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第三話
しおりを挟む「ぁ、ァ……あああ」
しかし決意など脆くて、霧生を見て、少し低い声でコマンドを告げられる度、俺は悦んでしまう。不甲斐なくて、涙が出てくるのに、セーフワードを言う気にはならない。
「常磐」
「あ、っ、ッ、ハ……」
「――聞きたい事があると最初に話しただろう?」
「う、う……ぅァ……」
焦らしに焦らされ、俺はすすり泣きながら、その声を聞いた。そうだった。霧生は、俺に話が聞きたいから、俺を体から絆しにかかっているだけだった。言動もケーキのように甘い所がある霧生のせいで、すっかり失念しそうになっていた。俺は滑稽だ。
「五年前。常磐、お前が医師免許を剥奪される事になった医療ミスとカルテの改竄についての話を、俺は聞きに来たんだ」
それを聞いた瞬間、俺は全身に冷水を浴びせられた心地になった。
「《Say》、真実を」
「『愛してる』」
反射的に、躊躇する事もなく、俺はセーフワードを告げていた。
すると霧生の体が強ばった。
「……、何故だ?」
探るようなその声音に、俺は開きかけていた心を封じる事に決める。
霧生には、霧生の目的があるのだからと考え直す。
そんな思考を巡らせる俺を、長い間沈黙し、霧生は見ていた。
だが、呼吸を落ち着けると、霧生が不意に腰を揺さぶった。
「あ、待て、動くな、っッ――んン!!」
「まぁ良い。お前の口から、俺に対して『愛』という言葉が出るのを聞くのは、存外胸が満ちる」
結局この日は、そのまま普通にSEXした。セーフワードの効果は絶大だったらしく、俺を抱き潰す事はしても、霧生は俺に発言を強制は出来ないようだった。
肉体関係だって、セーフワードを用いて拒めば良いのだろうが、そちらに関しては、俺は心から嫌だとは思っていないのだと、こちらもこちらで自覚させられる。
だがこれを境に、霧生は俺に訊いてくるようになった。俺はその度に、『愛している』と告げている。だから、いつも普通に体を重ねる事になる。
本日は、初霜が降りた。
俺はニュースの地域情報でそれを知った。
今日も、霧生は来るだろうか? ここの所の俺は、そればかり考えている。そんな自分に気付く時、とてつもなく、胸が痛むようになってしまった。
何故俺は、霧生の事をこんなにも意識しているのだろう? 霧生が、Domで、俺が、Subで、それで、なのだろうか? いいや――違うと俺はもう、理解している。
いつの間にか俺の内側を侵食していた霧生。その目論見は大成功だとしか言えない。体が契機の俺達の関係だが、あっさりと俺は、当初の奴の持論の通り、絆されつつある。いいや、絆されている。俺は、明確に霧生の事が……好きだ。
だからセーフワードを口にするその瞬間は、俺にとって辛くもあれば、実を言えば幸福でもある。背徳的な幸福感では、あるが。
この日訪れた霧生は性急で、ネクタイを乱暴に引き抜いてから、ソファに俺を押し倒した。
「霧生、せめて電気を消してくれ」
「断る」
「眼鏡、曇ってるぞ」
俺の言葉に、荒々しく吐息をしてから、霧生が眼鏡を外した。そこに現れた端正な顔を見て、俺は苦笑しそうになる。霧生の唇に、目が吸い寄せられる。最初に拒んで以後、霧生が俺にキスをする事は無い。だから――試しに俺は、誘うように目を閉じた。
「ん」
望んでいた柔らかな感触は、すぐに与えられた。
こんな日々が続くのも悪くは無い。俺は、どこかでそんな風にすら、思い始めている。俺の内側で、霧生という存在が、次第に大きくなりすぎていたのだろう。
その後も、俺と霧生は何度も何度も、街路樹の葉が色を変えるまでの期間、交わった。体を重ね、食事をし、時には何もせず雑談だけをして、夜を過ごした事もある。職業柄、朝の四時前には、霧生は帰っていくが、俺は別段それに関しては寂しさは感じない。ただ時折、俺とは歩く場所が違う存在だと痛感させられる事がありはしたが。
「どうしても話してくれないのか?」
本日は、曇天だった。先ほどから雨が降り出したのだが、霧生のスーツの肩が濡れていた。俺は命令されたわけでもないのに珈琲を差し出しながら、顔を背ける。
「その……どうして今更、そんな話が聞きたいんだ? 俺に聞くより、当時の捜査資料でも読んだ方が良いんじゃないか?」
「資料があてになると考えていれば、当然そうしている。何があったんだ?」
「……ニュースの通りだ。それ以上でも以下でも無い」
「アオヤマ総合病院における医療ミスにより、一人の少年が亡くなった。携わっていた医師臨床研修制度中の――研修医の過失。研修医は、それを隠蔽しようとカルテを改竄した。その医師の名前は、常磐ではないが、お前だ。華頂医師」
俺は俯いた。確かに常磐というこの名前は偽名だ。生家の華頂家からは絶縁された。もうあの家の名を名乗る事も許されないだろう。そして俺が述べたニュース、それは少年の死であり、亡くなった者は帰っては来ない。
「聞かせてくれないか?」
「だからニュースの通りだと言っているだろうが」
「ではそれを、お前の口から」
カップに両手で触れ、俺は俯いた。
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