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第二章 格好のつけ方

毒舌。

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「かなり嬉しそうな顔だな」
 職員室に入室するなり、鷹橋は水樹の顔色で心情を言い当てる。
 放課後、三年生限定の個人面談が執り行われた。教師達曰く高校三年生は特に時間の流れが早く、メンタル面のサポートも必要だから定期的に行う予定だ、そうだ。開催場所は各クラスバラバラで、一組は職員室と決まっている。
 直感の鋭さについ瞬きしてしまう水樹に「伊達に二年半も面倒見ていないぞ」と笑い、鬼の角が取れる。
 渡されたノートを開き、いそいそと書いていく。
『今も大変お世話になっております』
「たしかにそうだな。だからってあんまり気にするなよ?」
 こくん。
 言葉の綾を読み解くのが苦手なため、鷹橋にクラスを担当してもらった当初は間に向けてばかりだった。そのせいで傷ついたことも多少あったが、鷹橋は割と顔色に繊細な教師のようで、今は気兼ねなく相談できる。彼方の推理もあながち間違いではない。
 ふっ、と表情を崩した鷹橋は椅子を近寄せた。
「学校はどうだ」
『守谷 彼方君と友達になってからすごく楽しいです』
「そうか。まあ色々あったが、水樹がここを続けてくれたことは純粋に教師として嬉しいからな」
 色々の中に含む事情はあえて問い出さない。奏斗とのいざこざを掻い摘む程度しか話しておらず、鷹橋も個人間のプライベートと割り切ってくれたのだろう。
『はい』
「抱え込ま過ぎず、気楽にやるのが大事だ」
『難しいです』
「少しずつでいいさ。俺も他の先生方もできる限りサポートはする。悲観ばかりしてると学校生活も十代もあっという間だぞ?」
 水樹は心強い味方に深く頷いて答えた。今年は笑顔で卒業したい。
 談笑を交えつつ、進路の話や成績の話を進めると「そろそろか」
 個人面談だからといい、あまり長話はできない。鷹橋にも仕事がある。時計を見ればもう六時半を過ぎていて、一組最後の面談が終わろうとしていた。
「なあ、水樹。もう少し時間あるか?」
 リュックにプリント類を片付けていると、急に延長の合図がかかる。今日も母は十九時以降でないと帰宅しないため、水樹は了承した。こういう時は大抵、オメガに関する内容だったからだ。そのために水樹が一番最後なのもある。
 鷹橋は、よしよしと頷いた後、扉の向こう側に向かって声をかけた。
「お前もいるんだろー、守谷!」
 呼んだ人物の名前に反射的に体が振り向く。フィルム施行された窓ガラスに青年らしき人物の影が映る。
(もしかして、奏斗……?)
 可能性は低くはない。会話の流れ上、不服な奏斗が登場してもおかしくはなかった。背丈も思い出と一緒。
 謎の緊張に呼吸を深めると、オレンジ色の髪型が隙間から見えた。
「ちぇー。鷹っちにバレたとか嫌なんすけど」
 膨れっ面の彼方は怪訝な顔をして鷹橋を睨む。
(……そっか。そう……だよね)
 どうして希望を持ってしまったのか。風体が元彼に似てるとはいえ、一瞬の歓喜をすぐに萎ませる自分が嫌になった。
「僕、遊佐君を待っていただけですけど」
「まあまあ、水樹の隣に座れ」
「師弟愛の自慢ならお断りします」
「お前なぁ……」
 未だ叱られたことを根に持っているのか、彼方は頬を膨らませたままだ。
 鷹橋に顔色で悟られたくらいだ。これ以上彼方が嫌な思いをしないよう水樹は友人に微笑みを浮かべ、用意された席をぽんぽんと叩く。
「ほら、水樹もお願いしてるだろ?」
「遊佐君の頼みなら聞きます」
「あー、面倒だなお前は」
「お前じゃありません、僕の名前は」
「守谷 彼方さん、遊佐 水樹さん」
 低音の声が騒々しい職員室内に響き、窓辺の席にスーツ姿の女性が立ち上がる。
(あっ。音楽の……)
 皆の注目を集めるのはやはり彼女が持つ天性の業なんだろうか。仕事に専念していた教師達は手を止め、またすぐに仕事を再開する。
 廊下から吹く夕風に身震いすれば手に別の体温が触れる。水樹の隣に座った彼方がだらんと落ちた手を握りしめたのであった。不思議と怖さが薄らぎ、呼吸を乱さずに保てる。
「一旦、俺はお暇するわ」
 鷹橋は席を譲り、他の教師のところへ行ってしまう。忙しそうにキーボードを叩いている。
 着席しても比良山は口を割らず、視線を泳がせていた。これがあの、音楽で啖呵を切った女性と同一人物なのかと目を疑う。
「僕達、忙しいので話は手短にしていただけるとありがいんですけど」
 ご立腹な彼方を前に比良山は観念して口を開く。
「そうね。私はいつも他人の時間を奪っちゃうわ」
「寝言は寝てから言ってください」
(ちょ、彼方君、言い過ぎだよ!!)
 椅子の間で軽く揺すってみるが、彼方の怒りは鎮まらない。
「人の苦手をわざわざ炙り出して処罰するなんてどんな趣味ですか。遊佐君は楽しようと音楽を選択したわけではないと思います。僕の見解ですが、彼は音楽の授業を受けるのを楽しみにしていた」
「……そうね。そうだったのね」
 覇気のなさが彼方の逆鱗に触れたらしい。血走った瞳に水樹は恐れ戦いた。
「あんたの至らない配慮のせいで遊佐君は魔女狩りのように公開処刑され、心に深く傷を負いました。このまま彼が音楽を嫌いなったら……いや、学校に通えなくなったらどうするおつもりでしたか!?」
 怒りが収まらずに立った彼方は、ぎゅうっと強く水樹の手を握りしめる。横顔から谷間見えるひどく苦しそうな表情に、彼方が抱いた「水樹がもうここへ通えなくなる不安」が補足された。
(彼方君はそこまで懸念してくれてたんだ。僕ただ一人の問題なのに)
 友人想いとはまさに彼方のような人物を指すのだろう。友愛に答えるべく、水樹はそっと握り返す。手の内の震えが少しでも治まってくれますように、と。
 また、生徒の怒号に反応しない教師はいなかった。目の前で項垂れていた比良山もだ。
「貴方の言う通りです、守谷さん。私は理想を掲げる余り、罪のない遊佐さんや生徒達に害を与えてしまいました。人間として教師として、考慮すべき点だったわ」
 彼方に深々と頭を下げる比良山に「謝罪するべき相手は僕ではありません」と冷たく言い放つ。それでも五秒以上、彼方に謝罪していた。
「遊佐 水樹さん」
 急に呼ばれ、顎ががくんと跳ねた。ブラウンベージュのアイシャドウを施した目は水樹を捉える。顔のパーツでも際立つ瞳にアイラインは引いていない。
「辛い思いをさせてしまってごめんなさい」
 彼方の時と同じように深く頭を下げられ、「もうお気にならず」という意味を込め、首と頭を横に振る。
「ただでさえ辛い境遇に立たれているのに……」
 鼻声が比良山の謝罪を滲ませる。周囲の湿度も高くなり、脱力したように手を離して座った彼方はどう感じただろう。
 肝心な水樹の心は冷えていくばかりだ。
(辛い……境遇……)
 皆まで語らずとも、比良山は声を失った他に水樹の第二性を知らされている。鷹橋が口の軽い人間だとは思えない。不覚だったために隙を突かれた。
 曖昧な表現はせめてもの気遣いだと受け入れたい。口の端に漏れた唾液を袖でサッと拭う。
(ノートどこだっけ)
 辺りを見回すよりも先に比良山の表情が見え、微笑まれる。今まで見せなかった硬い女の和やかな笑み。
「これからの授業ではなんでも頼ってくださいね。遊佐さんが無理されては困りますから」
──ぐさり。
 もう一手、懐に隠れされていた。最後の打撃はキツいもので心に咲く花も枯れる勢い。感情が荒野に成り果てる一歩手前、水樹から乾いた笑い声が出る。
(……笑顔でごまかしておけばいいや)
 そうだ。大抵のことは笑えば解決する。状況が不利なら笑って苦痛を薄めたらいい。
 弧を描いた唇はピクピクと痛かった。
 
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