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【おいしいごはんBL】ベッドの中で甘味を食す。(二)(完)

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「ふぅ……」
 一週間に渡るヒートがやっと落ち着き、水樹は番の衣類をかき集めた巣から顔を出す。ひんやりした空気が火照った頬を優しく撫でる。
──ぐう
「お腹……空いたな……」
 空腹を感じることができて安心した。ヒート中はそれどころじゃなかったり、腹が減っても身体が熱くて喉越しの良いゼリーや舐めるだけで味わえるアイスしか食べられなかったりする。オメガ個人によって差があるため、必ずそうとも言いきれないが。
(何か食べなきゃ。でも、がっつり系はまだ無理そう。お出汁系は時間がかかる……)
 そもそもベッドから起き上がり、キッチンに向かわなければならない。
(億劫だな。寝ながら何か食べられないかな)
「水樹、起きた?」
 またぼんやりする視界に映ったのは、橙色の髪と髪色に赤色を差した宝石を持つ男性……。
「彼方」
 名前を呼んだだけで、ヒートの熱さとは違う温かさが胸に流れる。
 呼ばれた本人はにっこり笑い、湿った頭や額を撫でてくれた。手つきが優しくてキュンキュンする。
「こんばんは、水樹。調子はどう?」
 窓の外を見たら、赤い夕陽が沈んでいた。
「も、もう大丈夫だよ」
「そっかそっか。でも、まだ身体は怠そうだね」
 「無理させちゃった?」の一言に顔を赤らめた水樹だったが、ふるふると首を振る。
「彼方に愛されると幸せになるから……」
 籍を入れ、彼方と番になってもう何年も経つのに、未だ初々しい恋心を抱いている。運命の番で大好きな人だからだろうか。
 顔を熱さを誤魔化すために手で覆う。すると右耳の方で低く囁かれた。
「早く着替えないと、また食べちゃうよ?」
 驚いて手を離せば、彼方の顔色は水樹よりもっと赤い。
(彼方まで……。ああ、心臓おかしくなっちゃう)

 
 大きめのシャツとゆったりサイズのパンツに着替えた。
 今回はいつもに比べて身体が怠い。明日から仕事を再開するので、今夜中になんとかせねば。
「小腹空いていない?」
 お粥をそこそこ食べた後、ベッドで横になっていたら彼方が潜ってきた。手に何かを持っている。
「少し……」
「なら良かった。疲れた時には甘いものもいいよ」
 「はい、どうぞ」と渡された甘いものは、円盤型の和菓子。
「どら焼き……」
「そう! これね、水樹が演じたキャラの焼印も入っているんだよ。羽生さんからいただいたし、食べられそうなら一緒に食べよう」
 彼方は透明な袋からどら焼きを取り出すと、焼印の方を見せてくれた。
 思い出深い作品の一つ。声優、守谷水樹の演じた一人がどら焼きの皮に。
 焼かれた茶色が綺麗などら焼きを、ぱくり。ひと噛みで柔らかい生地だとわかり、中には粒々のあんこがたっぷり詰まっていた。
「うん、美味しい」
 唇から頬へ、頬から小豆枕へ。食べかすをぽろぽろとこぼしている。
 早く掃除しなきゃ、彼方とのベッドを汚すからダメだ、と理性が働きかける。
 しかし、満足そうに頬張る彼方を見つめていたら、理性とか常識に抗るように袋を破いていた。
「……俺も食べていい?」
「どうぞどうぞ。美味しいよ」
 今のは悪魔の囁きかもしれない。
 もぐもぐする彼方を一瞥し、自分のどら焼きに視線を落とす。同作品で演じたもう一人のキャラが焼印されているが、容貌はアニメで活躍した頃よりも若い絵だ。
(回想シーンに出てくる、十九歳のトゥーリだ)
「いただきます」
──ぱくり、と一口噛んだ瞬間だった。
 バタバタドタドタ、と忙しないけれど賑やかな足音がこっちに向かってくる。
(あ、どうしよう! 子供達が……)
 そうだ。いくら懐かしい思い出に誘われたからといい、もう大人だ。子供達の手本となる父親にもならなければ。
 こぼさないよう細心の注意を払い、口を離そうとした。
 夫夫を包む空間が暗くなる。瞬きする水樹に、彼方は自身の唇に人差し指を当てた。
「……しー。静かにしていてね」
 ウイスパーボイスで声を出さないよう指示され、彼方が頭まで覆った掛け布団から顔を出す。
──ドキドキ、ドキドキ
 さっきの表情が頭から離れない。目を細めた悪戯っぽい笑顔。食べる時や日々の生活の中ではあまり見ない、悪い顔。
「パパはまだお眠だからね。明日の夜、遊んでもらおうな」
 声色は優しく、子供達を宥めている。
 日常と隔離された布団の中で、水樹は身体を縮こませながら小さく口を動かす。もぐもぐ、もぐもぐと。
(しっとりふわふわでとっても美味しい。こっちはトゥーリの好きなこしあんだ。……なんで俺、食べちゃってるんだろう)
 バレるかもしれない緊張と子供達への申し訳なさ、ベッドで食べる背徳感。自分の行動すらわからず水樹はぎゅっと目を瞑る。食べるのは止めずに。
「子供達行ったみたいだ……って、汗かいたね」
 どこか狭くて熱い空間から解放され、水樹は肩で 息をして新鮮な空気を吸い込んだ。その間、彼方が首筋や額の汗をタオルで拭いてくれた。
「水樹、食べるの早いね」
 彼方の視線をなぞって自分の手元を見る。……ない。
「こ、これは、ち、違くて! 子供達に罪悪感がないとかじゃなくて、ええっと……あの、だから……!」
「否定していいけどさ、あんまり大きな声で慌てると心配したあの子達が戻ってきちゃうよ?」
(また、だ。またあの悪い笑顔だ)
 ヒート前後は番相手に耐性がなくなるのだろうか。いや、最中もそうだった。今回だって何度彼方に甘え、胸を高鳴らせたことか。
「どうだった? どら焼きみたいな布団……というかベッドで、寝ながら食べた感想は」
 楽しそうに聞く彼方を見つめ返せず、水樹は枕に顔を押しつける。
「美味しかったし、すごく悪いことしてる気分に……なりました……」
 正直に吐くと、彼方は掛け布団ごと水樹に覆いかぶさってきた。酸素の薄い中、枕の小豆が音を立てる。
「あの日の彼方君は遊佐君とこんな風に悪いことしてみたいって、本気で思ってたよ?」
 それは水樹への慰めなのか、幾多の感情に揉まれる水樹に悪戯心が掻き立てられのか。どちらにせよ何年も秘密にされていた告白だった。
 にっこり笑う彼方はどら焼きを水樹に差し出す。粒あんが見える、自分が食べたところを向けて。
「……俺も、いつか彼方君と食べたいなって考えてた。今は彼方が叶えてくれたね」
 ぽかんと見つめていた水樹も頬を緩ませ、彼方の食べさしを一口食べる。粒あんも美味しかった。
「あはは……。水樹、ここぞという時には強いなあ」
「そう? 心臓の音、俺達の声よりうるさいよ?」
「わ、本当だ。……唇に小豆ついてる」
「ありがとう。彼方は歯についてるよ」
「え!?」
「ごめん。ちょっと仕返しに嘘つい……んんっ」
 寝ながら何かを食べる。それができるのもされてしまうのも、彼方と番になり、結婚したからだと再確認した夜だった。
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みんなの感想(3件)

yoica
2023.07.07 yoica

わたしは今失声症で声が出せません
そんなオメガバース作品に出逢えたのはわたしの癒しです。
ほんとうにありがとうございます

天井つむぎ
2023.07.11 天井つむぎ

yoicaさん、はじめまして。
読んでくださり、感想も送ってくださりありがとうございます。
この作品がyoicaさんの癒しとなれたのなら、幸いです。
こちらこそありがとうございます。

解除
福留幸
2022.07.25 福留幸

ここまで読ませて頂きました!

最初に登場した守谷君は背負い投げしたいくらいですが(済みません)、彼方君とはきっと良好な関係を築いていけると信じています。
失声症については他人事とは思えず、水樹君の回復を心から願うばかりです。温かい人達に恵まれて、彼の心が癒やされますように。

また読みに来ます!

天井つむぎ
2022.07.27 天井つむぎ

福田さん、感想ありがとうございます!

いえいえ!奏斗は一度背負い投げされてもいいと思っています(笑)
水樹に優しいお言葉をありがとうございます。(ネタバレになるのであまり書けませんが)彼方と出会ったことで、水樹の中で変化がおきていく予定です。

是非また読みに来てください!

解除
藤乃 早雪
2021.11.18 藤乃 早雪
ネタバレ含む
天井つむぎ
2021.11.18 天井つむぎ

辛いスタートから始まる中、読み進めてくださり(こうして感想も)本当にありがとうございます!
水樹の成長を丁寧に描くことを意識していたので、とても嬉しい限りです️。
タイトルまで叫んでいただいたなんて……!(感涙)
えっちも、きちんとえっちしていたようでホッと安心しました。
まだまだ水樹と彼方の恋物語は続きますので、温かく応援してくださると幸いです。改めて感想、ありがとうございました。

解除
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