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しおりを挟む「間宮ぁ、会いたかったよぉ」夢子が駆け寄ると、間宮がそれを振り払い、務の傍らで嘲笑を浮かべていた焔紀へと歩み寄った。
「本当に最低な奴だな。余裕がない人間につけ込むな」
「俺が最低? お前面白いこと言うな。お前がしたことより最低な事なんて何一つしてないさ、なぁ務?」
自分に向かって優しい笑みを浮かべた焔紀に対して、同意もフォローも、務は指先の痛みで出来なかった。二本目の、抜け駆けた爪の合間に、次第に血液が募っていく。その鈍く熱い痛みだけが、務の意識を占めていた。
「確かに、少なくとも俺はこんな、子供みたいに陰湿な虐めなんてしたことはないな」
「俺の何処が務を虐めてるって? 同意のもとだよ全部。嫌なら嫌って言えばいい。全部務のためにやってるんじゃねぇの? 俺はさ。お前と違って。間宮と務と違って、俺と務は友達なんだよ。大体俺は、務の身体に虫を押し込んだり、人肉食なんてさせてねぇ。本当にお前こそ最低な奴だな。そう思うだろ? 務だって間宮のことを」
応える言葉に迷ったわけではなく、応えることすら考えられず、ただ務は溢れ出した鮮血を見据えていた。したたり落ちようとする紅い水。痛みと色と感触と、それら全てが乖離したものに感じる違和感。一言でその流血現象を説明しなければならないとすれば、こらえていた涙が、垂れるその瞬間に似ているのだろうと思った。
「俺がしたこととお前がしたことを同列に話すな。俺は良いんだよ」
「良いわけないだろ間宮。お前、何いってんの?」
「俺とお前を同列に語るなって言ってるんだ。お前如きが俺の同列に在るだなんて、思いこみも甚だしい。俺がして良いことと、お前がしていいことは全く違う。俺はしても良いけどな、お前は駄目なんだよ」
「何言ってんのかまるでわからん」
「これ以上務を苦しめるなって言ってるんだよ」
「そこまで戻んのかよ? 俺は、お前だって苦しめてるのに、何で俺が苦しめちゃ悪いのかって訊いてるわけよ。俺の方が務と、今となっては仲が良いのに。ああ、つまり逆よ逆。俺の方がお前より立場が上なのに、何で間宮にそんなこといわれなきゃならねぇんだってきいてるわけ」
「お前のうわべだけの優しさと同列視されると嫌悪が募るけど、梓月がいない今、こいつを面倒見る義務が俺にはあるんだよ」
「うわ利己的。そんなこと、務は望んでねぇよ」
「じゃあお前にぱしられて虐められることを望んでるって? ありえないだろ」
鼻で笑った間宮が務に振り返った。
「いくぞ務」
「嫌だ行かない」けれど、今行けば焔紀という友人がいなくなってしまうことに、務は恐怖を覚えた。
「ほらなぁ」余裕綽々と言った表情で、腕を組みながら焔紀は、絨毯の上で突き飛ばされたまま涙ぐんでいる夢子へと歩み寄る。
「お前のひとりよがりじゃん、全部」
「間宮酷い」少女の幼い声が響くと同時に焔紀が肩を竦める。
「いいかげん気がつけよ。お前みたいな最低な人間には、誰だって頼りたくなんてないのさ」
すると間宮が、務を睨め付けながら反論する。
「別に頼られたいわけでも友人顔するわけでもないさ。ただな、それが俺の義務だと思うんだよ。嗚呼、利己的かもな。それの何が悪い?」
そのまま務の手を取り、間宮は部屋の外へと歩き出した。
血が滴るままの手を引かれながら、混乱した頭で何も応えられない務は、ただ頑張って足を動かす。
間宮が立ち止まったのは、人気が失せた踊り場でのことだった。
「ねぇ」おずおずと務が声を掛ける。
「何だ?」すると間宮は視線を合わせぬまま、険しい顔で前方を向いていた。ただ掴んでいた指先をはなし、ポケットの中を探っている。
「僕と焔紀は友達だよ」
「お前馬鹿か。本当に馬鹿だったんだな。なんで利用されて遊ばれてることが分からないんだ」
務の言葉にあからさまに溜息をつきながら、間宮が臙脂色のハンカチを取り出した。彼がこの色の布を好んで買うことを思い出しながら、務は唇を噛む。痛みが喚起した熱と、惨めさが教えた冷えが相まって、胸を襲う。
心のどこかで、焔紀に利用されていることなど、知っていたのかもしれない。
けれど意識がそれを否定する。
「間宮より最低な奴なんて、この世に一人しかいないんだ。だから焔紀のことをそんな風に言わないで欲しい」
手に巻き付けられていく布の感触に泣きそうになりながら務は笑った。
「誰だよそれは。俺は自分がそれ程最低な奴だとは思わないけどな、少しは興味がある」
「教えない」
「あ? だったら言うなよ。あれだろ、お前の父親」
「違うよ」そう答えて笑った務は、自分が泣いていることに漸く気がついた。
「痛いか? 今、痛み止めを」間宮が溜息をつきながら、再び懐を探る。
けれど務は首を振り、それからただ静かに笑い声を上げた。
「ねぇ、なんで今更優しくするの?」
その声に虚を突かれたように、間宮が注射器を手にしたまま顔を上げた。
「優しくする? 俺が?」
「へぇ自覚ないんだ。つまりそっか、君にとって今のこの状態は、普通なんだ」
「どういう意味だ?」
「僕と一緒にいた時、もっともっと、酷いことを沢山したじゃないか」
「あれは……俺だってたえられなかったんだ。復讐する人間は矮小か? お前だってそうだろ」
「別にそんな話がしたいんじゃないんだ。ただ、僕とずっと一緒にいた時より、間宮は優しくなったよ。それこそ、高校生だった時みたいに」
「より酷い奴を見たからそんなことを思うんだろ。さっさと腕を出せ」
務の腕へとゴムのチューブを巻き付けながら、間宮が眉をひそめる。
「違うよ。君の狂気を煽っていたのは僕なんだ。僕が悪いんだよ、全部」
その様を、驚く程他人事のように見据えながら、務は告げた。頬の筋肉が、動く方法を忘れ、次第に無感情になっていく。離人感が体中を苛み、現実と次第に分かたれ始める。
「俺に影響を及ぼせる程の力や価値が自分に在るだなんて考えるのは傲慢だ」
間宮の声音と共に、針が肌を貫く感触がした。マキナエルライトの力でも即座には再生しない注射痕がそこに築かれる。体内へと注がれていく黄色の透明な液体を務はただ眺めていた。その色に務は覚えがあった。鎮痛剤だ。
「別に間宮の心を動かせる程の何かが自分にあると思ってるわけじゃないよ。ただ、ぼくはそれでも、もう無理だと思うんだ」
「無理? 何がだよ」
「僕の自己犠牲成しに、僕を友達だと認めてくれる人間なんていないんだ。僕はもう、心から他者を信じる事なんて、無理なんだよ」
「何を今更子供じみたことを」
「子供で良いんじゃないかな。結局僕が大人になる日なんてこなかったんだから」
「外見の話だろそれは」
「そうかもしれない。でもいくら時間が経っても、やっぱり僕は君を許すことが出来ないんだ」
務の淡々とした声音に、間宮が目を細めた。
「許す? 別に俺はお前に許されたいだなんて思わないけどな」
「憎しみあう関係は、仮に名前があるとすればただの敵対者だろ。それなのに、どうして間宮が今こうして手当をしてくれているのか僕には分からないんだ。それがうれしい理由もさ」
「……お前が言ったんだろ。許せないことや、憎い部分があっても、それが友達でいることに、何の障害になるのかって、そういう意味の言葉を最初に」
「だからって何だって許せる訳じゃないし、許される訳じゃないだろ?」
応えた務に対し、間宮が改めて視線を向けた。その強い眼差しを正面から受け止めることが出来なくて、務はうつむいたままだった。
「お前は俺に糾弾されたいのか? お前が俺を糾弾したいのか?」
「分からない」
「糾弾される方が楽なのかといつかきいたのも務だな。でもお前はこれまで、俺を糾弾することで落ち着いていただろ」
「そうかもしれないね。だけどね、焔紀の事は糾弾したくないんだ。憎みたくも恨みたくもないんだ。初めて血縁関係のない他者で、僕を認めてくれたから」
「人に認められないと自分の価値すら見いだせないのか? 浅はかだな。うわべだけの、口だけの優しさで良いなんて言うのは、弱い人間の証拠だろ」
「そうだね。僕はきっと弱いんだ」
「……反論は?」
「どうして?」
「お前、本当に大丈夫か?」
「何が?」
「目に見えるものだけじゃなく、色々あるだろ、人間。でも、今のお前は、何も見えてないようにも思える」
「何の話をしているのか分からないよ」
「まぁいい。疲れてるんだろ。兎も角、焔紀にこれ以上利用されたり、遊ばれたりするな。端から見ていても苛々するんだよ。なんで爪ぬかれて黙ってるんだ、痛いだろ」
「もっと痛いことが沢山あったからかな」
「それは嫌みか?」
久しぶりに長く話した間宮との会話に、務は頬を持ち上げる仕草を思い出した。
純粋な笑いなど久しぶりだった。
それは間宮が注射してくれた痛み止めの効果が、心の苦痛までやわらげてくれたけっかだったのかもしれないし、あるいは久方ぶりに別の友人と会話をしたからだったのかもしれない。
この時務は、友達には定義などいらないのではないのかと、漸く気付いたのだった。
それはあるいは、現実からの逃避で、あるいは、誰かの優しさに触れたからだったのだろう。別にどちらでも構わない、そう務は考えていた。
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