アニマスブレイク

猫宮乾

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 ああ朝食を作らなければと、僅かに微睡んでいた頭を叱咤して、四時にさしかかろうとしている時計を務は一瞥した。
「姉さん、ごめんね、痛いよね。だけどね、もうちょっと、もうちょっとなんだ。昨日ね、間宮がハンバーグを食べてくれたんだよ。次はきっと、もっとさ。だから頑張って」
 務が頬を持ち上げ告げると、沙希香もまた頬を微かに持ち上げたような気がした。
 黒い目が時折左右に動く姿が、次第に愛らしくすら見えてきた。
 ただここの所寝ていないせいか、他にもいもしない虫の姿が見えるような気がして、務は何度も何度も頭を振らなければならない。
「沙希香、死んじゃ嫌だからね」
 立ち上がりながら再度呟き、残った部位を確認しようと背をかがめる。
「またお前は同じ事を繰り返す気か」
「え?」
「やっぱりもう死んでるじゃないか」
 背後から首に腕をかけられ、そのまま体勢を立て直される。
 ぼんやりとしたまま務が振り返ると、そこには険しい表情を浮かべた間宮の姿があった。その幾分か痩せた様子の腕が苦しくて、振り払う。
「お前はその腐乱死体に頭からつっこむつもりだったのか?」
「フランシタイ? 何それ?」
「いい加減に正気に戻れ。嗚呼、やっぱり人間駄目だな。暗闇に閉じこもってるってのは。光も点けないんじゃ、結局意味がない。おい、今が何時か分かる?」
「四時でしょ? 朝食の準備、すぐ始めるから」
「十六時の方だ。これだから文字盤の時計なんて置きたくなかったんだ。何が料理には秒針が必要だ、だよ」
「何の話? どうしちゃったんだよ間宮。お腹すきすぎておかしくなっちゃった?」
「おかしいのはお前だろ。もうそれはお前の姉なんかじゃない。腐った肉の残骸だ。ハンバーグを分解して確信したよ。絶対死んでるってな。腐肉に虫。最悪だ。嫌な予感がすると思ったら、ああもうこんなに虫が沸いて、お前さ、何でこの状況に絶えられるんだよ? ああもう眼球なんて腐りかけじゃないか、うわ、ハエが」
「何を言ってるんだ。今だって瞳が動いただろ。それに頬だってもう両方無いけど、ちゃんと、わら、笑って」
「ハエだっていってるだろ。頬のは羽化する前の蛾だ。うわ、ありえないだろこれ、なんだよこれ、最悪。もういいお前は上にでも行ってろ。どうせ何にも出来ないんだから。掃除の一つも出来やしないくせに」
「待ってよ。待って、沙希香は未だ生きてる」
「お前な……ああそうか、そうやって有紗の事も最後まで誤魔化していたわけだ。自分自身に対して、こいつに対して。最低の奴だよ」
「最低? 僕の何処が? 何処が最低だって言うんだよ? 生きてるんだよ、本当に」
「もう良い止めろ務。分かった、お前は良くやったよ。追い詰めたのは俺かもな。だけどな、俺の前では嘘なんてつかなくて良いんだ。お前がいくら頑張っても、お前の姉がいくら頑張ってもな、俺には人肉食の趣味なんて無い」
「人肉食? 何を言ってるんだ。貴重なタンパク源なんだよ」
「真に受けるなよ馬鹿。だからお前は馬鹿だって言うんだ。それで何か? 自分が食べられるのは怖くて嫌だからお願い助けてお姉ちゃんて、そういうことかよ? 最悪だな。誰がどう見ても考えても分かるだろ。これはお前に対する俺からの復讐だ。日和を殺された俺のな」
「復讐? 何を訳の分からないことを言ってるんだ。だからアレは不慮の事故だって」
「事故だろうがなんだろうが、お前が殺したんだよ、務」
「だけど僕が、一体いつ日和ちゃんを料理してお前に差し出したって言うんだよ」
 務の泣くような叫びに、それまで怒りに駆られていた様子の間宮が、虚を突かれたような顔をした。
「間宮は毎日笑いながら見てたんだ、僕が沙希香を食べるのを。美味しいか、美味しいか、って訊きながらさ。復讐だって? そんな下らないばかげた勘違いで沙希香はこんな目にあったって言うの? そんなの認めない。絶対に許さない。タンパク質だったって言えよ、認めろよ」
「務、お前分かってて……」
「知らない知らない何も分からない、分かりたくなんて無いんだよ僕は、もう全部何もかもないんだよ僕は、僕には。何でそんなこと言うんだよ。友達じゃなかったのかよ。間宮がそんなこと言うから、だから僕にはもう沙希香しかいないんだろ。僕だって君なんか大嫌いだ、顔も見たくない、同じ空気だってすいたくない。でもな、でもさ、此処には僕と君と沙希香しかいないんだ。他に、他に僕にどんな選択肢があるって言うんだよ。考えても見ろよ、得体の知れない、ただ性格だけは最低だって分かるお前なんかと、変わり果てた姿だけど優しかった沙希香だ。明白だろ? これ以上に明瞭な選択なんて無いだろ? お前より姉さんの方が全然ましだ。だから生きてなきゃ駄目なんだよ沙希香は。被害者は僕だ」
 捲したてた務を、初めは唖然とした様子で、それから次第に苛立つように間宮は見ていた。ひとしきりその声が続き、そして止んだ時、彼は、肩で息をしている務の体を押した。
 勢いで通路へと躍り出た務の前で扉が閉まる。
「お前の気持ちはよく分かった。務の中では、俺は腐乱死体と同格ってわけだな。悲しいよ、俺の中では、お前と俺は対等な友達になれるんじゃないかと思ってたんだ。本気でさ。でもな、やっぱり無理だったんだ。悪かったな無理させて」
「え、ちょっと待っ」扉の向こうから漏れてくるかぼそい声に、思わず焦燥感に駆られ、強くノックする。けれどそれが務に残されていた最後の体力だったようで、そのまま務の体は床へと頽れた。
 床の冷たい心地が、久方ぶりに、まぶたの奥の深い闇をもたらす。
 ずっと、ここ数日の所求めていたというのに、自制していた眠りの闇だった。
 このまま何も考えずに睡眠をむさぼりたい。
 そう思い目を伏せていたのは一瞬のことであったように務は思う。
 気づけば辺りはまばゆい光に覆われていて、何度か瞬きをすると視界がかすんだ。
「あ、気がついたか? お前通路で倒れてたんだよ。やっぱり寝てなかったんだな。丸二日近く寝てたよ。起きないんじゃないかと思った」
「……間宮。運んでくれたの?」
「ああ、まぁな」
 どこか照れたように笑った彼のその表情に、安心感を覚えて、務もまた頬を持ち上げた。久方ぶりの自然な笑みであるような気がする。
「間宮も無事で良かったよ。扉締めてあんな事言うから、心配したんだ」
「あんな事?」
「うん。ああ、覚えてない? ごめん、僕そんなに寝てたんだ。本当にごめん、いいすぎたと思ってさ」
「いや、お前より覚えてると思うよ?」
 笑顔で続いた間宮の声に首を傾げて身を起こそうとした時、正面を、彼の顔と自分の顔の中間を、巨大な肥えた蛾がゆっくりと横切るのを目にした。
「え?」
 慌てて何度も体を揺らすのに、身動き一つ出来ない。
「あんな、ってどういう意味かと思っただけだ」
「ちょっと間宮これ」
 自分の体が拘束されていることに気づいた直後、何かが腹部で蠢いていることに務は気づいた。
「全部本心だよ。お前なんか俺の友達たる価値もない、どころかその分際で、この俺を」
 恐る恐る視線を向けると、腹部から勢いよく何かが飛び跳ねた。
 肥大化した、白い体躯。芋虫だ。
「よくも俺と腐乱死体なんかを同格として扱いやがったな」
「う、っ、あ、あ、あ」
 虫の腹部に付着した紅を見て、自分の体が食い破られたことを自覚した。瞬間、ぞわりぞわりと体中を無数の黒白黄金色赤紫と雑多な色合いの虫たちが取り囲んでいる事に気がついた。
「お前なんぞ腐乱死体以下だ」
「や、止め、止めてくれ、頼む」
 叫びながら、顔の上に大きな銀ばえが止まったのを右目が理解する。
「大体良くも人肉なんぞ食べさせてくれたな。どうしてくれるんだ、未だに食欲が戻らない」
 苛立つように一度強く、間宮が何かを叩いた。その音で、この室内が、白い壁と透明な硝子で仕切られていることに気がついた。
「まぁ良いさ。せいぜいマグネエルライトの恩恵を嘆くんだ。お前はもう簡単には死ねない体だ。生きながら虫に食われ尽くせ。姉の体からはい出た虫たちにな。妹の分も含めてな。勿論お前の妹の方の分だ。有紗ちゃんもさぞかし苦痛だっただろうしな。大丈夫だ、どうせすぐに再生するさ。終わりのない苦しみだ。いやぁ、ここまで運ぶの苦労したんだぞ。よりにもよって転移転送装置の側で何て事をしてくれやがったんだよ本当。とくと後悔しろ、このカスが。俺にたてついたことにも、その間抜けな頭で俺を見下したことにもな」
「嫌だ止めろ止めてくれ、うわ、あ、無理だ、助け、助けて、助けてくれ間宮、嫌だ」
「せいぜいわめけよ。お前が言ったとおり、ここには俺とお前と、お前の腹部で虫に食われ切った姉しかいないんだからな。骨は拾っておいてやったから。ま、飽きたらまた見に来てやるよ。それで気が向いたら助けてやるから。被害者気取りの可愛そうな馬鹿をな」
 次第に遠のいていく間宮の声に、務の意識もまた遠のいていく。
 ただ腹の皮膚の上と下、皮膚一枚挟んだ内側も外側も、這いずり回られ、食い破られ、舐め回され、蹂躙され、そんな感覚と恐怖だけが、ただ。

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