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番外編

【父の日編(三)】奇跡の贈り物。(三)

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 水樹と彼方がやってきたのは、和食が有名なチェーン店だ。深夜帯まで営業しており、価格もリーズナブル。新人時代はよくここで食べていた。
「あ、この写真にある炊きたてご飯美味しそう!」
「土鍋ご飯だね。時間はかかるけど、自分でおにぎりにして食べたり、付け合せのみそとか梅干しと合わせて食べたりすると美味しいんだよ」
「へえー! じゃあ、それにしようかな」
 瞳を輝かせた彼方は土鍋ご飯と、トマトと卵の炒め物、豚肉の生姜焼き、鯖の味噌煮、豆腐とわかめの味噌汁をを注文した。炒め物と生姜焼き以外は水樹も同じ注文にする。
 品物が来るまでの間、飲み物サービスで温かい緑茶を汲んでくる。和食にはやっぱり日本茶だ。
「お待たせしました。おにぎりはスタッフが握りましょうか、それともお客様自身で楽しまれますか?」
「どっちにする?」
「彼方が好きな方でいいよ」
 彼方が住んでいたところでも和食テイストの店はあったようだが、故郷の味には敵わなかったらしい。こちらのチェーン店はまだ海外進出していないため、彼方は初来店だった。
「じゃあ、自分達で楽しみます」
 漆塗りの盆に乗せられていたのはメインの土鍋ご飯、梅干しやたくあんが乗った小鉢、横幅長めでおにぎり一つ巻ける海苔、甘めのみそと荒めにほぐされた鮭。
「どうせおにぎりにして食べるなら水樹に握って貰いたいなあー」
「いいの?」
「是非!」
 そういえば、彼方にあまり手料理を振舞ったことがない。
 仕事の都合上、普段はデリバリー頼りだ。彼方のお義母さんや自分の母が惣菜を持ってきてくれることもあるが、二人で暮らしていくからには料理を作れた方がいいだろう。
(初心者にはありがたいおにぎり! 愛情をいっぱい込めるぞ!)
 蓋を取ると、ふわあ。白い湯気が顔に立ち上る。
(……う、ん?)
「お米一粒一粒がふっくら艶々だ!」
 再び気合いを入れるため、土鍋の上で深呼吸をした。
 ご飯が炊けた匂い。電子レンジで温めたのとは異なる匂いに腹や胸が──。
 水樹は背中を丸め、手で口を押さえる。
「水樹……!?」
 「お待たせしましたー」と店員が持ってきたのは、鯖の味噌煮二皿と炒め物の二種。真夜中だろうと食欲をそそる見た目なのに、水樹の体は匂いを拒んだ。
 席を立った彼方が背中に手を添え、ミシミシ硬くなる背を摩ってくれる。
 ラジオ収録中に感じた吐き気より強い。
(なんだこれ。嗅覚が過敏になって、用意された料理が全部……)
「お客様、こちらを」
 店員が急ぎ持ってきてくれた水を受け取った。
(み、水飲めば落ち着く……)
 高ぶった精神に効果あると言われる水。ストローをさして中身を吸うが、気休めにしかならず頭を俯かせた。
 騒がしくなる深夜の店内。注文の一声や氷がグラスへ注がれる音、何気ないお喋りの内容まできつく感じられる。
「今日のところは帰ってゆっくり休もう。こちらのメニュー、全部テイクアウトお願いできますか?」
 状況から見て、この場に居続けるのは選択肢としてないだろう。船に揺られる感覚に近く、ずっと波が続いているようだ。
(でも、今日は彼方の……)
 涙滲む顔で彼方を見れば頭を撫でられる。
「気にしなくても大丈夫だよ」
 温かく励まそうとする声色にますます目頭が熱くなる。
 若きアーティストとしても注目を浴びている彼方。そんな彼は、近日中に個展を開く。帰国して初の個展だ。雑誌でも特集が組まれるほどで、関連グッズも売り出される。
 どうしても外せない用事。彼方のお祝いの品を買いに行くつもりでデートプランを立てていた。   
ご飯も奢る予定だったし、好きなプレゼントを選んで欲しかった。
 彼方に連れられて男子トイレへ向かう。覚束つかない足取りのせいで何度も躓きそうになった。けれどその度に止まってくれたり、「大丈夫だからね」と安心する言葉をかけてくれたりした。背中を摩る手つきも優しかった。
(サプライズ……計画、俺のせいで大失敗になっちゃった……)
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