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第2章

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 夜明け前。視界に入ってきたすやすや眠る子猫のようなノアの姿に、カーティスは思わず頬が緩んだ。昨夜はかつての仲間たちと会って動揺したのだろう、いつも以上に快楽に溺れ自分に甘えていた。従順なペットとなったノアは想像以上の破壊力だった。
 あんな取るに足らない者たちに心を痛めるなんて。まだまだ幼い子どもだと、改めてそうカーティスは思った。
「愛らしいな、ノア」
 カーティスはノアの額に口づけを落とすと、優しく髪を撫でた。
「ん……」
 ノアは気持ち良さそうに寝返りを打つと、幸せそうな寝顔を見せる。その愛らしさに、カーティスは再び心を奪われてしまう。あまりに愛らしくて憎たらしくなるくらいだった。こんなに無防備で愛らしいのに、自分と同等の魔力の持ち主でもある、特異すぎる存在。
「…誰にも渡さないよ?」
 カーティスはノアを抱きしめ、耳元で囁いた。
「ん……?」
 その拍子に、ノアは小さな声を上げ、うっすらと目を開いた。緑色の宝石のような目には昨夜とは違って光が満ちている。すこし苦笑したくなった。
(これでもまだ、完全には堕ちないのか…)
「おはよう、ノア。よく眠れたかい?」
「あ、あれ…?僕、昨日……」
 寝起きのノアは目をパチパチさせて、その後一気に顔を真っ赤にした。
「あ、ああ…お、おま…お前…!あんな、変態プレ……」
「うるさい」
 カーティスはノアの口を塞ぐようにキスをした。
「んんんんんん!」
 うーうー唸りながら引き離そうとするノアの抵抗を無視して、カーティスは更に深く貪っていく。
「ん……ん……ん……んんんんんん!!!」
 長いキスを終え、やっと解放されたノアはゼェハァと大きく深呼吸を繰り返した。
「何するんだ、このバカ!!殺すぞ!!」
 ノアは涙目になって怒鳴るが、カーティスは全く意に介していない様子だった。
「寝起きに中々物騒な発言だね。昨日はあんなに殊勝で健気で愛らしかったのに……」
「うるさい!!忘れろ!!」
「嫌だな。脳に刻み込んだよ?何なら記憶保存の魔法をかけて大事に保管しておくつもりだが?」
「やめろぉおお!!」
 ノアは枕を手に取ると、それを思い切り投げつけた。しかし、それはあっさりと受け止められてしまい、逆に押し倒されてしまう。
「全く、君は本当に手強いな?割と本気で洗脳しようとしたのだが……」
「えっ?な、何しようとしてんだよ、お前、こわ…」
 ノアは身の危険を感じ、ベッドの上だがジリジリと後退りする。
「あぁ、私に従うノアの姿、最高に愛らしくてたまらなかったよ…?あのまま私の人形として…」
「やっぱいい、言わなくて」
 ノアはうっとりと語り出したカーティスを押し退けると、急いでクローゼットへと向かう。
「何処へ行くつもりかね?」
「部屋に帰るの!お前が勝手に寝室に入ってくるからいけないんだからな!!」
「つれないことを言うね。そうだ、一緒に朝食を食べないか?今日は君の好きなものを何でも作ってあげるから」
「ほんと?じゃあ僕、パンケーキが食べたい」
 目を輝かせるノアの単純さに、カーティスは苦笑いを浮かべる。
「分かった。すぐに用意させるよ」
「今お前、僕のことバカにしただろ」
 ジト目で睨むがそれすらカーティスには愛しく映ってしまう。
「そんなことはないよ。それより、早く支度をしなさい。そうだね、雨も上がったことだし、庭で食べようか」
「うん、分かった」
 ノアは素直に返事をすると、クローゼットから服を選び始める。慣れた様子だが、そこは元々カーティス専用のものだった。いつの間にかノアの服をいくつか用意しだしたことも、それを疑問にも思わなくなったのも、二人の関係性が変わりつつある証だ。そう思いながら、カーティスはホッと胸を撫で下ろす。
「それと、カーティス。次僕に変なことしたら、もう口きいてやんないからな」
「あぁ、分かってるよ」
 生返事をしながら、ノアの背後に回り込むとカーティスは背後からそっと抱き締めた。
「……カーティス、僕の話聞いてた?離れろって」
「断る」
「はぁ……もう好きにしろよ」
 呆れたようにため息をつくと、ノアは大人しくされるがままになった。
「君は温かいな」
「当たり前だろ?僕は、生きてるんだから」
「……そうだね」
 カーティスは寂しげに笑うと、ノアの首筋に顔を寄せる。
「私は、君に触れられて嬉しいんだよ」
「カーティス……?」
 カーティスの言葉の意味を図り兼ねるノアだったが、そこには触れることなく、後ろの巨大なひっつき虫の邪魔と戦いながら、着替えをする。
「よし、出来た
 ノアは鏡の前でくるりと一回転し、満足げに笑った。
「どう?似合ってる?」
「あぁ、とても良く似合っているよ」
「ふふ、ありがと」
 闇色の服はノアの髪色によく映える。カーティスは密かにそう思っていた。
「さあ、行こう。花嫁さん?」
「だからそれやめろって…」
 ノアをエスコートするように腰に手を回したカーティスは、そのまま歩き出した。
★☆★☆★☆★
 昨日の嵐が嘘のように、朝日の入るテラスはから見える空は鮮やかな青だった。だが、何も隔てるものがないように見えても、薄いガラスのような障壁が張り巡らされていて、ノアはここからは出ることが出来ない。
(こんなに、奇麗な青空なのに)
 空を飛ぶことも好きだった。箒に乗りながら、敵の攻撃を避けたり、命からがらの飛行ばかりだったけど。今こうして平和になって、ノアは自分が出来ていたことがどんどん出来なくなっていく気がして、時折恐ろしく思うことがあった。
 ぼーっとしていると、目の前の男は目を細めて微笑む。昨夜あれだけ変態プレイを強要させていたとは思えない、完璧な紳士の振る舞いだった。
「飲まないのかな?この茶葉は好みでは?他のが良ければ用意させるけど」
「……じゃあ、もらう」
 ノアは出された紅茶を一口飲む。その様子を見てカーティスは微笑むと、話を始めた。
「最近、体調はどうだい?」
「別に、普通だけど?」
「そう。怠さや熱っぽさは感じていない?」
「なんでそんなこと聞くんだよ?」
 カーティスは笑みを浮かべたまま答えない。ノアは警戒した表情を見せながらも答える。
「……まあ、元気だとは思うよ。毎日美味い飯食べさせてもらってるし、部屋で運動してるし。なんか…待遇良いし……ほんと、ありがたいとは……思ってる」
「ふふ、気に入ってくれたようで嬉しいよ」
 カーティスは嬉しそうな顔をするが、ノアは複雑な気持ちでいる。それにあの表情、何か引っかかる。
「君は甘いものが好きなんだね」
「え」
 ティーソーサーにカップを置くとまっすぐノアを見つめながらカーティスは言った。
「今朝のオーダーもパンケーキ。それもはちみつをたっぷりつけてね。でも一番は、タルトが好きなのかな。甘さが割と強い方が良いみたいだね。体調が悪い時も、気の乗らない立食パーティの時も、そういう時は決まってケーキを口にする。あまり食べれなかったからか、それとも簡単に栄養が取れるからか、理由は定かじゃないけれど、君は甘味を好む傾向にあるようだ」
「…………」
「だからと言って、食事制限をさせるつもりはないよ。君はもっとたくさん食べた方がいい。美味しいものを、たくさん」
 カーティスはノアの顎に手をかけるとぐいっと上に向かせ、視線を合わせる。
「っ!」
「私が、君を食べたいと思うくらいにね」
 カーティスはノアの耳元で囁く。その言葉の意味を理解した。
「冗談だろ?」
「どうかな?」
(本当、油断も隙もない男)
「生憎僕は、そう簡単に美味しく頂かれるつもりはないよ?」
「それはよく理解しているさ?」
 す…と周りだけ温度が下がったような緊迫した空気へと変わる。だが、夏の朝に相応しい鳥の鳴き声に、ノアは目を向け「ほら、片付けよう?」と話を中断させた。
「私がやるよ。君はゆっくりしていてくれ」
「いいの?」
 ノアは座り直すと、先程の空気から開放されたように、ぼんやりと庭園を眺めていた。昨晩の大雨が嘘のように晴れ渡り、庭の木々の葉についた水滴がきらきらと光っている。
(綺麗だな)
 しばらく見惚れていると、魔法で片付け終わったカーティスに見つめられていることに気づく。金髪は緩く結ばれており、瞳は、狂気じみた赤色ではなく落ち着いたワインレッドに染まっていた。敵対していた頃は、仮面で口元しか見えなかったし、多忙な魔王はいつも忙しなくしているので、こうして改めて朝日の中でじっくりと見るのは初めてかもしれない。
「どうかしたのかい?」
「あ、いや……なんでもない」
 慌てて視線を外すノアを見て、カーティスはクスッと笑って見せた。
「私の顔に何かついているのかな?」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「うわっ!?ちょっ……」
「では、どうして?」
「…………」
「ノア?」
「……なんか、別人みたいだなって思っただけだよ」
「なるほど。確かにそうだね」
「自覚あるんだ」
 優雅に紅茶を飲む姿はとても様になっており、まるで本物の貴族みたいだとノアは思う。この人がかつて次自分の村を焼き払い、世界を恐怖で支配しようと企んでいたなんて信じられないくらいに穏やかな時間が流れていく。
(まあ、僕も同じかもしれないけれど)
 ノアの記憶は焼けた村から師匠に助けてもらったところから始まっている。ショックなことがありすぎると、記憶は消えてしまうのだそうだ。きっと思い出すのも嫌な、忘れたくて仕方のないピースを探すことを、ノアはいつしかやめてしまった。
 砂糖とミルクを注いでいると、カーティスは苦笑いを浮かべていた。
「いや、本当に甘いものが好きなんだね」
「悪いかよ」
「いいや?機会があれば世界中の甘いものを君に食べさせてみたいなと思っていたところだよ」
 くるくるマドラーでかきまぜていたノアは顔を上げた。
「この国以外の、甘いもの?」
「色々あるんだよ?豆を甘く煮詰めたものとかね。かつて行ったことあるが、あれはあれで中々趣深かった」
 思い出すように言われ、ノアは不思議な気持ちになった。戦争をしていた頃、ノアの全てはこの国の、この大陸だった。
(こいつ、色んな所に行ったことあるんだ…)
 急に自分の世界が狭いことを思い知らされた気持ちになる。紅茶はすっかり色が変わっていた。猫舌なので少し冷めたか確認しながら恐る恐る口にする。
「ところでノア」
「なに?」
「今夜もまた私の部屋に来てくれるかい?」
「はぁ!?」
 突然の申し出に、ノアは思わず声を上げる。紅茶を吹き出さなくて良かった。
「昨日みたいにまた抱かれてくれればそれで構わない」
「き、昨日って…!それでいいって…!あ、あれだってお前が寝てる僕を勝手に運んで…」
 思い出すだけで赤面したくなる。濃厚なセックスの記憶がまだ鮮明に残っている。
「嫌なのかい?」
 カーティスは悲しげな表情でノアを見つめた。
「うっ……い、嫌とかそういうんじゃなくて……ただ恥ずかしいっていうか……その……」
 カップに目を落とす。花に囲まれて朝日の差し込む庭園で昨晩の『ご主人さまプレイ』を回想している自分が急に情けなく思えてきた。
「ノア」
 手の甲で頬を撫でられて顔を見上げる。カーティスの表情は穏やかだった。だが、よく見ると瞳は熱病患者のような危うさを孕んでいるようにも見える。ふと、過去にテオに言われたことを思い出す。まだ戦争の最中の話だ。
『闇の帝王は君に夢中だね』
 野外に陣営をひいて、火の番をしていた時のことだ。突然テオにそう言われ、ノアは顔を慌てて否定する。
『何言ってるんだよ!そんなわけないよ!』
『ううん、彼はずっとノアを見てる』
『それは、僕を絶対倒さないといけなくて、それで睨んでるだけだろ?』
 ノアはそう言ったが、テオは微笑むだけで何も言わなかった。そしてその後すぐに、彼の顔が曇っていくのを見た。
『ノア…君は僕の憧れだよ。僕だけじゃない。みんなの憧れだ。あれだけ大変な思いをしたのに、誰よりも強くて、優しい。そんな君に惹かれずにはいられない。僕も……彼も』
 パチパチと炎が弾ける音を耳にしながら、ノアはぼんやりとテオの横顔を見つめていた。
(夢中って言うより…これは…)
 穏やかなのに、狂気を殺して押し込めたような。そんな歪な感情を向けられていたことをノアは知る由もなかった。
「ノア」
 耳元で囁かれて我に返る。
「な、なに……?」
「今夜、待っているよ」
 カーティスは妖艶な笑みを浮かべると、ノアの唇に人差し指を押し当てた。
「えっ……あっ……ちょっ……!」
 ノアが制止する間もなく、カーティスは姿を消した。
「あーもう……!」
 ノアは頭を抱える。
(なんなんだよ……あいつ……!)
 昨日のこともそうだが、今日もそうだ。甘やかし、世界で一番大事なもののように扱う一方で、ノアから選択肢を奪う。まるで籠の中の鳥だ。
(このままじゃダメだ、なんとかしないと…!)
 ノアは決意を固めると、椅子から立ち上がり、ガラスで遮られた空を仰いだのだった。
★☆★☆★☆★
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