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―― 第一章 ――

【016】忘れ物

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 翌日、澪と共に偲を見送った時生は、清々しい日射しを浴びてから、屋内へと戻った。

「カルタ、やりましょうか?」
「うん!」

 お土産に買ってきたカルタは、現在澪のお気に入りで、昨夜は渉と真奈美も交えて四人で行った。カルタのいいところは、二人でも遊べるところだろうか。江戸から伝わるいろはカルタを購入したのだが、犬の絵が可愛いと、その札が澪のお気に入りになった。

 澪は瞬発力があるようで、二度・三度と遊ぶ内に、渉には勝つようになった。

 手を繋いで澪の部屋まで戻り、二人でカルタを始める。これもれっきとしたことわざの勉強でもある。

 激しいノックの音がしたのは、その時のことだった。
 驚いて視線を向けると、真奈美が顔を出す。手には、茶封筒がある。

「時生さん、大変! 偲様が忘れ物をなさったようなの。今、ゴミを集めに書斎へ入ったら、ぽつんと机の上にあって……」
「あっ、それは今日の午後の会議で使うと話していた……」
「やっぱり? 昨日居室からそんな話し声が台所まで聞こえてきたから、これじゃないかとは思ってたのよ。はぁ……偲様って変なところで抜けておられるから……。ねぇねぇ、澪様のお相手は私が代わるから、届けてきてもらえませんか? 渉は今日、古書店に出かけているのよ。まったく、こういう時にかぎって……」
「分かりました!」

 大きく何度も時生は頷く。
 それから澪を見た。

「僕は少し、届け物に行ってくるね。ごめんね、カルタ……」
「ううん。お父様が悪いのだから、時生が助けてやってくれ!」
「私が今から参戦します! お相手します! ……あ、読む役か」

 真奈美は時生に茶封筒を渡すと、澪の隣に座った。
 入れ違いに時生が立ち上がる。

「行ってきます」
「お願いね! 住所はここに書いておいたから」

 真奈美から紙片を受け取った時生は頷き、一度借り受けている部屋へと戻って昨日呉服屋から届いた、偲に買ってもらった上着を羽織ってから、同様に購入してもらった鞄に茶封筒を入れた。靴や手袋も、買ってもらった品がある。おろしたてのそれらを身につけ、時生は礼瀬家から外へと出た。

 帝国陸軍あやかし対策部隊の本部があるのは、深珠区の北にある桜木町だという。
 簡単な地図と住所が記載されていたので、そちらを目指して、時生は足早に歩く。
 まだ正午前だが、時生の足だと、二時前になんとか間に合うかどうかというところに位置していた。吐く息が白く染まる。息をきらして歩きながら、間に合いますようにと時生は祈る。時生はあまり神頼みはしないのだが、偲のことを考えると、ついそうせずにはいられない。

 いきかう俥や人の波を抜けて、何度か角を曲がり、大通りを進んでから路地へと入る。この深珠区の街並みは、江戸の頃に敵襲を防ぐためとして、あえて入り組んだ構造に作られたそうで、まるで迷路のような造りをしている。

 地図が合っていることを祈りながら、一時間弱歩いた時、正面に近代風の四角い建物が見えてきた。左右対称で、三階建てらしい。中央の上部だけ左右より高く、丸い形をしている。日章旗と国旗が掲げられているのを見ながら、急ぎ足で時生は建物に続く舗装された路を進む。路の左右には、鍛錬に励む軍人の姿が見えた。

 入り口に入ると、守衛役の軍人が立っていた。

「あ、あの……礼瀬家でお世話になっている、高圓寺時生と言います。偲様の忘れ物を届けに来ました。これを、渡して頂きたくて――」

 時生がそう告げると、目を丸くした軍人が、ちらりと後ろに振り返る。

「あやかし部隊の礼瀬准将か。それは大切な書類であろうし、勝手に部外の軍人の私が届けるわけには参らん。本部まで私がつきそうから、書類は君が運ぶといい」
「えっ」
「迂闊に手にして、見られたなどと言われては叶わないからな。あやかしに祟られるのも怖い。私は、高東中尉という。さぁ、行こう」

 軍帽を被った短髪の軍人は、そう言うと時生を促し歩きはじめた。
 慌てて時生は、その後ろに追いつく。

 中に入ると、緋色の絨毯が敷かれており、床は白い大理石のようだった。階段を上がっていき、二階の廊下を進んでいく。

「この階は、全てあやかし対策部隊の管理下にあるんだ。一階は事務局などで、三階は主に資料庫、地下と外は鍛錬場だ。私のような守衛は、一階からはめったにこちらへは上がらないから、ちょっと緊張するな。いい歳をして恥ずかしいのだが……」

 苦笑するように高東が述べる。だが、僅かに指先が震えているのを見て、本当に怖いのだろうなと時生は考えた。時生はよほど強いあやかしでなければ、それこそ誰にでも視えるような怖いあやかしでなければ視えないわけであり、そのような存在にはまだ遭遇したことがない。そのため、『いる』とは聞けば、視えない存在が周囲にいるのかと思い、不思議な気持ちになる。人によってはそれが恐怖という名前でもおかしくはないだろう。

「ここがあやかし対策部隊の本部だ。奥に執務室などがある。入るといい。中におられる方に、君のことを引き継いだら、私は逃げ帰……いいや、元の仕事に戻る」

 高東はそう言ってから、本部の扉をノックした。

『はーい』

 するとすぐに声が返ってきた。

「失礼する」

 高東が中へと入る。
 続いて時生が入室すると、窓際に机があり、黒い電話が載っていた。
 その後ろには、レースのカーテンが左右でまとめられた窓がある。

「礼瀬准将に、届け物にきたという青年をお連れした」
「え? 偲に?」

 首を傾げたのは、色素の薄い茶色の髪をした、線の細い青年だった。
 立ち上がった青年が、歩みよってくる。

「では、私はこれにて」
「え? 高東中尉?」
「これにて!」

 高東は青年に向かいそう答えると足早に出て行った。バタンと背後で扉が閉まる中、時生は鞄から慌てて茶色い封筒を取り出す。

「あ、あの、これを……偲様に届けに来ました」
「ああ、確かにうちの封筒だ。君は?」
「偲様のお宅でお世話になっている、高圓寺時生を言います」

 再び時生は名乗った。すると青年が、腰を折って、時生を覗き混む。

「高圓寺って、四将の高圓寺家?」
「た、多分……多分そうだと思います」
「ふぅん。とりあえず預かるよ。偲は今、午前中に急な討伐が入って、外に出ているんだ。時生くん、そこのソファに座って。今、お茶を出すから」
「え、あっ……お、お構いなく。僕、帰ります」
「いやいや、折角来たんだし偲に会っていきなよ」
「はぁ……」

 本当にいいのだろうかと考えながら、おずおずと時生は示されたソファに座る。
 するとそこへ、湯飲みを二つ盆に載せて持ってきた青年が、一つを時生の前に置き、もう一つを対面する場所に置いてから、そちらに座った。

「僕は結櫻哉汰というんだ。偲の同期でね。階級は、大尉。よろしくね」
「よろしくお願いします……」

 にこりと笑う結櫻の瞳は優しげだ。目の色も茶色い。
 時生はテーブルの上に、茶封筒を置く。確かに透かしが入っていて、部隊名が押印されていた。壁に掛かっている時計を見れば、午後の一時四十五分で、会議には間に合ったようだと、時生は肩から力を抜いた。




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