アニマスブレイク

猫宮乾

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 寝室へと遇津を運んだ後、務は一人ダイニングの席に着き、指を組んで目を伏せた。梓月の笑顔が蘇る。彼だけは、彼だけが、自分の唯一の理解者だった。一緒にいて安らぐことが出来る家族だった。何故、何も言わずに、危険な場所へ、一人行ってしまったのだろう。それは自分では理解者に足らなかったと言うことなのだろうか。
 そんな風に考えて顔を上げ首を振り、目の前の白茶が浸るカップに両手を添えた。
「カギをかけねぇなんて不用心にも程があるんじゃねぇの?」
 その時不意に頭を小突かれて、務は瞳に力を取り戻す。
 狼狽えながら認識した現実の視界の中央に、困ったように笑う焔紀の姿を捉えて、務は唇をふるわせた。
「何で勝手に入って」
「だからお前が不用心なんだって。それより聴いた。ご愁傷様。災難だったみてぇだな」
「災難? まだ亡くなったと決まった訳じゃ」
「俺もそれを祈ってやるよ。ま、殺しても死ななそうな奴ではあったな。だから意外。まさかあいつが、一プロジェクト如きに命をかけてるだなんて」
「梓月さんを馬鹿にするな。神代計画は大切な、それこそ命をかける価値が――」
「お前だってやっぱり、守って死んだと思ってるんじゃねぇかよ」
 苦笑するような焔紀の表情に、務はきつく唇を噛んだ。
「止めてくれ。梓月さんがいなくなったら、僕は」
 もう誰も頼ることが出来る人がいなくなる。そう考えて、結局は保身のために誰かを欲している自分自身の浅ましい感情に気がつき、自身の腕に爪を立てる。違う、そうではない、本当は、本当に信頼できる人が誰もいなくなってしまうことが怖いだけであるのだと、必死に自身に言い聞かせる。
「大丈夫だ。お前は一人じゃない」
「え?」目の前の愚かな他人が何を口にしているのか全く理解が出来ないまま、務は聞き返した。
「逆に遇津は、お前が一人にさせちゃ駄目なわけだ。個人的にはお勧めしないが、間宮だっているだろ。ラートナーだってウシャスだって、まぁこんな事になったとはいえアトラスもいるし、何より日和もいるしな。今回の日和は長生きらしいぞ。あ、夢子だっている。あれ、夢子と面識あったっけ? 」
「顔ぐらいは知ってるけど」
「じゃあ今度改めて紹介してやるよ。それにほらさ、こうやってわざわざお前のことが心配で、来てやる俺だっていちゃうんだからな。務は何も心配する必要がないって事よ」
「誰が誰を心配してるって?」
「だから俺がお前を」明るい声音の焔紀に対し、務は眉をひそめた。
「どうして?」同情される理由など、それ程深い親好のない彼には思い当たらない。どころか先ほど彼の兄に、梓月のことを笑われたのだと思い出す。人当たりがよいことは知っていたが、そのうわべの優しさが億劫に思えて成らない。
「どうしてって、友達だからだろ?」
 けれど続いた単語に、務は目を見開いた。それは何度も信じて裏切られた単語と同じ音をしていたからなのかもしれない。
 身体から力が抜けていくことを、務は感じた。
「友達? 誰と誰が?」
「だから間宮くらいしか友達がいなさそうなお前と、友達沢山の俺。お前が悲しい時は一緒に悲しんでやるよ。それくらいしかできないかもしれないけどな」
「なんで、そんな」
「俺は、間宮と違って、友達を作る時に理由なんて求めないんだよ」
「別に間宮だって求めてないと思うけど」
「どうだろうな。お前がお前の家に生まれて無くても、あいつはお前の友人になったのだろうか? 俺はそうは思わないが。やっぱり間宮のことは大切な友達だと思うわけだ?」
「まさか。あんな事をされて」
「何があったか知らないけどな、俺は、今のお前がお前であれば、それで良いと思う。だから、泣いて、それから笑えよ。梓月のことは俺だって残念だ。でもな、お前が泣いてたら、あいつは悲しむと思うんだ。あいつも俺の友達だったから、よく知ってる」
 その言葉に、再び務は、自分が泣いていることを理解した。
 頬を、温度をもった水が垂れていく。奔流となった涙を手の甲で拭うと、声を上げて嗚咽したい心境に駆られて、思わず立ち上がった。
「遇津さんの様子を見てくるから」
「勝手にお茶を入れても良い?」
「好きにして良いよ」
 螺旋階段を上りながら務は応えた。涙をこらえることに精一杯で、その声がうわずることまでは止められない。
 遇津が眠るくらい部屋の扉を開けて、中の絨毯を踏みながら、務は片手で顔を覆った。
 焔紀の優しい声音が蘇ったけれど、やはり思うのだった。
 一人になってしまったのだと、確かにそう。
「……梓月くん?」ベッドサイドに務が立つと、シーツの波間で、遇津が身をよじった。
 間違われた。梓月と信じ切った様子の声音。いつもならば即座に否定できるというのに、その時の務は何も言うことが出来なかった。
「ねぇ梓月くん、怖い夢を見たよ」
 うつろに天井へと向かって遇津が腕を伸ばす。その手が、彼女を覗き込んでいた務の頬へと触れる。
「どんな夢?」自分が梓月であることを否定しないことが、精一杯の優しさであるような気がしていた。それが間違った優しさであることは、務自身意識していた。叔父に似ているという、嫌、母に似ているのだというこの顔を恨む。何故自分は父親の身体のために作られたというのに、父ではなく母に似たというのだろうか。奇妙な話だと務は感じた。
「大八島国が被爆するんだ。梓月くん、私を置いて、行っちゃうの」
 それは夢ではないのだと、務は言えないまま、自身の涙がシーツの水面へ落ちていく様をただ眺めていた。
「行かないで」
 頬に触れた指に力がこもる。彼女もまた泣いているようだった。
「一人にしないで」
「大丈夫だよ。大丈夫だから。一人に何て、僕が絶対にしないから」彼女の悲しい呟きに対し、気付けば務はそう口走っていた。彼女の掌に頬をかかえられ、引き寄せられるがままに唇を静かに落とす。
 初めてふれあったその柔らかい感触に、懺悔の念と決意が沸いた。
 もう、誰かに頼ることばかりを考えるのはやめにしようと、確かにそう思ったのだった。
 確かに自分は一人になってしまったのかもしれない。
 けれど彼女もまた一人なのだからと、そう思えば、眠るか細い身体を抱き寄せていた。
「――梓月? どうしたの?」
「良いから眠りなよ、もう少し。疲れてるんだよ」
 務が優しくそういって微笑むと、彼女は頷いて再び瞼を伏せる。
 一度両手の平で顔を覆い、涙を拭って務は部屋の外へと出た。
 階段を一歩ずつ力強くおりながら、梓月が最後に口にした、フキを頼むというあの言葉を、確かに聞いたのだとそう思い起こす。
 階下へ降りると、そこには間宮の姿があった。
 ダイニングテーブルに座して膝を組んでいる彼を一瞥してから、焔紀は何処へ行ったのだろうかと視線をさまよわせる。
「遇津は?」
「眠ってる」
「起こせよ。緊急事態なんだからな。梓月がいない今、神代プロジェクトの代表はあいつだ。事件のことは伝えたのか?」
「知ってるよ、僕が言った訳じゃないけど」
「呼んで来いよ」
「もう少し休ませた方が良い。……倒れたんだよ」
 焔紀とは異なる、現実的で厳しい物言いに、務は半眼になって腕を組んだ。
 対面する席に座しながら嘆息する。
「お前こそ休んだらどうだ。人の心配ができる程の余裕もないだろう」
 その物言いに苛立って唇を噛む。
「大丈夫だよ」あるいはそれは、自分のことを気遣ってくれての発言なのだろうかと考えることは出来ても、その言葉の主が間宮では、信憑性が伴わない。
「お前って本当泣き虫だよな。いい大人なんだから止めたらどうだ。男だろ。悲しいのはお前だけじゃないんだ」
「そんなことは分かってるよ」
「不本意だけどな、暫く面倒見てやるから、とりあえず今日は休め」
「別に良いよ」
「あ? 何だって?」
「間宮に何て、面倒を見てもらわなくて結構だって言ってるんだ」
「へぇ。よく言うな。他に身よりも頼る当てもないお前が、本当によく言うよ。自分が何を言っているか分かってるのか? お前はそうやって、遇津の事も孤立させて、独りよがりな自分の意地で、神代プロジェクトも含めて破滅させる気か? 誰もお前の味方なんていないんだ。現実を見ろよ。梓月が残した物までつぶす気か」
 間宮の声に鼓動が一度高くなり、務は耳鳴りが始まったことを認識した。
 正論にも思えた。何よりも梓月が残した物、と言う言葉が重く強く真摯に胸を打つ。
「務には俺がいるから大丈夫だもんなぁ」
 しかし、その時背後から肩を抱かれて、務は目を見開いた。
 そこには仰々しく目を伏せて、笑みを浮かべた焔紀の姿がある。
「なんでお前が此処に」
 呆気にとられた様子の間宮の顔と、務から手を離して、片手に握っていたハンカチで手を拭き直す焔紀の姿を交互に眺める。
「友達の大切な親族に不幸があったんだ。心配して訪ねてくるのは当然だろ? 友人として。ちょっとトイレに行ってきたと思ったら、お前こそ何を居座ってるんだか」
「黙れよ。お前が何時務の友人になったって言うんだ」
「友人には、そんな枠に押し込められた始まりの定義なんて無いんじゃねぇのか?」
「うるせぇな。今務は精神的な打撃を受けてるんだ。そこにつけ込むようなまねを」
「それはお前だろ、間宮」
 焔紀の言葉に眼差しを険しくした間宮を、ぼんやりと務は眺めていた。
「別にお前に頼らなくたって、神代プロジェクトを継続して梓月の意志を継ぐことは可能だし、遇津だって孤立しないだろ。他に血族的な意味合いで身寄りがないことは事実かも知れないが、それこそ遇津は、こいつの親戚に等しいだろうし? 何より、頼るあてがないだなんてよく言うもんだ。お前が不干渉だったこの二千年の間に、どれだけ務が人脈を広げたと思う? 俺と親交を深めたと思う? お前の思い上がりだ。お前こそ務につけ込むんじゃねぇよ。こいつは頑張った。そして今も頑張ってる」
 焔紀が自分の肩を盛大に叩きながら発した言葉に、務は困惑した。このようにほめられることなど近年無かった。あったとしても、それが梓月や遇津以外の口から出ている所など見たことがない。自分を認めてくれる人間がいた。そんな感動が、場違いな時分だというのに、身を震わせて成らない。
 確かに自分は頑張ったのだと務は思うのだ。なにも分からないまま、いきなりこんな境遇に身を置くことを強いられて、けれどそれでも、あきらめず。
「そいつは弱いんだよ、身も心も」
 しかし焔紀よりも、つきあいこそ長いはずの間宮のそんな言葉に、務は見下されているように感じた。確かに自分は弱いのかもしれなかったが、それでも出来ることを出来るだけ頑張ったと思うのだ。もう疲れてしまった、けれど今こそ一人で、自分の足で立つべき時で、それは、自分が認められた場所でなければ叶わない事柄で。
「お前の思いこみじゃねぇのか間宮。務は強いよ」
 焔紀の声に泣きそうになる。誰かにその言葉を向けられる事を、そう評価されることを、自分はずっと求めていたのかもしれない。務はそう感じさえした。
「ま、決めるのは務だけどな。お前の庇護という名の軟禁をまた受けるのか。それとも、務の強い信念と自主性を認めてる俺という友人と共に、梓月の意志を継ぐのかは」
「務、冷静に慣れ。こんな奴を信用するな」
 二人の視線が共に自分に向いたことを見て取って、務は頬を持ち上げた。
「僕は冷静だよ。それで、間宮の世話にはならないと言ってる」
 叔父の声が思い出された。何かあったら良和を頼れ、つまり間宮を頼れと、確かに梓月は言っていた。あの時叔父は自分には向いていないと笑ったけれど、務は焔紀の手を取ることに決めた。あるいは誰の手も取らずに自分の足で立つという選択しもあったのだろうけれど、その時の務には、その選択肢は過酷すぎて、うたかたのように潰えてしまったようだった。
「大体、間宮に面倒を見てもらう理由がない」
「お前、それ、本気で言ってるのか?」
 冷ややかな目をしながら間宮が立ち上がった。こちらへつかみかかろうというような獰猛なその怒りを宿した瞳に、けれど務は強く立ち向かう。
「俺がお前にどれだけしてやったか」
「だからそれが独りよがりなんだろ。全く対等じゃないな」
 詰め寄ろうとした間宮を制し、焔紀が笑う。
 そうだ、対等ではない。だから今度こそは、対等な立場で互いを見るべきなのだと務は感じた。あるいはそうすれば、いつか本当に間宮と友達になれる日が来るのかもしれ無いだなんて、有りもしない日を夢想しながら。


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