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ふと考えてみる。『こいつ』と俺の関係はいったいなんなのだろう。
物心がついたのはいつだったかなんて、はっきりとは覚えていない。だが、きっと最古の記憶がそれにあたるのだろう。
気がついた時からこいつは俺の隣にいた。家で遊んでいる記憶、幼稚園に通っている記憶、遠足に向かう記憶、小学校入学式の記憶、中学校時代での体育祭、修学旅行の記憶……とにかく、思い出すとキリがない。当たり前のように俺の隣で、笑って、怒って、泣いて。
家族というわけではない。別に血縁もないし、同じ家に住んでいるなんてこともない。一般的に言えば、友達にあたるのだろう。しかし、だからといってそんな簡単な言葉で片付けられるのはなんだか腹が立つ。
ちらりと視線を向けると、こいつは我が物顔で俺のベッドを占領し、読書にいそしんでいる。うつ伏せで枕に顎を乗せて、ゆらゆらと膝を伸ばしたり曲げたりしている。細長い指が動き、ページがめくられる。
外じゃ絶対に見られない光景だなと思う。こいつが世間体を気にしているのかどうなのかは知らないが、妙に外面はいい。目つきこそ悪いが、品行方正で生真面目。学生という身分故に強いられる学業においても、非常に優秀だ。たぶん、今のこいつの姿を見れば、大抵の人は驚くんじゃないかろうか。
「……なに?」
こちらの視線に気がついたのだろう。ただでさえ悪い目つきに加え、眉間のしわ。子供が見たら泣き出すのではないかという顔だ。しかも質が悪いことに、コイツは美人だ。そのせいで氷の刃を向けられている様な錯覚を受ける。
「お前、何しに来たの?」
しかしそれに恐れず、戦かず、率直な質問をぶつける。こいつが自室に上がり込んできたのは30分ほど前だ。もちろん会う約束などしていない。いきなり現れ、さも当然のように転がり込んで来たのだ。
「本を読みに来たのだが?」
「なんでうちで?」
こいつの手にあるのは我が蔵書から取ったものではなく、自分自身で持ち込んだものだ。
「何か問題でも?」
「いや、別にいいんだけどよ」
ならいいではないか、と視線が再び書面へと向かう。
レースのカーテン越しに、重苦しい曇天と降り付ける水滴が見える。どうしてこの大雨の中、いくら徒歩3分の距離とは言え、わざわざ俺の家で本を読もうなどいう考えに至ったのか理解できない。
ぱらりという紙のこすれる乾いた音が湿った雨音に混ざる。
本当に、こいつはなんなのだろう。横暴、とはちょっと違うが、自由気まますぎる気がする。普段の真面目なお前はどこに行ったと問いたい気持ちになるが、もしかしたらこれは真面目すぎる外面の反動なのかもしれない、だから仕方がないな、と考えてしまう分、俺も甘い。
なんとなく手を伸ばし、頭に触れてみる。一瞬、びくりとしたが、安心させるように撫でてみると、抵抗もなくそれを受け入れた。
癖の強く硬い髪質の俺とは違い、サラサラとしていて柔らかい絹糸のような指通しだ。それに何かいい香りがする。女子はなぜいつもいい匂いがするのだろうと小説や漫画の中で誰かが言っていたが、それはこんな香りなのだろうか。
「……芳佳」
凛とした口調で、こちらを見る。思わず、手が止まる。
「……学校には、行かないのか?」
押し黙る。学校はおろか、家から一歩も出なくなって、もうどれほどになるだろうか。両親の顔を見ることもほとんどない。視界の大半は髪でふさがれ、ぼさぼさとしている。後ろ髪も肩まで伸び、動くたびに首筋がこそばゆくなる。さすがに気持ち悪いため、シャワーは浴びているが、それでも不潔かつ不健康であることに変わりはないだろう。
「……いいだろ、べつに」
視線をそらす。こいつの真っ直ぐな視線が、突き刺さるようで痛かった。
「よくはない。いい加減にしないと、怒るぞ」
身体を起こし、ベッドサイドに腰掛ける。怒るぞ、という台詞の割に怒気は感じられず、どこか悲しげな口調だった。
「…………」
何も言わずに、膝を抱えると、小さくため息の音が聞こえた。
「また、明日も来る。だから……」
その先は告げず、室内は無音となり、一人残される。
薄暗い部屋で膝を抱え、虚空を凝視する。
いったいどうして俺は引きこもっているのだろうか。
どうしてこんな風になってしまったのだろうか。思い出そうとしても、答えは見つからない。
高校生になって、無事進級して、そこから何があったのか。何か、すごく怖いことが、現実から逃げたいことがあったはずだ。だから、今の俺がある。
雨音が強くなる。それが、ノイズのようでひどく不気味に聞こえる。
どうして、俺はここにいる。何があった。自問を繰り返す。しかし、やはり答えは見つからない。
「俺は……俺は……」
瞼を閉じ、頭を抱える。心臓の音が近くなり、ノイズが少し、弱まった気がした。
物心がついたのはいつだったかなんて、はっきりとは覚えていない。だが、きっと最古の記憶がそれにあたるのだろう。
気がついた時からこいつは俺の隣にいた。家で遊んでいる記憶、幼稚園に通っている記憶、遠足に向かう記憶、小学校入学式の記憶、中学校時代での体育祭、修学旅行の記憶……とにかく、思い出すとキリがない。当たり前のように俺の隣で、笑って、怒って、泣いて。
家族というわけではない。別に血縁もないし、同じ家に住んでいるなんてこともない。一般的に言えば、友達にあたるのだろう。しかし、だからといってそんな簡単な言葉で片付けられるのはなんだか腹が立つ。
ちらりと視線を向けると、こいつは我が物顔で俺のベッドを占領し、読書にいそしんでいる。うつ伏せで枕に顎を乗せて、ゆらゆらと膝を伸ばしたり曲げたりしている。細長い指が動き、ページがめくられる。
外じゃ絶対に見られない光景だなと思う。こいつが世間体を気にしているのかどうなのかは知らないが、妙に外面はいい。目つきこそ悪いが、品行方正で生真面目。学生という身分故に強いられる学業においても、非常に優秀だ。たぶん、今のこいつの姿を見れば、大抵の人は驚くんじゃないかろうか。
「……なに?」
こちらの視線に気がついたのだろう。ただでさえ悪い目つきに加え、眉間のしわ。子供が見たら泣き出すのではないかという顔だ。しかも質が悪いことに、コイツは美人だ。そのせいで氷の刃を向けられている様な錯覚を受ける。
「お前、何しに来たの?」
しかしそれに恐れず、戦かず、率直な質問をぶつける。こいつが自室に上がり込んできたのは30分ほど前だ。もちろん会う約束などしていない。いきなり現れ、さも当然のように転がり込んで来たのだ。
「本を読みに来たのだが?」
「なんでうちで?」
こいつの手にあるのは我が蔵書から取ったものではなく、自分自身で持ち込んだものだ。
「何か問題でも?」
「いや、別にいいんだけどよ」
ならいいではないか、と視線が再び書面へと向かう。
レースのカーテン越しに、重苦しい曇天と降り付ける水滴が見える。どうしてこの大雨の中、いくら徒歩3分の距離とは言え、わざわざ俺の家で本を読もうなどいう考えに至ったのか理解できない。
ぱらりという紙のこすれる乾いた音が湿った雨音に混ざる。
本当に、こいつはなんなのだろう。横暴、とはちょっと違うが、自由気まますぎる気がする。普段の真面目なお前はどこに行ったと問いたい気持ちになるが、もしかしたらこれは真面目すぎる外面の反動なのかもしれない、だから仕方がないな、と考えてしまう分、俺も甘い。
なんとなく手を伸ばし、頭に触れてみる。一瞬、びくりとしたが、安心させるように撫でてみると、抵抗もなくそれを受け入れた。
癖の強く硬い髪質の俺とは違い、サラサラとしていて柔らかい絹糸のような指通しだ。それに何かいい香りがする。女子はなぜいつもいい匂いがするのだろうと小説や漫画の中で誰かが言っていたが、それはこんな香りなのだろうか。
「……芳佳」
凛とした口調で、こちらを見る。思わず、手が止まる。
「……学校には、行かないのか?」
押し黙る。学校はおろか、家から一歩も出なくなって、もうどれほどになるだろうか。両親の顔を見ることもほとんどない。視界の大半は髪でふさがれ、ぼさぼさとしている。後ろ髪も肩まで伸び、動くたびに首筋がこそばゆくなる。さすがに気持ち悪いため、シャワーは浴びているが、それでも不潔かつ不健康であることに変わりはないだろう。
「……いいだろ、べつに」
視線をそらす。こいつの真っ直ぐな視線が、突き刺さるようで痛かった。
「よくはない。いい加減にしないと、怒るぞ」
身体を起こし、ベッドサイドに腰掛ける。怒るぞ、という台詞の割に怒気は感じられず、どこか悲しげな口調だった。
「…………」
何も言わずに、膝を抱えると、小さくため息の音が聞こえた。
「また、明日も来る。だから……」
その先は告げず、室内は無音となり、一人残される。
薄暗い部屋で膝を抱え、虚空を凝視する。
いったいどうして俺は引きこもっているのだろうか。
どうしてこんな風になってしまったのだろうか。思い出そうとしても、答えは見つからない。
高校生になって、無事進級して、そこから何があったのか。何か、すごく怖いことが、現実から逃げたいことがあったはずだ。だから、今の俺がある。
雨音が強くなる。それが、ノイズのようでひどく不気味に聞こえる。
どうして、俺はここにいる。何があった。自問を繰り返す。しかし、やはり答えは見つからない。
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