怖がりで優しくて、とても恐ろしい人 〜ビビリヤクザに恋人になるよう攻められています〜

りりぃこ

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よくある話

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「なあー、市原イチハラぁ、俺行く必要ある?」

 黒部クロベ弦人ゲントは、車の中で秘書の市原に向かって自信なさげな声を上げる。

「何をおっしゃいますか。社長が行けば現場に張りが出るに決まってるじゃないですか」

「でも、俺ちょっと舐められてない?大丈夫?」

「社長を舐めるような奴は、私から締め上げておきます」

 市原はキッパリと言った。


 身体も大きく、ガタイもよくて見た目が完全にインテリヤクザのような市原が側にいれば確かに舐められることはなさそうだ、と弦人は思った。

 それに比べて弦人は、背も小さく童顔だし、威嚇した言い方もできない。もうすぐ三十歳だといって、誰が信じるだろう。

 市原の方が社長っぽいよな、と弦人は小さくため息をついた。


 車が店の前に着いた。

 先に市原が降りて、弦人の座っている方のドアを開ける。車の外は寒く、弦人は一瞬身体を震わせた。


 その時だった。


 勢いよく弦人に向かってぶつかって来ようとする人影があった。


「う、わぁ!!」

 弦人は情けなく悲鳴を上げて腰を抜かして車の側に座り込んだ。

 さかし、人影は、あっという間に市原に捕らえられ、抑え込まれた。


「お、女……?」

 弦人にぶつかってきた人影は、若い女性だった。

「貴様、社長の命を狙ったな」

 市原は、女性の腕をひねり上げる。

 悲鳴一つ上げないその女性の手には、バタフライナイフがあった。

 弦人は、ヒッ、と小さく悲鳴を上げた。

「どっかの組の鉄砲玉か。女なら油断すると思ったか。たかがこんなナイフで、社長の命を取れると思っているのか?」

 市原は淡々と女性に話しかける。

 女性は、ふん、と鼻をならす。

「別に殺そうと思ったわけじゃない。こうでもしないとトップに話を聞いて貰えないと思ったのよ」

「ともかく、事務所に連れて行け」

 いつの間にか騒ぎを聞きつけて現れた、店の店長に、市原は女性を引き渡した。


「社長、いつまで腰を抜かしてるんですか。そして、いつまで私の服を引っ張ってるんですか」

「だ、だって、怖かったし」

 弦人は、市原のズボンの裾を握りしめながらオドオドと言った。

 市原は、小さくため息をつくと、

「ほら、あの女の尋問に行きますよ」

 と弦人を立たせた。


 そして、女性の連れて行かれた『ガールズランド・マシュマロキャンディ』事務所へ向かった。

 マシュマロキャンディは、暴力団黒部組の持つソープランドである。

 そして、黒部弦人は、その黒部組の若頭である。




「悪いな店長、始業前の忙しい時に」

 市原は、人の良さそうな店長に、軽く挨拶する。

「いえ。社長に怪我無くてよかったです。女のコ達は別室で控えさせますんで、ごゆっくり事務所お使い下さい。あの女は事務所で縛り上げてありますんで」



 店長の言う通り、店の事務所で、さっきの女性が縛られて座らされていた。

 弦人と市原が入っていくと、女性は力無くこちらをチラリと見ただけだった。



「あー、えっと。まずは名前教えてもらえる?」

 女性の目の前に座り、弦人は引き攣った笑顔でたずねてみた。

 女性は小さな声で、「ハナ」とだけ答えた。

「正直に言えよ。嘘ついたら後で痛い目に合うぞ」

 そう言いながら、市原は、女性の持っていた小さなリュックを漁った。

 中から免許証を取り出して読み上げてみる。

三上華ミカミハナ。なるほど、本当にハナって名らしいな。免許証これは預かる」



 ハナは、ふいっと顔をそらした。



 弦人は、そんなハナの顔を覗き込みながらたずねた。

「で、ハナちゃん、なんで俺のこと狙ったの?こんな事言うのも何だけど、俺の命を狙ったりなんかしたら、男ならコンクリ詰めされちゃうし、女のコでも、コンクリ詰めか、運が良くても無償労働になっちゃうよ?ちょっとエッチな無償労働」

「社長、今の脅し、恐くてヤクザっぽくてよかったですよ」

 市原に褒められて、「えへへーホント?」と弦人はポワンと嬉しそうに笑った。



「人を探してたの」

 乱雑な性風俗店の控室にそぐわない、ポワポワとした雰囲気に耐えれなかったように、ハナは自分から切り出した。

池田隼イケダシュンっていう男。私の恋人なんだけど、このお店と同じ系列のキャバクラで、ボーイをしてたはずなの」

「男がらみ、か」

 市原は、小馬鹿にするようにハナをみる。

「彼氏が連絡取れなくなったくらいで、彼氏の職場に刃物持って突っ込んでくるんじゃねえよ」

「だって、彼から最後にきたメッセージに、『消されるかもしれない』って入ってたし。職場に確認したら、そんな男は知らないの一点張りだし。お店にヤクザがバックについてるからもしかして殺されたんじゃないかって思って」

 ハナは声を震わせた。


 弦人は小さくため息をついて言った。

「うーん、ちょっと確認しなきゃ詳しいことはわかんないけど。その彼氏、もうダメだと思うよ」

「何でよ!!」

 大きな声を上げて立ち上がるハナに、弦人は思わずヒッと声を漏らして市原に縋りついた。

 すぐにハナは市原に押さえれてまた座らされた。

「こ、興奮しないでよ。だって、普通に無断欠勤しただけならちゃんとお店の店長も、教えてくれるはずだよ。最近来ないんだよ、とか。ねえ?」

 弦人は、近くにいた店長に同意を求める。

 店長は頷いて言った。

「うちではそうですね。無断欠勤する子も結構いますが、そんなときに、その子の行方を訪ねてくる人がいたら、ちゃんと、最近来てねえから、そっちも居場所わかったらすぐ知らせてくれとか言いますよ。知らないの一点張りってことは……」

「なんかしでかして、消されてる可能性高えな」

 市原も話を引き取って続けた。

 ハナは真っ青な顔をしている。

「そんな、何でそんな平然と言えるの……?あんた達の組の人が殺したかもしんないんでしょ?!」

「だから、わかんないけどって言ったじゃん。そんな怖い顔しないでよぉ」

 泣きそうな声を上げて弦人が口を尖らせた。

 市原が、ハナを睨みつけながら言った。

「ま、今はその彼氏の心配より、自分の心配するんだな。何度もうちの社長脅かしやがって」

「そっちがただのビビリなんでしょ」

「うう、図星……」

 弦人は情けなさそうな声を出す。



「とにかく、まあ俺も結局怪我無かったし、コンクリはやめてあげようか。店長さん、今日からこの子よろしくできる?さっきの免許証の生年月日からすると、ちゃんとこういうお仕事出来る年齢だったし」

 弦人は気を取り直して店長にたずねた。

 店長はにこやかに頷いた。

「ええ、いつでも。寮の空き部屋もございますので」

「ちょ、ちょっと待って。よろしくって何?ここソープランドでしょ?」

 ハナは青い顔で焦りだした。

 弦人は満面の笑みを浮かべてハナの顔を覗き込んだ。

「大丈夫、うちの店は稀に見る優良企業だよ。休みも取りやすいしお客様の質もいいし、何より他のシマの店より時給が高いし。あ、でもハナちゃん無償労働になっちゃうから、時給は関係ないか」

「ヤダっ!無理っ!だって私」

「今日から寮にも入ってもらうね。逃げたら大変な事になっちゃうから。免許証預かってるからね」

 優しく、ニッコリと言う弦人に、ハナは思い知った。

 ――このヒトは、ナヨナヨしてるように見せかけてるだけで、やっぱりヤクザだ!




 ハナが、大人しくなって店長に連れて行かれるのを確認すると、弦人はふぅーっとため息をついた。

「あー、怖かった」

「予定がめちゃくちゃになりましたね。少しこれからの予定を調整します」

 そう言って、市原は各現場に電話をかけ始めた。

 弦人は、さっきハナが連れて行かれたドアをジッと見つめた。

 残念だね。馬鹿な男の為にこんなことになっちゃって。可哀想に。



 この一夜の出来事は、よくある話として、すぐに忘れられるはず、だった。



 次の日に、ハナが店から逃げたと市原に連絡が入るまでは。

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