左遷先は、後宮でした。

猫宮乾

文字の大きさ
8 / 30

【8】「陛下の方が、俺よりも経験値が低いじゃないか!」

しおりを挟む



 二人で眠る事になった寝台に、取り敢えず俺は腰掛けた。ルカス陛下はソファに座って書類を眺めながら、今度は琥珀色のウイスキーをロックで飲んでいる。時折氷が立てる音を耳にしながら、俺は複雑な気持ちになった。

 何せ――国王陛下の添い寝コースだ。

 恐れ多いといえば、それはそうなのだ、が……節約家の俺の内心は、計算に熱心になっていた。今後毎日、これまで週末にかかっていた添い寝代がかからない上で、人肌がそこにあるのだ。妃業にお給料は出ないかもしれないが、生活費もあまり自分で支払う必要は無さそうだ。まだその辺の細部は聞いていない。急展開過ぎた事と、今回の件は、元を正せば処分のやんわりとした一形態だったからである。

 その時、コトンと音を立ててグラスを起き、陛下が立ち上がった。
 そうして寝台まで歩み寄ってくると、まじまじと俺を見てから、上がってきた。
 慌てて俺も上に座る。そんな俺の前で、くるりと背を向けると、陛下が言った。

「寝るか。おやすみ」
「おやすみなさい」

 俺は答えたが――これでは、添い寝ではない。巨大な寝台には距離もあるし、単純に二人で横になるだけだ。やはり添い寝コースとは趣が違う。何しろ、腕枕ではないのだ。まぁ、現実はこんなものだろうか。

 そう考えて、俺も眠る事にした。疲れが一気にこみ上げてきたのである。当初こそ、緊張して眠れないかもしれないと心配していたが、毛布をかけてすぐ、そのまま俺は寝入った。

 ――翌朝。

「ん」

 瞼を開けた俺は、最初、何処に居るのか分からなかった。目の前に、厚い胸板がある。確認しようと体を起こそうとしたら、がっしりと背中に腕が回っていたため、身動きが出来なかった。二度瞬きをしてから視線だけを上げて――俺は一気に覚醒した。

 俺を抱きしめて、ルカス陛下が眠っていたからである。伏せられている端正な目を見て、思いの外まつげが長いなと考える。完全に爆睡しているらしく、健やかな寝息が聞こえる。

「……」

 動けないので、俺は陛下の綺麗な寝顔を眺めていた。陛下は体温が高いらしい。それにしても力が強い。俺を抱き枕か何かと、勘違いしているのかもしれない。そのまま暫く見守っていると、うっすらと陛下が瞼を開けた。そしてぼんやりと俺を見た。目が合う。

「……オルガ……? ……っ!!」

 そこで漸く、ルカス陛下は覚醒したようだった。バッと勢いよく俺を離すと、慌てたように距離を取ってからこちらを見た。そのまま上半身を起こし、焦ったように何度も唇を開閉させている。瞬時に陛下は赤面した。

「わ、悪い……寝ぼけていたらしい」

 その動揺っぷりを見て、俺は思わず気分が良くなった。

「やっぱり陛下の方が、俺よりも経験値が低いじゃないか! 真っ赤だ」
「う、うるさい!」
「抱きしめられちゃった」
「黙れ!」

 そんなやりとりをしてから、俺達は、揃って朝食をとった。本日は、俺の部屋へとレスト達が運んできてくれたのである。本日以外も、この部屋か一階で食べる事になるようだった。もっとも食事に関しては、打ち合わせなどを兼ねて大臣達などと陛下が食べる事もあるそうなので、必ず一緒だというわけではないようだった。

 さて朝食後――ルカス陛下とは別れて、本日も俺はレストと一緒に、第四塔へと向かった。するとデイルさんが待ち構えていた。俺は扉を開けた瞬間に、最初、目を疑った。

 デイルさんの背後には、昨日と同じくらいの量の仕事の山が見えるのだ。昨日全て片付けたはずなのに、また、新たな書類が雪崩を起こしそうになっていたのである。え? どこから出てきたんだろうか……?

「お待ちしておりました! 急ぎのお仕事が!」
「見れば分かります」
「え? たった今、宰相府から伝令が来たのですが、もうお聞きに?」

 首を傾げながら、デイルさんが一枚の羊皮紙を俺に見せた。伝令に関しては知らないので首を振り、俺は視線を向けた。

 そこには、『フェルスナ伯爵領への視察について』という文字が並んでいた。

「国王陛下のご視察に、初めて王妃様のお仕事として伴われるそうですね! いやぁ、オルガ様ならばきっと完璧にこなされる事でしょう!」

 デイルさんの声に、俺は息を呑んだ。視察なんて、初めて聞いたからだ。驚いてレストを見たが、こちらは知っていたのか、笑顔を変えない。いつもの通りだ。

「そこで、本日は、まずは次の視察時の――その後は、普段からその他の外交時や夜会の際にお召になる服の予算案等を、取りまとめるお仕事を!」

 それを聞いた俺は、二つの事に驚いた。王妃が自分で予算を組むものだったのか……衣装……と、いう点と、もう一つは、その衣装代に関する書類だけで部屋が埋まるのかという衝撃である。

「早速取り掛かりましょう! なお、次の視察の品に関しては、午後には仕立て屋の者が参りますので、午前中には全てを終わらせたいのですが」
「う……」

 昨日よりも速度を上げなければならないだろう……。俺は顔を引きつらせそうになったが、必死で笑顔を浮かべた。こうして本日も席につき、俺はデイルから受け取った紙を見た。

「……シャツ一着で……750万デクス……」

 俺はちらりとレストを見た。今回に関しては、俺の方の一般常識が当てはまらないのだ。俺には、貴族の服の平均額の知識が無い。文官の制服は支給品だったので、上質だが額は知らなかった。それに、こちらにも昨日のように、何か含まれている可能性もある。

「レスト、これは、高い? 安い?」
「僕の私服のシャツより、少し高い程度ですね」

 クスクスとレストが笑っている。室内を見渡すと、皆静かに頷いていた。

「じゃあ、もう少し値段を下げても良いって事か?」
「どちらかといえば、上げても構わないのでは? 初の視察ですし」
「そういうもの?」
「全体的な予算との兼ね合いもあるとは思います」

 それを聞いて、俺は他の書類を手に取った。すると見本として、過去の王妃様達の衣装代の一覧がついていた。……目が飛び出そうなほどの高額だった。

「……え、えっと。これ、さ? 本当に貴族の標準なのか? そうなんですか?」

 平民の俺とは、格が違った。声が震えてしまう。そこで、はたと気づいた。

「あ、でも、俺は男だし、ドレスよりはお金がかからないのか。特に、アクセサリーはそんなにいらないだろうし。俺は頭に花とかつけないからな――……つけないよな? ま、まさか、ドレスの一覧が見本にあるって、俺は女装とかしないとならないの?」

 焦るような声音を俺が放つと、レストが腕を組んだ。そして小さく吹き出した。

「女装は必要ありませんが、お好みでしたら」
「好まない、好まないです!」
「順にお答えすると、貴族平均よりは無論少し高額です。理由は、やはり王家の皆様は外交等で他国の方とお会いする機会が多いので、あんまりにも安っぽい出で立ちをされていると、国が貧しいのかと勘ぐられてしまいますので」
「なるほど」

 頷き、その後この日は、レストや補佐官の人々に教わりながら、俺はサインをしていった。仕事を一区切りさせたのは午後になってからで、仕立て屋さんが訪れたのは二時過ぎの事だった。

 そこから俺は、着せ替え人形のように、あれやこれやと渡された服を着せられた。俺にはどれも似たりよったりのシャツに見えても、細部のデザインが違うのだと主張され、一着一着身にまとっては、その部屋にいる全員に唸られた。上着も同様だった。途中でメガネを外され、服により似合いそうな髪型にするとして弄られた。居心地が悪すぎる。俺だって普段着を買うのは好きだ。だが俺が買うのは市販品ばかりであり、自分のサイズを測定して作ってもらった事など、ほとんどないのである。

 それらが終わったのは夜だったが、本日の書類の山は補佐官の人々が俺よりも沢山片付けてくれたので、無事に収まった。

 この日――ルカス陛下と俺は、第三塔の自分の部屋で合流した。
 着替えたままの状態で俺が部屋に戻ると、ルカス陛下が座っていたのである。

「遅かったな。夕食は今こちらに運んでくると――……」

 俺を見てそう言ったルカス陛下は、途中で口を止めた。そして、俺の頭からつま先までを、二度じっくりと見た。

「童顔だとしか聞いていなかったが、そうしていると、思ったよりも、艶があるな」
「艶?」

 レストに首元のリボンを渡しながら、俺は聞き返した。

「な、なんでもない!」

 するとハッとしたような声を出してから、ルカス陛下が顔を背けた。しかし疲れていたので追求する気分にもならず、俺はその後、食事をして入浴し、直ぐに眠る事にした。



しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

ゲームにはそんな設定無かっただろ!

猫宮乾
BL
 大学生の俺は、【月の旋律 ~ 魔法の言葉 ~】というBLゲームのテストのバイトをしている。異世界の魔法学園が舞台で、女性がいない代わりにDomやSubといった性別がある設定のゲームだった。特にゲームが得意なわけでもなく、何周もしてスチルを回収した俺は、やっとその内容をまとめる事に決めたのだが、飲み物を取りに行こうとして階段から落下した。そして気づくと、転生していた。なんと、テストをしていたBLゲームの世界に……名もなき脇役というか、出てきたのかすら不明なモブとして。 ※という、異世界ファンタジー×BLゲーム転生×Dom/Subユニバースなお話です。D/Sユニバース設定には、独自要素がかなり含まれています、ご容赦願います。また、D/Sユニバースをご存じなくても、恐らく特に問題なくご覧頂けると思います。

【完結】悪妻オメガの俺、離縁されたいんだけど旦那様が溺愛してくる

古井重箱
BL
【あらすじ】劣等感が強いオメガ、レムートは父から南域に嫁ぐよう命じられる。結婚相手はヴァイゼンなる偉丈夫。見知らぬ土地で、見知らぬ男と結婚するなんて嫌だ。悪妻になろう。そして離縁されて、修道士として生きていこう。そう決意したレムートは、悪妻になるべくワガママを口にするのだが、ヴァイゼンにかえって可愛らがれる事態に。「どうすれば悪妻になれるんだ!?」レムートの試練が始まる。【注記】海のように心が広い攻(25)×気難しい美人受(18)。ラブシーンありの回には*をつけます。オメガバースの一般的な解釈から外れたところがあったらごめんなさい。更新は気まぐれです。アルファポリスとムーンライトノベルズ、pixivに投稿。

婚約破棄された俺をお前が好きだったなんて聞いてない

十山
BL
レオナルドは辺境に領地を持つ侯爵家の次男。婚約破棄され、卒業とともに領地の危険区域の警備隊に就いた。婚活しないとならないが、有耶無耶のまま時は過ぎ…危険区域の魔獣が荒れるようになり、領地に配属されてきた神官は意外な人物で…?! 年下攻めです。婚約破棄はおまけ程度のエピソード。さくっと読める、ラブコメ寄りの軽い話です。 ファンタジー要素あり。貴族神殿などの設定は深く突っ込まないでください…。 性描写ありは※ ムーンライトノベルズにも投稿しています いいね、お気に入り、ありがとうございます!

婚約破棄させた愛し合う2人にザマァされた俺。とその後

結人
BL
王太子妃になるために頑張ってた公爵家の三男アランが愛する2人の愛でザマァされ…溺愛される話。 ※男しかいない世界で男同士でも結婚できます。子供はなんかしたら作ることができます。きっと…。 全5話完結。予約更新します。

待て、妊活より婚活が先だ!

檸なっつ
BL
俺の自慢のバディのシオンは実は伯爵家嫡男だったらしい。 両親を亡くしている孤独なシオンに日頃から婚活を勧めていた俺だが、いよいよシオンは伯爵家を継ぐために結婚しないといけなくなった。よし、お前のためなら俺はなんだって協力するよ! ……って、え?? どこでどうなったのかシオンは婚活をすっ飛ばして妊活をし始める。……なんで相手が俺なんだよ! **ムーンライトノベルにも掲載しております**

悪役令嬢の兄、閨の講義をする。

猫宮乾
BL
 ある日前世の記憶がよみがえり、自分が悪役令嬢の兄だと気づいた僕(フェルナ)。断罪してくる王太子にはなるべく近づかないで過ごすと決め、万が一に備えて語学の勉強に励んでいたら、ある日閨の講義を頼まれる。

ギルドの受付の誤想

猫宮乾
BL
 元冒険者で、ギルドの受付をしている僕は、冒険者時代に助けてくれたSランク冒険者のシオンに恋をしている。そのシオンが自分と同じように『苔庭のイタチ亭』という酒場の常連だと気づいてから、叶わぬ片想いだとは思いつつ、今まで以上に店に通い、長時間滞在していた。そんなある日、シオンに話しかけられて、「好きな相手がいる」と聞いてしまい、僕は失恋した――かと、思いきや。  ※居酒屋BL企画2020の参加作品です(主催:くま様/風巻ユウ様/三谷玲様/猫宮乾)、よろしければご覧・ご参加下さい。異世界の酒場『苔庭のイタチ亭』にまつわるお話です。タグのみで、ご参加頂けます(⇒ 居酒屋BL2020)

花街だからといって身体は売ってません…って話聞いてます?

銀花月
BL
魔導師マルスは秘密裏に王命を受けて、花街で花を売る(フリ)をしていた。フッと視線を感じ、目線をむけると騎士団の第ニ副団長とバッチリ目が合ってしまう。 王命を知られる訳にもいかず… 王宮内で見た事はあるが接点もない。自分の事は分からないだろうとマルスはシラをきろうとするが、副団長は「お前の花を買ってやろう、マルス=トルマトン」と声をかけてきたーーーえ?俺だってバレてる? ※[小説家になろう]様にも掲載しています。

処理中です...