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挿話【夏の紅い月夜の下、紅い瞳の孤独な彼と】
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彼の家は古びた洋館だった。
私たち以外の誰にも見えていない孤独な家。
命あるものには近づけないようになっていると、彼との繋がりが教えてくれた。
彼は手を使うことなく鉄でできた柵の扉を開けた。
ランプも宙に浮いて、見えない案内人がいるように振る舞った。
彼の腕が少し下がって、私の首が後ろに倒れた。
真っ黒なキャンバスに、白い絵の具を細かく散らしたような空だった。
その中に、彼の瞳のような紅い月が浮いていた。
独りは寂しいと言っているようだった。
「ヒメ」
洋館に入ってすぐに名前を呼ばれた。
それだけで止まった心臓が動くのではないかと思った。
嬉しくて泣きたくなった。
彼の名前が知りたくなった。
そう思うだけでルインだと伝わってきた。
彼も私の名前をこうやって知ったんだと分かった。
「君を綺麗にしてあげたいんだけど、嫌?」
私は返答に困った。
体は綺麗にしてほしい。
けど、ルインに洗われることを考えると、恥ずかしくてむずむずした。
ルインは苦笑いを浮かべた。
私の複雑な気持ちが伝わったのが分かった。
本心から嫌って訳じゃない。
ただ恥ずかしい。
「分かってる。行こうか」
案内人の代わりのランプが暗い廊下を照らす。
小さなテーブルに置かれた燭台の蝋燭に火が灯り、また少し明るくなる。
革靴の音に聞き入っていた。
ルインの足音は心地良かった。
バスルームは白いタイルが敷き詰められていた。
真ん中に、なめらかな曲線を描く白いバスタブがあった。
湯気が上がっていた。
もう湯が張られているようだった。
ルインは私をバスタブに入れた。
その壁に優しく私の背を預けた。
折れた首はいつの間にか安定していた。
ルインから離れて初めて気づいた。
彼も泥だらけになっていた。
汚れてる。ごめんなさい。
「構わない。洗えば良い。私も、君も」
ルインは上着を脱いで床に置いた。
シャツも脱ぎ、陶器のような肌が露になる。
真っ黒に染まった右腕が痛々しい。
大丈夫? 痛くない?
「大したことはない」
ルインはベルトを外した。
ランプの明りの中で、銀色のバックルがきらめいた。
二人で生まれたままの姿になった。
私は目を閉じることも、覆うこともできない。
感情がマーブル模様を描いていた。
見てはいけないものを見ている気分だった。
ルインは綺麗だった。
けど、私の心は握りつぶされたように痛んだ。
薄闇に隠れて気づかなかった。
左足が真っ黒に爛れていた。
ルイン⁉ それ⁉
「大丈夫。これもすぐ治るよ。繋がりを深くしたかったんだ」
首が安定しているのはルインが治してくれたからだった。
知らないうちにまた繋がりが強くなっていた。
それは嬉しい。でも、傷ついてほしくない。
「無茶はしないよ。ヒメ、洗うよ」
バスルームに雨が降った。
細かくて優しい雫が、私とルインを洗う。
私の体はもう熱を感じない。
なのに雨粒もお湯も温かい。
ルインと繋がりが深くなったことで当たり前のように受け入れていた。
けど、これはこの世界にないものだった。
不思議。魔法なのに。知ってる気がする。
「繋がりが深くなると、私の世界を受け入れやすくなるんだ」
驚かないことに驚いてしまう。
私から思いが伝わったのか、ルインが笑った。
私も心で笑った。
でも物足りなかった。
心じゃなく、体で笑いあいたかった。
それができないことが寂しかった。
ルインが気持ちを受け取ってしまうことが辛かった。
「私は十分だよ。ヒメがいてくれるだけで」
ルインは私の頭を撫でた。
私を壊れ物を扱うように優しく洗ってくれた。
指の触れたところが冷たくて温かかった。
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