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―― 本編 ――
【二十九】待ち合わせ
しおりを挟む翌日の早朝には、空模様が青く回復し、槙永が身支度を整えて待つ頃には、田辺がやってきた。青辻を見送り、槙永もまた帰宅を促されて、引継ぎ後家へと帰った。
トースターに食パンを入れてから、暫くその場で立ち尽くし、槙永は昨夜の出来事を回想していた。
想い人が、バイだった。同性愛者の槙永から見れば、それはある種の幸運だ。
そして次に会う約束もした。駅員と写真家という職務上の繋がりを超えた、プライベートで――これもまた、嬉しくてならない。
だが青辻に吐露してしまった過去も、そしてたとえば、他の誰かに青辻との会話を聞かれる事も、即ち第三者に知られる事も、いずれも槙永にとっては恐怖でしかない。
赤く色づくトースターの内部、焦げていくチーズを見ながら、槙永は溜息をついた。
今、万が一にでも、この平和な深水での暮らしを失ったならば、今度こそ生きてはいけないという確信がある。
(嘘をつく人だとは思わないけどな……どこまで、本気だったんだろう)
トースターが音を立てるまでの間、槙永はその場に立ち尽くしていた。
次に顔をあわせる時は、どのような顔をしたら良いのだろうかと思案しながら、あまり味のしない朝食を噛む。
そうしつつ眺めた写真サイトには、昨日撮影されたのだろう、曇天の中を通る電車の写真が、新しく掲載されていた。
その後は眠り、翌一日はゆっくりと休日の惰眠を貪ってから、少し変動があったもののほぼ元々のシフトと同じ状態で、槙永は通勤した。その日の朝と夕は、青辻の姿が無かった。駅の窓を拭きながら、槙永はどこかで青辻の姿を探していた。
結局それ以後、日曜日まで青辻と会う機会は無く、半信半疑で月曜日の九時半に、槙永は駅へと向かった。
すると停車していた黒いワゴン車から、青辻が顔を出した。
「良かった、来てくれて。俺の宿泊先が、北欧料理の店なんだ。十一時に予約を入れてあるから、少し早いというか……まだ、一時間も前だぞ?」
「青辻さんだって、いるじゃありませんか」
「俺は七時からここにいた。絶対に逃すつもりは無かったからな」
それを聞いて、珍しく槙永の表情筋が仕事をした。形作っているのは、苦笑だったが。
「逃げたりしません」
「そうか。俺は基本的には、据え膳はきちんと食べる主義なんだ。恋人がいない限りはな。そして、今俺はフリーだ」
「あの、ひと目があるので、そういう事はあんまりその……」
「安心してくれ。槙永くんに迷惑をかけるつもりは毛頭無い。ただ、俺は隠すつもりも無い」
一切安心出来ないなと、槙永は再び苦笑した。
「ま、少し早くても良いだろう。行くか」
「北欧料理のお店って、都会からセミリタイアしてきた方が経営されているっていう、完全予約制のお店ですか?」
「お。よく知ってるな。そこで、あってるはずだ。あいつは、北欧に留学していて、そこで料理を学んだ奴でな。この深水の雪質が近いからと、ここを選んだんだよ」
「そうなんですか」
「ああ。料理の腕は一級品だ。俺が保証する」
青辻が車を発進させた。槙永は、その横顔を見ながら、静かに頷く。
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