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学~前編~
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しおりを挟むよし、反応した。
思わず小さくガッツポーズ。だが、その小さな興奮は、女が岩魚を取りに向かう姿のおぞましさに、あっという間に掻き消された。
ワサワサと手足を動かす様が底気味悪い。
その速度も異常で、嫌悪と恐怖の対象でしかない。
俺はすぐに目を背け、荷物を手に取るとまた帰り道を歩いた。
両側が林なので、道幅が広くなったり狭くなったりする。それは構わないが、上下左右に蛇行するのと、地面に太い根っこが迫り出しているのが厄介だった。
前と足下を確認するだけでも大変なのに、後ろまで気にする必要があるなんて最悪だ。
それも、熊や猪なんかと違って、得体が知れない。
何をされるか分からないのは本当に怖い。
体も心も磨り減っていく感じがする。
疲労が溜まっていくのが分かる。
距離はどうだ?
振り返る。俺は驚いて足を止めた。
「何、だよ」
声が震えた。顔が引き攣って、頬が痙攣する。
女が一人増えていた。
短い黒髪で、上は赤い下着のみ。黒いスカートを穿いている。
腕に三本、線状に抉れた傷がある。
傷痕は塞がっておらず、動くたびに薄い桃色の肉が開いたり閉じたりする。
血も僅かに出ている。たぶん、獣に引っ掻かれた痕だろう。
生々しさに、えづく。
二人の女は、おかしな体勢で岩魚を取り合っていた。
十メートルほど後方で、互いを傷つけることなく、それでいて乱暴に餌を分け合っている。
縺れて絡み、離れる。
獣じゃない。これは、虫だ。虫の動きだ。
二人が岩魚を骨ごとあますことなく咀嚼してこちらを向く。
無表情。
整った顔立ちだからか余計に怖い。
肌の色も漂白剤に浸けたみたいで不気味だ。
女たちが前足のように使っている左手をゆっくりと上げる。
そして、下ろすと同時に右足を上げる。
右手、左足、速度が増してゆく。
頭が玩具のようにぐらぐら揺れる。
はっとした。あまりに異常で見入ってしまっていた。
俺はまたポケットから岩魚を取り出して投げた。
女たちの様子を見ないまま、帰路に着く足を早める。
岩魚は、残り一匹。
敵が一人じゃないという事実を知って、焦りが出てきていた。
そういえば。と思う。
姉ちゃんが怯えていたのは、あいつらを見たからじゃないか?
きっとそうだ。あんな訳の分からない奴を見れば、誰だって怯える。
電話が掛かってきたのも、あいつら絡みのような気がした。
あ、そうか、スマホ。
電話で連絡することを思いつく。だが、すぐに舌打ちして頭から消した。
両手が塞がっていて電話を掛けられない。
掛けたとしても助けを呼ぶくらいしかできない。
今の状況が好転するとは到底思えなかった。
歩きながら、ナイフの差し込んである鞘を見る。
どうしようもなくなったら、このナイフで。
人を刺す? 俺が?
胸におぞましさが押し寄せる。
そんなことできるのか?
歩みを進めては振り返る。それを繰り返す。
岩魚を投げてから、二人の女の姿は見ていない。
振り切ったのか? と思ったら足音が聞こえた。
「くそっ」俺は歯噛みした。
山なりの道を歩いているから、位置によって見えたり見えなかったりする。
甘い期待をした自分が馬鹿だった。
また耳を突き刺すような甲高い音がした。
間違いなく、あいつらが発した音だ。
この音に一体何の意味があるのか分からないが、こちらを攻撃するのが目的だとしたら弱い。
俺が音なんかでやられるか。
そう思って、すぐに戦慄する。それと同時に考え直す。
最初にあれが聞こえた後、何が起きたか思い返す。
一人増えた、よな。
あの音は、攻撃じゃなくて、コミュニケーションを取るためのものじゃないか?
イルカのエコロケーションみたいに。
もしそうだとしたら、あれがまだいるということになる。
林が音をたてる。
俺は更に足を早めた。
呼吸が荒くなる。
鼓動も速まる。
振り返るが、見えない。
前を見る。後どのくらい歩けば分岐点に戻れるのか。
後ろから、物凄い速度で迫ってくるような足音がした。
俺は振り返ると同時に最後の岩魚を捨てるように投げた。
女は間近に迫っていた。
俺は小さく叫んで身を竦めた。女の顔に岩魚が当たった。
それ以上の状況を観察することなく、俺は走った。
悠長にしすぎた。焦らないように気を遣いすぎた。
もう後がない。
林に身を隠せばやりすごせるんじゃないか?
走りながら、林の中に入ってみようと左を向く。
女の顔があった。
「うわぁっ!」
度肝を抜かれて叫んだ拍子に、足がもつれた。
悪いことに、体勢を整えようとして、跳ねた所に木の根があった。
つま先が引っかかって前のめりになる。
「痛っ!」
俺は派手に転んだ。もう竿とクーラーボックスは諦めるしかない。
地面に両手をついて、体を持ち上げた直後に力いっぱい地面を蹴った。
両腕を思い切り振って疾走する。軽い。最初からこうしていればよかった。
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