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―― 第一章 ――
【006】土曜日の朝
しおりを挟む一階から怒鳴り声が聞こえてきたので、俺はがばりと起き上がった。冷房が効いている部屋で、毛布を両手で掴む。誰か来ている。高橋との待ち合わせ時間はもう少し後なので、恐らく梓馬さんが来ているのだろう。夕陽が高橋を怒鳴るとも思えない。
欠伸をしながら、俺は着替えた。
そして階下に向かい、洗面所で顔を洗う。その後リビングに行くと、梓馬さんが夕陽の肩を抱き寄せていて、夕陽が俯いて唇をとがらせ、怒りに震えていた。
「いやぁ、安心しろよ。別に、会社で言いふらしたりしねぇよ。お前の態度次第だけど」
「ッ」
「キレ者でエリートを絵に描いたような夏野様の趣味が、これとはな。みんなビックリするだろうな」
「……、……」
夕陽は何か言いたそうに唇を震わせつつ、真っ赤になって、泣きそうになっている。
梓馬さんは、ニヤニヤ笑って、抱き寄せている夕陽のことを見ている。
はっきり言って、いじめっ子である。もっと言うと、梓馬さんは、好きな子に意地悪をしてしまうタイプだ。どこからどう見ても、このボディタッチもそうだが、端から見ていると梓馬さんは、夕陽のことが好きだ。だが夕陽は二次元にしか興味が無いし、モテるのに非常に鈍いので、全く気づいていない様子だ。俺も鈍いと言われがちだが、夕陽ほどではない自信がある。
「梓馬さん、来てたんだ。おはようございます」
俺は兄を助けてあげようと思い、声をかけた。すると夕陽から手を離し、梓馬さんが、俺に対しては柔らかな笑みを浮かべた。少々つり目だが、凜とした顔立ちで、彫りが深い。梓馬さんは、夕陽と梓馬さんが勤める外資系の会社の代表取締役の三男だそうで、お祖母さんがフランス人なのだという。夕陽とは系統が違う美形だ。
「おう。そういえば陽射、VRゲームをしてるんだって? なんでも異世界を創るとか」
「あ、うん。でも中身は、夕――」
「全て陽射が考えてクリエイトしたんだ。弟は天才だ」
兄が俺の言葉に声をかぶせて打ち消した。男だけの世界も、俺が考えたことになっている。まぁ、俺は別に構わないので、何も言わないでおいた。
「へぇ。俺もやりたい。興味がある。いやぁ夕陽に、今日何してるのかって聞いたら、陽射とゲームするって言っててな。俺より弟君を優先とは本当にいい度胸だ。けどまぁ、俺は心が広いから、俺も一緒にやりたいなぁって」
「全然良いですよ。あ、大学の友達が一人来てからだけど」
俺が頷くと、夕陽が諦観したような表情になった。
その時インターフォンの音が響き、少しして高橋が勝手に入ってきた。いつものことである。既にこの家の鍵には、高橋の網膜認証設定がしてある。それは梓馬さんも同じだが。
「おはよーございます。えっと……」
高橋が梓馬さんを見上げた。すると梓馬さんは、夕陽に対する意地悪そうな顔とも、俺の前での明るい顔とも異なる、非常に爽やかな笑顔を浮かべた。
「陽射の友人か? 俺は梓馬。夕陽の同期で、遊びに来させてもらったんだ。はじめまして」
「ああ、そうなんですか。噂の、好きな子を苛めちゃうタイプだけど悪い人では無い梓馬さんですか」
「っぶは」
派手に梓馬さんが咽せた。そしてキッと俺を睨んだので、俺は顔を背けた。
俺は高橋に、確かにそう話したが、何も言わなくてもいいと思う。
高橋はたまに空気が読めない。
「べ、別に俺は夕陽を好きなわけじゃない!」
誰も兄の名前など出していないから、梓馬さんは盛大に墓穴を掘っている。
俺と高橋は視線を交わした。
「そうだ。高橋くん、誤解だ。梓馬はいつも俺を虐めているのは事実だが、どう見ても俺をからかってニヤニヤしているだけの悪人だ」
一人夕陽が頷いている。本当に鈍い。
「そういうのいいんで」
高橋は気を取り直したように、笑顔で切り捨てた。
「陽射。お前が創ったゲームやろう」
「うん。そこの二人もやるって」
「いいねぇ」
高橋がソファに座った。俺もその横に座る。兄も気を取り直した様子で、頬を若干桃色に染め、瞳を輝かせてVR接続装置を手にしながら、対面するソファに座った。その横には、当然のように梓馬さんが座る。
そして全員で耳に装着し、目を伏せた。
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