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ep.2 春の嵐
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ギルバートとコンスタンシアの“古語構文試験対策講座”が始まったのは、数日前だった。
「ここは、こう覚えて。式の形から判別できる」
彼は教本の公式を指さしながら言った。
コンスタンシアは、森のベンチを“秘密の場所”として通っていた。
そこにある日、本を読む高等部の少年が座っていた。互いに干渉しない静かな関係だった。
けれど、コンスタンシアは、中等部の試験前、彼の読んでいた本を思い出した。それで、彼女が意を決して声をかけたのだ。
「早かったかな?」
コンスタンシアのペンが止まっていると、彼が口を開いた。
穏やかではあるけれど、どこか冷たく硬い響き。口元は確かに笑っているのに、目は笑っていなかった。
コンスタンシアは、初めて彼の目を見たとき、息を呑んだ。
彼の瞳は、若葉よりも明るい翠色をしていた。
「うん……ごめんなさい」
思わず小さな声で謝った。
それが聞こえたからか、彼の肩がかすかに揺れた気がした。
そして彼は目を細め、さらに柔らかな表情をつくって――けれど、口元に浮かんだ笑みにはやはり温度がなかった。
「続けようか」
日が暮れるまで、二人の“対策講座”は続いた。
コンスタンシアの中に残った違和感は消えないまま。
彼の教え方は丁寧だった。
コンスタンシアが手を止めれば、わからないと言うまでもなく、補足を加えてくれた。
ただ、それは、彼女に「わからない」と言わせないような、先回りしすぎたやり方にも思えた。
「どうかした?」
翡翠のような瞳が、彼女の思考を探るように、静かにこちらを覗き込んでくる。
コンスタンシアは少し口ごもった。
「あなたは何を考えているの?」
そう問いかけたかった。けれど、口にしたのは、別の言葉だった。
「ううん。先生よりもわかりやすいなって」
その一瞬、彼の瞳と、視界の端に映った指先が揺らいだ気がした。
彼は短く沈黙して、ようやく言葉を返す。
「そうか。……よかった。今日はここまでにしよう」
彼が教本とノートを閉じる。その仕草を、コンスタンシアはぼんやりと眺めていた。
彼が立ち上がろうとする気配に、遅れて声をかける。
「わたし、コンスタンシアっていうの」
その言葉に、彼の動きがぴたりと止まる。
コンスタンシアは思わず固唾を飲み、彼の返事を待つ。
「……ギルバートだ」
小さく目を伏せて、彼は答えた。
コンスタンシアはうなずく。少し迷って、口を開いた。
「今日は……ありがとう」
礼を言わないのはよくないと思ったから。それだけだった。
けれど、彼が何も言わずにこちらを見つめるあいだ、胸が痛いほど静かだった。
「また明日」と言おうか、ほんの一瞬迷って――やめた。
距離を近づけるのが、今はまだ怖かった。
彼はじっとコンスタンシアを見つめた。
そして小さくうなずくと、背を向けて森の奥へと歩き去っていった。
「ここは、こう覚えて。式の形から判別できる」
彼は教本の公式を指さしながら言った。
コンスタンシアは、森のベンチを“秘密の場所”として通っていた。
そこにある日、本を読む高等部の少年が座っていた。互いに干渉しない静かな関係だった。
けれど、コンスタンシアは、中等部の試験前、彼の読んでいた本を思い出した。それで、彼女が意を決して声をかけたのだ。
「早かったかな?」
コンスタンシアのペンが止まっていると、彼が口を開いた。
穏やかではあるけれど、どこか冷たく硬い響き。口元は確かに笑っているのに、目は笑っていなかった。
コンスタンシアは、初めて彼の目を見たとき、息を呑んだ。
彼の瞳は、若葉よりも明るい翠色をしていた。
「うん……ごめんなさい」
思わず小さな声で謝った。
それが聞こえたからか、彼の肩がかすかに揺れた気がした。
そして彼は目を細め、さらに柔らかな表情をつくって――けれど、口元に浮かんだ笑みにはやはり温度がなかった。
「続けようか」
日が暮れるまで、二人の“対策講座”は続いた。
コンスタンシアの中に残った違和感は消えないまま。
彼の教え方は丁寧だった。
コンスタンシアが手を止めれば、わからないと言うまでもなく、補足を加えてくれた。
ただ、それは、彼女に「わからない」と言わせないような、先回りしすぎたやり方にも思えた。
「どうかした?」
翡翠のような瞳が、彼女の思考を探るように、静かにこちらを覗き込んでくる。
コンスタンシアは少し口ごもった。
「あなたは何を考えているの?」
そう問いかけたかった。けれど、口にしたのは、別の言葉だった。
「ううん。先生よりもわかりやすいなって」
その一瞬、彼の瞳と、視界の端に映った指先が揺らいだ気がした。
彼は短く沈黙して、ようやく言葉を返す。
「そうか。……よかった。今日はここまでにしよう」
彼が教本とノートを閉じる。その仕草を、コンスタンシアはぼんやりと眺めていた。
彼が立ち上がろうとする気配に、遅れて声をかける。
「わたし、コンスタンシアっていうの」
その言葉に、彼の動きがぴたりと止まる。
コンスタンシアは思わず固唾を飲み、彼の返事を待つ。
「……ギルバートだ」
小さく目を伏せて、彼は答えた。
コンスタンシアはうなずく。少し迷って、口を開いた。
「今日は……ありがとう」
礼を言わないのはよくないと思ったから。それだけだった。
けれど、彼が何も言わずにこちらを見つめるあいだ、胸が痛いほど静かだった。
「また明日」と言おうか、ほんの一瞬迷って――やめた。
距離を近づけるのが、今はまだ怖かった。
彼はじっとコンスタンシアを見つめた。
そして小さくうなずくと、背を向けて森の奥へと歩き去っていった。
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