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第1章 南海の覇者
第10話 風雲タイランド湾
しおりを挟む明から戻った艦隊員には一時的に休暇が与えられ、メイは生まれ故郷であるクアンガイ近郊の漁村に帰っていた
戻っても家族はもういない
それでも、ここはメイにとって生まれ故郷だった
「この国を明のようにしない為に……か」
寝台に寝転がりながら、メイは太郎右衛門が語った言葉が胸に残っていた
倭寇への怒りはまだ消えない
平和だったこの村を襲い、人々を殺し、あるいは攫っていった倭寇は許せない
メイの両親は当時10歳だったメイを逃がす為に倭寇を食い止めようと戦い、無慈悲に殺された
命からがら逃げ延びたメイは海を避けて山中をさまよい、ホイアンにたどり着いて高崎善太郎に保護された
―――この村にはまた平和が戻ってきつつある
七郎様の艦隊のおかげで広南の海岸を荒らす倭寇は鳴りを潜めている
私もその平和を守りたい
「私は、果たして七郎様のお役に立っているのだろうか…」
戦闘でいえば宗助様にはとても敵わない
操船なども何もできない戦闘員でしかない
最初はただ憎い倭寇を殺せればなんでも良かった
角屋艦隊に入ったのも倭寇と戦う海軍だったからだ
しかし、太郎右衛門の国を憂う心に触れ、七郎兵衛の明るさに触れ、利左衛門や宗助から戦うことの意味を教えられ、次第にこの国を守りたいという想いがメイの胸に芽生えて来ていた
―――でも…
あの趙とかいう倭寇だけは決して許せない
復讐心と憂国心の狭間でメイの小さな胸は揺れていた
明から朝貢使が戻ってから数か月
カンボジアの山田知政はアユタヤとの国境に堅固な長城を築いていた
城普請には新たに入植してきた明の農民や日本のキリシタンが従事している
彼らには相応の給金が支払われ、農地の開墾や農園の開発などと共に当面の糊口を得ていた
太郎右衛門はプランテーションの経営は自分の直轄としたが、土地の権利は土地を所有する貴族達のものとして据え置き、地税として売上金の中から相応の上納金を納めていた
地税は交易額による割合とするとの契約にし、太郎右衛門が利益を独占しているという風聞を抑え込むようにしていた
自ら農場経営を望む貴族には太郎右衛門が熱心に経営指南を行い、働く者を奴隷としてではなく必ず労働者として相応の給金を支払うよう徹底した
それによって、給金を得た労働者は同時に消費者として農場主の産物を買い上げる『市場』へと変わるということは貴族達にも理解され始め、新たに獲得したカンボジアの大地は広南国にとって将来有望な新規市場へと変貌を始めていた
「見事なものだな」
長城の上に立つ知政の隣に、元クメール王チェイチェッタ三世がやって来て話しかける
「ええ、西村殿の農園は海外だけでなく、国内にも豊かさをもたらしております。
海外との交易だけでなく国内の市場を育て上げられれば、広南はもっともっと豊かな国になるでしょう」
「私の統治よりもクメール人達も生き生きと働いているように見える。これでよかったのかもしれんな」
「陛下…」
「ははっ。陛下はよせ。今の私は広南のカンボジア領主の一人に過ぎんさ」
三十歳をわずかに過ぎたチェイチェッタ三世は、満足気な横顔で長城からカンボジアの大地を眺めた
「しかし、この広南国の繁栄を快く思わない者達も居る」
知政は静かに頷いた
「アユタヤのトーン王ですな」
「彼らだけではない。その後ろにはタウングー朝ビルマも控えている。また、マレー半島にはパタニ王国も健在だ。
長政殿の敵討ちだけではなく、広南やクメールの民の笑顔を守る為、そなたら日本兵の力を使ってくれるとうれしい」
「はっ…」
共に対アユタヤの最前線を守る知政とチェイチェッタ三世の間には奇妙な友情が芽生え始めていた
知政も一時の恨みの炎が収まると、ここで生きる民の為に戦うという大義に共鳴を覚えていた
チェイチェッタ三世は国を失った暗君と世上では噂されているが、知政の目には無益な争いを避け、民の安寧を願う名君にしか思えなかった
「福源陛下には、娘婿であられるチェイチェッタ殿下を頼りにしておられます」
「そうだな… 王陛下の期待を裏切らぬ為にも、兵の訓練をよろしく頼むぞ」
「はっ!」
知政の率いる広南軍は旧来の日本兵を核として、広南人・クメール人・明人・日本人などの混成部隊として今や五千の兵数を抱える先鋒軍となってカンボジアに駐屯していた
アユタヤとの最前線を守る彼らは、元々の精鋭日本兵と早くから合流した広南兵に対し新入りのクメール兵や明兵・新たに加わった日本兵などは練度が違う
その為、軍の統率を図るための軍事調練に明け暮れていた
まずはコミュニケーションを図るため、共同で長城の普請をさせる
そこで言葉の壁を取り払い、続いて今は本格的な軍事調練に移っている
アユタヤ侵攻にはまだ一年ほどの歳月が必要だろうと知政は思っていた
オランダ東インド総督のヘンドリック・ブラウエルは、太郎右衛門から受け取った紅茶を陶磁器と共に本国へ戻る船に積み込んでいた
「紅茶をオラニエ公フレデリック殿下に献上してくれ。その後は今回の荷の分はアムステルダムでしばらく無償で市民に提供していい。
ともかくも、アムステルダムの市民に紅茶を広めればヨーロッパ中で勝手に市場が作られるはずだ」
「無償で?それほどに入れ込んでおられるので?」
本国への艦隊の提督を務めるウィルレム・ヤンセンは揶揄するように悪戯っぽい笑顔で聞いた
「ああ、ニシムラの目は確かだ。紅茶はヨーロッパで受け入れられるだけの品質を備えている。
茶器と共に持ち帰れば、紅茶は我がオランダの戦費を支える重要な交易品になるだろう」
オランダ本国では八十年戦争と呼ばれるスペインからの独立戦争を戦い抜く為、東南アジアの貿易は重要度を増していた
しかし、以前は同量の金と交換されたという香辛料もこの頃では値が下がり、戦費調達には新たな収益の柱を必要としている
太郎右衛門が紅茶を持ち込んだのはそんな時だった
ブラウエルは紅茶を一口飲んで驚いた
コーヒーとは違う、馥郁たる香りはヨーロッパの王侯貴族達や民衆を魅了するに違いないと直観した
ネーデルランドの独立を勝ち取るため、強力な武器になることは間違いない
―――それにしても、タロウエモン・ニシムラか
まるでこちらの手の内を全て見通せているかのように的確な手を打ってくる
彼が我がオランダに協力的なのは目下の幸いだったな
しかし、いずれは広南に商館を構えねばならん
今の勢いならば広南国はいずれシャムやマレー半島を含めた南海一帯に威を張ることになるだろう
とりあえず、カドヤを通じて広南王に商館の設立を打診していこう
明から戻り、再びタイオワン・バタヴィア間の定期廻船に戻った俺たちは、オランダを通じて中国産の桑の木を手に入れていた
生糸の元となる蚕は桑の葉をエサにする
蚕は一緒に持ち帰れたが、桑の木は目立ちすぎてこっそり持ち出すということができなかった
「生糸の生産でもするのかい?」
「ああ、モノになるかどうかわからんがな」
オランダ商館の職員が軽口をたたいてくる
この頃では末端の職員や水夫とは良好な関係を築いていた
「最近日本では貿易を制限する方向に動いているようだが、アンタたちはフリーパスがあるんだろ?」
「いいや、下手をすると俺たちも帰れなくなるさ。だから、今のうちに日本に変わる得意先を見つけないといけなくてね」
「ふぅん…こっちにはそんなことは言ってなかったけどなぁ…」
「そうなのか?オランダとは貿易を続けるのかな?」
「さてね。俺たち下っ端にはそんな話は降りてこないだけかもしれんさ」
オランダとの貿易が継続されるなら、日本向けの生糸はタイオワンで売り捌けるかもしれんな
日本との貿易を手放すのは惜しいからな
あれほど儲かる得意先もそうそうあるまい
…すっかり海外の発想になってしまっているな
「じゃあ、この荷をバタヴィアまでよろしく頼むよ」
「任せてくれ」
送り状を受け取った俺たちは、ホイアンで陶磁器と茶を積み込んでバタヴィアを目指す
この2年でようやく武器の代金も払い終え、武装は整った
船大工に依頼していたガレオン船も続々と完成し、スクーナー型5隻 ジャンク型3隻
今や角屋艦隊は堂々たる一端の海軍だ
廻船用に追加で手慣れたジャンク型を5隻追加発注した
荷を運ぶにはジャンク型はやっぱり優秀だからな
船大工の頭も慣れて来たのか、虚ろな目をしてただ頷くだけだったな
コーヒーをたっぷりご馳走してやろう
当面スクーナー型3隻を使って広南海岸の哨戒活動を行わせている
倭寇の被害はだいぶ軽減されていて、今では広南国の海岸に侵入する倭寇船は皆無だった
農民と共に漁民の生活も守って行かねばならんからな
バタヴィアではコーヒーと甲冑類の武具、それと火薬・弾丸を買付けた
広南国でも生産しているが、戦線が拡大したことで一時的に軍備が不足している
いずれ軍勢に見合った量が生産されるだろうが、今はとりあえず海外から購入した方が手っ取り早い
銅は明とオランダから買ってカルバリン砲の生産は国内で行われている
アユタヤ国境にも10門配備された
大砲を有効に運用するためにも、弾薬の供給は急がねばならんからな
バタヴィアから戻ると、善太郎殿が慌てて駆けよってきた
「何事かありましたか?」
「それが…アユタヤが北方のラオスと手を組んで広南を伺う動きを見せています。
太郎右衛門殿はラオスを離反させるべく3日前に北へ旅立たれました。
七郎兵衛殿には南の海上からカンボジアの国境線を伺うアユタヤ海軍を迎撃せよと福源陛下から下知が届いています」
―――アユタヤが動いたか!
知政殿はまだ調練が足りぬと言っていたはずだ
海と陸から挟まれては身動きが取れんだろう
俺たちの海は俺たちが守る!
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