アニマスブレイク

猫宮乾

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 務が次に目を覚ました時、そこには穏やかな朝の陽光が差し込んでいて、何度か瞬きながら身体を起こすと、床に膝を突いたまま、シーツに顔を埋めて眠っているらしい間宮の姿に気がついた。初めはこの場所が何処なのか分からなくて、次いで処置室から、間宮が勤める施設まで強引に連れて行かれたことを思い出し、麻酔を打たれて以来記憶が飛んでいることを把握した。
 目を伏せ、右側を下にし眠っている間宮。彼のまつげが存外長かったことを思い出しながら、務は指を組んで腕を伸ばした。あくびを押し殺さずに解放しながら、間宮の眦が赤いことを見て取って、苦笑する。何故彼はこんなにも必死になってくれたのだろう。その理由をいくら推測してみても、務には分からなかった。
「……目が覚めたのか」掠れた声で、目を伏せたまま、間宮が呟く。
「有難う」何故自分がそう口にしたのか分からないまま、務は首を緩慢に左右の肩へと近接させ、凝り固まった身体をほぐす。
「全くだ。俺がいなかったら、お前は一体何度死んでいたことか、本当分からないんだぞ」
「結局爆弾とやらはあったの?」
「……無かった」やはりそうかと思って務が微笑んだ時、怒るように間宮が目を見開いた。
「だからといってあいつを信用するなよ、過信するな、良いな? 今度のことでも分かっただろ? どうして俺が焔紀のことをこれだけ言うのか」
「そうだね。間宮には本当に感謝してる」
「足りないな。そんなことより、お前はもっと自分の身体に気を遣え」
「これでもつかってるつもりだよ。君が心配してくれすぎなんだよ。僕なんてそんな――」
 そんな価値はないのだと口にしようとして、自嘲して務はうつむいた。
「どこがだよ」けれど務の言葉の続きを待たずに、間宮が彼の頭に片手で触れて、髪をかき回すように手首を振った。揺れる視界に眉根を寄せて、唇を噛む。
「大体本当に気を遣ってるって言うんならな、もう俺に心配をさせるな」
「心配してくれ何て、一度も頼んでないよ」
「頼む頼まないの問題じゃないだろ。お前、本当さ、止めてくれよもう二度と。焔紀みたいな、関わると危ない人間なんかに近づくな。初めから言ってたにもかかわらず、本当」
「間宮が焔紀を嫌ってる理由は分かったけどさ。やっぱり、君が僕を助けてくれる理由が分からないんだ」
「理由が必要なら、好きに作っておけばいいだろ。ただ少なくとも、俺はあいつへの負の感情からお前を助けた訳じゃないのは間違いない」
「それって、君が焔紀に嫉妬しているって意味?」
「なんだって? 全然意味が分からない。そうじゃなくて、あいつが嫌いだから、だからといってお前を助けた訳じゃないって言ってるんだよ。務、お前はあいつに遊ばれて死んで良いような人間じゃない。少なくとも俺はそう思ってる」
「嗚呼、僕のことを尊重してくれているって事だよね。だけどね、僕はその理由が分からないんだって言ってるんだ」
「友達だから、ってそんな言葉が未だ欲しいのか? 言葉に表す必要が本当にあるのか? そうだとすれば、あるいは友達にすら分類できない不定形の、もっとも原始的な、たまたま人間が二人いたからそこの間に起こった関係なのかもしれないな。けどなぁ、それだって、そこにいる人間ていうのは自分の意思でそこにいる訳じゃないとしたって、確かに必然的にそこにいるんだよ。勿論必然だったといえるのは、振り返った時だけどな」
「別に観念的な話がしたい訳じゃないんだ。ただ、僕のことを、そうやって、助けてくれた間宮に感謝してる」
「そういう時は、もっと簡略的で、効果のある言葉があるだろ」
「例えば?」
「有難う。一言だけの礼の言葉だ。これに勝るものなんて在るのか?」
 間宮の冗談めかした声に、務はシーツを両手でそれぞれ握りしめながら、小さく笑った。
「……有難う」
 けれどその素直な言葉に、虚を突かれたように目を丸くした後、間宮が視線をそらす。
「別に、礼を言われたかった訳じゃない」
「どっちだよ。本当、間宮って素直じゃないな」
「いや、本気でそんな礼の言葉の有無で、お前を助けた訳じゃない。でもな、お前にそういわれて悪い気はしない」
「誰だって、誰かにお礼を言われたら、嬉しいものだよ」
「それは違うな。お前に言われたから嬉しいんだよ。別の言い方をするなら、俺はお前じゃなかったら、助けなかったかもしれない。人として眼前で信念に反することが繰り広げられていたら止めるけどな。それでも、お前をあの時助けに言ったのは、そんな理由じゃなかったんだろうな。ずっと考えていたんだ。お前と久しぶりに話をしてから」
「何を?」
「俺は確かに務に優しいかもしれない。同時に、お前自身からしたら辛すぎる時もあるだろうな。でもな、俺は他人に対して本来、冷たくも優しくもないんだ。だからやっぱり、お前は、お前なんだと思う」
「ごめん、意味が分からない」
「務は特別な他人だったんだ、ってそう思う。それを人によっては友人と呼ぶんだろ」
 務はその言葉に困惑し、瞳を揺らした。その彼の肩を間宮が両腕で強く抱く。
「俺はお前の嫌いな所が沢山ある。でもな、無くなれば良いとは思えない。逆に好きな所も沢山あるんだ。俺はお前を認めていないように見えるかもしれない。実際認められない箇所だって多い。でもな、それでもな、お前がいなくなるのは嫌なんだ。別に側にいればいいと思う訳じゃない。離れていても、それでお前が自分の道を歩んで幸福ならばいいさ。だけど、だけどな、今回みたいに、お前の何かを削られていくような姿は見るに堪えない。生きていて良かったと心底思う。俺はお前に対して謝る気なんて無いけどな、でも、それでもお前を友達だと確かに思っているのかもしれない。無事で良かった」
 制しきれなかったように間宮の唇から漏れ続いた声と、その腕の力強い温もりに、務は笑おうとしてそれが出来なかった。涙が出そうになって、けれどそれを瞬いて止める。
「お前が困った時は何時だって、俺が助けてやるから、だからそんな風にもう二度と、自分を犠牲にするな」
「間宮だって僕にそれを強要したことがあるだろ」
「俺は良いんだよ。だってな、俺だって」
「何が? ……でも、そうだね、間宮も僕のために勝手に自分を犠牲にしてきたのかもしれないね。だけど僕は、それは違うと思うんだ」
 務は、涙をこらえる様子の間宮の髪の毛を、静かに優しく撫でる。
「間宮は、僕に求められなくたってそうしてきたって言いたいんだろうけど。僕は少なくとも君と、対等でありたいんだよ。だから、間宮こそもう無理も無茶もしなくて良いんだ」
「別にして無い」
「してる。いや、してた、かな。だからこれからは、僕だって君が一人で悩むことがないように、手をさしのべることが出来れば良いと思うんだ」
「八割方お前の悩みなんだから、お前が強くなれば解決する」
「そうだね、僕が弱いんだと思う。でも、もう止めるよ。有難う、君が助けてくれたから、そう思えるんだと思う。ただ、やっぱり君のことはどうしても好きになれないんだけど」
「俺だってお前は嫌いだ。でもな、嫌いあうことの方が、好きあって身体を献体するより、ずっとましだろ」
「そうかもしれないね。でも、正直焔紀の事も好きじゃないんだと思う。僕は、もしかしたら、自分自身以外には興味なんて無いのかもしれない。だから、嫌いだったり、感謝できたりする間宮は、やっぱり特別なのかな」
「俺も似たような心境だよ。でもな、お前さ、嗚呼もう本当、お前ってかわらないな。でもそれでいいんだろうな」
 務の肩に顔を埋めたまま、間宮が苦笑するようにそう口にした。
 丁度その時のことだった。辺りに、壁に付属したスピーカーが危機を知らせたのは。
『警戒レベルαです。ヘラクレスの柱境界点に、放射性降下物を確認しました』
 その電子音声に、慌てたように、務の肩を押し返し、間宮が顔を上げる。
 ほぼ同時に、彼の携帯電話が鳴き始め、慌てたように取り出した間宮が通話ボタンを押下する。
「ムー大陸に着弾? それで夢子は? ――そうか……」
 間宮の悲痛そうにゆがんだ眉を務が認識した時、正面から顔を覗き込まれた。
「草薙の剣の起動コードを知っている人間は、神代プロジェクトに何人いる?」
「梓月さんと遇津さんと、後は僕と、エンジニアだけだけど」
「エンジニアは今何をしてる?」
「普通の人間だったから五十年前くらいに亡くなったよ。ちょっと待って、ムーって……アトランティスじゃなくて?」
「勿論アトランティス側も汚染圏内だ。でも、今のラートナーからの連絡ではムー大陸だって話だ。発射されたのは間違いなく草薙の剣なのに、場所が場所だ。梓月とは思えない」
「だけど遇津さんは今……ついてきて」
 腑に落ちなおもいながらも、務は寝台から降りて、力強く床を蹴った。
 自宅へ戻る。
 その後を追った間宮と共に、遇津が眠っているはずの部屋へと向かう。
 しかし、そこには人気がなかった。
「どうして……」信じられない面持ちで呟いた務の双肩を、間宮が強く叩く。
「行き先に心当たりは? 第一、どうして遇津が太陽派を攻撃なんて」
「もし彼女が正気であるなら、分からなくもないよ。だって、もし太陽派に唆されなければ、神代プロジェクト側からアトランティスに報復攻撃をするなんて言う選択肢は存在しない。今だって、太陽派に近しい焔紀と一緒に、梓月さんはいる。それこそ復讐のためにさ。本人が何て言おうと、そうとしか考えられない。でも、梓月さんはそんな人じゃない。全部、全部さ、太陽派が悪いんだ」
「別にそこまで悪いとは思わないけどな。大体そういうなら、アトランティスこそ余程憎悪の対象だろ」
「それはそうだろうけど――そうだ。もしかしたら……いやでも……」
「なんだよ?」言葉を濁した務に、間宮が詰め寄る。
「本当に、本当にムー大陸に核が被弾したんだとしたら、しかもそれをしたのが遇津さんだとすれば、それよりもずっと強い憎悪の対象であるアトランティスはどうなると思う? もし間宮だったらどうする? 僕なら……いやでも」
「だからなんだって聴いてるんだよ」
「沈めたいと思う。いくら戦火につつまれても、残り香があるだろ。だけど僕が遇津さんなら、と言うか、彼女なら恐らく、目に見えるようなものが残ることにすら絶えられないんじゃ……」
「抽象的すぎて分からない。はっきりいえ、どこにいるとおもうんだ?」
「アトランティス島が浮かんでいるのは、マキナエルライトの動力源があるからだよね? それこそさ、太母の身体の含有量に匹敵するような」
「ああそうだ。でも何でそれを知ってる? あそこに、マキナエルライトの結晶を宿した人間が近づけば、また最悪暴発が起きるから、初期の研究メンバーしかそのことは知らないはずだ……遇津は違う。お前もな」
「僕は遇津さんから聴いた。どうして彼女が知っていたのかは分からない」
 いつか二人で見に行った、緑色の淡い光に包まれた、動力炉を思い出す。
 あの落ち着く色は穏やかで、今でも想起するだけで、身体を楽にしてくれる。
「嘘だろ」そう呟いて走り出した間宮の姿に、務は我に返った。
 脳裏では、梓月と共に出かけた先を、素知らぬ顔で遇津が案内したのではないかという空想が一人歩きし、ただそのつらさに身体を苛まれそうになっていたのだけれど。
 それでも自分を叱咤して、務もまた走り出した。

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