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第五章
07 動き回る骸(むくろ)
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「もう動けるのか? 驚いたな。やはりお前は、悪魔に魂を売ったんだな」
贋作師は畏敬の念を込めて言った。
「せっかく生えかけた鼻を、にっくき大鼠めにまた齧られたので、喋り辛くてしょうがないがな」
と猫の世話係は怒りを込めて言った(贋作師の脳内翻訳によれば、そう言ったはずだ)。
「あの害虫め、どこに行きおった」
その時、人々の悲鳴が大きくなり、取っ組み合いお互いの喉笛を噛み切ろうとする猫と鼠が、転がり出てきて回廊の柵に大きな音を立ててぶつかった。頼りない柵は二匹の重みをかろうじて受け止めたが、斜めに傾いだ。
「バスカヴィル」
と囁いた猫の世話係の声は、愛情に満ちた猫なで声だったが、すぐに調子を変えて「私の子猫ちゃんになんてことを」と忌々しげに吹き抜けの階段を渡り始めた。その動きはかなりぎくしゃくとして、普段のきびきびした調子を失っている。
段々近づいて来るにつれ、彼の姿がはっきり見えるようになり、シュウレンは甲高い悲鳴を上げると、贋作師の腕の中でぐったりとなった。
俺も気を失いたい気分だ
鼻以外の部分もまだかなり欠けたままの猫の世話係の姿を目の当たりにして、贋作師は思った。爆発で傷ついた足と折られた右手が痛みだした。
「アルトゥール、許さんからな!」
猫の世話係は、眼球があったはずの空虚な穴で鼠を睨みつけた。
世話係に気付いた猫の注意が一瞬逸れた隙に、鼠は猫に体当たりを食らわせると、身を翻した。その鼠を追うべく体制を立て直した猫は、世話係の方を睨みつけ、牙を剥いて「シャーッ」と威嚇の声を出した。それは、贋作師の耳には「いいところで邪魔をするな!」と非難しているように聞こえたが、猫の世話係は
「まったく、甘えん坊の猫ちゃんなんだから」
とうふふと笑い、ぎこちない動きで猫のあとを追って消えた。
緊張した面持ちで進むケイナンに、キリヤは
「本当にこちらでいいのか?」
と何度目かの質問をした。
「わかりません」とケイナン。
「この緊急時にそれでは困る」とキリヤ。
「それでは、あのまま猫の世話係殿に付き添って行かれればよかったのに」とケイナンはつれない。
火薬にはらわたを吹き飛ばされ鼠の大群に全身を齧られ無残な骸を晒していた猫の世話係が、あたかも怪談話の甦った死者の如く動き出しキリヤとワタルを恐怖のどん底に陥れたのも束の間、巨大な鼠アルトゥールの出現により、悠長に恐怖に浸っている場合ではなくなってしまった。
飢えた巨大鼠(中型犬サイズ)と生き返った骸、どちらの方が恐ろしいかといえば、それは難しい問いであった。
鼠はキリヤ達に向かってきそうな素振りを見せたが、猫の世話係がぎしぎしと骨を軋ませながら起き上がると、踵を返して逃げ出した。
鼠を追いかけて行く猫の世話係の後ろ姿を呆然と見送ったワタルとキリヤだったが、どうにか気を取り直して世話係の後を追い始め(血の跡が点々と点いているので、追跡は難しくなかった)、その途中で、図書館内を悲痛な面持ちで彷徨うケイナンに出くわしたのだった。
「まあそう言わずに」
とワタルが二人の間をとりなすように、言った。顔や手を血の滲んだ包帯にぐるぐると覆われており、猫の世話係に勝るとも劣らない不気味さで、声を発するまで誰だかわからない状態だ。
ワタルは図書館内の地図は概ね頭に入れているつもりだったが、ケイナンが目指している場所に行くのは初めてだった。
「私は、図書館内は不案内ですから、正直自信はありません。しかし、パウ殿は頑として、自分は行かないと牢屋に籠城しているのです」とケイナン。
「まったく、この非常時に。ワタルが説得してみたらどうだろう?」
「時間の無駄だろう。あの人が何を考えているのか、僕には見当もつかない」
「この程度の事態であれば、ゲンヤ殿やワタル殿でどうにかできるはず、とパウ殿は言っておられた」
とケイナンに言われ、ワタルは唸った。
真っ先に人質に取られ、贋作師の機転のお陰で救出してもらえた自分に一体何ができるというのか。ゲンヤはゲンヤで動いているのだろうが、自分は一体何をしたらよいのか、ワタルにはわからなかった。
「ここ……のはずです」とケイナンは部屋の突き当りで立ち止まり、言った。底は煉瓦の壁に囲まれた小部屋で、中身をあらかた運び出された物置のような雰囲気だった。
「何もないではないか」とキリヤ。壁を撫でたり叩いたりしている。
「図書館も『正門』は隠されている。これもきっとそうだろう。鍵は持っているかい?」
ワタルに尋ねられて、ケイナンはパウから預かった鍵を首から外した。ワタルはしばらく煉瓦の継ぎ目を指で撫でていたが、かちり、という音と共に壁が横にスライドした。
内部は一層暗かった。目が慣れてくると、その部屋は細長く奥行きがあり、上から布を被せられた、おびただしい何かで埋まっていることがわかった。
「これは、なんだ?」
キリヤが恐る恐る陳列物の一つに触れた。それは彼の背丈ほどの高さで、横幅があり、布越しに硬く冷たい感触があった。
覆いを慎重に取り払うと、黒い金属の塊が現れた。初めて見るそれに、三人は顔を見合わせた。
「これは、武器です」とケイナンは緊張した面持ちで言った。
「警備団が訓練で使用している弓矢や棍棒、剣といった武器がまるで子供の遊び道具のように思えます。これらは、大量破壊兵器と呼ばれる物です」
「よくわからないが、強そうではある。これで一体どうしろというのだパウは。ケラ達を吹き飛ばして一網打尽にしろと?」とキリヤは顔をしかめて言った。
「でも、これはとても威力が強そうだ。こんなものを塔の内部で使うわけにはいかないだろう。第一、この重量では、三人ぽっちの力ではとても運べない」とワタル。
「ワタル殿の言う通りです。これらは、内部に向けた使用を想定していません」
あくまでも、外の敵を倒すためのものだ、とケイナンは言った。
贋作師は畏敬の念を込めて言った。
「せっかく生えかけた鼻を、にっくき大鼠めにまた齧られたので、喋り辛くてしょうがないがな」
と猫の世話係は怒りを込めて言った(贋作師の脳内翻訳によれば、そう言ったはずだ)。
「あの害虫め、どこに行きおった」
その時、人々の悲鳴が大きくなり、取っ組み合いお互いの喉笛を噛み切ろうとする猫と鼠が、転がり出てきて回廊の柵に大きな音を立ててぶつかった。頼りない柵は二匹の重みをかろうじて受け止めたが、斜めに傾いだ。
「バスカヴィル」
と囁いた猫の世話係の声は、愛情に満ちた猫なで声だったが、すぐに調子を変えて「私の子猫ちゃんになんてことを」と忌々しげに吹き抜けの階段を渡り始めた。その動きはかなりぎくしゃくとして、普段のきびきびした調子を失っている。
段々近づいて来るにつれ、彼の姿がはっきり見えるようになり、シュウレンは甲高い悲鳴を上げると、贋作師の腕の中でぐったりとなった。
俺も気を失いたい気分だ
鼻以外の部分もまだかなり欠けたままの猫の世話係の姿を目の当たりにして、贋作師は思った。爆発で傷ついた足と折られた右手が痛みだした。
「アルトゥール、許さんからな!」
猫の世話係は、眼球があったはずの空虚な穴で鼠を睨みつけた。
世話係に気付いた猫の注意が一瞬逸れた隙に、鼠は猫に体当たりを食らわせると、身を翻した。その鼠を追うべく体制を立て直した猫は、世話係の方を睨みつけ、牙を剥いて「シャーッ」と威嚇の声を出した。それは、贋作師の耳には「いいところで邪魔をするな!」と非難しているように聞こえたが、猫の世話係は
「まったく、甘えん坊の猫ちゃんなんだから」
とうふふと笑い、ぎこちない動きで猫のあとを追って消えた。
緊張した面持ちで進むケイナンに、キリヤは
「本当にこちらでいいのか?」
と何度目かの質問をした。
「わかりません」とケイナン。
「この緊急時にそれでは困る」とキリヤ。
「それでは、あのまま猫の世話係殿に付き添って行かれればよかったのに」とケイナンはつれない。
火薬にはらわたを吹き飛ばされ鼠の大群に全身を齧られ無残な骸を晒していた猫の世話係が、あたかも怪談話の甦った死者の如く動き出しキリヤとワタルを恐怖のどん底に陥れたのも束の間、巨大な鼠アルトゥールの出現により、悠長に恐怖に浸っている場合ではなくなってしまった。
飢えた巨大鼠(中型犬サイズ)と生き返った骸、どちらの方が恐ろしいかといえば、それは難しい問いであった。
鼠はキリヤ達に向かってきそうな素振りを見せたが、猫の世話係がぎしぎしと骨を軋ませながら起き上がると、踵を返して逃げ出した。
鼠を追いかけて行く猫の世話係の後ろ姿を呆然と見送ったワタルとキリヤだったが、どうにか気を取り直して世話係の後を追い始め(血の跡が点々と点いているので、追跡は難しくなかった)、その途中で、図書館内を悲痛な面持ちで彷徨うケイナンに出くわしたのだった。
「まあそう言わずに」
とワタルが二人の間をとりなすように、言った。顔や手を血の滲んだ包帯にぐるぐると覆われており、猫の世話係に勝るとも劣らない不気味さで、声を発するまで誰だかわからない状態だ。
ワタルは図書館内の地図は概ね頭に入れているつもりだったが、ケイナンが目指している場所に行くのは初めてだった。
「私は、図書館内は不案内ですから、正直自信はありません。しかし、パウ殿は頑として、自分は行かないと牢屋に籠城しているのです」とケイナン。
「まったく、この非常時に。ワタルが説得してみたらどうだろう?」
「時間の無駄だろう。あの人が何を考えているのか、僕には見当もつかない」
「この程度の事態であれば、ゲンヤ殿やワタル殿でどうにかできるはず、とパウ殿は言っておられた」
とケイナンに言われ、ワタルは唸った。
真っ先に人質に取られ、贋作師の機転のお陰で救出してもらえた自分に一体何ができるというのか。ゲンヤはゲンヤで動いているのだろうが、自分は一体何をしたらよいのか、ワタルにはわからなかった。
「ここ……のはずです」とケイナンは部屋の突き当りで立ち止まり、言った。底は煉瓦の壁に囲まれた小部屋で、中身をあらかた運び出された物置のような雰囲気だった。
「何もないではないか」とキリヤ。壁を撫でたり叩いたりしている。
「図書館も『正門』は隠されている。これもきっとそうだろう。鍵は持っているかい?」
ワタルに尋ねられて、ケイナンはパウから預かった鍵を首から外した。ワタルはしばらく煉瓦の継ぎ目を指で撫でていたが、かちり、という音と共に壁が横にスライドした。
内部は一層暗かった。目が慣れてくると、その部屋は細長く奥行きがあり、上から布を被せられた、おびただしい何かで埋まっていることがわかった。
「これは、なんだ?」
キリヤが恐る恐る陳列物の一つに触れた。それは彼の背丈ほどの高さで、横幅があり、布越しに硬く冷たい感触があった。
覆いを慎重に取り払うと、黒い金属の塊が現れた。初めて見るそれに、三人は顔を見合わせた。
「これは、武器です」とケイナンは緊張した面持ちで言った。
「警備団が訓練で使用している弓矢や棍棒、剣といった武器がまるで子供の遊び道具のように思えます。これらは、大量破壊兵器と呼ばれる物です」
「よくわからないが、強そうではある。これで一体どうしろというのだパウは。ケラ達を吹き飛ばして一網打尽にしろと?」とキリヤは顔をしかめて言った。
「でも、これはとても威力が強そうだ。こんなものを塔の内部で使うわけにはいかないだろう。第一、この重量では、三人ぽっちの力ではとても運べない」とワタル。
「ワタル殿の言う通りです。これらは、内部に向けた使用を想定していません」
あくまでも、外の敵を倒すためのものだ、とケイナンは言った。
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