79 / 117
挿話【夏の紅い月夜の下、紅い瞳の孤独な彼と】
4
しおりを挟む目尻から涙が流れた。
落ちてきた雨粒が、目に入って溢れただけだった。
けれど、私の気持ちを表してくれていた。
もっと沢山流れ出てほしかった。
それが叶わないと分かっていても、この気持ちをすくいとってほしかった。
「分かってる。泣かないで。私が側にいるから」
彼はハンカチを取り出し、頬を優しく拭ってくれた。
胸が詰まる。
切なさが消えない。
でも涙が溢れない。
苦しい。
「大丈夫。もう怖くないからね」
私の顔は、今とても醜いはずだ。
散々、乱暴されてきた。
右目の視野が狭いのも、たぶん、腫れ上がっているからだと思う。
彼は泣きたいような顔で私の顔を拭い続けた。
それでも微笑もうとしてくれていた。
大切なものを扱うように、髪をすいて泥を落としてくれた。
その優しさに、私はまた胸が締めつけられた。
こんな気持ちは初めてだった。
ずっとこの人といられたら、どんなに幸せだろう。
時折、彼のしなやかな指が頬に触れるのが分かる。
もう失われていたはずの感覚。
肌が彼を感じる。
冷たい。なのに温かい何かが流れ込んでくる。
心地よくて、落ち着く。
生きてるうちに会いたかったな……。
彼の手が私の目を覆った。
「どんなことでも、やりようはあるものだよ」
まぶたがそっと撫でられる。
彼の手が離れ、微笑む顔が目に映る。
隠れていた世界が戻っていた。
え、どうして? 右目が開いてる。
「治したんだよ」
どうやって?
「少し私と繋げた。こっちに移した」
彼はスーツの袖口を捲くった。
肌が真っ黒になって爛れていた。
私は悲鳴を上げた。
彼が何をしたのかが分かって怖くなった。
やめて! そんなことしないで!
「平気だよ。すぐ治る」
袖口を戻し、苦笑いする彼の心が見えた。
彼は孤独だった。
この世界の誰にも見えない、別の世界の人だった。
寂しいという感情が流れ込んできた。
もう、一人でいるのは嫌だと彼の心が叫んでいた。
それがとても憐れで愛おしかった。
彼の側にいてあげたいという気持ちが心に溢れた。
言葉にする必要もなかった。
彼にもそれが伝わっているのが分かった。
これから私たちは一緒に暮らすことになる。
それはとても素敵なことのように思えた。
けど、私は腐っていくだろう。
臭いも見た目も酷い有様になるに違いなかった。
そうなる自分を見られたくなかった。
「大丈夫。私が何とかする」
彼は立ち上がり、私を抱き上げた。
折れた首が曲がらないようにそっと腕で支えてくれた。
優しさに包まれているようだった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
241
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる