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第十話

暗中飛躍

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 夜のデッカード邸は静寂に包まれていた。風呂から上がったばかりのガルヴァンは、自室で革張りの椅子に腰掛け天井を仰ぎ見て、顔を手で撫でながら深く息を吐いた。

 濡れた髪から落ちた雫がバスローブに染み込む。ガルヴァンは首に掛けていたタオルを手に取ると、乱暴に頭を拭きながら微かに呻くような声を上げた。

(馬鹿者が……!)

 カスケルから息子が捕らえられたという連絡があった。自身の息子もである。しかも捕らえた相手というのが、ノルトエフ夫妻だという。

 息子たちから、自分たちの情報が漏れていることも間違いない。おそらくノルトエフ夫妻とラスコールは数日中に反撃に出るだろう。

 それを考えると気が気ではなかった。

 だが、今更どうしようもなかった。既に賽は投げられている。カスケルとバイアレンが働きかけ、噂は流してしまったのだ。後戻りはできない。

 わかっているが、それでもガルヴァンは苦悩する。

 他にやりようがあったかと言えばない。カスケルの用意した偽装依頼書も合議体に提出済み。報道記者もこぞって取り上げ、今やラスコールの評判は地に落ちている。

 有利な立ち位置にいるのだ。そう自分に言い聞かせるが、どうしようもない不安に襲われる。やはり息子は生かしておくべきではなかったと、激しい憤りが湧き起こる。

「ぬあああああ! くそおおおお!」

 ガルヴァンは目の前にあるテーブル上のグラスや酒瓶を、怒りに任せて足で蹴り落とした。酒瓶が高い音を鳴らして割れ、床にガラスの破片が散乱する。

 その端で、グラスはゴトゴトと硬い音を鳴らしながらゆっくりと転がる。
 気を落ち着けるように肩で息をしながら、ガルヴァンは俯いた。

 実力行使──。

 その言葉が頭に浮かぶ。捕らえられている息子たちを殺せば、すべてを有耶無耶にできる。証拠を提示されることもない。

 だがそれでは疑念が残る。国民も報道も、ラスコールの提示した情報から、ガルヴァンが隠蔽工作を図ったのではと勘繰るだろう。

 噂程度ならどうとでもなるが、今回はそうはいかない。しつこい追究が始まるのは目に見えている。これまでとは違い敵がいるのだ。

 自分たちと同じか、或いはそれ以上の力を持った敵が。

 ガルヴァンは自分よりも弱い相手としか戦ってこなかったことに気づいた。強者は罠に嵌めて殺したことが一度あるだけで、正面から向かい合ったことがない。

(震えているのか、俺は……?)

 決して認めたくはないが、表に出たものを抑えるのは難しい。

 怖ろしかった。死神が忍び寄ってくるような恐怖に慄いていた。それを押さえつけるだけの怒りはもうない。酒瓶と共に砕け散ってしまった。

 ガルヴァンは立ち上がり、部屋の扉を開けてバルコニーに出た。夜風にあたれば、気も少しは変わるのではないかと思ってのことだった。

 頭ばかりが熱くなり体は冷えている。

 酒瓶を割らなければ、グラスに入った酒を呷ることもできたのにと、少しばかり癇癪を起こしたことを後悔しつつ柵に向かって歩く。

「こんばんは」

 不意に聞こえた声に心臓を跳ね上げ、ガルヴァンが振り返る。
 だが誰もいない。辺りを見回すが、誰の姿も見えない。

「誰だ⁉ 出てこい!」

 ガルヴァンが叫ぶように問うが、返事がない。

(幻聴か……? いや、確かに聞こえた! あれが幻聴であるものか!)

 眉根を寄せ、注意深くゆっくりと暗がりを見渡す。暗殺者という言葉が脳裏をよぎる。声の聞こえた方向から離れようと後退るうちに、とん、と背が柵に当たった。

 接触した物が何かを確認しようとガルヴァンが振り返る。

「は──?」

 暗がりから視線を逸らした途端に誰かが背を押した。体が前のめりになり柵を越える。上から「さようなら」という声が聞こえた。男の声だった。

 平時なら対応できたかもしれないが、咄嗟のことで気が動転していたガルヴァンは、迫りくる地面を見つめる以外に何もできなかった。

 ゴキリという音が聞こえ、視界が闇に染まった。地面との衝突時に首が折れていた。体が地面に着いた音が聞こえる頃には既に意識が途切れていた。

 間もなく、バルコニーからロープが垂らされ、するすると黒尽くめのフードローブ姿の男が降りてきた。仮面をつけているその男はガルヴァンの状態を確認すると、しばらく凝視してからストレージにロープをしまい、手紙を置いてその場を去った。

 翌朝──ガルヴァンが遺書を遺して自殺したことが報道された。GS社の社長室でその報道記事の載る新聞を読んだラスコールは表情を怪訝なものに染め上げて呟いた。

「何故このタイミングで……?」
「良心の呵責に耐え兼ねたのかと」

 新聞を持ってきたシンが微笑んで言う。傍らにはスカーレット。憎まれ口を叩きながらも、シンにベッタリ付き添い、最近はいつも一緒にいる。

 ラスコールはそんな娘を上目でちらりと見た後で、記事を机に放って背もたれに身を預ける。そして目頭を揉みながらシンに言った。

「お前がやったのか?」

 シンは意外そうに目を見開いた。

「だとしたら、衛兵に突き出しますか?」

 ラスコールは「いや」と呟き鼻を鳴らしてかぶりを振った。

「こういうやり方は好かんだけだ」

「社長はそのままでいてくだされば結構です。私は私の思うように動きますので、社長の邪魔にはならないかと。それと、記事の他にも得られた情報をいくつか」

 シンは二十五年前に起きた侯爵殺害事件の真相を話した。

 ガルヴァンの息子が行方不明になった侯爵の妹との間に出来た子であることや、使われた毒の種類とその出どころまで。

 ラスコールはすべてを聞いた後、深い溜息をこぼして俯き、髪を撫で上げた。

「確度は?」

「この上なく高いかと。既に拘束中のデッカード元帥の息子のDNA鑑定を行っております。侯爵家のDNAも遺伝子バンクに保存してありますので」

「血縁関係にあるか否かはすぐに出るか。ところでシン、一体どうやってこの情報を? 前々から思っていたが、ここまでくると異常だぞ?」

 シンは困ったような顔の前に人差し指を立てる。

「それは企業秘密なので」

「そうか。無粋なことを聞いた。すまんな」

 シンの情報収集能力が高い理由はシンの所持技能【看破ペネトレイト】にあった。他者の心の防壁を突き破り、隠蔽している事実を抜き取れるのである。統計に基づく行動心理学をかじり、人も魔物も問わず観察を行っているうちに【分析アナリシス】と共に習得していた。

 また本心や素性を隠しての交渉も盛んに行っている為【隠覆ヴェイル】と【隠蔽ハイディング】も習得している。故に【看破ペネトレイト】所持者以外にはステータスを知られることがない。

 更に【変身シェイプシフト】と【気配制御サインコントロール】も所持しているので、誰にも気づかれることなく潜入と情報の収集、果ては暗殺までこなすことが可能。

 現在の設定は【看破】【気配制御】【変身】【隠覆】の四つ。それで六枠使用。レベルは三十八なので、それ以上の技能を設定することはできない。だがそれでも、現在諜報活動でシンの右に出る者はいなかった。これは近隣諸国を含めての話である。

「ねぇ、シンはどうして元帥を殺ったわけ?」

 社長室を後にしたシンに、共に廊下を歩くスカーレットが訊いた。

「言いがかりかと。私がやったという証拠はないので」
「うー、仮定の話として」

 強請ねだるように腕に絡みつくスカーレットの耳元にシンは顔を寄せる。

「おそらく、時間が惜しいからかと」
「それは、復讐の?」
「さぁ? 私にはわかりかねますので」
「意地悪」

 シンは顔を赤くするスカーレットに微笑みを向け、二人寄り添うようにあてがわれた社内自室へと戻った。そこで何が行われているかを知る者は二人以外に誰もいない。
 
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