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後日談
その5 古神竜の兄弟
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※後日談4よりも以前の時間軸になります。
*************************************************
「君は所帯を持とうとは思わないのかね、バハムートよ」
突拍子もないドランの言葉に竜種の長たる黒き古神竜バハムートは眉を交互に上下させてから、ふっと小さく息を吐いた。
終焉竜との戦いより数年が経過し、ドランは二十歳を越えている。元々あった落ち着いた物腰はそのままに、まあまあの顔立ちにはいくばくか精悍さが宿っている。
若輩者ながら既に近隣諸国に知れ渡った希代の大魔法使いにして、ベルン領を支える忠臣、そして領主の伴侶というのが世間一般におけるドランの評価だ。
この時、バハムートは人間に姿を変じている。そうして、二人は発展著しいベルンの目抜き通りを歩いている最中であった。ドラン達の不断の努力により、既に“村”に収まらぬ発展を遂げて、アークレスト王国北方でも一、二を争う大都市と化している。
クリスティーナがベルン領主の座に就いてから数年、近隣諸国を巻き込んだ戦争も今は鳴りを潜め、ロマル帝国を併合した王国はベルンを含め栄華を極める最中にある。
古神竜が複数闊歩し、なおかつその頻度も高いとなると世界広しといえどもこのベルンくらいのものだ。
「その問いかけは我にだけしているのか、同胞よ。我ら七竜、所帯を持っているのはお前だけであるから、お前にだけはその問いを発する資格があるのは認めるが……」
人間に姿を変じたバハムートは逞しい巨躯を誇る美丈夫だが、同時にこの世のあらゆる艱難辛苦を味わい、世界の真理を悟った賢者の如き雰囲気を併せ持っている。
黒い鱗の変じたローブを纏い、必要のない眼鏡をかけた風貌もその雰囲気を助長する一役を買っている。通りを歩く人々はベルン領家宰であるドランの傍らにあるバハムートの姿に、興味が尽きない様子だ。
いかにも実力のある魔法使いか賢者風のバハムートを見ては、また新しい家臣の方か、さてどこのどなた様だ? なんとも知的な風貌をしている、とひそひそ話の花があちらこちらで咲いている。
ドランとバハムートの耳にも、周囲の囁きは届いているが、彼らは気にも留めず、足も止めない。
「私も結婚しなければこのような問いを投げかけたりはしなかったろうな。それとこんな質問をできるのが、我が兄妹の中では君かリヴァイアサンくらいのものだというのも理由の一つであるよ。いや、リヴァイアサンも違うか?」
少なくともドランの中では伴侶を得て家庭を持ち、子を成す想像がつくのがバハムートかリヴァイアサンの二柱しかいないらしい。
ただまあ、残りの面子は眠るのが至福、速さが至上という性癖、なにかをじっと見つめるばかりの無口、超ド級のブラコンと来ては、ドランでなくとも同じ選択に落ち着きそうだ。
「ふ、甥っ子と姪っ子の顔を見に来た身内に掛ける問いとしては、あり得ない質問ではなかろうが、我ら竜種の間で交わされる問答などと他の種族の者は思うまいな」
「どうも竜は高尚な種族だと誤解されている節が見受けられるからな。竜教団辺りは極端な例だが」
身近で本物の竜を見られる場所として、竜教団の聖なる地と化しつつあるベルンの状況には、ドランも多少思うところがある。加えて希少な竜種の素材を得られる好機だと、欲の皮の突っ張った連中からのちょっかいも、後を絶たずにいるのも面倒な話だ。
「お前が人間に転生して顔を出して以来、手分けをして地上の同胞の下に顔を出すよう努力はしているが、どこに行っても丁重過ぎるほど丁重に扱われるのは同じだ。お互いを隔てる壁をなくすには、まだまだ時間がかかる見込みであるよ」
「私との付き合いが長いこの星の竜種でもそうだからなあ。龍吉と瑠禹とヴァジェの件で、少しは親しみが増したと思うのだが、それでもまだまだ。許可がなければ影を見る事さえ畏れ多いと思われているぞ。冗談ではなくな」
アルビオンや風歌ら三竜帝三龍皇辺りは流石に慣れてきた様子なのだが、まだまだ一般の竜種が相手となると普段接点が少ないのもあって、ガチガチに緊張されるのが現状だ。
彼らに竜界でバハムートらに接するその他の竜達の気安さを見せたら、卒倒するかもしれない。まあ、真竜や神竜ですら地上世界の竜種からすれば、文字通り天上世界の存在なのだけれども。
「竜界に住まう我らと異なり、地上の同胞達は定命の者とはいえ、それでも他の種族に比べれば長い時を生きる。十年と経たずに意識を改革するのは難しかろうよ。
いたずらに事を急いでも良い結果にはならぬ。同胞の意識改革もままならぬのに、他種族の竜種に対する印象を変えようと試みるなら、なおのこと、時をかけねばな」
「まあ、私はそんな対応にも慣れたものだし、私達の子供の世代が苦労をしなければそれでいいさ」
二人は通りから伸びる細い路地に入り、掃除の行き届いた路地を進んで人間に化けたモレス山脈の竜種が店を構える一角を目指す。
以前は条件を満たした者にしか見つけられないよう細工を施した店が並ぶばかりであったが、最近では他種族を真似て普通の品を取り扱う店を開く者の数が増え、店主が竜とは知らずに買い物をしたり、店先で世間話したりしている者も見かける。
竜種の中には、変化をせずに飛行能力を活かして航空便を経営している者が複数いるが、変化をしないで都市部で生活する大胆不敵な者もいる。
竜の体躯に見合った土地を借りてそこで記念撮影をしたり、鱗を触らせてやったり、あるいは蓄えた知識を一部披露して対価を受け取ったり、と中々に商売上手だ。
そんな彼らにドランとバハムートの来訪は内緒であるし、もっと言えば彼らの正体も内緒である。モレス山脈の竜種達は、まだドランの正体が古神竜ドラゴンとは知らず、かつて存在した格の高い竜の生まれ変わりというのが共通の認識だ。
バハムートが竜種と他の種族の客が軒先で値段交渉している姿を横目に眺めながら、口を開いた。
「汝の子供達だが」
既に人間として二十歳を越えたドランには、伴侶たちとの間に複数の子供が生まれている。幸い母子ともに健康であり、子供らは日々すくすくと育っている。
もちろん普通の子供ではない。仮にドランがただの人間であったとしても、母親側はいずれも希少な種族か、その種族の中で突出した強さを誇る規格外ばかりであるから。
「ああ」
「父親としての汝が基本的に人間としての血筋を伝えた以上は、子供らが長じたとしてもあくまでこの地上世界の範疇に収まるのは我からも保証しよう」
それはドランに子供が出来た場合、注意しなければならない事だった。肉体は人間とはいえ、魂は古神竜であるドランの子供らが、地上世界に生まれた命でありながら古神竜の力の一欠けらでも受け継げば、その時点で他の生命と隔絶した超存在となるのは自明の理。
親であるドラン達はそれを理解し、受け止められても、そうではない者達にとっては恐れ、距離を置き、拒絶するのには十分な理由となるだろう。
「ふむ、君のお墨付きなら安心できる。私の場合、大丈夫だと分かってはいても、知らず知らず身贔屓して見ている可能性が否めないからな」
流石にドランも自分が懐に入れた相手に対して、甘い対応を取りがちであるという自覚はある。厳しくしなければならないと分かっていても、どこかで“甘やかし”てしまいがちなのが、彼の大いなる欠点の一つだ。
「汝はそういう性分であるからな。もし古神竜としての血筋を遺伝させていたなら、ふとした拍子に地上世界を破滅させる赤子の誕生に繋がっていた。初めて甥御らを見た時、それを選ばぬ賢明さが汝にあり、少しばかり安堵したものだ」
「そこまで考え無しなつもりはないのだが……」
「一度にあそこまで伴侶を得た姿を見れば、汝の思慮が足りているとは信じられぬよ」
バハムートは屋台で甘い香りのするクレープを笑顔で売っている若い土竜や、モレス山脈の地下から掘り出した貴金属の細工物を棚に並べている年かさの雷竜といった面々に視線を巡らせながら、更に言葉を続ける。
「汝に思慮が足りない分は周囲の者達が補ってくれるだろう。そういう意味ではそれほど心配していないとも言えるのは幸いだ。
この地を見る限り、我らのような上位者の命令によるものではない、竜種と他種族の交流の様子が今のところは順調であるのも同じくな」
遠回しにベルンの統治を褒められて、ドランは朗らかに笑んだ。彼の知る限りにおいて最も優れた知者であり、手厳しい銀眼黒鱗の竜からの評価は強く信頼できる。
「無理に交流しろと命じる真似は出来ないが、それでもまったく価値観の異なる存在との交流で得られるものは多い。差異に基づく衝突もあるだろうが、幸いそれを回避しようと努力するだけの知恵はお互いにあるさ」
「すれ違いと衝突、融和と相互理解の繰り返しが相場なのが珠に瑕だが、なるようになろうよ。悲劇も喜劇も山のように積み重ねて行く。歴史とはそういうものだ。それが我ら竜種であってもな」
「始原の七竜だからといって際限なく責任を取る必要もないと思うがね。バハムートは面倒見が良すぎるから、当事者同士で済む話に口を挟まないように気を付けるのが先かな」
「見ているだけというのは存外堪えるものだ」
始祖竜から数多の竜達が生まれてより、その中心的存在として振舞い、頼りにされてきたバハムートとしては、現状のもどかしい状況についてはつい口を挟んでしまいたくなる衝動に強く駆られているのだろう。
他の種族などどうでもよいと無関心を貫くか、見下していればそういった悩みとは無縁で済んだが、そうも行かないお人よしなところがバハムートにはあった。
「ふむむん、その気持ちは分かる。私達が首を突っ込めばあっという間に解決する問題が多い。それが後々の為にならないと自制していなかったら、今頃、世界は竜教徒だらけだったかもしれん」
「これ以上面倒を見る相手を増やしたくはないな」
「まあ、そんな君を支えてくれる相手を見つけるのもよいのではないか、と私は思うのだよ、兄弟」
「やれやれ、そこで最初の話に戻るか」
「戻るとも。私のようにラミアやバンパイアと他の種族に限らず、龍吉やヴァジェのように同族の相手を選ぶのもよし。恋する心は自由だぞ」
「汝の口から出るとは思い難い言葉が出てきたな。恋する心とは、いやはや。これまたアレキサンダーが荒れそうな言葉を口にする……」
「口にする相手は選んでいるともさ。君の選んだ相手ならどんな種族でも祝福するし、安心できると信頼しているよ」
「相手と言われても顔一つ、声一つ思い浮かばないのが現状だがな」
「ははは、気長に待つともさ」
「約束は出来んぞ。だがお前が人間に生まれ変わることも、複数の伴侶を得た事も、我にしても想像だにしていなかった事。なにが起きるか分からないというのは、我らにも当てはまる。もしかしたなら我も誰かと常に共に在りたいと願う未来があるやもしれぬ」
「ふむ、そう考えてくれただけでも話をした甲斐はあったかな。私のように、あるいはマルコのようにスライムや蟻人、ハーピーのような伴侶を探してみるのもよいと思うぞ。いずれにせよ、君が心を傾けるほどの相手が見つかれば、それは幸いな事であるのに間違いはない」
「マルコ……汝の人間としての弟であったな。汝にとって兄弟であるならば、我らにとっても兄弟に等しい。アレキサンダーはどう捉えるかは分らぬが、ヒュペリオンやヴリトラも多少は目に掛けている。汝の心を癒してくれたのには、感謝しかない」
「私も生涯そう思い続ける事だろうね」
ドランは屋台でひき肉と野菜炒めを具にしたパンを二つ購入し、一つをバハムートに渡して、路地の片隅に置かれている長椅子に腰かけた。手の中のアツアツのパンに齧りつきながら、この世に七柱の兄弟は和やかな時に身を浸す。
「汝が心血を注いで築いたこの平穏と栄華は、良いものだ」
「ふむ? お褒め頂き光栄だな」
「だからこそ汝が人間としての生を終えた後、過ぎた手出しをしないでいられるのか、我は少々不安視している」
「バハムートの心配は分かる。私もその点については、あまり自分に自信が持てていない。いないが、人間としての私が死んだ後もディアドラやドラミナが居るし、子供達も成長して大きくなっている。きっと、安心して後のことを託せるよ。そう信じている」
「……そうか。次の世代に後を託せるのは、子を持つ者の特権であるな。その特権は、なるほど、確かに魅力的だ。嫁探しか。もう少し真面目に考えてもいいかもしれないな」
「そうしてみたまえ。かのバハムートが伴侶を得るとなれば、あらゆる神々とあらゆる竜種が驚き慄くぞ」
「見世物ではないが、汝の時も似たようなものだったな」
「少しは私の苦労を味わうと良い。そしてそれ以上に傍らに誰かが居て、お互いに支え合える幸福はもっと味わうと良いさ」
バハムートは微笑むドランに一つ頷き返して、パンに齧りついた。人間を模した肉体には美味に感じられるその味は、傍らの弟との気の置けない会話の影響があったかもしれない。
<終>
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「君は所帯を持とうとは思わないのかね、バハムートよ」
突拍子もないドランの言葉に竜種の長たる黒き古神竜バハムートは眉を交互に上下させてから、ふっと小さく息を吐いた。
終焉竜との戦いより数年が経過し、ドランは二十歳を越えている。元々あった落ち着いた物腰はそのままに、まあまあの顔立ちにはいくばくか精悍さが宿っている。
若輩者ながら既に近隣諸国に知れ渡った希代の大魔法使いにして、ベルン領を支える忠臣、そして領主の伴侶というのが世間一般におけるドランの評価だ。
この時、バハムートは人間に姿を変じている。そうして、二人は発展著しいベルンの目抜き通りを歩いている最中であった。ドラン達の不断の努力により、既に“村”に収まらぬ発展を遂げて、アークレスト王国北方でも一、二を争う大都市と化している。
クリスティーナがベルン領主の座に就いてから数年、近隣諸国を巻き込んだ戦争も今は鳴りを潜め、ロマル帝国を併合した王国はベルンを含め栄華を極める最中にある。
古神竜が複数闊歩し、なおかつその頻度も高いとなると世界広しといえどもこのベルンくらいのものだ。
「その問いかけは我にだけしているのか、同胞よ。我ら七竜、所帯を持っているのはお前だけであるから、お前にだけはその問いを発する資格があるのは認めるが……」
人間に姿を変じたバハムートは逞しい巨躯を誇る美丈夫だが、同時にこの世のあらゆる艱難辛苦を味わい、世界の真理を悟った賢者の如き雰囲気を併せ持っている。
黒い鱗の変じたローブを纏い、必要のない眼鏡をかけた風貌もその雰囲気を助長する一役を買っている。通りを歩く人々はベルン領家宰であるドランの傍らにあるバハムートの姿に、興味が尽きない様子だ。
いかにも実力のある魔法使いか賢者風のバハムートを見ては、また新しい家臣の方か、さてどこのどなた様だ? なんとも知的な風貌をしている、とひそひそ話の花があちらこちらで咲いている。
ドランとバハムートの耳にも、周囲の囁きは届いているが、彼らは気にも留めず、足も止めない。
「私も結婚しなければこのような問いを投げかけたりはしなかったろうな。それとこんな質問をできるのが、我が兄妹の中では君かリヴァイアサンくらいのものだというのも理由の一つであるよ。いや、リヴァイアサンも違うか?」
少なくともドランの中では伴侶を得て家庭を持ち、子を成す想像がつくのがバハムートかリヴァイアサンの二柱しかいないらしい。
ただまあ、残りの面子は眠るのが至福、速さが至上という性癖、なにかをじっと見つめるばかりの無口、超ド級のブラコンと来ては、ドランでなくとも同じ選択に落ち着きそうだ。
「ふ、甥っ子と姪っ子の顔を見に来た身内に掛ける問いとしては、あり得ない質問ではなかろうが、我ら竜種の間で交わされる問答などと他の種族の者は思うまいな」
「どうも竜は高尚な種族だと誤解されている節が見受けられるからな。竜教団辺りは極端な例だが」
身近で本物の竜を見られる場所として、竜教団の聖なる地と化しつつあるベルンの状況には、ドランも多少思うところがある。加えて希少な竜種の素材を得られる好機だと、欲の皮の突っ張った連中からのちょっかいも、後を絶たずにいるのも面倒な話だ。
「お前が人間に転生して顔を出して以来、手分けをして地上の同胞の下に顔を出すよう努力はしているが、どこに行っても丁重過ぎるほど丁重に扱われるのは同じだ。お互いを隔てる壁をなくすには、まだまだ時間がかかる見込みであるよ」
「私との付き合いが長いこの星の竜種でもそうだからなあ。龍吉と瑠禹とヴァジェの件で、少しは親しみが増したと思うのだが、それでもまだまだ。許可がなければ影を見る事さえ畏れ多いと思われているぞ。冗談ではなくな」
アルビオンや風歌ら三竜帝三龍皇辺りは流石に慣れてきた様子なのだが、まだまだ一般の竜種が相手となると普段接点が少ないのもあって、ガチガチに緊張されるのが現状だ。
彼らに竜界でバハムートらに接するその他の竜達の気安さを見せたら、卒倒するかもしれない。まあ、真竜や神竜ですら地上世界の竜種からすれば、文字通り天上世界の存在なのだけれども。
「竜界に住まう我らと異なり、地上の同胞達は定命の者とはいえ、それでも他の種族に比べれば長い時を生きる。十年と経たずに意識を改革するのは難しかろうよ。
いたずらに事を急いでも良い結果にはならぬ。同胞の意識改革もままならぬのに、他種族の竜種に対する印象を変えようと試みるなら、なおのこと、時をかけねばな」
「まあ、私はそんな対応にも慣れたものだし、私達の子供の世代が苦労をしなければそれでいいさ」
二人は通りから伸びる細い路地に入り、掃除の行き届いた路地を進んで人間に化けたモレス山脈の竜種が店を構える一角を目指す。
以前は条件を満たした者にしか見つけられないよう細工を施した店が並ぶばかりであったが、最近では他種族を真似て普通の品を取り扱う店を開く者の数が増え、店主が竜とは知らずに買い物をしたり、店先で世間話したりしている者も見かける。
竜種の中には、変化をせずに飛行能力を活かして航空便を経営している者が複数いるが、変化をしないで都市部で生活する大胆不敵な者もいる。
竜の体躯に見合った土地を借りてそこで記念撮影をしたり、鱗を触らせてやったり、あるいは蓄えた知識を一部披露して対価を受け取ったり、と中々に商売上手だ。
そんな彼らにドランとバハムートの来訪は内緒であるし、もっと言えば彼らの正体も内緒である。モレス山脈の竜種達は、まだドランの正体が古神竜ドラゴンとは知らず、かつて存在した格の高い竜の生まれ変わりというのが共通の認識だ。
バハムートが竜種と他の種族の客が軒先で値段交渉している姿を横目に眺めながら、口を開いた。
「汝の子供達だが」
既に人間として二十歳を越えたドランには、伴侶たちとの間に複数の子供が生まれている。幸い母子ともに健康であり、子供らは日々すくすくと育っている。
もちろん普通の子供ではない。仮にドランがただの人間であったとしても、母親側はいずれも希少な種族か、その種族の中で突出した強さを誇る規格外ばかりであるから。
「ああ」
「父親としての汝が基本的に人間としての血筋を伝えた以上は、子供らが長じたとしてもあくまでこの地上世界の範疇に収まるのは我からも保証しよう」
それはドランに子供が出来た場合、注意しなければならない事だった。肉体は人間とはいえ、魂は古神竜であるドランの子供らが、地上世界に生まれた命でありながら古神竜の力の一欠けらでも受け継げば、その時点で他の生命と隔絶した超存在となるのは自明の理。
親であるドラン達はそれを理解し、受け止められても、そうではない者達にとっては恐れ、距離を置き、拒絶するのには十分な理由となるだろう。
「ふむ、君のお墨付きなら安心できる。私の場合、大丈夫だと分かってはいても、知らず知らず身贔屓して見ている可能性が否めないからな」
流石にドランも自分が懐に入れた相手に対して、甘い対応を取りがちであるという自覚はある。厳しくしなければならないと分かっていても、どこかで“甘やかし”てしまいがちなのが、彼の大いなる欠点の一つだ。
「汝はそういう性分であるからな。もし古神竜としての血筋を遺伝させていたなら、ふとした拍子に地上世界を破滅させる赤子の誕生に繋がっていた。初めて甥御らを見た時、それを選ばぬ賢明さが汝にあり、少しばかり安堵したものだ」
「そこまで考え無しなつもりはないのだが……」
「一度にあそこまで伴侶を得た姿を見れば、汝の思慮が足りているとは信じられぬよ」
バハムートは屋台で甘い香りのするクレープを笑顔で売っている若い土竜や、モレス山脈の地下から掘り出した貴金属の細工物を棚に並べている年かさの雷竜といった面々に視線を巡らせながら、更に言葉を続ける。
「汝に思慮が足りない分は周囲の者達が補ってくれるだろう。そういう意味ではそれほど心配していないとも言えるのは幸いだ。
この地を見る限り、我らのような上位者の命令によるものではない、竜種と他種族の交流の様子が今のところは順調であるのも同じくな」
遠回しにベルンの統治を褒められて、ドランは朗らかに笑んだ。彼の知る限りにおいて最も優れた知者であり、手厳しい銀眼黒鱗の竜からの評価は強く信頼できる。
「無理に交流しろと命じる真似は出来ないが、それでもまったく価値観の異なる存在との交流で得られるものは多い。差異に基づく衝突もあるだろうが、幸いそれを回避しようと努力するだけの知恵はお互いにあるさ」
「すれ違いと衝突、融和と相互理解の繰り返しが相場なのが珠に瑕だが、なるようになろうよ。悲劇も喜劇も山のように積み重ねて行く。歴史とはそういうものだ。それが我ら竜種であってもな」
「始原の七竜だからといって際限なく責任を取る必要もないと思うがね。バハムートは面倒見が良すぎるから、当事者同士で済む話に口を挟まないように気を付けるのが先かな」
「見ているだけというのは存外堪えるものだ」
始祖竜から数多の竜達が生まれてより、その中心的存在として振舞い、頼りにされてきたバハムートとしては、現状のもどかしい状況についてはつい口を挟んでしまいたくなる衝動に強く駆られているのだろう。
他の種族などどうでもよいと無関心を貫くか、見下していればそういった悩みとは無縁で済んだが、そうも行かないお人よしなところがバハムートにはあった。
「ふむむん、その気持ちは分かる。私達が首を突っ込めばあっという間に解決する問題が多い。それが後々の為にならないと自制していなかったら、今頃、世界は竜教徒だらけだったかもしれん」
「これ以上面倒を見る相手を増やしたくはないな」
「まあ、そんな君を支えてくれる相手を見つけるのもよいのではないか、と私は思うのだよ、兄弟」
「やれやれ、そこで最初の話に戻るか」
「戻るとも。私のようにラミアやバンパイアと他の種族に限らず、龍吉やヴァジェのように同族の相手を選ぶのもよし。恋する心は自由だぞ」
「汝の口から出るとは思い難い言葉が出てきたな。恋する心とは、いやはや。これまたアレキサンダーが荒れそうな言葉を口にする……」
「口にする相手は選んでいるともさ。君の選んだ相手ならどんな種族でも祝福するし、安心できると信頼しているよ」
「相手と言われても顔一つ、声一つ思い浮かばないのが現状だがな」
「ははは、気長に待つともさ」
「約束は出来んぞ。だがお前が人間に生まれ変わることも、複数の伴侶を得た事も、我にしても想像だにしていなかった事。なにが起きるか分からないというのは、我らにも当てはまる。もしかしたなら我も誰かと常に共に在りたいと願う未来があるやもしれぬ」
「ふむ、そう考えてくれただけでも話をした甲斐はあったかな。私のように、あるいはマルコのようにスライムや蟻人、ハーピーのような伴侶を探してみるのもよいと思うぞ。いずれにせよ、君が心を傾けるほどの相手が見つかれば、それは幸いな事であるのに間違いはない」
「マルコ……汝の人間としての弟であったな。汝にとって兄弟であるならば、我らにとっても兄弟に等しい。アレキサンダーはどう捉えるかは分らぬが、ヒュペリオンやヴリトラも多少は目に掛けている。汝の心を癒してくれたのには、感謝しかない」
「私も生涯そう思い続ける事だろうね」
ドランは屋台でひき肉と野菜炒めを具にしたパンを二つ購入し、一つをバハムートに渡して、路地の片隅に置かれている長椅子に腰かけた。手の中のアツアツのパンに齧りつきながら、この世に七柱の兄弟は和やかな時に身を浸す。
「汝が心血を注いで築いたこの平穏と栄華は、良いものだ」
「ふむ? お褒め頂き光栄だな」
「だからこそ汝が人間としての生を終えた後、過ぎた手出しをしないでいられるのか、我は少々不安視している」
「バハムートの心配は分かる。私もその点については、あまり自分に自信が持てていない。いないが、人間としての私が死んだ後もディアドラやドラミナが居るし、子供達も成長して大きくなっている。きっと、安心して後のことを託せるよ。そう信じている」
「……そうか。次の世代に後を託せるのは、子を持つ者の特権であるな。その特権は、なるほど、確かに魅力的だ。嫁探しか。もう少し真面目に考えてもいいかもしれないな」
「そうしてみたまえ。かのバハムートが伴侶を得るとなれば、あらゆる神々とあらゆる竜種が驚き慄くぞ」
「見世物ではないが、汝の時も似たようなものだったな」
「少しは私の苦労を味わうと良い。そしてそれ以上に傍らに誰かが居て、お互いに支え合える幸福はもっと味わうと良いさ」
バハムートは微笑むドランに一つ頷き返して、パンに齧りついた。人間を模した肉体には美味に感じられるその味は、傍らの弟との気の置けない会話の影響があったかもしれない。
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