレは欧州で流行の兆しがあるんじゃなかったのか?」
 総督府の廊下を歩きながら太郎右衛門を詰問する

「まだこれから流行し始めるところだ。心配するな。あれは必ず流行する」
「しかし、ブラウエル総督も紅茶を知らなかったぞ!」

 もう一度強い調子で問いかけると太郎右衛門が足を止めて振り向く
「流行すると言ったら流行するんだ!俺を信じろ!
 それよりも、明に行くぞ」
「なんだって!?」

「明に行くと言ったんだ!陶磁器の生産者を連れてこなければ今後の取引に支障が出る」
「しかし、明には日本船は…」
「広南の旗を使えることを忘れたか?俺たちは広南からの朝貢使として明に行く」

 ―――なるほど
 しかし一体何を朝貢するのか…


「お前が持ち帰った銀を500貫ほど使わせてもらう。それに倍する生糸や陶磁器に変わるから心配するな。
 それに、今回の朝貢でオランダとの関係強化を匂わせれば明側も多少広南国こちらとの関係を見直すはずだ。
 今は黎朝が明から独立して以降、半ば敵対関係だからな
 アユタヤと本格的に戦争に入る前に、明の黙認を取り付けておくのは悪い手じゃない」

「―――何から何まで手のうちか…頼もしい限りだな!」
「拗ねるな。こっちだって想定外が色々出ている。説明しているヒマがない場合もある。
 だが、俺の目的は以前に言った通りだ。
 日本も明も当てにならん以上、自分たちで何とかするしかない」

 太郎右衛門の目は真剣そのものだった


「…わかった。お前を信じよう」







 ―――フエ王宮―――


「ニシムラよ。明へと再び使者として行くというが、今更明に臣従するつもりはこちらとしてもないぞ」
「承知しております。これは実質としては貿易体制を敷く為の交易使とご理解ください。
 明の体面を保つため形式上は朝貢という形を取りますが、あくまで民間での貿易許可を求めに行きます。
 国書には臣下の礼を取るといった文言は不要にて、あくまで船の出入りを認めてもらいたいと言う書を頂ければ結構です」

「しかし、明は今農民の反乱や北方の女真族の侵略で大きな混乱の最中にある。そのことをニシムラも知らぬわけではあるまい。
 今明とまともな交渉などできるのか?」

「弱っている今なればこそ、こちらを高値で売りつけることが出来るというものです」


 しばらく黙考していた福源はやがて一つ息を吐いた

「わかった。明との交易も諸外国との駆け引きの中で必要なものならば、その方の思うようにするがいい」
「有難き幸せ。何事も陛下の御為、我が広南国の繁栄の為に尽力いたします」





 陛下の許可を頂き、角屋艦隊は正式に広南国の国使として月港に入港した
 ここから陸路で北京を目指す

「宗助。メイを暴発させんようにな。港の者はメイの仇の倭寇ではないのだからな」
「はっ!船にて留守居をさせるよりは拙者と共にお供の端に加えて頂くことは叶いませぬか?
 下手に目を離すと正直危のうございまする…」
「そうか…では、メイも護衛兵に加えることにしよう」

 ただでさえ月港では目立っていた
 彼らも長崎と同様、南蛮船でも滅多にお目に掛かれないスクーナー型の七郎丸に目を奪われていた
 以前なら鼻高々といったところだが、今は悪目立ちするのではないかと心配の種になる


「港の役人にはたんまりと賄賂を渡してある。無事に役目を果たして出航するときにはその倍を支払うと約束してな。
 彼らが欲に目がくらんでいるうちは安全だろう」
 太郎右衛門がいつもながら手回し良く手を打っていた
 口に出さなくても答えてくれるのもいつも通りだ…



 北京への道はけっこう悲惨な状況だった
 各地で農民の反乱が相次いでいるとかで、残っている農民も明日は反乱に加わるのではないかと役人に疑われ、明日をも知れぬ命を繋いでいた

「よく見ておけよ。国が破れるというのはこういう事だ。
 広南を明のようにしない為に俺たちは戦うんだ」
 太郎右衛門が諭すように一行に話す

 メイは無表情だったが、おそらく思う所はあるんだろう
 度々農民の働く姿に目を止めていた


「彼ら農民達を広南へ連れて行くことは出来るのか?」
「ああ、それも今回の使者の目的の一つだ。明の農民達は生活に困っている者が多い。一方で我が広南では併合したカンボジアの地を開拓する入植者が足りない。
 彼らは広南の将来を担う国民であると同時に、優秀な絹織物の技術者だ。
 その為に今回は船倉を空にしてやってきたのだからな」

「…倍する絹や陶磁器に変わるというのはそういう意味か」
「そういうことだ。景徳鎮にも寄って陶磁器の技術者も引き抜く。
 明の知識と技術を丸ごと広南国の財産にするんだ」

「気宇壮大というやつだな」


 ―――まったく、敵わんな。
 太郎右衛門の打つ手は二手も三手も先に行っている



 一体どんな伝手があるのか、北京に着くと広南渡航後に築き上げた伝手を使って早々と崇禎帝への拝謁の機会が来た
 太郎右衛門が正使
 俺が副使の立場だ




 ―――北京 紫禁城―――



「そなたらが黎朝よりの使者か」
「はっ!黎朝の臣、阮福源より遣わされました西村太郎右衛門と申します!」
「阮とな…安南では鄭氏が強勢だと聞いているが?」

「嘆かわしい事ではありますが、我が安南一帯でも南北に分かれて戦っております。
 我が阮氏広南では鄭氏安南の横暴に目を背けることを良しとせず、暴虐なる鄭氏の専横を許すまじと立ち上がりました。
 我が主・阮福源は大明国に対し敵意の無い証として我らを遣わされたのです。

 敵は黎朝を私する鄭氏一統

 しかしながら、鄭氏を後援するアユタヤなどの南方諸国とも干戈を交えることもあり得ます。
 ひとえにこれは大明国への敵対行動ではこれなく、大明国に対しては朝貢の礼を持って対したいとの事にございまする」

「広南国か… しかし朕に臣下の礼を取るとは一言も言っておらぬではないのか?」
「我が主はあくまで黎王・黎維祺の臣下にて、越階にての臣従を憚ったものにございまする。
 皇帝陛下におかれましては、なにとぞ広南の朝貢と月港の使用の許可を願いたく、伏してお願いに上がりました」

横に居並ぶ文官たちがざわつく
どうやら広南を反逆の国とすべきか迷っているんだろう
それを言えば、そもそも黎朝自体が明に反乱して独立した反逆者なんだが…


「ときにその方らの船は紅毛人でも持たぬ立派な船であると吏から報告が上がっておる。
 広南とやらでは紅毛人との付き合いも多いのか?」

「広南の海軍を司る角屋艦隊はオランダと懇意にしております。
 かの船も彼らからの技術協力があって実現したものであります」
「ほう… 紅毛人からの技術協力とな…」

 御簾があって表情が見え辛いが、どうやらこちらの軍事力に思い至り、油断ならない相手と映ったようだ

 崇禎帝は大きく傾いた明の屋台骨を支えようと、必死に努力されているそうだ
 その姿は敵対勢力である李自成ですら、その努力は認めていると聞く

 決して暗君ではない
 今も広南国の力を明の建て直しに使えぬかと思案しているのだろう


「よかろう。阮福源の願いを聞き届け、月港に交易の船を寄港させることを許す。
 ただし、今後も朝貢は続けよ。それが条件だ」

「有難き幸せ。必ずや我が主に申し伝えまする」

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