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#失敗ケーキ
しおりを挟む真っ黒に焦げたケーキはチーズケーキのようだった。作り方が書かれた雑誌が開いて置いてある。
「オーブンの設定間違えた?」
レシピ通りにやったらこうはならないはずだ。恥ずかしそうにアイリーンはうつむいた。
「思ったより……生地を作るのに手間取って。時間がなかったから強火で焼いたらいいかと……」
初心者がやりがちなミスだ。表面を削ったら食べられないかとナイフで切ると、中はまだ生焼けだった。
「す、捨てるから。もういいよ……」
「俺のために作ってくれたんだろう? どうにかしてみるから、任せて」
兵舎暮らしでは機会がなかったが、実は子供の頃から一人暮らしの学生時代まで、料理にはずいぶんはまってやりこんでいたのだ。
慣れない頃はよく失敗したし、リカバリーできないか試行錯誤もした。
焦げた部分を丁寧に取り除き、型も一度外して焦げた部分を丁寧に洗って落とす。そうしないと無事な部分にも匂いが移るからだ。
「ほら、中は無事だからもう一回加熱すれば大丈夫だよ。銀膜紙で覆って、もう一回ゆっくりじっくり焼いてみよう」
魔導石窯の中も掃除して、焦げた匂いを重曹に移す。それから低温に予熱して、再びケーキを投入した。
「さて、ケーキのお供にコーヒーでも……と思ったけど、マグカップすらないな」
「あ、カップなら……」
おずおずとアイリーンはキッチン下の収納から、マグカップを2つ取り出した。遊ぶ猫のシルエットが描かれたペアのデザインだ。
「あなたには子供っぽすぎるかもしれないけど……」
否定されるのではないかと、アイリーンは不安そうだ。たぶんずっと家族に好きなものをけなされてきたのだろう。
「すごく可愛いね。これ借りてもいいの? 助かるよ。俺のカップ、荷造りの時に割っちゃったんだ」
ほっとした様子でアイリーンは微笑んだ。
「うん。インスタントだけどコーヒーもあるわ。魔導ポットも」
「すごい。俺がいない間に家が整ってる」
「でも、揃えられたのはそれくらいなの……」
しゅんとするアイリーンの手を握って、「これから二人で選ぶ楽しみがあるよ」とカリオンは言い聞かせた。この家に来たからには、もうアイリーンに自己否定してほしくない。
「結婚したばかりなのに、二週間も一人にしちゃってごめんね。明日、明後日は休みだから、いろいろ買いに行こう。アイリーンは何が一番ほしい?」
「あのね……中庭が見える場所に、座り心地のいいソファがほしいなと思ってるの。横になって眠れるような大きいやつ」
「すごくいいね。俺もほしい。他には? 二人で計画を立てよう」
コーヒーを淹れて、二人は中庭へ移動した。2人分のイスとテーブルがあるのが、まだ中庭だけなのだ。
「ダイニングテーブルも欲しいよね。ああ、でもカウンターテーブルもほしいんだよな。悩ましいね」
「食器棚も。大学に行くとき、途中に大きなショッピングモールがあって何度か行ったんだけど……そこに家具屋さんがあってね。素敵なお皿がたくさん売ってて、ほしいのがたくさんあるの」
「ひょっとして、猫のカップもそこで?」
「そう。これはあんまり可愛くて衝動買いしちゃった」
風は冷たくて肌寒いのに、話題が尽きなくて寒さは気にならなかった。
途中でチーズケーキが焼けた。一度真っ黒に焦げたなんて信じられない、良い焼き上がりだった。
「あ、お皿がない!」とハプニングもあったが、紙を折って皿の代わりにした。二人で爆笑してしまった。
「コーヒーは紙を折ったカップで飲むことにならなくて良かったよ。奥さんの衝動買いのおかげだね」
「そんなこと言うと、私は際限なく衝動買いしちゃうわ」
「家中、猫のグッズだらけになっちゃかな?」
「そんなことないわ。犬のグッズも可愛くて好きだもの」
猫と犬の可愛いグッズで埋もれる新居。すごく幸せそうで、カリオンはまた声を上げて笑った。
夕方、カリオンは「少し用事がある」と言って出かけた。行き先はメンズサロン。アイリーンに見られるのを意識して、全身剃毛してツルツルにしてもらった。もちろん、VIOラインも。
永久脱毛は時間がかかるらしいが、通って処置してもらうつもりだ。ムダ毛でアイリーンに嫌われたくない。
(それから……)
メンズサロンの帰りに薬局に行って、プレイ用の薬剤を二つ買った。
一つは整腸カプセル。食前に飲むことで食べたものが小腸から大腸に移動するとき、魔導ポリマーでコーティングしてくれるので腸壁にこびりつかない。
もう一つは腸内デトックス用の洗浄剤だ。こちらはプレイの直前に使用する。
(なんだか……すごく期待してるみたいだな)
あいにくカリオンには後ろを責められたい願望自体はまったくなかった。アイリーンの望む反応ができるか、はなはだ不安だ。
「ほしかった奴隷の反応じゃない」とアイリーンに失望されたらどうしよう。
演技力にも自信がないのだが、彼女の望むとおりに気持ちいい振りができるだろうか。
(いや、感じる振りはダメだよな……)
頭ではわかっているのだが、「奴隷になってあげる」と求婚した手前、奴隷になれなかったらアイリーンを失ってしまうんじゃないかという恐怖がある。
「おかえりなさい」
家に帰ったカリオンを、アイリーンは微笑んで出迎えた。帰ったら誰かが待っていてくれる――それはカリオンにとって、経験のないことだった。
(ああ、好きだ……)
ひょいと抱き上げてリビングに行く。まだ何も家具のない広いばかりの部屋で、カリオンはアイリーンを抱えてくるくるまわった。
「なに? どうしたの?」
くるくる回る景色に軽く目を回して、アイリーンはカリオンにしがみついた。
ぎゅっと彼女を抱きしめてカリオンは言えない言葉を噛み殺した。
(好きだよ。愛してる……)
十歳も年下の、見合いで結婚した女の子に好きだなんて言えなかった。アイリーンは家族と縁を切りたかっただけだ。カリオンのことなど何とも思っていない。
わかっているのにカリオンは彼女のことが好きでたまらなかった。
アイリーンをつなぎとめるためには何でもする。
「……お腹空いたの?」
「奥さん……俺が空腹だと奇行に走ると思ってる?」
「……少し?」
(面白いなぁ、この子……)
笑うとアイリーンは不思議そうにした。そんなところさえ愛しい。
イスもテーブルもないダイニングで、二人で床に座って配達された弁当を食べた。カリオンの帰還の日だからとアイリーンが注文してくれた百貨店の豪華なオードブルだ。
「俺がいない間、いつもこうやって食べてたの?」
「ピクニックみたいで悪くなかったわ」
強がるアイリーンに「今度、本当のピクニックにも行こう」とカリオンは笑った。
「車を買おうと思ってるんだ。休みの日しか使わないから、とりあえず中古車でいいかなと思ってるんだけど……奥さんは希望ある?」
「車の? 希望?」
きょとんとするアイリーンにカリオンは説明した。
「見た目がいいのがいいとか、広いのがいいとか」
「車に……見た目のいいとか悪いがあるの?」
(あ。これは連れて行かないとピンとこなそう)
明日一緒に行こうと誘ったが、「何もわからないと思う……」とアイリーンは不安そうだった。
「解説してほしいんじゃないよ。君の感想が聞きたいの」
「感想……」
それが何の役に立つの?と言いたげにアイリーンは不思議そうにした。
自分の感覚や感情を、誰にも肯定されてこなかったのだろう。むしろ自分の気持ちを言うことを恐れているようでもある。
アイリーンの手を握って、カリオンは言い聞かせた。
「難しく考えなくていいよ。これが好きとか、ここが嫌とか、奥さんの好みが知りたいんだ。君も乗ることになるんだから」
「じゃあ、私もお金を出すね」
「そのほうがいろいろ言いやすいなら出してもらおうかな。その代わり、君をいろんなところに連れて行くね」
アイリーンが行ったことのない場所、美しいと感じる場所にたくさん連れて行ってあげたい。
ようやく始まった新婚生活が、カリオンは楽しみで仕方なかった。
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