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【二十一】討伐後
しおりを挟む――倒した。
全ての戦闘が終わったところで、私はホッと吐息した。全身が熱を帯びていて、とても熱い。僅かにこめかみ付近を切っているらしく、汗と血がタラタラと頬を伝って流れていく。無我夢中で戦っている間は気が付かなかったが、二の腕も熱に似た痛みに襲われている。無茶をしてしまったようにも思うが、他には選択肢が私には思い浮かばなかった。
討伐が一区切りついてから、丁度到着した騎士団の人々が、状況の確認や結界の修繕を始めた。そちらに後は任せようと考えて、私は振り返り……あっ、と、思った。
少し距離を置いた場所に、グレイルが立っている。
最初にまず思ったのは、グレイルが無事で良かったという事だが、その険しい表情を見てすぐに、見られてしまった……知られてしまったと、嫌な汗が浮かんできた。結婚前には伝えるはずだったクリソコーラ侯爵家機密ではあるが、実際に戦闘風景を見せるような予定は勿論無かった。
多分私……に、限らず、貴族のご令嬢というのは、そもそもが戦わないから、もっと大人しく穏やかなイメージを持たれていたと思うし、今の私のように血と汗でドロドロの姿なんていうのは、論外だと考えてしまう。
「……」
嫌われてしまっただろうか。だろうなぁ。
そう考えると胸が痛むが、本当に痛いのは胸なのかそれとも傷なのか分からなくなり始めた。気づくと視界が歪んでいて、私はその場でグラリと倒れ込みそうになっていた。地面にぶつかると漠然と思ったが、覚悟していた衝撃は訪れなかった。代わりに、次の瞬間、私は抱き留められている事に気が付き、真正面に険しい顔のままのグレイルの端正な顔を捉えた。
「リリア」
「……っ」
「すぐに医――」
グレイルが何か言いかけたのは分かったが、そのまま私は意識を取り落としたようだった。
次に目を覚ますと、私は王都の医療魔術院の寝台の上にいた。床には幾重もの医療用の魔法陣が広がっている。過去にも負傷時に、何度か入院した事のある特別室で、一見すると貴族のお部屋だが、壁にも天井にも魔術がかけられている。頭部と左腕に包帯が巻かれているが、既に怪我は医療魔術で治してあるようだった。肉体への残存ダメージの関係で、魔法薬が塗られた包帯が巻かれているだけだと、知識でわかる。
ゆっくりと上半身を起こしてから瞬きをし、私は倒れたのかと思いだした。
医療魔術は便利で、傷が残るような事は無い。痛みだけがしばらく続く形だ。しかし陰鬱な気分になったのは、痛むからではない。痛み止めの魔法香が焚かれているから、現在は痛みも無いのだし。問題は、グレイルに見られてしまった事だ。
百年の恋も一瞬で冷めると、私は思う。これまでのグレイルの愛を疑うわけではないが、破談一直線である事は、もう疑えないだろう。
その後、私の意識が戻った事に気が付いた医療魔術師達の診察を受け、私は数日の間は入院する事に決まった。一度面会に訪れた叔父様に、事後処理は済んでいるから問題ないと言われたが、その処理の中にグレイルとの婚約解消が入っていたのかは、怖くて聞く事が出来なかった。
こうして退院し、私はクリソコーラ侯爵家に戻った。
出迎えてくれたマルスは、無事な私の姿に喜んでくれたし、それで十分だとも考える。ちょっと私は、平和ボケしすぎていたのかもしれない。
学園を守らなければ良かったと思う事は無いし、私は私なりに自分はよく頑張ったと思っている。ただ、こうして振り返ってみると、グレイルの事が自分の内側でとても大きくなっていたから、嫌われてしまったとすると、とても辛いと、今ならよく分かる。
クリソコーラ侯爵家の自室で、私は鏡台の前に立った。既に包帯はとれている。そこに映る己の姿を見て、どうせ転生するなら、もっと明るい境遇が良かったなと考えては、一人で苦笑した。魔獣は光となって消えるが、殺生といえばそうだ。魔獣討伐は殺生とは違うという扱いにはなっているが、この国では、特に女子が手を汚す事は忌み嫌われている。
グレイルと私は、相応しいとはとても言えないだろう。
攻略対象である事を抜きにしても、グレイルは将来を約束され、期待されている侯爵令息で未来の宰相候補だ。理性ではそう分かるというのに、ジクジクと胸が痛い。
コンコンとノックの音がしたのは、その時の事だった。
『リリアお嬢様、グレイル卿がお越しです』
執事のその声を聴いて、私はビクリとしてしまった。いよいよ直接的に破談となるのかと考えると、思わず力を込めて手を握ってしまった。直感的に、嫌だと思った。でも、私にはそれを言う権利は無い。そもそも、婚約破棄も男性と保護者の同意で構わないのだから、私の意思確認はしなくて良かったと思うのは、逃げだろうか。逃げだよね……。どんな顔をしてグレイルに会えば良いのか分からないだけなのだから。
「……すぐに参ります」
答えた私の声は、とても小さなものになってしまったのだった。
こうして階下に降りて応接間に向かうと、そこにはグレイルの姿があった。壁にかけられた油絵を、長椅子の脇に立って眺めていたグレイルは、私が扉を開けると静かに振り返った。笑うでもなく、かといって怒っている風でもない、透き通るような表情をしていたグレイルを見たら、胸が締め付けられそうになった。グレイルは私の姿を確認すると、絵画に視線を戻した。そこに描かれているのは、始祖のクリソコーラ侯爵が、当時の国王陛下をお守りしたという伝承を描いた光景である。
パタンと私の背後で扉が閉まり、執事は入ってこなかった。二人きりの応接間で、私は言葉を探しながら、既に準備が終わっているテーブル上の茶器を見る。
「無事で良かった」
「……ありがとうございます」
「話があってきたんだ」
「……はい。どうぞ、おかけください」
私が促すと、振り返ったグレイルが頷いて、長椅子に座った。テーブルを挟んでその正面の席に私も座す。
「リリア、悪い」
いよいよ婚約破棄されると、私は覚悟した。
「……」
「俺に幻滅しただろう?」
「……いいえ。そんな事は」
「だが俺は、ただ見ている事しか出来なかった。リリアを、守る事が出来なかった」
「――え?」
「足手まといになるべきではないと判断したが、本当は、戦っているリリアを俺は庇い、守るべきだったはずだ。しかし俺にはその力が無い。それを俺は誰よりもよく知っている。弱く己を守ってくれない男など、幻滅する以外は無いかと思ってな」
つらつらと語ってから、グレイルはカップに手を伸ばした。そして一口飲み込むと、改めて私を見た。
「本当に悪い、守れなくて」
「そんな事は――」
「それでも俺は、リリアが好きだ。俺に武力はあまり無いが、俺は俺のやり方で、俺に出来る全てをもってして、今後はリリアを守りたい。だから、これからも俺の隣にいてくれないか?」
「っ」
その言葉に、私は目を見開いた。
「グレイルは……悪い所なんで、無いです。そもそも、武力は必要なくて……私も守られるほど弱くはなくて、ええと……その……」
「確かに俺には守る力はないかもしれないが、俺に守られるのは不快か?」
「そんな事は無いです。寧ろ……隣にいて良いのなら、私がお守りします」
反射的にそう伝えると、グレイルが苦笑した。
「待ってくれ、それは困る。俺は、リリアが傷つくところは、もう見たくない」
「……」
「リリアは、今の職務を今後も遂行したいのか?」
「……セレフィ様をお守りする事は、私の使命です」
「仕事を続けたいというのならば、そこは今後、俺達の間で話し合いをしなければならない事だと思う」
再び、グレイルの瞳が真剣なものに変わった。ちょっと気圧されて、私は目を丸くしたままで、冷や汗をかいた。
「俺は、リリア以外が俺の隣にいる事など考えられない。俺の気持ちは変わらない。自分自身に対する不甲斐なさがぬぐえない状況で伝えるのもなんだが――リリアが好きだ」
「グレイル……」
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「私はグレイルが良いです」
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グレイルが温かい声音で、冗談めかしてそう言った。私はうつむいたまま小さく頷く。顔をあげたら、泣いているのがバレてしまうと思ったからだ。そのまま、暫しの間私は静かに泣いていて、グレイルは何も言わなかった。
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