ジェニー・シュピール 〜私が神になるまでの話〜

乙夜麻痺

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Episode2 

Episode2−1

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「森羅珮杜を逃した。どうしてそうなったのか、説明してもらおうじゃないか、星宮冥美」
 
 Cipher(サイファー)の中核に位置する室内に、星宮冥美はいた。星宮冥美の前には一人の男性が。歳は50代半ばといったところであろうか。テーブルを挟んで冥美の向かいに腰を深く椅子に掛け座っていた。一方冥美の方はと言うとまるで脚が鉛で出来ているかのように立ちすくんだまま動かなかった。

「仁科所長、全て私の管理不足です。まさかあのタイミングで森羅珮杜が覚醒めるとは…」

「管理不足?研究者にとってあるまじき行為では?」

「っ、……」

「出会った時とは違う。君もいい大人だ。責任能力が問われるが?」

 言葉を詰まらせる冥美に対し、仁科は考える空きを与えないようにしているかの如く質問攻めをした。いつもは感情を顕にしないようにしている冥美であったが、この時ばかりは違った。

「申し訳、ございませんでした…」

 彼女は頭を深々と下げると今にも消えそうな蚊の鳴くような声でそう言った。額から嫌な汗が溢れ頬を伝い、瞳孔は開きに開き、唇は微かに震えている。

「謝って済むのならこの世に警察なんて要らないのだよ」

 仁科はそう言って椅子から立ち上がり窓に近寄ると、冥美に背を向け右手で窓をなぞりながら溜息をついた。

「なんて、つまらん事は言わんよ。要るからには意味があるんだ、この世に存在するものならね。こんなのただの屁理屈さ。くだらない」
 
 仁科は吐き捨てるようにそう言うと、冥美の方に向き直り

「君はどう思う?自分のこの世に存在する意味について」

 と言った。この質問の答えによって、自らの今後が決まってしまう。そう悟った冥美の口は何かを語ろうと開いたものの、声が出る事は無かった。

「ふむ、まぁ良いだろう。では次会う時にまで答えを見つけておくと良い」

 仁科は表情一つ変えずに部屋から出て行こうと出口へと向かった。そして部屋を出る直前、少し歩みを止めた時、冥美と目も合わすことなく言ったのだった。

「1週間以内に森羅珮杜を連れ戻せ」

 それは星宮冥美にとって死刑執行の日を知らされたも同然だった。
 
―現在 6月22日16時33分―




《森羅珮杜side》
 赤のマセラティ レヴァンテに揺られながら私は窓の外を眺めていた。高く聳え立つビル群をぬけ、通学路で猫と戯れる小学生の横を颯爽と走り、太陽の光を反射する海を横目に私はマセラティ レヴァンテを満喫していた。

「ねぇ賢護。森羅は大丈夫なの?全然話さないみたいだけど」

 運転席にいるハンドル捌きが華麗な女性が賢護に話しかける。賢護は後部座席で私の横に座り(なんとなく距離をとられているようだが…)私と同じように窓の外を眺めていた。

「ん?あぁ。もしかしたら…ってか多分椿姫が言ってたみたいに記憶喪失になっているのかも知れない。俺らの事何も覚えて無いよ、きっと」

「あらら、それは面倒臭い事になったし、残念ね。アンタあんなに森羅に尽くしてたのに、森羅はそんな事微塵も覚えちゃいないんでしょ?」

「余計なお世話だ」

 それから車内には微かなエンジン音が流れるだけであって、誰も話だそうとはしなかった。外の景色はすっかりと変わり、気付けば森の中を走っていた。先程から緑ばかりで、他に見るものが無くなった私はバックミラーに映る運転席の女性に目をやった。
 年齢は20代後半から30代前半といったところであろう。そしてとても妖艶な女性である。瞳から唇まで全てが大人で、思わず私はバックミラー越しに見惚れてしまった。

「ん?森羅何見てんの?何か用?」

「いや、ただ美しい方だな、と」

「いやいや、それアンタに言われたくないんだけど。アンタに言われたらお世辞にしか聞こえないし。実際のところ、未だに私アンタが男か女かも分かってないんだから」

 女性は長い髪を少しうざったそうに手で払いながらそう言った。何をしても美しいとはこの事だろう。私は関心しながらまた外に目をやった。

 しばらくすると、マセラティレヴァンテは静かに止まった。どうやら目的地に着いたらしい。

「ほら、さっさと降りて。早く愛車を車庫にしまいたいんだが」

 女性に急かされるようにして私と賢護は車から降りた。3時間ぶりくらいに吸う外の空気は、とても澄んでいた。森の中だろうか。

「フィトンチッド……」


「なんだそれ?」

 私の呟く声が聴こえたのか、賢護が尋ねてきたので私は反射的にフィトンチッドの説明を始めた。

「フィトンチッドというのは木が二酸化窒素を自身に寄せ付けないように葉から出す香り成分の事だ。二酸化窒素は酸化作用が強いから、樹皮に付着すると木の酸化が急速に進むからな。空気中を漂う二酸化窒素がフィトンチッドに絡みつくと大きな粒子になって地面に落下する。落ちた二酸化窒素はバクテリア等によって分解され窒素化合物となり、最後には森林の栄養となるから、森林の空気の綺麗さは保たれるって言う事なんだが、これで分かったかい?」


「へぇ~、木ってただ立ってるだけじゃないんだな。ただ突っ立てるだけだと思ってたから、たまに木になったら楽なんだろうなとか思ってたけど」

 賢護はそう言ってニカッと笑った。

「あぁ、周りからはそう見えるかも知れないがな。この世に存在するものに意味の無いものなんて無いのだよ」

「珮杜らしい、な」

 賢護は懐かしそうに私を見つめながら言った。まるでもはや記憶の中の人のように。

「そう言えば君に尋ねたい事が山程あるのだが」

「俺も珮杜に説明しなきゃならねぇ事が沢山あるんだが?」

 それから私達は笑った。どうして笑ったのかなんて理由は話すまででも無い。この感じがどうにも懐かしくて何処か擽ったかったのだ。笑ったと言っても二人とも静かに笑うだけで、それ以上何を話すでも無く、ただその場に立ち尽くし、森を駆け抜ける風に肌を冷やしながら互いに相手を探り合っているかの様であった。

「何だか変な感じがするね」

「あぁ、此処には何回も何回も二人で立っているはずなのにな」

「残念ながらその記憶は私には無いみたいだ」

「そっか、」

 やっとの事で再開したはずの会話もすぐに終わってしまう。それ程までに今の私達は昔程の仲には戻れていないという訳だ。(昔の記憶が全く無いため、彼とどんな会話をしていたのか覚えてはいないが、彼の様子からして結構な仲だった事だけは伺えた)


「おーい!刻刀!!晩飯はまだなのか!!」

 私達の間に流れる気まずい沈黙を破ったのは、先程のハンドル捌きが華麗な妖艶な女性であった。その見た目とはウラハラに少し粗めの言葉遣いに少し違和感を覚えさせられる。煉瓦造りの建物から顔を出し怪訝そうな顔で賢護を見ていた。

「こっちは腹が減ってるんだ!今日は無理矢理働かされたんだ、飯ぐらいちゃちゃっと作れ!!」

「ちっ、人遣い荒れぇな椿姫は…」

 賢護は軽く肩を落としながら、建物へとゆっくり歩いていく。私もその後を慌てて追いかけた。

「つばきってあの女性の名前か?」

「あぁ、アイツの名前、椿に姫って書いて椿姫っていうの。新掟椿姫しんじょうつばき。弁護士やっててな、結構業界の中では有名らしいぞ。敏腕弁護士ってヤツ?でもまぁ人遣い荒くて困ってんだけどな」

 賢護は苦笑いしながら言った。

「おい、聴こえてんぞ!そんな事言う暇あったら飯作れ!!」

「はいはい、分かってますよー!あっ、でもって言ってなかったけど、今から入るこの家が俺達の家」

 そう言って彼は目の前の建物を指さした。そこには立派にたたずむ4階建ての煉瓦造りの建物が。

「俺一応建築士やっててさ、まぁ自慢じゃないけど俺が設計したんだ」

 と、少し自慢気に、そして何処か照れながら賢護は言った。

「建物に関してはなんの知識も無いが、1つの作品として美しい大作だという事は分かるよ」

 私の素直な感想に、彼は自分の耳を少し触りながら俯いて建物の中へと入っていった。私も彼のあとに続いて建物の中へと入る。

 その時森の中から木の陰に隠れ私達を見ている者の存在に私達は気が付かなかった。


《新掟椿姫side》
 愛車を車庫にしまい家の中へと入ろうとした時にふと森羅、刻刀に目をやった。2人とも何気なく会話を交わしているつもりなのだろうが何処かぎこちなくて、見ているこっちがむず痒くなる程であった。

「ま、時間が解決してくれるだろう」

 私は2人の今後をそう予想し再び家の中へと入ろうとしたその時、不意に森の中から視線を感じた。反射的にその視線を感じた先に目を向けるもそこには誰も居らず、森羅と刻刀に目を向けたが2人はその正体に気づいていないようであった。
 『危険だ』
 私の感が確かにそう言った。2人にすぐに伝えるべきだ、そう分かってはいたもののここで下手に声を出してしまえば何が起こるか分からない。もしかすると相手が直様攻撃を仕掛けて来るかもしれない。ではどうやって2人に知らせるべきか。知らせたところで別に安全を確保できる保証は無い。ましてやあの視線が敵なのかさえも分かっていない。ここまで考えるのに0.314秒。

「おーい!刻刀!!晩飯はまだなのか!!」

 相手に気付かれずに2人を自然と家の中へと入れる方法はこれしか無かった。そんな事を刻刀アイツは微塵も分かっちゃいない。『また命令かよ』と言う文句と『邪魔すんじゃねぇ』という訴えの目でこちらを見てきた。こっちの機転にも気づかずにむしろウザがられている事に私は腹をたてた。

「こっちは腹が減ってるんだ!今日は無理矢理働かされたんだ、飯ぐらいちゃちゃっと作れ!!」

「ちっ、人遣い荒れぇな椿姫は…」

「つばきってあの女性の名前か?」

「あぁ、アイツの名前、椿に姫って書いて椿姫っていうの。新掟椿姫。弁護士やっててな、結構業界の中では有名らしいぞ。敏腕弁護士ってヤツ?でもまぁ人遣い荒くて困ってんだけどな」

「おい、聴こえてんぞ!そんな事言う暇あったら飯作れ!!」

 その間も私は森の中に目をやっていた。いつ何処から攻撃を受けても構わぬようにopusを繰り出す準備をしながら。

 結局2人が家の中に入るまでに攻撃を受ける事は無かった。今回はただの偵察だったのだろうか。安堵した私は小さく溜息をつく。

「んで、何を作りゃ良いんだ?」

 不意に刻刀が聞いてきたが実際に腹なんて空いていなかった。

「何でも良い」

「は?何でも良いって何だよ!!お前が呼んだからわざわざ作りに来たんだろ?!」

 相当頭にきたのか刻刀は少し顔を赤くして興奮気味に言った。先程の緊迫した空気から解き放たれていた私はその程度の事で動じはしない。

「気分が変わったんだ、飯などいらん。まぁ、強いて言うなら喉が乾いた。茶を出せ」

 いつも通りの淡々とした口調で刻刀に言った。

「茶を出せって、飲むもんくらい良い加減自分で入れたらどうだ!!そんなんだから嫁にも行けないんだよ!」

「はぁ?そんなの関係ないだろ?て言うか弁護士の私に口喧嘩で勝てると思ってんのか?ただでさえお前は語彙力が幼稚園児レベル何だぞ、痛い目に遭う前に辞めといた方が良いんじゃないか?」

 私は鼻先で笑うように言った。

「っ、何でお前はいつも人を馬鹿にする事しか出来ないんだよ!!いくら口が達者でもな、優しさってもんがねぇと弁護士やってけねぇよ!!」

「優しさ、ねぇ。ところでその『優しい』の基準は?人によって違うと思うが?」

 今回も私は負ける事は無い。私は実際の裁判でも口喧嘩でも誰にも負けた事は無い。そう思っていたその時、森羅が口を開いた。

「良い加減夫婦漫才は辞めて、事情を説明してもらえないだろうか?こっちは何が何だか分からないのだが。まぁ、短気では無いので待つ事も可能だが、君達の様に自分達の私情で周りが見えなくなるような人間はどうも苦手だ。言っておくが、私は君達を信用してはいない。君達はまだ私の信用を勝ち取ってはいない。君達の組織にとって私という1つのピースは他の組織と争いが起こる程重要である事がうかがえる。そして今そのピースは君達の所有物と化している。しかし私の気1つでここから出ていく事も可能だ。君達を裏切るのなんていつでも出来るのだよ。では、何故ここに居るのか?それは君達を、信用してみたいと思っているからだ。だからまぁ、ガッカリさせないでくれ」

 あぁ、思い出した。私は森羅コイツにだけは唯一勝てなかったのだ。森羅は記憶喪失の為忘れているのだろうが、私はいつも勝てなかった。

「ごめん、今珮杜の部屋に案内するからついてきて」

 刻刀は静かにそう言うと森羅と共に2階へと上がっていった。

【極秘機密情報】
~刻刀賢護(ときとうけんご)~
 森羅珮杜の不在中、珮杜の代わりに𝓐𝓡𝓣𝓔のリーダーを務めてきた。クセの強い仲間達のおかげでいつもツッコミ役をやらされ、頭を抱える毎日を送る。普段はフリーの建築家として、オファーを受けて仕事をしている。珮杜には過去に世話になったらしく、何か強い想い入れがあるらしい。
 燃えるような赤髪がトレードマーク。
27歳、身長186cm、体重74kg。
 ミケランジェロの器の現在保持者。

~新掟椿姫(しんじょうつばき)~
 口は悪いがとても頼りになる姉御肌の敏腕弁護士。趣味は愛車のマセラティ レヴァンテに乗りドライブする事。
 森羅珮杜の感想からも分かるように頭から爪先まで全てが妖艶な女性。
年齢不詳、身長173cm、体重58kg。
 アルフォンス・ミュシャの器の現在保持者。

 

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