大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久

文字の大きさ
10 / 20
第1章 南海の覇者

第10話 風雲タイランド湾

しおりを挟む



 明から戻った艦隊員には一時的に休暇が与えられ、メイは生まれ故郷であるクアンガイ近郊の漁村に帰っていた
 戻っても家族はもういない
 それでも、ここはメイにとって生まれ故郷だった


「この国を明のようにしない為に……か」
 寝台ベッドに寝転がりながら、メイは太郎右衛門が語った言葉が胸に残っていた

 倭寇への怒りはまだ消えない
 平和だったこの村を襲い、人々を殺し、あるいは攫っていった倭寇は許せない

 メイの両親は当時10歳だったメイを逃がす為に倭寇を食い止めようと戦い、無慈悲に殺された
 命からがら逃げ延びたメイは海を避けて山中をさまよい、ホイアンにたどり着いて高崎善太郎に保護された


 ―――この村にはまた平和が戻ってきつつある
 七郎様の艦隊のおかげで広南の海岸を荒らす倭寇は鳴りを潜めている
 私もその平和を守りたい


「私は、果たして七郎様のお役に立っているのだろうか…」
 戦闘でいえば宗助様にはとても敵わない
 操船なども何もできない戦闘員でしかない




 最初はただ憎い倭寇を殺せればなんでも良かった
 角屋艦隊に入ったのも倭寇と戦う海軍だったからだ
 しかし、太郎右衛門の国を憂う心に触れ、七郎兵衛の明るさに触れ、利左衛門や宗助から戦うことの意味を教えられ、次第にこの国を守りたいという想いがメイの胸に芽生えて来ていた


 ―――でも…
 あの趙とかいう倭寇だけは決して許せない


 復讐心と憂国心の狭間でメイの小さな胸は揺れていた








 明から朝貢使が戻ってから数か月


 カンボジアの山田知政はアユタヤとの国境に堅固な長城を築いていた
 城普請には新たに入植してきた明の農民や日本のキリシタンが従事している

 彼らには相応の給金が支払われ、農地の開墾や農園プランテーションの開発などと共に当面の糊口を得ていた
 太郎右衛門はプランテーションの経営は自分の直轄としたが、土地の権利は土地を所有する貴族達のものとして据え置き、地税として売上金の中から相応の上納金を納めていた

 地税は交易額による割合とするとの契約にし、太郎右衛門が利益を独占しているという風聞を抑え込むようにしていた


 自ら農場経営を望む貴族には太郎右衛門が熱心に経営指南を行い、働く者を奴隷としてではなく必ず労働者として相応の給金を支払うよう徹底した

 それによって、給金を得た労働者は同時に消費者として農場主の産物を買い上げる『市場』へと変わるということは貴族達にも理解され始め、新たに獲得したカンボジアの大地は広南国にとって将来有望な新規市場へと変貌を始めていた



「見事なものだな」
 長城の上に立つ知政の隣に、元クメール王チェイチェッタ三世がやって来て話しかける

「ええ、西村殿の農園は海外だけでなく、国内にも豊かさをもたらしております。
 海外との交易だけでなく国内の市場を育て上げられれば、広南はもっともっと豊かな国になるでしょう」

「私の統治よりもクメール人達も生き生きと働いているように見える。これでよかったのかもしれんな」
「陛下…」
「ははっ。陛下はよせ。今の私は広南のカンボジア領主の一人に過ぎんさ」

 三十歳をわずかに過ぎたチェイチェッタ三世は、満足気な横顔で長城からカンボジアの大地を眺めた


「しかし、この広南国の繁栄を快く思わない者達も居る」
 知政は静かに頷いた

「アユタヤのトーン王ですな」
「彼らだけではない。その後ろにはタウングー朝ビルマも控えている。また、マレー半島にはパタニ王国も健在だ。
 長政殿の敵討ちだけではなく、広南やクメールの民の笑顔を守る為、そなたら日本兵の力を使ってくれるとうれしい」

「はっ…」

 共に対アユタヤの最前線を守る知政とチェイチェッタ三世の間には奇妙な友情が芽生え始めていた
 知政も一時の恨みの炎が収まると、ここで生きる民の為に戦うという大義に共鳴を覚えていた
 チェイチェッタ三世は国を失った暗君と世上では噂されているが、知政の目には無益な争いを避け、民の安寧を願う名君にしか思えなかった

「福源陛下には、娘婿であられるチェイチェッタ殿下を頼りにしておられます」
「そうだな… 王陛下の期待を裏切らぬ為にも、兵の訓練をよろしく頼むぞ」
「はっ!」


 知政の率いる広南軍は旧来の日本兵を核として、広南人・クメール人・明人・日本人などの混成部隊として今や五千の兵数を抱える先鋒軍となってカンボジアに駐屯していた

 アユタヤとの最前線を守る彼らは、元々の精鋭日本兵と早くから合流した広南兵に対し新入りのクメール兵や明兵・新たに加わった日本兵などは練度が違う
 その為、軍の統率を図るための軍事調練に明け暮れていた
 まずはコミュニケーションを図るため、共同で長城の普請をさせる
 そこで言葉の壁を取り払い、続いて今は本格的な軍事調練に移っている

 アユタヤ侵攻にはまだ一年ほどの歳月が必要だろうと知政は思っていた







 オランダ東インド総督のヘンドリック・ブラウエルは、太郎右衛門から受け取った紅茶を陶磁器と共に本国へ戻る船に積み込んでいた

「紅茶をオラニエ公フレデリック殿下に献上してくれ。その後は今回の荷の分はアムステルダムでしばらく無償で市民に提供していい。
 ともかくも、アムステルダムの市民に紅茶を広めればヨーロッパ中で勝手に市場が作られるはずだ」

「無償で?それほどに入れ込んでおられるので?」
 本国への艦隊の提督を務めるウィルレム・ヤンセンは揶揄するように悪戯っぽい笑顔で聞いた

「ああ、ニシムラの目は確かだ。紅茶はヨーロッパで受け入れられるだけの品質を備えている。
 茶器と共に持ち帰れば、紅茶は我がオランダの戦費を支える重要な交易品になるだろう」

 オランダ本国では八十年戦争と呼ばれるスペインからの独立戦争を戦い抜く為、東南アジアの貿易は重要度を増していた
 しかし、以前は同量の金と交換されたという香辛料もこの頃では値が下がり、戦費調達には新たな収益の柱を必要としている
 太郎右衛門が紅茶を持ち込んだのはそんな時だった


 ブラウエルは紅茶を一口飲んで驚いた
 コーヒーとは違う、馥郁たる香りはヨーロッパの王侯貴族達や民衆を魅了するに違いないと直観した
 ネーデルランドの独立を勝ち取るため、強力な武器になることは間違いない



 ―――それにしても、タロウエモン・ニシムラか
 まるでこちらの手の内を全て見通せているかのように的確な手を打ってくる
 彼が我がオランダに協力的なのは目下の幸いだったな

 しかし、いずれは広南に商館を構えねばならん
 今の勢いならば広南国はいずれシャムやマレー半島を含めた南海一帯に威を張ることになるだろう
 とりあえず、カドヤを通じて広南王に商館の設立を打診していこう









 明から戻り、再びタイオワン・バタヴィア間の定期廻船に戻った俺たちは、オランダを通じて中国産の桑の木を手に入れていた
 生糸の元となる蚕は桑の葉をエサにする
 蚕は一緒に持ち帰れたが、桑の木は目立ちすぎてこっそり持ち出すということができなかった

「生糸の生産でもするのかい?」
「ああ、モノになるかどうかわからんがな」
 オランダ商館の職員が軽口をたたいてくる
 この頃では末端の職員や水夫とは良好な関係を築いていた


「最近日本では貿易を制限する方向に動いているようだが、アンタたちはフリーパスがあるんだろ?」
「いいや、下手をすると俺たちも帰れなくなるさ。だから、今のうちに日本に変わる得意先を見つけないといけなくてね」
「ふぅん…こっちにはそんなことは言ってなかったけどなぁ…」
「そうなのか?オランダとは貿易を続けるのかな?」
「さてね。俺たち下っ端にはそんな話は降りてこないだけかもしれんさ」

 オランダとの貿易が継続されるなら、日本向けの生糸はタイオワンで売り捌けるかもしれんな
 日本との貿易を手放すのは惜しいからな
 あれほど儲かる得意先もそうそうあるまい

 …すっかり海外の発想になってしまっているな



「じゃあ、この荷をバタヴィアまでよろしく頼むよ」
「任せてくれ」

 送り状を受け取った俺たちは、ホイアンで陶磁器と茶を積み込んでバタヴィアを目指す
 この2年でようやく武器の代金も払い終え、武装は整った

 船大工に依頼していたガレオン船も続々と完成し、スクーナー型5隻 ジャンク型3隻
 今や角屋艦隊は堂々たる一端の海軍だ
 廻船用に追加で手慣れたジャンク型を5隻追加発注した
 荷を運ぶにはジャンク型はやっぱり優秀だからな

 船大工の頭も慣れて来たのか、虚ろな目をしてただ頷くだけだったな
 コーヒーをたっぷりご馳走してやろう



 当面スクーナー型3隻を使って広南海岸の哨戒活動を行わせている
 倭寇の被害はだいぶ軽減されていて、今では広南国の海岸に侵入する倭寇船は皆無だった

 農民と共に漁民の生活も守って行かねばならんからな


 バタヴィアではコーヒーと甲冑類の武具、それと火薬・弾丸を買付けた
 広南国でも生産しているが、戦線が拡大したことで一時的に軍備が不足している
 いずれ軍勢に見合った量が生産されるだろうが、今はとりあえず海外から購入した方が手っ取り早い

 銅は明とオランダから買ってカルバリン砲の生産は国内で行われている
 アユタヤ国境にも10門配備された
 大砲を有効に運用するためにも、弾薬の供給は急がねばならんからな



 バタヴィアから戻ると、善太郎殿が慌てて駆けよってきた

「何事かありましたか?」
「それが…アユタヤが北方のラオスと手を組んで広南を伺う動きを見せています。
 太郎右衛門殿はラオスを離反させるべく3日前に北へ旅立たれました。
 七郎兵衛殿には南の海上からカンボジアの国境線を伺うアユタヤ海軍を迎撃せよと福源陛下から下知が届いています」


 ―――アユタヤが動いたか!
 知政殿はまだ調練が足りぬと言っていたはずだ
 海と陸から挟まれては身動きが取れんだろう




 俺たちの海は俺たちが守る!


しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

離反艦隊 奮戦す

みにみ
歴史・時代
1944年 トラック諸島空襲において無謀な囮作戦を命じられた パターソン提督率いる第四打撃群は突如米国に反旗を翻し 空母1隻、戦艦2隻を含む艦隊は日本側へと寝返る 彼が目指したのはただの寝返りか、それとも栄えある大義か 怒り狂うハルゼーが差し向ける掃討部隊との激闘 ご覧あれ

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

処理中です...